リベラルアーツ研究教育院 News
【英文学・近現代詩】田村 斉敏 教授
授業では、英語の授業を担当しています。
東工大の学生の場合、英語の得手不得手にものすごいばらつきがあるのが特徴です。英語世界で暮らせるレベルの英語を駆使できる学生と、平均的なレベルの学生と、東工大生の学力に比するとかなり英語が苦手とみられる学生とが、おなじクラスにいる。これが東工大で英語教育をやるうえでの難しさです。
理工系の専門分野に進む東工大生にとって、英語は必須の武器になります。どうすれば、バラバラの学力の学生たちに、的確な英語教育を施せるか?
私の場合、グループワークを積極的に取り入れることにしています。ポイントは、東工大生がおしなべて興味を持ちそうな課題をとりあげ、それを英語で議論してもらったり、考察してもらったりするようにすることです。授業で使うテキストは、その都度私が選択しています。教科書を活用するときもあれば、私が探してきた洋書の一部をピックアップすることもあります。また、英語のニュースをメディアから拾ってくるケースもあります。たとえば、人工知能(AI)に関する英語ニュースを探してきて、各グループで英語で議論し、文章を書いてもらう。AIは、東工大生のほとんどが興味を持つテーマなので、英語が得意な学生もそうでない学生も熱心にグループワークに参加してくれました。
興味のある分野を英語で読み、英語で考え、英語で表現する。オーソドックスな英語勉強法ですが、東工大生の英語力をブラッシュアップするうえでは、とても効果的な方法です。東工大生のリーダーシップを高めるための大学院生向けのリーダーシップ道場や学生プロデュース科目も担当していますが、近年、東工大生のコミュニケーション能力は格段に上がっていると感じます。東工大に赴任して20年以上たちますが、雰囲気は昔のほうが真面目で、最近はちょっと砕けた感じの子も出てきたかなと思います。残念ながら、女子学生の比率はなかなか高くならないのですが、存在感はいい意味で増しているように思います。
東工大生には、自分で自分の勉強方法を開発する力があります。
学習相談の相談員になっているとき、自分の勉強法が正しいかどうか確かめたいという学生が来たことがありました。この学生の場合、1冊の英語の本を徹底的に音読して理解して暗記するまで読む方法をとっていました。オリジナルのノート作りに励む学生もいました。東工大生は、学ぶことに対して、自分の方法を持っている。彼らの本分である、数学や物理で自分が培ったメソッドを、たとえば英語に応用したらどうなるのか、という応用ができる。そんな学ぶ力のある学生たちに、少しでも英語力を身につけてもらうことが私の使命です。
私自身の研究の話をいたします。主な研究対象は、イギリスの詩人、ロバート・グレーヴズ(1895-1985年)とロマン派を代表する詩人、ウィリアム・ワーズワース(1770-1850年)。最初はグレーヴズを研究していたのですが、時代を遡っていくうちに、ロマン派詩人のワーズワースにたどり着きました。
ワーズワースの魅力は、沈黙するところ、とでも言いましょうか。彼は教訓ばかり書いていると批判されることも多いのですが、よくよく読むと一番中心となるべきくだりで、普通ならば書くだろうという言葉をあえて書かない。穴を空けてしまう。ワーズワースのそんな詩に強く惹かれます。
それぞれの人の人生には、あとから振り返ってみると流れを変える瞬間があるはずです。それを「spots of time」と呼びますが、ワーズワースはある詩でそんなspots of timeの例として、死体が上がるエピソードを描きます。ただし、ワーズワースは詩の中で「これがspots of timeだ」としか言わない。意味を明かさないし、教訓も示しません。
ワーズワースの詩の中には、地球が動いている描写がよく出てきます。「The Lucy Poems」と呼ばれる詩編の一つに、ルーシーが死んで、その死体が地球と一緒に回っているイメージが登場します。宇宙旅行などだれも考えていなかった時代の詩とは思えない。
2013年の論文では、ワーズワースの第一詩集『リリカル・バラッズ』に収録された「鹿跳びの泉」を取り上げました。この詩は前半が鹿を追いかける、かつての英国貴族を描写しており、後半は主人公であるワーズワースがその地にいる農夫と出会って、鹿の伝説を聞き取る構成になっています。詩と注釈とがまとめてひとつの詩になる。本編に後から注釈が貼り付けられているようです。詩のあとに注釈のようなかたちで本人が登場する。詩でありながらジャーナリスティックな手法が取られている面白さです。
ロマン派は、フランス革命に対する希望と失望のような形でとらえられることが多く、『リリカル・バラッズ』はそれが一番如実に出ている作品です。ここでワーズワースが未来に託した思想は、フランス革命に対するある種の希望です。フランス革命に象徴されるような新しい動きの中で未来に対する新しい思想が湧き出てくる。そして人間は世界をよりよく理解できるようになるはずだ、と。
