リベラルアーツ研究教育院 News
【比較文学、心理学】木山 ロリンダ 教授
私の専門分野は「臨床心理学」と「日本文学」です。
臨床心理学はまだ、みなさんにとって馴染みのない領域かも知れませんが、現場で起こっていることを重視する心理学といえば、わかりやすいかもしれません。実際に私がどういうことを行っているか。テーマは多岐にわたりますが、「社会的、個人的なトラウマを、人はどう乗り越えていけるか」についての研究とカウンセリングがあります。
先日は東工大にアメリカ心理学会を代表する弁護士のシャーリー・アン・ヒグチさんを招いて、「世代を超えて継承されてしまうトラウマ」についての講座を催しました。ヒグチさんは日系3世の方で、ご両親は太平洋戦争時に強制収容所に入れられた経験があります。そのネガティブな経験は、両親だけでなく、子供である自分の世代にも受け継がれたといいます。ご自身の体験から、社会全体の心理学的ケアの必要性を彼女も痛感しているのです。
歴史的、社会的なトラウマと同時に、国際結婚における夫婦間、親子間に起こる問題もあります。
国際結婚をした夫婦が離婚する時に、子供の親権をどちらにするかは、日本でも大きな問題になっています。ほとんどの国では、両親が離婚しても親権と子供を育てる義務は、夫と妻の双方に残ります。子供は、どちらの親についていくにせよ、もう片方の親を失うことはありません。ところが、日本では、夫婦が離婚すると、子供の親権は夫か妻、どちらかのものになります。離婚家庭の子供は、法律上、親権を失った親と引き離されてしまうのです。子供の立場から見ると、法律的な解釈ではなく、自分が愛する親に会えなくなる。そんな感情的な理不尽を、どう解決していくかがいちばん大きな問題になります。心理学にはそのための専門分野があり、日本の厚生労働省、文部科学省らも、専門家の知見に関心を持っています。
同時に、特別養子縁組に関する問題もあります。養護施設に入居している子供にとって、大人が8時間交代で面倒を見るといったシステム的なケアでは、子供に必要な大人への愛着関係と信頼は育ちにくいのです。施設から里親に引き取られる時も、混血児の引き取りに躊躇する例は、日本人の間ではまだ多くあります。養護施設の仕組みとともに、どうしたら全体を改善していけるか。誰かがアクションを起こさないと前に進まないので、ケーススタディを積み重ねながら、私自身、実地で課題解決に挑戦しているところです。
臨床心理学と同時に、私は東工大で日本文学に関連する授業も受け持っています。具体的には、唱導文芸、日本の韻文、能、日本文芸史などですが、それらと臨床心理学は一見、結びつきが薄いように思われるかもしれません。ただ、私の研究は、唱導文芸や能を国文学的な文献リサーチで探究することではありません。社会における唱導文芸や能の役割、機能を心理学の領域からアプローチしているところがユニークな点なのです。
たとえば個人的なまたは社会的なトラウマから回復をはかる手段として「プレイバックシアター」というコミュニティー心理学的な療法があります。参加者が自分の体験したできごとを即興劇として演じてもらうことで、その体験から一歩離れられ、コミュニティーと共有することによって意味を認識し、心の傷の乗り越え方を体感していくものです。
アメリカでは「シェイクスピア・イン・ザ・コート(裁判所でのシェイクスピア劇)」と名付けられたプログラムも実践されています。これは思春期の犯罪者の社会復帰をうながすプログラムで、参加者は俳優と心理学者の指導の元、シェイクスピアの劇を練習し、公演します。人間心理にもとづく役を演じることによって、参加者たちはこれまでに経験したトラウマを語る言葉を見つけ、グループに支えられながら感情のコントロールと表現の仕方を学び、自尊心を高め、コミュニケーションスキルを上達させていくことができるのです。
この仕組みはまさしく能と通じるものです。
