リベラルアーツ研究教育院 News
【英語、音楽学、能楽・能管】安納 真理子 准教授
2015年に東京工業大学の外国語研究教育センター准教授に就任し、16年からリベラルアーツ教育研究院の准教授を務めています。
TOEFL、アカデミックプレゼンテーション、ライティング、スピーチなど学部生と大学院生の英語の必修・選択科目を受け持っていますが、20年度からは私の研究分野である日本伝統芸能における音楽の能、狂言、歌舞伎、文楽を英語で教えるクラスも開講します。
まず英語教育で大切にしていることは、学生たちが楽しく話せる環境を作っていくことです。東工大生は理工系ゆえ、言語系に苦手意識があると聞いていましたが、実際に教えていてそんなことは感じません。もともと優秀な学生たちですから言語にも強いのです。ただ読み書きに比べるといわゆる口頭表現(オーラル英語;話す、聞く)に弱い点が見られます。これは今までの英語教育環境と日本人のもっているおとなしい性格から来ていると考えられます。ポテンシャルは十分にあるのです。
ただ、ポテンシャルはあるのに、それを引き出すチャンスが少なかったことは感じます。私の英語のリスニング・スピーキングのクラスでは、先生と学生が話す割合を3:7ぐらいに設定しています。宿題として文章を読ませ、授業では2〜4人といった少人数での文章の内容についてのグループ・ディスカッションを積極的に行っています。クラスで学生が発言した時は、“That’s an interesting point. Other students, what do you think about his/her point?”と、私もどんどんフォローします。そのような授業を通して、学生たちに話す力、自分で考える力を身に付けていって欲しいのです。学生は選手であり、教員はコーチです。
スポーツと同じで一体となって練習してこそオーラル英語も向上するのです。将来、組織の浮沈のかかった、ビジネスや研究の激論の渦の中になげこまれるかもしれないのです。相手を理解し、自分の主張を英語で表現し、タイミング良く質問を投げかける能力なしにはサバイブできないのが現状です。ぜひオーラル英語を頑張って欲しいです。昔は「沈黙は金」だったかもしれませんが、今では「発言はダイアモンド」です。東工大学生は重要な情報をもっているのに、沈黙していたら生かせません。発信しなければなりません。コンピューターの中にどんな素晴らしい情報があってもプリントアウトしないと周りの人にはわからないのです。オーラル英語は自分の考え、思想を発信するためのツール(道具)なのです。
教員はコーチですが、教員にとっての喜びは教えながら学ぶことです。さまざまな専門知識を持つ学生から話を聞くことで、私自身も教室で楽しく学んでいます。東工大はインドネシア、ベトナム、タイ、モンゴルなど多様な国から留学生を受け入れています。また海外との提携校が多く、日本の学生にも留学のチャンスが幅広く用意されています。私のTOEFLクラスを履修していた学生のTOEFLの点数が上がり、留学するという話を聞くと、自分のことのようにうれしくなりますね。
私はアメリカのシカゴで生まれ育った日系二世です。母校のレイク・フォレスト大学では化学(Chemistry, Pre-medicine)を第一の専攻とし、副専攻が音楽でした。アメリカの大学では「専攻」「副専攻」として、違う分野を同時に勉強しました。私の場合は大学院に進学した時に、副専攻の音楽をメインの専攻に変更したのですが、それは自分の将来がかかった事件ですから大変な覚悟が必要でした。アメリカが2001年9月11日、いわゆる9・11、ナイン・イレブンの多発テロ事件で緊張していた時、私は自分の人生をかけて、音楽のクラスで戦っていたのです。そこは覚悟が必要でした。音楽とは音を楽しむと書きますが、音楽を専門とするためには、楽しむどころではなく、苦闘の毎日を送りました。
大学で化学(有機化学)を専攻した理由は、発展途上国で働く医師になりたかったからです。(実は、アフリカに行きたかったので、高校生の時にフランス語を勉強しました。)さらに私はクリスチャンであり、牧師の家庭に育ったので、人の役に立つ生き方・人のために生きることを志向することは、自分の中では子どものころから自明でした。
アメリカには「United States Peace Corps(ピースコア;アメリカ平和部隊)」という日本のJICA(Japan International Cooperation Agency: 国際協力機構)に相当するような国際協力の組織があります。大学卒業後、1998年から2年間、そのメンバー(ボランティア)としてモロッコに派遣されました。
滞在先は水も電気もない環境でしたし、また文化や、人々が信じる宗教も言語も違います。フランス語とモロッコのアラビア語(南はベルベル語)です。そして山の中の道路が無いような所に住んでいたので、自転車は使えず、交通手段としてはロバを買って乗りました。ロバに乗って水を汲んでくるのです。電気がないので、ブタンガスのランプで読書をするのです。目が悪くなりました。アメリカと比べてあまりにも貧しい環境なのでアメリカから訪問した隊員の親たちは涙が出たそうです。自国とはまったく異なる環境に身を置いたことで、自分を見つめることができ、人間として成長した貴重な日々でした。
