リベラルアーツ研究教育院 News
【運動生理学】小川まどか 准教授
スポーツ科学は、運動やスポーツ、健康を軸に生理学、心理学、医学、工学、情報学、社会学など、さまざまな領域の知見を総合した応用科学です。この分野はアスリートの競技力向上だけでなく、一般の人々の日常生活や健康増進にも広く貢献しています。例えば、健康日本21(第三次)※1における身体活動・運動分野の取り組みを促進するために、「健康づくりのための身体活動・運動ガイド2023」が作成されています。この中で、科学的エビデンスに基づいた推奨される身体活動の強度や時間、健康づくりのための具体的な運動方法も提示されています。こうした健康づくりのためのガイドラインの作成には、スポーツ科学の研究成果が貢献しています。
私は、スポーツ科学の中でも運動生理学を専門としています。運動生理学も研究の幅があるのですが、多くの場合、生体の数値を測定するためにさまざまな種類の装置やソフトウェアを使用します。そのため、本学で学ぶ学生にとっても興味深い分野だと思います。私は主に磁気共鳴画像(Magnetic Resonance Imaging: MRI)※2や超音波画像を使って、研究を進めてきました。加齢、運動不足や筋力トレーニングをはじめとする身体活動によって、身体がどのように適応するか、特に骨格筋と脂肪の量と分布に着目して研究を進めています。
※1正式名称は「21世紀における第三次国民健康づくり運動」であり、国民の健康増進を総合的に推進するための国の基本方針
※2核磁気共鳴現象を利用し、主に水素原子核のスピンの挙動を観察することで生体内を非侵襲的に可視化する画像法のこと
スポーツ科学、特に運動生理学に興味を持ったきっかけは、小学生から大学まで続けていた水泳競技にあります。高校時代、記録が伸び悩んでいた時期に、コーチから心拍数を用いたトレーニング方法を教わりました。その後、自己ベストを更新することができた経験から、将来スポーツに関わる仕事に就きたいという思いに繋がりました。
進学した体育大学では、水泳部での早朝と夕方の練習を行いながら、健康運動指導士などの指導者資格を取得しました。運動生理学に本格的に興味を持ったのは、大学2年次の時です。測定機器を使った実験演習の授業が特に面白く、その後ゼミに参加し始めました。水泳部では毎日のように体幹トレーニングを行っていたのですが、水泳中にどのように体幹部が使われているか、その当時はよくわかっていませんでした。そのため、卒業研究として水泳中の腹腔内圧を測定する実験に取り組みました。指導教員をはじめ、水泳部や大学の仲間の協力のもと、試行錯誤を重ねた結果、4年次に日本トレーニング科学会大会で発表し、学会賞をいただくなど、自身にとって重要な成功体験となりました。大学時代に自由な発想で行った実験の経験が、研究者を選択する動機づけとなり、現在も研究に対する熱意を維持する源となっていると感じています。
現在の研究テーマは、加齢や身体活動による骨格筋と脂肪組織の適応です。特に、骨格筋内に霜降り状に蓄積する脂肪(筋内脂肪)へ着目して研究を進めてきました。筋内脂肪は“霜降り肉”をイメージしていただくとわかりやすいと思います。加齢、肥満、運動不足などにより、筋内脂肪は増加することが明らかにされています。さらに興味深いのは、若くて標準体重の方でも筋内脂肪の蓄積が多い方がいることです。筋内脂肪が多く蓄積していると、インスリン抵抗性※3を引き起こし、2型糖尿病の発症リスクを高めることが報告されています。
昨年、自身を筆頭著者とする研究グループは、標準体重の方を対象に8週間の筋力トレーニングを行い、筋内脂肪の蓄積が多い人ほど、それらの脂肪が減少することを明らかにしました。この結果は、Experimental Physiology誌からEarly Career Author Prize 2024のRunner-Upとして表彰されました。今後、研究をさらに発展させ、年齢や性別、健康状態に応じた運動プログラムの開発にも取り組んでいきたいと考えています。
※3膵臓からインスリンが分泌されているにもかかわらず、標的臓器(骨格筋・脂肪・肝臓)のインスリンに対する感受性が低下し、その作用が鈍くなっている状態のこと
脂肪組織を対象としたMRIの応用研究にも取り組んでいます。脂肪組織の中に存在する脂肪細胞には、主に白色脂肪細胞と褐色脂肪細胞があり、それぞれ異なる機能を持っています。白色脂肪細胞は主にエネルギーの貯蔵を担いますが、褐色脂肪細胞は熱産生を行い、エネルギーを消費する機能を持っています。私は特に「脂肪の褐色化」という現象に注目して研究を進めています。これは、白色脂肪細胞が褐色脂肪細胞に類似した特性を獲得する現象で、肥満の予防や治療への応用が期待されています。
