リベラルアーツ研究教育院 News

音楽はなぜ人間にとって「極めて」大切か? 最後の琵琶法師を訪ねて知る、音楽と社会の関係性

【音楽学、日本音楽史】ヒュー・デフェランティ 教授

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2020.05.07

ヒュー・デフェランティ 教授

歌う、踊る、楽器を奏でる、曲を創る、ライブや録音を聴く――
そのすべてが「音楽学」の対象である

私の専門は「ミュージコロジー(音楽学)」です。

さらに分け入った専門が「エスノミュージコロジー(民族音楽学)」で、これまでに盲目琵琶の語り手の芸とライフヒストリー記録や、近代琵琶の伝承形態、帝国時代の日本におけるマイノリティの音楽活動などについて研究論文を発表しています。

現在の音楽学では、これまでの作曲や演奏といった個別のカテゴリーを超えて、人間による音楽をめぐるアクション全般を動詞で把握して、「Musicking(ミュージッキング)」と表し、それを包括的に研究対象にする潮流が出てきています。

たとえばあなたが歌う、ダンスする、楽器を奏でる。それは全部、Musicking です。コンサートに出かけることも、iTunes やSpotifyを かけて聴くこともMusickingです。

音楽とそれぞれの民族の歴史、文化、社会は別に扱われることが多いのですが、それら には密接な関係があります。Christopher Smallが1990年代に提供したmusickingという学術用語には、その関係性をアカデミックに探究していく態度が込められているのです。

Musickingの研究を反映した私の講義に、文系エッセンスの「‛Our' Sounds - Music, Society, Community」と「‛Other' Sounds - Music, Minorities, Japan」があります。いずれも音楽が社会の中でどのような役割を負うかについて、洞察を深めるものです。

「‛Our' Sounds」は「ミュージコロジー・音楽社会学」の入門編ともいうもので、講義では「音楽はなぜ人間にとって『極めて』大切か?」という問いを軸に、音楽を本質的に認識していきます。

「‛Other' Sounds」では、民族的、文化的マイノリティにとって、音楽が担っている社会的な機能を探ります。

個人、集団のアイデンティティを形成する音楽
マイノリティは音楽を通して社会に影響を与えてきた

ヒュー・デフェランティ 教授

たとえば「‛Other' Sounds」の講義では、21世紀の日本社会における民族的、文化的なマイノリティについて、主要な定義や観点を整理し、そこから個人やグループのアイデンティティが音楽によっていかに作られていくか、音楽がいかにコミュニティ内に結び付きを作っていくか、ケーススタディを重ねていきます。

ケーススタディで取り上げるのは、在日韓国・朝鮮人、コリアン系ジャパニーズの音楽活動をはじめ、沖縄県民の人たち、アイヌ、在日ネパール人、在日日系ブラジル人らの音楽活動です。

「‛Our' Sounds」の講義では、学生に課題図書の要約を課していますが、私ならではの工夫は、必ず手書きのものを提出させることです。

昨今はコピー&ペースト流行りで、どんな課題でも学生たちは5分もあれば、スマホやパソコンから、それらしい説明を写し取ってきてしまいます。しかし、手書きにせよそうでないにせよ、本や記事を手に取って読む手順は必要です。手書きの時に大切なことは、自分の思考や認識をアウトプットするために、自分の身体である目と手をゆっくりと使うこと。そのようなアクションの一つひとつが「学び」につながると、私は確信しています。

民族音楽学の研究対象には、文字通りの民族的マイノリティとは別に、身体的なマイノリティも存在します。

日本には中世から江戸時代にかけて、盲人の演奏家が音楽の系譜を伝えてきた歴史があります。江戸時代以降の筝曲、地歌はその筆頭であり、また、近世には全国に存在していた瞽女(ごぜ)、天台宗に属する盲目の僧、琵琶法師もよく知られています。

身体的マイノリティは、多数派の人々とは違う社会的習慣や行動規範を持っています。その文化が、日本の社会そして音楽史に与えた影響は小さくありません。マイノリティの音楽は決してサブカルチャーではなく、もっと深く複雑なルーツを持ち、社会との相互的な連関の上で存在してきました。

その解き明かしこそが、民族音楽学の醍醐味であり、興味の尽きないところです。

東工大には音楽学を開拓してきた先達の足跡があります。ポピュラー音楽の評論で注目を集め、現在、国際日本文化研究センターで教授を務めておられる細川周平先生は、このキャンパスで音楽学を教えていました。作曲家と音楽学者である柴田南雄先生も、東工大で教鞭を執っておられました。

日本における民族音楽学には、外国人研究者の貢献もかなり多くあります。5年前共に研究を行っていた時田アリソン先生(京都市立芸術大学客員教授)は、私と同じくオーストラリアの出身で、語りもの、三味線音楽、東アジアの音楽に業績を残されています。

最後の琵琶法師を訪ねて九州一円を旅する
消えかかる伝統をつないでいくことが私の務め

ヒュー・デフェランティ 教授

私が日本の歴史的な音楽に興味を持ったきっかけは、シドニー大学で音楽学を専攻していた時にあります。当時、シドニー大学には雅楽と能を専門とする教授がいて、彼が日本の音楽について多くのことを私に教えてくれました。その時に出会ったのが琵琶です。