副専攻だった音楽をもっと勉強したいと思ったのは、このモロッコでの体験があったからです。モロッコの人たちと言葉が通じない中で、もどかしい場面もあったのですが、音楽を通じて、人間同士がコミュニケーションできることを、心の底から実感したのです。
モロッコでは、友人と音楽ツアーを計画し、友人たちがギターとバイオリンを弾いて、私がフルートを吹きました。その中で、モロッコ人たちとアンサンブルを組むことができ、みんなの気持ちが通じていく場面を目の当たりにしました。その感動を味わって、自分が大好きな音楽を通して社会に貢献できる、国際交流ができると、将来の目標を定め直したのです。
音楽ツアーで私がどうしてフルートを演奏したのかというと、フルートは子供の時から手元にあった楽器だったからです。私の通ったアメリカの小学校は、5年生になった時に、自分の好きな楽器を学びます。家庭では教会音楽を聞き、子どものころからピアノを習っていた私は、その時にフルートを選び、その後もずっと学び続けたのです。
アメリカではイリノイ大学大学院、日本では東京藝術大学大学院で、それぞれ音楽の修士・博士号を取得しました。専攻を変更することにはエネルギーが要りましたが、自分の興味に応じて、進路をフレキシブルに変えていくことは、アメリカだからこそできたのだと考えます。
私が生まれ育ったアメリカは自由の国で、いろいろな人にチャンスを与えてくれます。国籍がアメリカでもアジア人の顔の私は、社会ではマイノリティです。私のような立場の人間は専門の能力がないと将来を切り拓いていけません。チャンスをつかむために重要なのはやはり学校教育です。天才的な人は別として、普通の人間は教育がないと仕事をめぐる競争のスタートラインにさえ立つことができないので大変不利になります。
イリノイ大学大学院の博士論文では「能管」を研究テーマにしました。能管を英語で表すと「Noh Flute」と、まさしく「能のフルート」となります。以来、ずっと能管演奏と取り組んでいます。
なぜ能に興味を持ったかというと、純粋に笛の音が好きだったからです。イリノイ大学の授業で能の音源を聴き、その中の笛が奏でる旋律や音が不思議に聞こえたからです。その謎を解くために、日本に渡り、師匠に稽古をつけていただき、自分で調査研究を重ね、能管に関する博士論文を書きました。(この研究を土台とする本を近々に出版予定)。
そして、幸い文科省の国費留学生として藝大に留学し、一年半の計画でしたが、修士・博士を終わらせたら何と七年も経っていました。また、私の両親が日本人なので、小さい頃から日本語や日本の文化について教えられてきました。私が日本文化が好きで、勉強を続けたのはその影響が大きいと思います。素人目には能管とフルートは似たような横笛に見えるでしょうが、専門的にはかなり違うのです。演奏法・技法・旋律もまったく違います。それは独学では決して学べないもので、実際に能の舞台に立つ能楽師の先生から口伝で教えていただかなければなりませんでした。苦労しました。
同時に能を研究する場合は、自分でも謡い、舞わないと、その世界を理解することは難しいのです。能はいわば室町時代のミュージカル。能管、大鼓、小鼓、太鼓などの楽器とコーラスよる音楽的要素と、舞、装束、舞台装置などの視覚的な要素もそなえた総合的な芸術です。しかし、オーケスラやオペラのような指揮者はいません。そのため、立チ方も囃子方もお互いが何をやっているか知らなければなりません。能楽師は、笛の唱歌(旋律・メロディー)、鼓の手組み(パターン)やカケ声、シテの立ち位置等も学ぶ必要があります。舞台で楽器を弾いている能楽師(囃子方)はみな、舞うことができますし、シテ方やワキ方(立チ方)は囃子(楽器)ができます。それぞれが総合的な技能を求められる芸術であり、私も囃子、仕舞、謡と全部を学びました。
能は、歌舞劇(かぶげき)です。室町時代(1336-1573)の能(猿楽)は、民俗芸能であり、その時代に人気があった田楽、中国からの散楽(さんがく)や曲舞などが取り入れられています。この時代の人物でよく知られているのが、結崎座に属していた観阿弥と世阿弥です。観客に楽しんでもらえるよう、多くの芸を取り入れてきました。(また、他の「座」(集団、troupes)との競争があったので、観客の注目を集めるのが重要でした。)江戸時代に、能は武士の式楽になり、型の正確さが求められ、この時代から能一番の演能時間も長くなってきました。
