リベラルアーツ研究教育院 News

宗教学は価値観を論じる学問。人は価値観を意識することで自由になれる

【宗教学】弓山 達也 教授

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2019.12.25

弓山 達也 教授

理工系の学生こそ
宗教リテラシーを高めるべき

宗教学と聞くと、キリスト教や仏教を解説する学問のようなイメージを抱くかもしれません。でも私が受け持っている宗教学の授業は、スピリチュアリティつまり特定の宗教に依拠しない宗教意識や、人のもつ価値観に焦点をあてています。

目的の1つが、理系の学生たちの宗教リテラシーを高めること。理由は後述しますが、意外なことに理工系の優秀な学生は、一方でカルト宗教に引き込まれやすい傾向があるんです。オウム真理教による地下鉄サリン事件や松本サリン事件の実行犯の中には、東工大の工学部や東京大学の理系学部出身者、慶應義塾大学医学部出身の医師が含まれていました。学部1年生を対象にした授業では、信仰とは何か、信じるとはどういうことかを一緒に考え、リテラシーを高めます。

2年にはスピリチュアルブームや若い世代の死生観について、講義やワークショップを通して学び、3、4年には、映画を見ながら日本人や自分自身の死生観を読み解きます。取り上げる映画は、『おくりびと』や『東京物語』、短編アニメーションの『つみきのいえ』など。たとえば『つみきのいえ』のDVDのジャケットにコピーをつけるとしたらどんなコピーにするか、グループワークをする。作業を通し学生たちは、同じ映画を見ても人によって受け止め方、感じ方が違うと気づきます。

「現代宗教/スピリチュアリティ論」のゼミも持っています。こちらのゼミでは高尾山で滝行したり、上智大学神学部や國學院大學神道文化学部の学生とディスカッションしたりする。学生たちは驚きますよ。大学院を出て企業に入るのが当たり前だと思っていたのに、同い年の学生が、一生、宗教で生きていこうとしている。修学旅行のような気分で高尾山に行ったら、真剣に滝に打たれているけっこう若い人たちがいる。自分の選択肢に無かったものを選択している同世代がいるのです。

こうした気づきや驚きをきっかけに、学生のものの考え方、見方を広げたいというのも、宗教学の授業の目的です。

私自身の今の関心の一つは、東日本大震災後の人々の意識や行動の変化です。震災後にボランティアで被災地に入り、そのまま住み続けている人がいます。そんな人と話すと、とても宗教的、求道的で利他的な言葉が聞かれる。日ごろ宗教と無関係な人が宗教的になるとはどういうことなのか興味を持っています。同じように「苦難と語り」というテーマにも関心があって、病いを得た人々の語りや支援者の活動に興味を持っていて、近年は学生たちと、水俣やハンセン病施設、またホームレス支援の現場に勉強に行かせていただいています。

宗教は価値の体系
価値観を相対化できれば自由になれる

弓山 達也 教授

修士向けの宗教学の授業では、「愛国心」と「命の大切さ」をテーマにしています。実際に別の国立大学であったことですが、「学位授与式では君が代を歌わないことにする」と学長が決めたら、どう考える?なぜ命が大切なのか聞かれたら、どう答える?などと学生に問いかけ、議論しながら掘り下げます。

なぜ宗教学でこのようなテーマを取り上げるのか、不思議に思うでしょう。それは、宗教は価値や意味の体系であり、宗教学はそもそも価値を考える学問だからです。これらは自分の価値観を探るためのテーマです。

価値の体系といわれても、ピンとこないかもしれませんね。たとえば「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いかけに、キリスト教国の人なら「聖書に書いてあるから当たり前」、仏教国の人なら「戒律で禁じている」と即答するでしょう。特定の宗教が支配的な力を持っている文化では、社会の価値観の多くがひとつの宗教と結びついている。

ところが、一般的に宗教と縁遠い現代日本人に、「なぜ人が人を殺してはいけないの」と尋ねると、「いやあ、それは法律で禁じられているから…」と口ごもったりする。実際に1997年にニュース番組でこう発言した高校生にスタジオの識者たちは何も言えず、そのこと自体が大きな話題となり、これを特集した雑誌や関連書籍が多く出版されました。自分の価値観を形成しているものがあいまいだから、法的根拠の話しかできなくなってしまう。さらにいえば、日本社会は均質性が高く、自分の価値観を意識する機会が少ないこともあるでしょう。