私はクラシックギターをずっと習っていたので、撥弦楽器には馴染みがありました。たとえば三味線にはフレットがなく、その左手の奏法はバイオリンやチェロに似ています。一方、琵琶にはフレットがあり、ギターに似ていると単純に考えてしまいました。(本当は随分違っている奏法なのです)その時、日本語はまったく話せませんでしたが、「よし、日本に行って琵琶を学んでみよう」と、大学卒業後のアクションが決まりました。

日本では国費留学生として東京藝術大学の修士課程で学びました。修士論文のテーマは「正派薩摩琵琶の伝承における記譜法(ノーテーション)とその諸役割」です。80年代当時の日本では、琵琶奏者の存在自体が稀少であり、ある系統における明治以来の様々な記譜法をまとめること、そして自分の師匠が工夫したハイブリド記譜法を解説する必要もありました。

1989年に修士課程を修了した後は、シドニー大学に戻って博士課程に進学。その後、1991年にまた日本に戻り、現代に生きている琵琶法師を探して、熊本、宮崎、鹿児島、筑後、柳川と九州一円をフィールドワークしました。

当時の九州には、非常に高齢の琵琶法師が生き残っておられました。現地では「琵琶ひき」などと呼ばれ、座敷や公民館での集まり、法要の場でもまだ琵琶を弾いていました。彼はメディアに注目され、まさしく最後の琵琶法師とみなされたので、私はそのフィールドワークの成果を『The Last Biwa Singer (ザ・ラスト・ビワシンガー) 』にまとめました。

「耳なし芳一」に描かれたように、琵琶法師は平曲(平家語り)の語り手として有名ですが、彼らは平家物語だけではなく、人形浄瑠璃や歌舞伎など幅広い日本の物語、伝承を語り継いできました。それらの物語は、約半世紀前の日本人ならみな知っていたものですが、残念ながら今の学生世代には伝わっていません。試しに学生に「義経」「弁慶」と言っても、すぐに通じません。音楽による語り物の伝承の細い糸をつないでいくことが、私の役目の一つだと考えています。

極東の小さな島から抜け出せ!
学生時代にポテンシャルを眠らせるな!

ヒュー・デフェランティ 教授

東工大では、音楽学講義の一方で、英語教育にも携わっています。アカデミックライティング、プレゼンテーション、TOEFLなどの講義を担当していますが、クラスでは身近な話題で学生同士が語り合う機会を意図して作るようにしています。

たとえば私は、クリスマスの日は必ず休みを取ります。私自身はクリスチャンではありませんし、ましてや教会に通っているわけでもありません。しかし、キリスト教のバックグラウンドがある国で生まれ育った者として、その文化には深く影響を受けています。

日本人にとって、お正月はホリデ-ですよね。学生が「きみ、元旦に大学に来なさい」と命じられたら、すごく奇妙に思うはずです。彼、彼女たちにとっては、元旦はお休みの日であり、神社で初詣をしているかもしれません。でも、彼、彼女たちは別に神道の信者ではありません。

自分は宗教的か、そうではないか――そのようなことを話題にして、グループでトークの機会を設けると、それぞれにとって当たり前の文化が、どのような変遷を経て、自分の内に根付いているのかを見つめることができます。学術研究には、歴史への敬意とともに、批評的な観点が必須ですが、そのためには事象を客観的に理解する態度も養わねばなりません。

そのような学術的姿勢を引き出すのが「対話」です。そして対話を通してそれぞれが使う「言葉」こそが、アイデアや知見の源になっていきます。

東工大でリベラルアーツ研究教育院がスタートしてからまだ数年で、確定的なことは言えませんが、理系の学生が教養を学ぶ意義に疑問の余地はありません。

教養とは心の自由を担保するものです。私から学生へのメッセージは「ブレイク・アウト・オブ・ジャパン、この極東の列島から抜け出せ!」ということ。

「小さな島のコージーな生活に慣れ切るな。この後ろにはアジア大陸。この先には大きな太平洋があり、オセアニアがあり、アメリカという巨大な大陸があるぞ。学生時代にポテンシャルを眠らせるな。多様な環境に身を置け!」そう伝えたいですね。

Profile

ヒュー・デフェランティ 教授

研究分野 音楽学、日本音楽史

ヒュー・デフェランティ 教授

オーストラリア(シドニー)生まれ。シドニー大学(オーストラリア)で音楽学を専攻。東京藝術大学大学院にて音楽学を学び、その後再びシドニー大学にて博士課程に進学。同大学に在学中、カリフォルニア大学バークレー校で博士交換留学生として学ぶ。シドニー大学で音楽学博士課程を修了した後日本に戻り、現代に生きている琵琶法師を探して、熊本、宮崎、鹿児島、筑後、柳川と九州一円のフィールドワークを行う。ミシガン大学(アメリカ)、ニューイングランド大学(オーストラリア)で教鞭を執り、2011年から現職。

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