リベラルアーツ研究教育院 News
【現代イギリス演劇】谷岡 健彦 教授
リベラルアーツ研究教育院では、英語科目を担当しています。
授業では学生たちに国際意識を醸成するという目的で、海外事情や異文化理解に関する教材を用いることが多いですね。語学を学ぶというのはコミュニケーション力を磨くことなので、授業では学生たちが発言しやすいような“場づくり”を心がけています。
最初にアイスブレイクになるような問いを投げかけたり、学生が何か面白いことを言ったら率先して笑ったり。そうすることで、「あ、怖い先生じゃないんだな」「この教室は多少悪ふざけをしても許してもらえるんだ」という雰囲気をまず感じてもらう。東工大の学生は優等生が多いので「間違ったことを言っちゃいけない」「こんなこと言ったら馬鹿にされるんじゃないか」みたいなプレッシャーを感じている学生がわりと多いんです。まずはそのプレッシャーを取り払ってあげるところからスタートするのが肝心だと思っています。
英語の授業で学生たちを積極的に巻き込んでいくスタイルをとりわけ意識するようになったのは、2016年に新入生必修の教養科目「東工大立志プロジェクト」をスタートしてからですね。
「立志プロジェクト」の授業では、演劇ワークショップのテクニックを入れることもあります。たとえば、コミュニケーションをテーマにした演習では、「あのとき言えなかった言葉」というのをお題に出すんです。4人グループに分かれて、ひとりずつ紙に書いて見せ合うのですが、その中に「シャーペンの芯貸して」というがあった。気になりますよね。そこで、「どういう場面でそれを言えなかったのか」を説明してもらうと、「模擬試験の最中にシャーペンの芯がなくなった。でも隣の人に借りたら不正を疑われるかもしれないと思って言えなかった」ということがわかってくる。わかったら、今度はそれを再現ドラマにするわけです。
ただし、「芯貸して」と言ったのがA君だったとしたら、A君は自分では演じず、B君がA君の役を務める。演じてもらうためにA君はさらに詳しい状況説明が必要になるし、B君にも聞き取り能力が求められます。そうしてドラマに仕立て上げることによって、A君は自分の行為を客観視することができ、クラス全員がA君の体験を共有して互いの関係を深めることにもつながるのです。
「イギリス現代演劇」を研究しています。戯曲の翻訳や劇評もやりますし、学生時代は芝居をかじっていたこともありました。東工大では語学の英語を教えているので、研究と教育が直接からむことはあまりなかったのですが、リベラルアーツ研究教育院が立ち上がってから考えが変わりました。教養科目の授業設計にかかわり、「立志プロジェクト」や「教養卒論」など、学生たちが積極的に参加するアクティブラーニング型の授業を行うことになりました。演劇に関わってきた経験を活かすことができる、と確信するようになったのです。
リベラルアーツ研究教育院では、4人いる副研究教育院長のひとりとして、企画や広報を担当しています。2016年から研究教育院が立ち上がり「東工大が変わるぞ」と掛け声があったときには、もしかすると看板のすげ替えにすぎない改革に終わるんじゃないかと危惧していました。けれども語学の教員としてプロジェクトに参加することになり、ほかの先生方と話し合ったり会議に参加したりするうちに、これは本格的な教育改革だということがわかってきました。
新入生が入学直後から講堂授業とクラス別の授業とを交互に受ける立志プロジェクトを発案されたのは故・梶雅範教授です。梶教授の教育改革への想いは熱く、研究教育院長の上田紀行教授をはじめ、どの先生も心底学生たちのことを考えて、持てるすべてを捧げようとされていらっしゃる。その熱意に、これは自分も何かしなくてはと突き動かされたのです。
リベラルアーツ研究教育院には、ワークショップ型授業の第一人者である中野民夫教授がいらっしゃいますが、中野先生の授業をはじめて受けたときに思いついたのが、演劇の手法を採り入れるというアイディアでした。
座ってディスカッションするだけではなく、実際に演じてみたり体を動かしたりすることによって、学びをより深く学生の心身に落とし込むことができるのではないか。そう考えて、自分の持っている演劇のスキルや技術をみなさんに提供したのです。また、学生時代に演劇イベントの運営や劇場の客席担当などもしていたので、その経験をもとにリベラルアーツ研究教育院主催のさまざまなイベントの立案や実行にも関わっています。
みんなでいろいろ試行錯誤した結果、平成28年度(2016年)に三ツ堀広一郎准教授、弓山達也教授、中野民夫教授とともに「東工大立志プロジェクトの設計と運営」で東工大教育賞最優秀賞を受賞することができたのはうれしかったですね。