たとえば能の演目の一つ「藤戸」は、自分の戦功を陰で支えてくれた若い漁師を、口封じのために殺した源氏の武将、佐々木盛綱が登場します。領地に入った盛綱の前に、漁師の母が現れ、「我が子を殺したことを認めて」と迫り、その悲嘆に直面した盛綱が漁師を回向し、その霊が成仏を果たす……という筋ですが、現実の世では、お母さんが権力者である武士の面前に訴え出たら、大変な目にあったでしょう。しかし、能という演劇に事件を昇華させることで、他に害を与えた者が、罰を介してだけでなく、人間としてどうやって立ち直っていくか、その道筋があらわれていくのです。また、能の一つの魅力は個人レベルでの回復に留まらず、社会レベルでのトラウマの乗り越え方を教えてくれるところだと思います。個人の痛みをコミュニティーと共有し、認めてもらうことにより、皆が救われます。
英語では「restorative justice (修復的司法)」といいますが、能の中には700年以上も前からすでに、その概念と実践が備わっていました。能は将軍など位の高い人の前で演じるものでしたが、舞台上の劇を通して供養の感情を持つことは、指導者層だけでなく、社会全体のモラルを高めることにもつながりました。
そのような成り立ちから、「能楽療法」というものも可能ではないかと、私は考えています。Therapeutic Noh Theater (能楽療法)はフィンランド人の心理学者Sirkku M. Sky Hiltunen博士の用語で、現在ワシントンDC付近の発達障害・知的障がい者に能面を作り、創作能を演じる機会を与えているアートセラビーのプログラムです。能を手段として、逆境の捉え方が個人だけではなく、コミュニティーや社会のレベルで変わると期待しています。
私は米国のロサンゼルスで生まれて、5歳でニューヨーク郊外のコネチカットに移り、1985年、12歳の時に父の転勤で日本に来て、4年半を過ごしました。日本が大好きになり、もっと日本を知りたいと思い、ニューヨークのコロンビア大学ではドナルド・キーン先生に師事しました。大学在学中には、念願だった日本留学を文科省の奨学金でかなえることができ、熊本大学に1年間留学する機会もいただきました。
熊本大学では民俗学の「神事」を主なテーマに勉強しました。熊本では住民たちが仕事を終えた後に、屋外に設けられた舞台で能や神楽の練習をします。子供からおじいちゃんまで、能が日常に根付いているのです。東京とは違う深い日本の文化を体験して、ますます日本に興味を募らせました。
留学中に出会った夫は熊本・阿蘇の出身ですが、最初のデートが水前寺公園で催されたお能の観劇でした。先生に「どうしてもお能を観に行きたいから、授業を休んでいいですか」とうかがったら、「代わりにレポートを書きなさい」ということで認めていただいたのですが、それが人生の分岐点になりました(笑)。
東工大では、2016年に設立されたリーダーシップ教育院にも、立ち上げ段階から関わっています。
ここで私が受け持っている特徴的な授業は「クリエイティブ・ディスカッション」です。この科目では、「どうしたら、まったく意見の違う人と分かり合えるのか」をテーマにしています。あえて絶望的な問題を取り上げて、「それでも希望はまだある」ということを、心理学上の方法論を使って学んでいきます。
東工大には各国からの留学生も多く来ていますが、それぞれの国で非常に困難な状況があります。たとえばカンボジアでの違法伐採、南アフリカ共和国で白人が迫害される問題、タイの政治的混乱、日本の捕鯨など、トピックは一筋縄ではいかないものばかり。あまりに困難で複雑な問題ですので、「解決なんて無理だ」と最初からあきらめてしまいがちですが、心理学的に段階を踏んでアプローチをしていくことで、解決への希望は生まれていくのです。
最初は自分という個人の内側の葛藤から見つめ、次に授業におけるグループ、大学の研究室、自分が生まれ育ったコミュニティー、社会、国、そして最後は国を超えた地球全体までと、コンテクストを広げながら、いろいろな人たちの視点を反映していきます。自分の中にそのような心理学の「道具箱」を備えることで、怖がらずに、挑戦していけることを、学生にはぜひ知ってほしいと思います。