だからあえて、自分がどうしてそう信じているのか、突き放してみる。どうして人を殺してはいけないと信じているのだろう。どうして、君が代を歌うのが当たり前だと思っているのだろう、どうして卒業後は企業に就職するものだと決めているのだろう。自分の価値観の輪郭のようなものが見えると、相対化できる。相対化できると、そこから自由になれる。より人生を楽しめると思うのです。

他者や外界に興味を持てる人間が
本当の教養人

弓山 達也 教授

私が東工大に来たのは、2015年。リベラルアーツ研究教育院の立ち上げには、「東工大立志プロジェクト」のトライアル授業の段階からずっと関わっています。今も立志プロジェクトと教養卒論などを受け持っています。

リベラルアーツとは、本を多く読むとか、クラシック音楽をたくさん聴くとか考えられがちですが、そういうことだけではないと、私は考えます。本を読みたくなる、音楽を聴きたくなるという動機、言い換えれば、「他者や外界に興味を持つこと」こそが極めて重要で、その関心を育てることが、リベラルアーツの役目なのだと思います。

先の映画を観る講義で言えば、映画をたくさん観ることも重要ですが、同じ映画を観て異なる感想―例えば『つみきのいえ』を観て、自分と違うコピーをつくった人がいて「なぜこんなコピーをつくったの?」と興味を持つ態度こそリベラルアーツで育むべきことと考えます。

要は、それぞれの人間の知のOS(オペレーションシステム)をつくることなんです。いろいろなことに興味を持てるようなOSなら、本を読むとか音楽をたくさん聞くといったアプリケーションソフトは、あとからいくらでもインストールできる。

東工大生には、ぜひ「他者や外界への興味」を持ってほしいですね。東工大生が、世界トップクラスの科学技術を学んでいるのは、織り込み済みです。加えて、自分とは違う価値観や文化に関心を持ち、人間性や創造性や社会性を深めて自分で学んでいけたら、もう鬼に金棒ですね。

ではどうやって育てるか。トレーニングしかないと私は思います。いろいろなことに関心を持てるような環境に身を置き、実際に関心を寄せるトレーニングです。その意味で、グループディスカッションをする立志プロジェクトの授業、また宗教学の授業はいいトレーニングの場です。週1回でも自分とは違う価値観に触れて、なぜそう受け止めたのだろうかと考える。それだけで、若い学生たちのこころの筋力はものすごくアップしますよ。

自らの価値観に縛られていないか
変われることに気付いて欲しい

弓山 達也 教授

冒頭で理系の学生はカルト宗教に引っ掛かりやすいと話しました。

カルト教団は親密さを醸し出したり、独自の理屈を展開したりしながら近づいてくる。理系の学生の多くは数字やエビデンスを論じてきたので、自分が知らなかった理屈をガツンといわれたり、エモーショナルに近づいて来られたりすることに、耐性がないようです。またカルトは善悪で物事をとらえるので、理系的0か1かの思考方法と親近感があります。

それは東工大生も例外ではありません。自分はそういう価値観にからめとられやすいのだと理解しておくことは大事。そして自分の価値観を相対化できるようにしておくことも大切です。

しかし―。
東工大生は概して非常に真面目です。几帳面でもあり、自分をコントロールし抑制する力を持っている。それは受験勉強をして「がんばる」経験を充分に積んできたからこその美点だと思います。

ただ、自己コントロールでき、優秀であるが故に、自分を「でき上がった存在」と考えている人が多いような印象を抱いています。言い換えると、「自分は変わらなくてもいい」あるいは「自分の価値観は間違っていない」と、かたくなに思う傾向がある。これは弱さにも通じます。

何よりも、もったいないですね。まだ20歳前後です。いくらでも変わることができるし、もっと変わっていったほうが、人生の幅が広がったり深まったりする。くり返しになりますが、自由で楽しくなれるのです。宗教学とリベラルアーツの授業を通し、今後もその手伝いをしていきたいと思います。

Profile

弓山 達也 教授

研究分野 宗教学

弓山 達也 教授

1963年、奈良県生まれ。法政大学文学部哲学科卒業、大正大学大学院博士課程後期単位取得退学。日本学術振興会特別研究員、(公財)国際宗教研究所研究員、大正大学人間学部教授、エトヴェシュ・ロラーンド大学客員教授等を経て現職。近年の主な研究テーマは、東日本大震災後の人々のスピリチュアリティや、意識や行動の変化など。東工大ではボランティアサークルの顧問も務める。『天啓のゆくえ―宗教が分派するとき』(日本地域社会研究所)、『東日本大震災後の宗教とコミュニティ』(ハーベスト社)他、編書、共著は多数。

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