リベラルアーツ研究教育院では、地域の方々を巻き込んだ演劇イベントなども主催しています。2017年度に始まり、シリーズ化している「声に出してシェイクスピア」もそのひとつです。1シリーズにつき5回の開催を通して、『マクベス』や『テンペスト』などのシェイクスピア作品を解説し、音読やワークショップを重ねて、最後は発表会で演じてもらう、という内容です。最初は演劇づくりを通じて、東工大生が年長の方、それも自分の専門とまったく関係ない人たちとコミュニケーションを深めるきっかけになれば、という思いから始めたのですが、今では地域の方々が交流の場として大事にしてくださっているようです。
演劇ワークショップ「大岡山の物語」からは、熱心な参加者による「劇団おおおかやま」が生まれるという広がりもありました。「大岡山の物語」は、参加者それぞれが大岡山にまつわるエピソードを持ち寄り、モノローグやグループ演技で実演するというもの。学生たちが学び、地域の人々が暮らすまちの物語をシェアできる貴重な機会となっています。
先日は洗足池に勝海舟記念館がオープンするのに先駆けて、大岡山地区まちづくり協議会さんと一緒に「勝海舟と新しい時代」というシンポジウムを開催しました。このときは、劇団おおおかやまのみなさんで勝海舟をテーマとした短い作品を披露したんです。お客さんは地域の方々を中心に、280人も集まっていただきました。また昨年、本学の北村匡平准教授が企画した川島雄三監督の生誕100年シンポジウムも大変好評でしたね。
このイベントには深田晃司監督を招いたりもしたのですが、リベラルアーツ研究教育院にはそもそも魅力的な先生が多いので、先生方が壇上に上がるだけでも面白いイベントができあがる。そうした東工大ならではの企画がみなさんに満足してもらえたらうれしいし、何より地域交流を通じて大学が地元の一部になるのはとても大切なことだと考えています。
私は自分の専門とは別に、俳句を詠んだりもしています。銀漢亭という俳人の集まる酒場に通ううちに、店主、かつ結社主宰の伊藤伊那男先生や常連客に誘われて句会に顔を出したのが、この道に入ったきっかけです。もうかれこれ10年続けていて、東工大では東工大句会も開いています。俳句には小説と違って、決められた型にイマジネーションをはめ込むというパズル的な要素もあるため、理工系の学生とも相性がいいようです。実際、俳句を嗜まれる理数系や医学分野の有名人はたくさんいらっしゃいます。彼らにとっては、これも豊かな経験から来る教養のひとつなのでしょう。
教養=リベラルアーツは、一言でいうと今まで生きてきて感じたこと経験したことのすべてだと思っています。先日、教養卒論の振り返りをみんなでやったときにある先生がおっしゃっていたんですが、「授業で論文スキルは教えられるが、内容に関してはその学生が3年間やってきたことがそのまま出てしまう」と。本を何冊か読んで卒論にまとめるだけではだめで、やはり最後は経験がモノをいうわけです。
リベラルアーツは人間に必要な学問ですが、土木や工学なんかと比べると必ずしも急務かつ実用的なものでもない。でも、学内においても人生においてもゆとりをもたらす大切な学びだと思うのです。科学技術やビジネスの世界では競争も必要でしょうが、リベラルアーツ研究教育院はそれとは違う「共創」の原理で動いているような気がします。切磋琢磨はするけれど勝ち負けではない、お互いがプラスになることを共にやっていこうと。そういう場が東工大の中にあるのは、とても重要なことだと考えています。
東工大には全国からすごくレベルの高い学生が集まってくるし、教える先生方も錚々たるメンバーなので、新しく学ぶことや経験できることも数多くあります。共に何かを語り合い、つくり上げていく過程で、知らなかった世界や自分の一面も見えてくるでしょう。入学前までは思いもよらなかった道が、この大学で拓けることだってあるかもしれません。たとえば、東工大句会の学生のひとりは、日本酒の素晴らしさに惚れ込んで理学院から生命理工学院に転院しました。
しかも現在は休学して、本格的に杜氏の修行をしています。物理を学びに来た学生が、今は日本酒をつくっている。そういう思いきった進路変更ができるのも、あらゆる分野で高いレベルの切磋琢磨ができる東工大の面白さだと思います。人生も学生生活もまだまだこれから。決まったレールの上を歩く必要はないので、学生のうちはさまざまな出会いや経験を大切にして、自分の道を見つけてほしいですね。
研究分野 現代イギリス演劇
1965年大阪府生まれ。専門は現代イギリス演劇。東京大学大学院博士課程満期退学。2005年より東京工業大学外国語研究教育センター教員。2016年より現職。著書に『現代イギリス演劇断章』(カモミール社)、共著書に『スコットランドの歴史と文化』(明石書店)など。翻訳書としては、コリン・ジョイス『「ニッポン社会」入門』『「アメリカ社会」入門』(共にNHK出版)などがある。戯曲の翻訳も、サラ・ケイン『4時48分 サイコシス』(月曜社『舞台芸術』第8号所収)のほか、デイヴィッド・グレッグ『あの出来事』(2019年、新国立劇場)など現代イギリスの劇作家の作品を数多く手がけている。2011年、銀漢俳句会設立と同時に入会。翌12年同人昇格。俳人協会会員。