リベラルアーツ研究教育院 News
【学術史、ゲーム学】山本 貴光 教授
私が東工大で担当するのは「哲学」です。それと、新入生全員が受講する「東工大立志プロジェクト」も、着任と同時にかかわるようになりました。「立志プロジェクト」では、学生同士の双方向のやりとりが生まれるように心がけています。毎回のディスカッションでは、テーマについて考えたり思い浮かんだりしたことを、失敗上等で自由にどんどん発言してね、と学生たちには伝えています。とはいっても、「自由に発言」って案外むずかしくて、実際にはトレーニングを要するのですよね。そんなことを考えながら、学生たちが積極的に発言できる場をつくろうと試行錯誤しています。
おもに2年生が受講する「哲学B」では、哲学の歴史を辿りつつ、古くから人間が問い続けながら、解決されていない難問について検討しています。授業中にたくさんの質問や意見が寄せられます。時間切れで応じきれなかった質問は、次の授業で答えるようにしています。このやりとりをしていると、用意したシラバスから大幅に逸脱してしまうのですが、学生たちの疑問を共有し、「それはどういうことだろう。ひとつ検討してみよう」と、一緒に考えてみることこそが哲学の真髄でもあり、このスタイルは続けようと思っています。
ところで日本の学校教育では、明治期に欧米流の教育を導入してからいまに至るまで、哲学を集中的に学ぶ機会は設けられていません。これと対照的なのは、たとえばフランスです。高校生の段階で、理系・文系関係なく全員が哲学の授業を受ける。また、バカロレアという大学入学試験でも哲学の試験があり、設問から一つを選んで、その問いについて4時間をかけて文章を書くと言いますから、これはなかなか大変です。「哲学の教育」を重視している様子が窺えますね。
日本の学校で、哲学に類する科目といえば、「倫理・道徳」でしょうか。よく生きること、善とはなにかを探究する哲学の一領域です。これは、ものごとの根本を問い詰める「存在論」や、人はなにをどこまで認識できるかを検討する「認識論」とセットになってこそ本領が発揮されるものです。
そういう次第で、ほとんどの東工大生が、哲学を学ばないまま大学に来ているとしても無理からぬことです。そこで、私の授業では「哲学とは何か」という問いからスタートします。哲学を、なにか分かったものとしてではなく、よく分からないものとして出発するのですね。
哲学では、対象とする事柄について、当たり前に思えることやわかったつもりになっていることも含めてとことん検討します。いわば「ものごとを健全に懐疑する方法」を用いるのです。一見すると、やっていることは他の諸学と変わりません。現在では哲学も複数の専門領域や流派に分かれています。ただ、その基本に立ち戻れば、他の学術が素粒子について、言語について、植物について、気候について、社会について、というように特定の対象について考えるのに対し、あらゆる学術や現象を相手にして、その根本から問い直すのが哲学です。
という具合に、目下、東工大で担当しているのは哲学ですが、専門を問われれば学術史と答えています。文字が使われるようになってから約5000年にわたって、人間が考え、書き留めてきた学術の全体を眺め渡し、マッピングしたいと考えています。その中で哲学は要となるものであり、とりわけ東工大という理系の大学で教えることに意義を感じています。
学生時代は慶応義塾大学 湘南藤沢キャンパス(SFC) 環境情報学部の一期生として通っていました。この大学を選んだ動機は多分に不純です。子どものころからコンピュータが好きで、最先端の環境に触れたかった。1990年当時、SFCのようにインターネットを自由に使える場所はそう多くありませんでした。大学では、プログラミングにも熱中しましたが、SFCは教養科目も充実していて楽しい場所でした。文学の江藤淳、心理学の小此木啓吾、建築の槇文彦、情報科学の村井純、現代美術の藤幡正樹など、そうそうたる先生方が教える授業がよりどりみどり。思い返せば、東工大リベラルアーツ研究教育院と似ていますね。そういえば、江藤先生はもともと東工大で教鞭をとっていらっしゃいました。
なかでも、面白かったのが、科学史と現代技術論を担当されていた赤木昭夫先生です。先生ご自身は、東京大学で英文学を専攻、T.S.エリオットを研究し、NHKに入局されて科学番組を制作したのち、科学史家になった人です。
研究者ではない道を歩まれてきた赤木先生が、相対性理論や量子力学などの理論物理学、ロケットやエンジンなどの工学について講義する。いわゆる理系と文系の壁を軽々と超える姿に衝撃を受け、ゼミも赤木先生を選びました。ゼミで扱うテーマも、ルネサンスの文化やハリウッドの映画産業の経済に至るまで、ひとつの学術領域に収まらないものでした。高校生の頃、理系と文系のどちらかを選ばなければならないのを疑問に感じていましたが、赤木先生にはそうした壁を完膚なきまでにたたき壊してもらい、気にしなくていいと思うようになりました。
