リベラルアーツ研究教育院 News
【英語、英米文学】北川 依子 教授
私はおもに英語の必修科目と選択科目を担当しています。
必修科目は、将来的に英語で学習・研究活動を行うために必要な、英語の四技能を身につけることを目的としています。選択科目はTOEFL・TOEIC対策から言語文化演習まで、さまざまな種類が開講されています。
英語の授業を担当していて感じるのは、東工大の学生は基本的にとても優秀だということ。ただ、英語と国語に過度な苦手意識を持っている人が多い。授業の最初に自己紹介を書かせると、ほぼ8割が「英語が苦手」と書きます。客観的に彼らの英語の力を見ると、けっしてできないわけではない。理系科目と比べて苦手、というだけなのでしょうが、それが語学の上達の邪魔をしているとすれば、少し残念に思います。
だから、なるべく学生が苦手意識を取り払って、本来の力を発揮できるように授業を進めています。その一つが、間違ってもいいという雰囲気をつくること。優等生タイプの人が多いせいか、答に自信がないとすぐに「わかりません」と答えてしまいがちなんです。でも、語学は間違いながら覚えていくもの。子供が言語を学ぶのと同じですから、間違ってもべつに恥ずかしくもなんともありません。だから、なるべくクイズ感覚で答えられるようにするなど、工夫しています。間違っても気にしない横着さを身につけてほしいと思います。
また、理系の学生にとっての「難しい」と、英語教員としてこちらが考える「難しい」は少し違うということを、東工大に来てからの数年で学びました。たとえば語彙も構文も簡単で、すごく読みやすいつもりで準備した小説家のエッセイが、全然読めない。それなのに、難しすぎるのではと心配していた新聞の科学記事はすらすら読めたりする。ちょっとした比喩表現などが苦手なんですね。逆に得意な理系分野の文章だと、難解な単語が出てきてかなり複雑な内容でも、しっかり読める。そういうことを踏まえたうえで、学生の感じる難易度に合わせて、教材を選ぶようにしています。
学生に聞いてみると、「小説を教材にするのはやめてほしい」とはっきり言う人もいます。一方で、「理系の専門科目の授業が多いから、せめて語学の授業くらいは文学作品を読んでみたい」と言う人も。全員の希望に応えるのは難しいですが、とくにリーディングの授業ではなるべく毎週題材を変えて、幅広いジャンルの文章に触れられるように努めています。もちろんリスニング等の授業は実用英語が中心になります。
2016年に新カリキュラムが始まってからは、グループワークやペアワークも授業に取り入れています。最初に二人ないしは数人で考え、その後で答を聞くと、ハードルが下がってとっつきやすいようです。また、作文の授業ではペアで互いの文章を読んで意見交換をしてもらい、文章を練り直す時間も組み入れています。学生同士でよい刺激を与えあうのは大切だと思います。
教育改革の前と後では、グループワークに対する学生の姿勢がぜんぜん違うと感じます。みな立志プロジェクト等でグループワークの形式に慣れているので、ディスカッションなども抵抗なく始められるようです。とくに1年生、2年生が元気になり、授業での反応もよくなりました。積極的に発言したり、行動したりする人が増えたという印象をもっています。
自分の学生時代を振り返ると、当時は時間が緩やかに流れていたなと感じます。子どもの頃から物語を読むのが好きだったので、迷わず文学部に入学。1、2年生のときはフランス語を第一外国語、英語を第二外国語とするクラスに所属し、新しい外国語を学ぶのがとにかく楽しかった。自由な校風の大学で、メニューの決まっていた高校までの生活とは異なり、解き放たれたような感覚がありました。イギリスやアイルランドのモダニズム文学に興味があったので、英文学を専攻。3年生の夏休みに『ダロウェイ夫人』を読んで、美しい英語に魅了されたのがきっかけで、卒業論文、修士論文はヴァージニア・ウルフをテーマに書きました。しかし、ウルフはそうとう重たい作家です。5年も向き合っているとだんだん息苦しくなってきました。
ちょうどその頃、イギリスのイースト・アングリア大学に留学して、そこでの指導教員にエリザベス・ボウエンを薦められたんです。ウルフより少しあとの世代で、いまでこそ評価が定まってきましたが、当時日本ではあまり研究されていない作家でした。読んでみたらすごくおもしろかった。ウルフの作品と並べてみて、さほど遜色はない。それなのに、全然注目されていないことを不思議に思いました。少し視線をずらせばそこに宝が眠っている。ならば私が掘り起こさなくては。そんな勝手な使命感を覚えて、博士論文ではボウエンを取り上げ、以来ずっと研究を続けてきました。
ボウエンの作品は、いっけんリアリズムのように見えて、モダニズムや幻想文学などさまざまな要素が入り混じっています。途中からはポストモダニズムの色もついてきて、一筋縄ではいかない、位置づけのしにくい作家です。アングロ・アイリッシュ(英国系アイルランド人)としてアイルランドに生まれ、幼少時にイギリスへ移住したこともあって、どちらの国にいてもある種の疎外感を覚え、アイルランドへ向かう船上で船酔いしているときが一番居心地よく感じる−−そう書いていました。どこにも帰属せずつねに移動を続けている、そんな在りようが作品世界に色濃く現れています。
