リベラルアーツ研究教育院 News
【倫理学・応用倫理学】眞嶋 俊造 教授
私の専門分野は、倫理学・応用倫理学です。中でも戦争倫理学や研究倫理を主に扱っています。
倫理学とは「善く生きるためにはどうすればよいか」「その行為は善く生きることを意味するのか、それはなぜなのか」を問う学問です。正しい、あるいは正しくないという行動の規範について考える研究、と言い替えてもいいでしょう。
この倫理学の知見を、社会におけるあらゆる人間の活動に当てはめたのが応用倫理学です。例えば科学技術倫理であれば「新しい科学技術をどう扱えばよいか」「それは道徳的に許されるのか、許されないのか」を判断し、その根拠について考えていくことになります。
では、戦争における倫理とは何か。大多数の人は、戦争を「嫌だ」「悪いもの」として捉えていると思います。でも、現実問題として戦争はある。少なくとも法的には許容されています。じゃあ、道徳的にはどうなのか。この世界に「正しい戦争」はあるのか。それが正しい、正しくないと評価する根拠は何なのか。その理由をとことん突き詰めることで戦争を批判的に考察していくのが、戦争倫理学の営みです。
戦争をなくすことはむずかしい。道徳的に正しい戦争などないのかもしれない。でも倫理的な視座から戦争を捉え直し、議論を重ねていくことで、それを抑制するための方策を考えることはできます。戦争倫理学は、そこで共有される道徳言語を提供し得る学問です。戦争の悪を減らし、なくす方向に持っていくには、戦争について「考える」ことが何より重要な一助になると、私は考えています。
私が戦争と向き合うようになったのは、大学の学部生の頃です。当時はジャーナリストを目指して国際関係論を学んでいため、現場を自分の目で確かめようと、紛争中や紛争後の国や地域を歩き回っていました。教育業界紙の特派員という形で派遣してもらったのですが、今思えば無茶なことをやっていましたね。
そこで見てきたもの、感じたことが学術的好奇心へと変わったのは、シカゴ大学在学中に受けた「正戦論」の授業がきっかけです。戦争にも規範があり、それが研究対象になると知ったことで、自分の学問の方向性が見えてきたんですね。国際関係論では「事実の記述」を重視しますが、私が求めていたのは国際関係にどのような「規範」があるべきなのかということ。そのアプローチを究めるために、イギリスで本格的に倫理学を学び、以降は戦争を対象とした応用倫理学をメインに研究を続けています。
最初に教鞭をとったのは、北海道大学です。ここでも戦争倫理学を教えていたのですが、並行して研究倫理や専門職倫理も手がけるようになりました。次に赴いた広島大学では戦争倫理学を中心に、周辺の応用倫理学諸領域を研究。学生たちに教えていくなかで、次第に教育の方法に関する倫理、中でも研究倫理に対する関心が高まっていきました。東工大リベラルアーツ研究教育院に就任したのは2020年9月ですが、私の研究を進めていくうえでおそらくベストな選択肢であったと考えています。
戦争倫理学において、科学技術は重要なテーマのひとつです。研究倫理は、理工人としての生き方にも関わる大切な学問です。東工大でその研究と教育に関われることには、とても大きな意義を感じています。また、せっかく科学技術の先進校にいるのだから、今後はサイボーグや人体のエンハンスメント分野にも研究のテーマを広げていきたい。新しい研究と教育のチャンスに満ちあふれているのも、東工大の魅力だと思っています。
東工大では2020年度において「科学技術倫理A」「科学技術倫理B」という授業を担当しています。
「科学技術倫理A」は「責任ある研究活動」について学ぶ、学部1年生向けの研究倫理の講義です。研究計画の立て方から研究の進め方、研究成果の発表の仕方までを研究者倫理に基づいて実践するにはどうすればいいか、というお話ですね。もちろん、倫理学の授業なので理由をちゃんと考えてもらいます。「コピペはしちゃいけないと言われるけど、どうしてダメなのか」という議論もします。研究倫理は理工人に一生ついて回るものなので、まずはその考え方に馴染んでもらうのが狙いです。
「科学技術倫理B」では戦争と平和の諸相を倫理学的視座から検討し、それらに関わる科学技術の影響を考えていきます。応用倫理学は人のあらゆる活動をカバーする学問なので、重複する分野が多いんですね。たとえば「戦争」と「科学技術」といった場合には、ドローンや自律型致死兵器などの問題が絡んでくる。また「戦争倫理学」と「研究倫理」でいえば、軍民共用の科学技術研究はどうあるべきかという話にもなる。そうしてベン図のように重なり合う応用倫理学の枠組みから、戦争と科学技術について議論し、理工人に求められる姿勢や考え方を学んでもらいます。
