リベラルアーツ研究教育院 News

どれだけ研究しても、まだわからない マルクス経済学は日本特有の古くて新しい学問

【マルクス経済学】江原 慶 准教授

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2022.07.25

江原 慶 准教授

受験的な勉強では太刀打ちできない、
「考える」ことに目覚めた試験

皆さんは、カール・マルクス、そして彼の著作の『資本論』にどんなイメージを持っていますか? どちらも「聞いたことはある」くらいなのではないでしょうか。社会主義や左翼といったイメージをもつ人もいるかもしれません。『資本論』はマルクスが「資本」を中心とした経済の原理を、それまでの古典派経済学を歴史的かつ批判的に捉え、理論的に再構築しようと試みた著作です。全三巻であり、第一巻は1867年に出版されました。もはや古典の一つです。マルクス経済学は『資本論』の視座を継承し、マルクス以後に深められた研究成果の総合的な体系を指します。

そして、私の専門分野はマルクス経済学です。こう言うと、「なぜ今どきマルクス経済学の研究をしているのか」と聞かれることがあります。数十年前は日本の経済学界でも大きな存在感のあったマルクス経済学ですが、近年ではミクロ経済学やマクロ経済学など、数学的モデルを構築し、その分析と応用に重点をおくそのほかの経済学に押されています。前述のような質問をする方は、マルクス経済学は過去のものだと考えているのでしょう。しかし、私にとってマルクス経済学は、今まさに研究すべき学問であり、まだ新しい発見のある分野なのです。

私がマルクス経済学を専攻に選んだのは、もともとマルクスに興味があったからではありません。ましてや、社会主義革命を起こしたかったからでもありません。

ただ、自分が学んできた中で「一番わからなかった」のがマルクス経済学だったからです。

マルクス経済学との出会いは、大学2年次でした。私は入学した時点で、もうあんまり勉強はしないつもりで、何か興味の湧くほかのことが見つかるといいなという気持ちになっていました。1年生から2年生の前半までは、最低限の単位だけとりつつ、のんきに過ごしていました。

思い返せばこれはこれで大切な時間だったのですが、そんなのんびりした態度で、打ち込める何かに出会えるはずもなく、あっという間に2年次の後半に入ってしまいました。「そろそろ何かしなくては」と思って、とりあえず目の前の勉強にしっかり取り組んでみることにしました。2年次後期では専門の授業が始まったので、そこで経済学の基礎科目を一気に学び、テストを受けたのです。ミクロ経済学、マクロ経済学、経営学、統計学、ゲーム理論、経済史などさまざまな授業を受けたなかで、一番成績が悪かったのがマルクス経済学を学ぶ経済原論の授業でした。どの科目も同じくらい熱心に勉強したのに、なぜマルクス経済学だけこんなにできなかったのか。

他の科目は、教科書を読んで、ノートをとって、それを復習すればそこそこ点数がとれました。でも、原論はそうではなかった。教科書の内容と先生が授業で教える内容が違うのです。教科書を読むだけでなく、先生の講義を咀嚼して、自分の頭で考えなければ解けない問題ばかりだった。結局、私がこれまでやってきた勉強は、受験で点数をとれるところまでしかいっておらず、そうして得た知識とツールを使って、自力で考えるということができていなかったのだと思い知らされました。これこそ学問だと思いました。それが、マルクス経済学を専攻に選んだきっかけでした。

金融危機を資本主義全体の問題と捉える、
マルクス経済学の射程の広さ

江原 慶 准教授

マルクス経済学の世界は広く、深く、専攻してもわからないことだらけでした。とにかくわからないことをわかるようになりたい、という一心で大学院へ進みました。学部3年生だった2008年に起きたのが、リーマンショックです。当時は新卒採用にたいへん大きな影響があり、就職活動は本当にたいへんそうでした。そんななか、私はあまり就職に意識が向いていなかったので、自分には関係がないと思っていましたが、少なからず影響は受けていたのでしょう。卒業論文のテーマは金融を選びました。マルクス経済学の中では信用論と呼ばれる分野です。大学院に入ってからは、景気循環論の研究に進みました。

当時の経済学界隈では、金融論を専門とするハイマン・ミンスキーの「金融不安定仮説」がよく取り上げられており、主流の経済学が見落とした問題を昔から指摘していた、忘れられた経済学者としてにわかに脚光を浴びていました。そこで私も時流に乗ってミンスキーを研究しよう……とはならず、違うテーマを選びました。経済は金融だけではないのだから、金融以外の経済問題も考えられるフレームワークで論じなければいけないと考えていました。そこで、景気循環についての研究蓄積があるマルクス経済学をベースに考えたほうが、射程が広くなるだろうと考えたのです。