しかしながら、現在まで生体内で脂肪の褐色化を評価できる画像法はありません。MRIは非侵襲的※4かつ高画質の画像法であり、脂肪の量やその分布の評価に優れていますが、脂肪組織の詳細な構造やその脂肪種別を捉えることまでは困難とされています。放射線科学を専門とする研究者や生化学を専門とする研究者とともにこの課題の解決に取り組んでいます。この課題が解決されれば、脂肪の「質」を評価する新たな指標になる可能性があると考えています。代謝疾患のリスクをより早期に評価することや運動や栄養介入の効果をこれまで以上に詳細に観察することができるかもしれません。
※4身体に傷やダメージを与えたりすることなく行われる検査や処置を指す
例えばこの研究テーマは、生体組織の特性だけでなく、MRIや画像解析に関する知識も必要とされます。そのため、私自身、大変苦労していますが、生理学と理工学の知識を融合させなければ成し得ない研究だと思います。この研究テーマは博士課程在学中に日本学術振興会若手研究者海外挑戦プログラムの助成を受け、Turku PET center(フィンランド)で短期間研究させていただいた機会や、骨格筋のMRIの解析方法を開発していた研究者との交流から着想を得て、研究を進めてきました。自分の専門分野だけに閉じこもっていては、この研究テーマには辿り着けなかったと思います。そして、これこそがリベラルアーツを学ぶ重要な意味だと考えています。現代社会の健康問題などの複雑な課題は、単一の研究分野だけでは解決が難しいのが現状です。こうした課題の解決には、分野横断的な研究がこれまで以上に求められています。そのため、どのような専門分野においても、リベラルアーツ的な考え方、つまり幅広い知識と柔軟な思考が必要不可欠になってくるのではないかと思います。
本学では、運動生理学の測定方法を使って自分の身体をよく知ってもらう健康科学演習を担当します。高度な測定機器ではないのですが、簡単な測定機器やフィールドテストの方法を含めて実践します。そして、より実践的な学びを促進するため、短期間のトレーニング計画を学生自身に考案してもらい、実践した上でその効果の測定評価を行います。この過程で、運動生理学の知識を自分自身のトレーニングや健康管理にどのように応用するかを実践的に学んでもらいたいと思っています。また、この授業をきっかけに自分に合った運動を見つけ、運動習慣を身に付けることも目標にしています。運動生理学の知識を提供しつつ、学生たちに各々の専門分野との関連性へ気づいてもらえるような授業を心がけていきたいです。
また、ウェルネス実習も担当しています。授業では、個人スポーツであっても学生同士のコミュニケーションを重視しています。近年、社会的つながりが強いほど運動の継続率が高まることが明らかにされているからです。特に運動初心者は、グループでの運動を行うことが推奨されています。言い換えれば、運動を継続させる秘訣は、一緒に運動する仲間を作ることです。そのため、授業では和やかな雰囲気づくりと学生同士の交流を図ることを心がけています。例えば、失敗を学習の機会として前向きに捉えるよう促し、安心して運動できる環境を目指しています。このような環境の中でできた異なる専門分野の学生同士の繋がりから、新たな視点や発想が生まれる可能性も期待しています。
本学の学生たちと接していて気になるのは、失敗することを過度に恐れて自分から挑戦することを諦めてしまう雰囲気があることです。私自身、たくさんの失敗や遠回りをしてきましたが、自分にはできないと思い悩む時間がそもそももったいなかったように思います。例えば、筋力トレーニングによる骨格筋量の増加は90歳でも確認されています。これは、挑戦に遅すぎることはないことを示す良い例だと思います。トレーニングも研究も積み重なっていくもの。時間はかかりますが、続けることで成果は出てきます。ですから、学生のみなさんには、自分の可能性を信じて突き進んでいってほしいと願っています。
研究分野 加齢・老化/運動処方と運動療法/生活習慣病
専門は運動生理学、応用健康科学。2010年、鹿屋体育大学体育学部スポーツ総合課程卒業。2012年、東京大学大学院新領域創成科学研究科人間環境学専攻修士課程修了。2012年から3年間、公益財団法人日本体育協会(現 日本スポーツ協会)に勤務。2019年、JSPS特別研究員(DC1)として名古屋大学大学院教育発達科学研究科教育科学専攻修了、博士(教育学)取得。日本体育大学体育研究所助教兼リサーチフェロー、京都産業大学現代社会学部健康スポーツ社会学科助教、独立行政法人日本スポーツ振興センター国立スポーツ科学センター契約研究員などを経て、2024年4月より現職。