現在のところ、授業はすべてオンラインで行っています。リモート授業自体は、北大時代に北海道内の国立大学間での単位互換制度を円滑に進めるための試みとして実施しており、何度か経験はあります。そのときは事前に制作した講義映像で予習してもらって、それに基づいたディスカッションをオンラインなり対面の授業で行うという反転授業の形式をとっていました。
その経験を生かし、今も授業の最初には講義映像を流し、後半をディスカッションや発表に当てています。問題への理解度や共感性を高めるためにも、学生同士で考え抜き、教え合ってもらうのが私の授業のスタイルです。ただリモート授業では最初から最後までをオンラインで完結しなければいけないので、教室であれば一目瞭然の、グループディスカッション中の学生たちの様子が分かりにくいもどかしさはありますね。
一方で普段は無口でも、書き込みなら雄弁になる学生もいて、そこはリモート授業ならではの利点だと思います。課題についてもしっかり書いてくる学生はかなり多く、きちんと予習してきているのがわかる。逆に予習してない人はブレイクアウトルーム(ミーティング参加者を小グループに分けるZoom上の機能)でも手持ち無沙汰になるため、次からはきちんと準備してくるようになります。その意味では、リモート授業が学ぶ姿勢を後押ししてくれているといえるでしょう。
東工大生を教えていて感じるのは、どの学生も真面目に授業や課題に取り組んでいるということ。「○○について調べてきてね」と宿題を出すと、私の想像をはるかに超えた量や範囲の調査結果を提出してきたりもします。「科学技術倫理」という授業を選ぶだけあって、問題意識の高い学生が集まりやすいのかもしれませんね。こちらとしても非常に教え甲斐があります。
リベラルアーツ研究教育院のコア科目としては「教養卒論」も担当する予定です。これは、学生自身が学んできた専門知識や教養を生かし社会にどう貢献していくか、といったテーマを5000字以上の論文にまとめるというもの。アカデミックライティングの理解や向上のみならず、ピアレビューを通した批判的視点をも育めるようにカリキュラムが構成されています。
今は他の先生方の授業を見学しているのですが、このカリキュラムが実によくできている。複数の教員が同じ目的をもって指導にあたれるという点で、非常に汎用性が高いんです。それでいて各教員の工夫やこだわりを発揮できる余地もあるし、学生たちもうまくそれに乗っかってくれている。もう一つのコア科目である「東工大立志プロジェクト」と併せ、リベラルアーツ教育の動機付けとしてはかなり成功していると思います。私もこの授業を通じて、東工大のリベラルアーツ教育の根幹に関われるのが楽しみです。
リベラルアーツとは、人として生きていくうえでの「引き出し」です。専門分野を突き詰めることももちろん大事だけれども、それとはまったく関係のない引き出しを多く持つことは、自分の幅を広げることにもつながる。その人の「人性」を高め、涵養し、人間性を深めていくために、たくさんの引き出しを用意してあげることがリベラルアーツ教育の役割だと考えています。
もちろん教育は一方通行では成り立ちません。これはリベラルアーツにも倫理学にもいえるのですが、大切なのは学生自身が「考える」ことです。コピペが悪いものであることを「常識」だからと片付けるのではなく、なぜ悪いのかを考える。常識を一歩引いて見つめる視点を持ってほしいのです。
東工大生の生活は研究に課題にと忙しいでしょうが、それでも社会人と比べれば自由な時間が十分にあります。その自由な時間を、考えることに割いてみてください。みんなで考える、みんなと考えることができるのも、学生の特権です。学生時代にとことん考える習慣を持つことで、より豊かな理工人人生の基盤を築いてもらいたいと願っています。
研究分野 倫理学・応用倫理学
1975年東京都生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業、同大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了、米シカゴ大学社会科学修士課程修了、英バーミンガム大学グローバルエシックス研究所博士課程修了。北海道大学大学院文学研究科准教授、広島大学大学院総合科学研究科准教授を経て、2020年9月より現職。専門は倫理学・応用倫理学。特に戦争倫理学、軍事倫理、研究倫理、専門職倫理の研究、教育に力を入れている。