今の学生は恋愛に壁を感じることが多いとも聞いています。その背景には、個人的な問題以上に、社会が個人を追い詰めている状況があるように思えます。そんな壁も心理学の「道具箱」を持っていれば、乗り越えていけることは多いのです。夫婦カウンセリングの経験から、どういうところでうまくいくか、ダメになるか、いろいろ教えてあげたい。恋愛は長い付き合いの出だしであって、幸せに長く付き合う方法を知ってもらいたいです。
私の母校はコロンビア大学とスタンフォード大学ですが、両大学とも教育の中でリベラルアーツを重視する姿勢は同じです。コロンビア大学では音楽、美術も必修です。
たとえばコロンビア大学では「コア・プログラム(必修科目)」として、プラトンや老子、孔子らの古典的な哲学書を毎週1冊、最初から最後まで読み通します。授業では感想ではなく、根拠を提示した「意見」を求められます。全部を読まないで、意見を述べることはできないので、学生にとっては本当に厳しい。同時に、すごく面白い。いろいろな専攻分野の学生が集まって行う議論は白熱します。
その経験から、東工大のような理工系の大学が、リベラルアーツに力を入れることはすばらしいことだと思っています。東工大のリベラルアーツ研究教育院の授業で、私は文系エッセンスの「能」、「日本のポエトリー(詩歌)」と「人間関係の心理学」を担当しています。留学生向けですので、網羅的に作品をピックアップしていますが、ポエトリーの授業で取り上げる最初の歌は、万葉集の「多摩川にさらす手作りさらさらに 何そこの児のここだかなしき」です。万葉集や能をはじめ、日本の古典には関西だけでなく、多摩川、隅田川といった関東の地名もたくさん登場します。古典の舞台は実は身近にあるということを、学生には発見してもらいたい。多摩川の歌は、詠み人知らずの東歌ですが、おおらかでよい歌です。
古典を身近に感じてもらえるように、能の授業では実際に500年前に作られた小鼓を叩いてもらいますし、能そのものを学生がオリジナルで作る試みも行っています。学生たちは5人ほどのグループを作って、SNSを駆使しながら授業外でもディスカッションを重ね、授業の最後に自分たちが作った能を発表します。たとえばエジプトからの留学生は、自国の検閲の問題をテーマに、能を作りました。能は、そのような時事的な問題もテーマになるのです。
東工大で教えはじめた当初は、参加型授業が足りないと思っていました。その後、リベラルアーツ研究教育院が発足してから、学生の姿勢はものすごく変わりました。ILAでの授業に加えて、1年生で取り組む「東工大立志プロジェクト」という参加型授業を経験することで、授業中にみなが積極的に発言するようになりました。学生時代に能動的な姿勢を身に付けることは、その後、社会に出たときに大きな力になることでしょう。
最後に……私は学生相談室のカウンセラーも務めています。高い能力を持ち、社会に貢献できる学生でも、コミュニケーションなどに困難があると、その力を発揮しにくいことがあります。それぞれが輝く場所は必ずありますし、そこに行く手助けをすることも教員の務めだと信じています。
研究分野 比較文学、心理学
ロサンゼルス生まれ。5歳の時にニューヨーク郊外のコネチカット州に移り、1985年に来日し4年半を日本で過ごす。1995年にコロンビア大学アジア学科及び比較宗教学科を卒業後、1997年にスタンフォード大学アジア言語学科修士課程修了。1999年同言語学科・比較文学博士課程を経たのち、フルブライト奨学金を得て名古屋大学で研究し、2001年に熊本尚絅大学に国語の専任講師として就任して以来、日本に在住。東京工業大学では、学生相談室のカウンセラーも務めている。
※ 2022年6月6日 本文の一部を修正しました。