卒業後はゲーム会社に就職。ゲームのアイデアを考えるプランナーになりたかったのですが、入社当初からプログラムを書けたこともあってか、最初の5年はプログラマーとして働くことになりました。毎年、上司との面談で「プランナーになりたい」と言い続けた結果、会社員生活10年の後半5年間は、プランナーとして働くことができました。
会社員時代にゲームをつくりながら、ゲームで遊ぶという営みについて、とことん考えた経験が今につながっていると感じることがあります。ゲームとは、言ってしまえば「苦しみを楽しむ」というちょっと奇妙な営みです。たとえば、コンピューターゲームで遊ぶとき、人は誰に頼まれたわけでもないのに、わざわざゲームで課される試練にとりくみますよね。「世界を危機から救え」とか「誰よりも速くゴールに辿り着け」とか「相手の王をとれ」とか。しかも、ルールに縛られて、できることも限られている。そしてたいていは一度ではうまくいかない。途中で負けたり、穴に落ちたり、選択を誤ったりして、ゲームオーバーになる。それでも諦めずに再度チャレンジする。
これを裏返せば、ゲームをつくる人は、うまくいかなくて苦しい、なのに楽しい、という状況をつくるわけです。プレイヤーに失敗を楽しませつつ、やる気にさせる必要があります。そのためには、ゲームのしくみもさることながら、人間についてよく知るのが肝心です。そんなわけで、ゲームをつくっていると、イヤでも人と仕組みのあいだで起きていることを考えることになるのでした。これは、あとになって実感したことですが、人間や現代社会を考える上で大きな拠り所となっています。オランダの歴史学者ホイジンガも、20世紀の前半に『ホモ・ルーデンス』という本で、遊びは文明と同じくらい古く、人間について考えるうえでも重要な対象だと指摘しています。
1997年頃、会社員をしながらSFCの同期だった吉川浩満君と「哲学の劇場」というWebサイトを運営し、あれこれ書いたものを掲載していました。当時朝日出版社の編集者の赤井茂樹さんが、そのサイトを読んで声をかけてくださったのが「文筆家」としてのはじまりです。本とは、なにか専門をもつ人が実績を踏まえて書くものだと思っていたので、とても驚きました。2004年に吉川君との共著『心脳問題――「脳の世紀」を生き抜く』を出すことができました。といっても、それでものを書くことが仕事になるとは考えていませんでした。結果的には、この本が名刺代わりになって、少しずつ声をかけていただくようになり、気づけばものを書く人、文筆家に(も)なっていたのでした。
ちょっと大袈裟に聞こえるかもしれませんが、ゲームをつくるときも、本を書くときも、新しい「世界」を創世するつもりで取り組んでいます。ゲームを遊んでくれる人や本を開いてくれた人の目の前に、いまいる現実とは別の「世界」が広がっている。そんな体験を提供したいと思っています。
私自身は、知らない世界の扉を開くと、すぐにその根っこを知りたくなります。
たとえば、「数学」について調べてみようとする。となると、そもそも「数学」という日本語や考え方はどこから来たのだろうと気になるのですね。数学は、「mathematics」という英語を翻訳したものです。ただし、この英語に「数」という意味は含まれていません。ラテン語の「mathematica」が語源で、これを音だけ写したのがお分かりになると思います。ただし、この言葉もローマ人のオリジナルではなく、古代ギリシア語の「μάθημα(マテーマ)」を借りている。そしてこのギリシア語には「学ぶこと、知識」という意味がある。なるほど、「数学」の根っこには、「学ぶこと、知識」という意味が内在しているんだ、とわかる。
このように言葉の由来がわかるまで、根っこをたどっていく。語源など見てなにになるんだと思う人もあるかもしれません。これについてはこう考えています。言葉には、それを使ってきた過去の人たちのものの見方が反映していて、その積み重ねの上に私たちが使っている言葉もある。その点に無自覚でも用が足りればよいという見方もあっていいと思います。他方で、「哲学」という言葉が典型ですが、古代ギリシアで使われていた言葉とものの見方が、ラテン語やヨーロッパ諸言語を経て、幕末に古代中国語を参考に日本語に翻訳される、そういう歴史と異文化が混ざり合ったものです。それを理解しているのとそうでないのとでは、自ずと言葉の使い方も変わってくるはずだと思います。
言葉に限らず、様々なしくみや装置に向かいあうときも同じです。誰が、なぜどのようにそれをつくったのか。いわばリバースエンジニアリングするわけです。これもそれぞれの言葉や概念や装置がつくった「世界」の成り立ちを知りたいからなんですね。