ワーズワースは農村地帯に住み、自分とは階級が違う農民や猟師と出会って、その経験を詩にしています。素材として当時の農村の問題を拾っているんですね。『リリカル・バラッズ』の中にも登場します。「We are Seven」という詩では、村の子どもたちが「自分たちは7人兄弟だ」と話します。実は兄弟のうち2人は死んでいる。けれども村の子どもたちは何度聞いても「7人だ」と答える、その感銘を詩にしています。
これは当時進められていた戸籍法の成立と深く関係しているのではないかという見方があるんですね。また、羊飼いが、我が子のように一生懸命育ててきた羊を売る。最後の一頭を市場に持っていく。そのシーンにワーズワースが出会う詩もあります。都市の発達によって農村が困窮する中、単純に社会に虐げられた農夫の哀れな話だと見ることもできますし、ある種の子殺しの歌だという過激な読み方もあります。
ワーズワースは歩く人です。湖水地方を延々とびっくりするくらい歩いています。若い頃にはフランスやドイツ、スコットランドにも行っています。革命時のフランスを実際に目にし、都市化が進むイギリスに戻った時には、あえてその中で農村に暮らし、農村の問題を見つけているようにも見えなくはない。ジャーナリスティックな側面が彼には確かにあると思うのです。
今後の研究としては、最近はジョン・キーツ(1795-1821年)も面白くなってきたので、ロマン派の詩人を精読でもう一回確認してみたいと考えています。さまざまな批評潮流の中で改めて精読というものを考え、ロマン派の舞台でやってみたいというのが一つ。もう一つは、現代の文学潮流の中でロマン派はどういう役割を演じているのかを、初心に帰って考えてみたいと思っています。
ロマン派は、あふれ出る声というか、そういうものが重視されているところがあるのですが、彼らは雑誌を媒体に自分たちの文芸活動を広げていった人たちでもあるのです。だから、文字によってこそ浮かび上がる詩というものがあり、ロマン派登場以後にその「文字としての詩」が重要になってきたと思っています。当時の雑誌がいかに流通してきたかも含めて、詩を媒体してきたものについて考えてみたいというのはありますね。
リベラルアーツとは、必ずしも自分の専門に限られないような、人間としての根をしっかり視野に入れながら、枝葉を伸ばしていくための材料です。リベラルアーツという言葉は文系的な色彩が強いのですが、その根を探るとリベラルアーツに文系も理系もないと思います。
今、小泉勇人先生が中心になってライティング・センターを立ち上げようとしています。ライティング・センターは、大学で出される文章課題(学術的文章)を対象とする相談機関で、リベラルアーツ教育が充実した理系大学である東工大の強みを生かし、理系の文章も文系の文章も両方高レベルでカバーします。私もその活動の最中におります。
最近は学習支援センターと協同しております。数学や物理の学習相談を、チューターを使って行う学習支援センターと、英語や日本語の文章をチューターとの対話を通じて磨いていくライティング・センターは、ものすごく近しい機能を持っていると感じています。どちらも、学生たちが解き方を学ぶのではなく、その考え方や理解の仕方を学ぶことを重視しています。数学や物理の先生方がライティング・センターに関心を持っていらっしゃるとも聞いています。
ライティング・センターでは数学、物理の課題を日本語、英語で書くライティングも実現できればいいなと思っています。数学、物理で相談に来た学生や日本語のレポートや論文で苦労している留学生をこちらに投げてもらうといった、そういう連携ができればいいと思います。
東工大の英語はどうあるべきかを考えた時に、専門家と協力しなければいけないということはいつも考えていました。これまではどうしても具体的なイメージにまとまらなかったのですが、ライティング・センターという形で多少見えてきたかなと思います。これが実現できれば、東工大の全員が備えるべきリベラルアーツの中で、文と理が合体できる具体的なメソッドになるのではないかと期待しています。
学生には自分の好きなことをどんどん伸ばしてもらいたいですし、一方であまり垣根を作らずどんなことでも興味を持っていただきたい。無理矢理こちらが教えたいことを押し付ける気はないですが、さまざまな見方ができるほうが実際の自分の研究にも役立つと思います。知識を得ることを目指して、殻に閉じこもらないようにしてもらいたいですね。
研究分野 英文学・近現代詩
1987年東京大学文学部英語英米文学専攻卒業、1993年同大学人文科学研究科英語英文学博士課程中退。帝京大学講師を経て、1997年から東京工業大学講師、助教授、准教授を務める。イギリス・ロマン派詩人を中心に、20世紀戦争詩の研究も行っている。共訳書に「しみじみ読むイギリス・アイルランド文学」(2007年、松柏社)などがある。レイモンド・チャンドラー、フリーマン・ウィルス・クロフツなど推理小説にも造詣が深く、チャンドラーを題材にした論文も発表している。