もともと中心を逸れた立ち位置のものに惹かれる性格なので、その後も著名な作家の影に隠れている存在が気になりました。ボウエンの次にはまったのは、ヘンリー・グリーンという小説家です。彼はちょうどモダニズムとポストモダニズムの狭間の時期を生きた作家で、グレアム・グリーンやジョージ・オーウェルと同世代。日本ではほとんど知られていませんが、もっと評価されるべきだと強く感じます。独特の作風で、第二次大戦から戦後にかけて優れた作品をいくつも残しました。イギリスという国が大きな変貌を遂げたこの時代に、作家たちはどのようにそれと向き合ったのか。第二次大戦期の小説については、今後もさらに研究を続けたいと考えています。
これまで縁あって翻訳してきた小説も一風変わった個性的な作品が多いです。最近出版された二冊は、国書刊行会の「ドーキー・アーカイヴ」という海外文学叢書のもの。「誰も知らない作家の傑作、とびきり変な小説」を選りすぐって読者に届けようというシリーズで、私はシャーリイ・ジャクスンの『鳥の巣』とジョン・メトカーフの『死者の饗宴』(横山茂雄氏との共訳)を担当しました。
ジャクスンは『丘の屋敷』(ホラー映画の古典、『たたり』の原作)などで知られるアメリカの異色作家。『鳥の巣』は彼女が1954年に書いた、多重人格小説の先駆けとなる秀作です。『死者の饗宴』はイギリス怪奇文学の鬼才メトカーフによる、妖しい短篇集。共訳のお話をいただいたときには恐る恐る引き受けましたが、訳してみると意外なくらい楽しめました。
現在はデイヴィッド・ミッチェルのThe Bone Clocksという長編の翻訳に取り組んでいます。同時代の第一線で活躍する作家を翻訳するのはこれがはじめてですが、古い時代の作品とはまた異なる刺激があります。ミッチェルの名前は、2012年に映画化された『クラウド・アトラス』の原作者として、記憶している方もいるかもしれません。実験的でありながら娯楽性も併せもつ作風で、読者をぐいぐい惹きこむ圧倒的な語りを日本語でうまく伝えられるよう、日々苦戦しています。彼は広島で8年間暮らした経験があり、長崎の出島を舞台とする小説も書くなど、日本にも所縁のある作家です。今後は翻訳だけでなく研究対象としても注目していきたいと考えています。
大学で教えはじめて20年以上になりますが、学生の気質がずいぶん変わったと感じます。とても真面目になりました。その反面、効率重視の人が増えたようにも思います。すぐに成果が出ないと役に立たないと考えてしまう傾向が目立ってきました。でも、語学の習得は本来時間がかかるものです。楽器の練習と同じく、ある程度地道な努力を続けた結果、ようやくできるようになる。だから、直後は効果が現れなくても、これは無駄だと諦めてしまわず、日々の学習が血となり肉となっていると捉えて、長い目で取り組んでほしいと思います。
逆にただちに目に見える結果がほしいならば、留学がお薦めです。私も大学院生のときに英国に1年ずつ2回留学し、短期間ではありましたが、自分にとって大きな転機になったと感じています。じっさい現地の文化にどっぷり浸かりそこで生活してみると、外国語に対する意識が変わり、世界の見え方も違ってくる。若いからこそ吸収できること、変われる部分はたくさんあります。とくに理系の場合、学年が上がるにつれてどんどん忙しくなるので、早めに動きだすことが大切だと思います。東工大では「留学フェア」や「留学報告会」などの留学イベントを毎年開催しているので、少しでも興味があればまずは参加してみてください。
若いからこそ開拓できるというのは、リベラルアーツを学ぶことにおいても言えるかもしれません。学生時代は、自分の畑を自由気ままに耕せる貴重な時間だと思います。「有益な情報が得られるから」「スキルが身につくから」という目先の成果を求めるだけでなく、いっけん無駄に見えることでもいろいろ試してみてほしい。本を読む、映画を見る、音楽を聴く、旅に出る。とにかく興味がわいたものをなんでも摂取してみる。あちこちを耕して種を蒔いておいたら、もしかしたら10年後、20年後、もうすっかり忘れた頃に芽が出るかもしれません。それが学生時代にぜひやってほしい、そして学生時代にしかできない、リベラルアーツの勉強だと思います。
研究分野 英語、英米文学
京都府生まれ。専門は現代イギリス小説。京都大学文学部英語学英文学科卒業。京都大学文学研究科(英語学英米文学)進学。英国University of East AngliaにてMA in Studies in Fiction取得。京都大学にて博士(文学)取得。青山学院大学勤務後、2004年に東京工業大学着任。2016年より現職。訳書に『ウィルキー・コリンズ傑作選 第1巻 バジル』(2000年、臨川書店、共訳)、パトリック・ハミルトン『孤独の部屋』(2011年、新人物往来社)、シャーリイ・ジャクスン『鳥の巣』(2016年、国書刊行会)、ジョン・メトカーフ『死者の饗宴』(2019年、国書刊行会、共訳)、デイヴィッド・ミッチェル『ボーン・クロックス』(2020年、早川書房)など。
更新日 2021年6月14日