そもそもミンスキーも、金融制度改革だけで金融危機を防げるといったナイーブな発想は持っておらず、結局こうした危機は資本主義に内在する問題なのだという考えを示しています。マルクス経済学はそれをさらに強く打ち出していて、金融システムの歪みや構造的問題は、金融だけではなく、実体経済を含めたより大きな世界資本主義的な構造の問題として見なければいけない、としている。この大きな発想に惹かれたのです。

修士課程1年目の終わり頃に、価格決定に関する理論について、これまであまり考えられてこなかったような切り口が見つかり、それを端緒として修士論文を書き始めました。博士課程ではさらに広げて、なぜ資本主義経済は安定している時期と不安定な時期、つまり恐慌があるのか、という問いをもとに論文を書いていきました。それが博士論文となりました。タイトルは「資本主義的市場と恐慌の理論」。この内容を、そのまま同タイトルで書籍として出版しました。

もはや貨幣は金じゃない。
現代に合わせてアップデートした『資本論』

江原 慶 准教授

日本では、「マルクス研究」といえば「マルクス経済学」とほぼ同じ意味になります。研究するのも経済学者です。実はこれ、日本特有の現象なのです。

他の国でマルクスの思想は、哲学や社会学の一つとして受容されています。マルクス自身も経済学者ではなく思想家、アクティビスト(活動家)として捉えられ、分析されています。

近年、マルクスの『資本論』を現代の気候変動問題と絡めて読み解く『人新世の「資本論」』が話題となりましたが、著者の斎藤幸平さんはベルリン・フンボルト大学の哲学科の出身。斎藤さん自身が「マルクス研究者」や「経済思想家」を名乗っているのに、メディアが斎藤さんを「マルクス経済学者」として紹介する現象は、見ていてとても興味深かったです。日本ではこれほどまでに、マルクス・イコール・マル経なんだなと。

もちろん哲学や社会学と密接な関係をもちつつも、あくまで経済学の領域でマルクスを研究する「マルクス経済学」。その研究成果の蓄積はほぼ日本にしかないのに、今の日本ではこれまでの研究の蓄積を振り返り、新たな鉱脈を探す場が失われていっています。

私はマルクス経済学を衰退させず、次世代へ引き継ぐという使命感を持って、東工大に来ました。それこそが今やらなければいけないことだと感じています。

授業では、これまで大学で教えられてきたマルクス経済学の蓄積を伝えていきたいと考えています。蓄積といっても、古い知識をそのまま教えるつもりはありません。私が大学生の時代に使っていた経済原論の教科書は、1985年刊でした。この内容をそのまま話しても今を生きる学生の皆さんには伝わらないし、現代の経済状況と離れてしまう。私自身も確信をもって話せません。

マルクス経済学の教科書を頭から読んでいくと、とてもややこしく哲学的、概念的な議論が展開していきます。それをなんとか読み進めた結果、出てくるのが「貨幣は金(きん)」という結論なのです。高尚で難解な話が続いたあとに、えらく即物的な話が出てくる。これは肩透かしをくらったような気持ちになりますよね。合理的な人であればあるほど、「要するに貨幣は金(きん)なのならば、最初からそう書けばいいのに」と思うでしょう。

多くのマルクス経済学の研究者は「金貨幣論は現代の貨幣を分析する基準なのだから、基準を変えてはいけない」、つまり金貨幣を中心とした資本主義を基礎理論とすべき、といいます。しかし、私は「貨幣は金」という基準が、もはや基準として機能していないと思います。1971年のニクソン・ショックで米ドル紙幣と金との兌換一時停止が宣言され、ブレトン・ウッズ体制は崩壊しました。実質、貨幣は金ではなくなった。不換制の世界になったのです。そこからもう、半世紀以上経っています。それでも資本主義は成り立っています。

いまや、金に紐付けられない貨幣システムでも資本主義が保たれる理由を説明できる理論を打ち立てなければいけないのです。これはつまり、銀行システムを入れて『資本論』を再構成する、ということです。他のマルクス経済学者から言わせれば、大胆すぎるアレンジになるのですが、そこまで踏み込んで考え直す必要がある。このように、現代風にアップデートされたマルクス経済学の授業をしたい、と思っています。

自分が納得できるロジックを考えた上で話すつもりですので、授業ではここでしか聞けないマルクス経済学の解釈が展開されるでしょう。

研究と教育は表裏一体。
考えたてほやほやの理論を、学生と組み立てていきたい

江原 慶 准教授

私が師事した先生は、基礎研究と教育を連動させ、今まさに研究で組み立てている理論を学生にも理解できるように話す、ということをモットーとされていました。先生がまだ解決していない問題について、学生も授業の中で一緒に考えることができたのです。研究と教育が表裏一体となっている。マルクス経済学にはそんなおもしろさもあります。

マルクス経済学の授業は100年以上昔から行われてきたため、教壇に立った教員が大勢に向かって講義をする旧来のスタイルが一般的になっています。固定観念を壊し、学生を巻き込んで一緒に考える授業をどうつくっていくか。これは腕の見せ所です。