そんなふうに考えていることもあって、講義で哲学や科学のテキストを見せる場合、翻訳とともに英仏独語、あるいはラテン語や古代ギリシア語の原文も見せて、その意味を紐解き、説明するように心がけています。翻訳が一種、旅行ガイドのようなものだとすれば、原文は旅行先の現地です。ガイドだけでは分からないこともあるので両方見ておこう、というわけです。
目下はコロナ禍で、思うように外出もできない状況ですが、学生のみなさんには、この機会を使って、本や文献のうえで分野を問わず古今東西の「現地」を旅することをおすすめしたいと思います。もちろん、再び自由に出歩けるようになった暁には世界のほうでも。
「リベラルアーツ」という言葉を私なりに定義すると、「知のサバイバルキット」です。世界や社会、自分自身も含めて、どんどん変化していきます。そんなとき、なんでもかんでもは無理だとしても、ともかくこれだけは身に付けておけば、未知のものと遭遇しても、自分で探究できて、わからないことにも対処できる。そんな知の基本セットがリベラルアーツだと考えています。
そんなリベラルアーツのキットに時代や状況を問わず必ず入るものに、言語と数学があります。それぞれ文系と理系を代表するものとか、水と油のようなイメージを持つ人もいるかもしれません。どちらも世界を表す「ことば」です。簡単に説明してみましょう。
まずは「言語」です。日常での人とのやりとりも、法律や学術や創作なども、私たちは言語を使って表現しますね。学術ということで言えば、理系文系にかかわらず、「論文」はすべて一種のストーリーのかたちで記されています。たとえば、アインシュタインが相対性理論を提示した論文を読むと、新たなものの見方が提示されているわけですが、論文そのものも実に魅力的な物語になっているのがわかります。
人類がそれまで解決できていなかった課題を提示し、先人の研究成果を礎にしながら、新たな発見をもとに推論し、証明し、解明する。見事なストーリーです。課題の提示と解決という、ミステリーと同じ構造なんですね。
加えて言えば、やはり分野を問わず、学術の成果を人に伝える手段は言語です。論文や本を書くのも、講義や対談や発表をするのも、すべて基本は言語による表現です。
他方の「数学」はどうか。これも「言語」と同様、一種の「ことば」です。しばしば「宇宙という書物は数学の言葉で記されている」というかたちで引用される言葉がありますね。出典はガリレオ・ガリレイの『偽金鑑識官』(1623)という本でした。前後も含めて原文のイタリア語から訳してみると、こうなります。
「哲学は、私たちの目の前に絶えず開かれている、この最も巨大な本(つまりは宇宙)のなかに書かれています。ただし、はじめにその言語を理解し、それが書かれている文字の読み方を学ばなければ、理解もおぼつきません。なにしろその本は、数学の言葉で記されているのですから」(Galileo Galilei, Il Saggiatore, 1623, p. 25)
ちなみに同書は天体の運動や自然現象を論じたものですが、ただの一行も数式は現れません。ガリレオが念頭に置いていた「数学の言葉」は、もっぱら幾何学、図形を使った論証でした。近代以前の数学や自然哲学(現在でいう自然科学)の本を読むと、いまなら数式でコンパクトに書くところを、ひたすら文章で表しているのがわかります。やがていろいろな人が記号や数式といった書き方を工夫して、私たちが知るような数学のスタイルがつくられてきたわけです。
つまり、数学もまたことばの営みであり、もとをただせば言語と数学に明確な区別はなかったのです。ただし数学ではことばをできる限り一義的に使おうとするのに対して、言語は多義的で、解釈は読む人に委ねられるという違いがあります。
ひょっとしたら、リベラルアーツは文系教育だと思っている人もいるかもしれません。しかし、たとえば研究者として他の人びとと共同作業をしたり、異分野の人たちとやりとりしたりするには、どうしたって「言語」と「数学」という2つの「ことば」が必要になりますよね。学術の分野を問わず、リベラルアーツを学ぶ意味がここにあるわけでした。
研究分野 学術史、ゲーム学
文筆業・ゲーム作家。1971年生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒業。コーエーでのゲーム制作を経て2004年にフリーランスとなる。2019年に金沢工業大学客員教授、立命館大学先端総合学術研究課講師。2021年4月より現職。日本図書設計家協会客員会員。日本文藝家協会会員。著書に『マルジナリアでつかまえて』『投壜通信』(以上、本の雑誌社)、『文学問題(F+f)+』(幻戯書房)、『世界が変わるプログラム入門』(筑摩書房)、『「百学連環」を読む』(三省堂)、『文体の科学』(新潮社)ほか多数。