金に基づかない貨幣を前提とした、商品・貨幣・資本の3領域を再構成する資本主義の基礎理論は、まだフィックスされていない内容です。少しずつ学会誌などに発表していますが、学会で合意がとれている内容ではない。私自身の研究テーマとして思索しつつ、授業をとってくれた学生と議論していきたいですね。

もう一つの新たな研究テーマは、生産と労働です。私はこれまでマルクス経済学の中で貨幣や金融など、市場に関する分野の理論を考えてきましたが、市場の問題だけに絞っていると現代の社会における諸問題を解決できないのではないか、という懸念がありました。

そこで、これからはマルクス経済学の本丸とも言える「生産」という概念を深く掘り下げていきたいと考えています。東工大といえば、生産と技術の研究が盛んな大学。技術史や科学史に詳しい先生もたくさんいらっしゃいます。そうした先生たちと議論しながら、生産とはなにか、技術とはなにかを考えていきたいです。特に今はITの進展によって、生産の概念が揺さぶられています。貨幣が金ではなくなった世界をどう考えるのか、という問題と並行して、物質的な生産だけでなくなった現代の生産、そして労働をどう捉え直すのかに関心があります。

経済学で、世界の見方が少し変わる。
専門外の知識が人生を豊かにする

江原 慶 准教授

私が所属するのはリベラルアーツ研究教育院ですが、私自身は教養のない人間だという自覚があります。クラシック音楽の鑑賞が趣味だったり、古典に詳しかったりするわけではないし……と、この「教養人」への想像の乏しさが私の教養のなさを表しているようです。おまけに、大学で専門以外の教養を身につけられる「教養学部」の時期に、ほとんど大学へ行っていなかったわけですから。

ただ、経済学を専門にしてから、教養とまではいかなくとも、その一端である歴史を理解する眼が涵養(かんよう)されてきたという実感はあります。私は高校時代、歴史が苦手で、年号などの丸暗記が苦痛でした。それが、経済史を学んだら、歴史上の出来事がよくわかるようになったのです。経済史では、歴史を動かす動力としてお金などの経済的動機を設定します。この動力から説明される歴史はロジカルで、わかりやすいのです。

例えば、第一次世界大戦はなぜ起きたのか。高校の歴史の授業では、ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟とイギリス・フランス・ロシアの三国協商が対立し、各国はバルカン半島の主導権をめぐって画策しており、バルカン半島はスラブ系民族とゲルマン系民族の対立などの複雑な民族問題を抱えた「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていた……などという説明をされます。基本的に高校までの歴史の授業は政治史なのです。この説明だと、なぜスラブ系民族とゲルマン系民族が対立しているのかわからないし、三国の組み合わせも暗記するだけになってしまいがちです。

一方、古くから唱えられている説ですが、マルクス経済学から見た第一次世界大戦の発端はこうです。当時、イギリスは先行する資本主義国で、ドイツは後発国として追いつこうとしていました。後発のドイツはまだ国内市場が狭いため、さらに経済発展するために海外市場を必要としていた。しかし、ドイツの大企業が海外市場に出ようとしても、多くの地域をすでにイギリスやフランスが植民地としており、市場の開拓ができない。そこに利害対立が生まれ、第一次世界大戦が勃発したという説明になるのです。これは現在、当時沸き起こりつつあったナショナリズムなどの民衆心理を過小評価しているなど、批判も多い説ですが、このように聞くと筋が通っていてわかりやすい、と感じませんか?

マルクス経済学は経済史と関係が深い分野なので、マルクス経済学を学んでから歴史を振り返ると「このような因果関係があったのか」と見方が変わるのです。私は経済学を通して、リベラルアーツの広い世界観に少し近づけたような気がしています。

東工大の学生は、必修の授業も大変ですし、早く専門的なことを学びたいという気持ちが強いのではないかと思います。しかし専門だけを学ぶのであれば、ここよりもっと専門に特化した進路はあったはずです。せっかくただの理工系大学ではない、「理工系総合大学」を謳った東工大に来たのだから、視野を広げて専門以外のことも勉強してみませんか。大学時代にはわからなくとも、人生の中で「あの時学んだことが役に立った」と実感するときがくるかもしれません。

Profile

江原 慶 准教授

研究分野 マルクス経済学

江原 慶 准教授

1987年生まれ。幼少期は父親の転勤で引っ越しが多く、小学生時代にシンガポールに5年、中学生から高校生にかけて中国・北京に1年在住。2010年、東京大学経済学部卒業。2015年、東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。東京大学大学院経済学研究科助教、大分大学経済学部准教授を経て、2022年4月より現職。著書に『資本主義的市場と恐慌の理論』(日本経済評論社、第15回政治経済学・経済史学会賞)、編著にJapanese Discourses on the Marxian Theory of Finance (Palgrave/Macmillan)、共訳書に『アナザー・マルクス』(マルチェロ・ムスト著、堀之内出版)など。趣味は自転車に乗ること。

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