能は「決め事の芸術」です。詞章は七五調で謡われ、決め事や約束事が多い芸術です。能の大まかな構造は決まっていますが、その中には「小段」(しょうだん)という能の骨格部分(building blocks)があります。これらの「小段」を入れ替えたり、差し替えたりできるのです。能は生きている芸術であるため、その時代に合わせて生きています。新作能などが創作されたり、今の時代の観客にどのように面白く観てもらえるかなどと、多くの能楽師は工夫されています。また能には即興的な部分もあり、能の役者の組合せも、その都度変わるので、舞台ひとつひとつは一期一会です。能は、何百年も続く歴史の中で余分な物を削ぎ落としてきた芸能です。その余分なものをなくした舞台を観て、観客が自分たちのイマジネーションを発揮するのです。
そこで求められるのは、演者の演技の「深さ」なのです。演者は、地謡(コーラス)のナレーション、また囃子に併奏されて、限られた舞台空間を使って、そのストーリーを表現し、観客の心を動かす演技をします。限られた詞章を用いて深い感情を表現し、聴衆に理解させるのには、相当の演技力が必要なのです。いわゆる名人芸です。絶えず訓練を積まなければなりません。
同じ事は能管についても言えます。私は能管と西洋フルートの両方を吹く演奏者ですが、この2本の違った性格の横笛を前にして、私は不思議な気持ちになります。西洋フルートもはじめは能管のような単純な形をしていたのですが、19世紀なかばにドイツ人が吹きやすいように最初のキーを取り付けたのがはじまりで、さらに多くの人が吹きやすいように次々のキーを取り付けました。いわばフルートは進化して大衆化したのです。
他方、能管の方はキーを取り付ける道を選ばず、化石のように同じ形を保ったのです。それでは難しい曲に対応することは困難です。キーをつけたくなったでしょう。ところが能管は難しい曲に対しては演奏者が唇と指を訓練してむずかしい曲も吹いてしまうのです。もちろんそのためには音楽の才能が必要です。能管は物理的な進化はしなかったのですが、演奏者の音楽の才能プラス演奏技術で高度な曲を演奏するのです。
一噌幸弘先生は私の能管の先生ですが、バッハとかモーツアルトの曲をオーケストラと協演して少しも引けを取りません。恐るべき音楽の才能と技術です。西洋フルートは進化を続け、能管は(外面的に)進化しなかったかわりに、演奏者の技術が進化して能管の機能を引き出しているのです。演奏者の技術は「名人芸」で他の人ではまねすることは難しいのです。能管は大衆化の道を選ばなかったのです。西洋フルートは大衆化の道を選び、能管は名人芸の道を選んだのです。日本人は器用で頑張るので、不可能を可能にしてしまったと言えるかもしれませんね。
18年にはトヨタ招聘客員教授として、米ミシガン大学日本研究センターで、能と日本の伝統芸能にまつわる授業と研究を行いました。その時に「英語能」の上演の機会が与えられました。
英語能は、私の能研究の師匠である、武蔵野大学文学部教授のリチャード・エマート先生が、1980年代から取り組んできた、新しい能のジャンルです。「英語で能?」と、知らない人は驚かれるかもしれませんが、能は海外の観客や研究者からも強い関心を持たれるようになったジャンルです。
エマート先生は外国人に日本語で能を教える「Noh Training Project(能楽指導プロジェクト)」を主宰され、その経験を踏まえて2000年に英語能を上演するグループ「シアター能楽」を立ち上げました。シアター能楽では、エマート先生はじめ、能楽師や能を長年稽古されたアメリカ人、カナダ人、イギリス人等が英語能を上演しています。
その演目の一つが、エルヴィス・プレスリーの霊が登場する「ブルー・ムーン・オーバー・メンフィス」です。「プレスリーが能の演目に?」と、これにも驚かれることと思います。でも、その題材の自由さ、また過去の人物が現在の人間に語れることが、能が持つ本来の姿なのです。この作品の上演にあたっては、私は能管演奏を担当しています。
英語能は世界のさまざまな場所で上演されています。私もロンドン、アナーバー(ミシガン州)、ロサンゼルス、シカゴ、東京など内外のいろいろな場所に行き、英語能の上演とともに、能や能管について英語での講義を行なっています。2020年も、英語能を熊本とサンアントニオ(テキサス州)で上演します。敷居が高いと思われている能ですが、私自身の研究や活動を通して、学生たちや観客にもっとアクセスしやすいものにしたい。それがわたしの願いです。
リベラルアーツ教育研究院が発足した後、私は自分でMIT(マサチューセッツ工科大学)のキャンパス見学に行きましたが、学生が自由に使える音楽室、ピアノ室が学内に備わっていることに感心しました。MITは、音楽を第1専攻、ある専門分野を第2専攻とする、いわゆるダブル専攻が可能だということです。
世界を見渡すと、ノーベル賞受賞者でありながら、ジャズミュージシャンとしても活躍中といった、文理・芸術にオールラウンドで通じた科学者・研究者は、少なくありません。数学と音楽は正の相関関係があるという調査結果もあるそうです。その調査が正しいかどうかは知りませんが、科学の頭脳と音楽の関係が深いことはいくつもの例があります。
天才的科学者といわれたアインシュタインはバイオリンの名手、当校の名物数学教授だった矢野健太郎はバイオリンをたしなみ、ロケットの糸川英夫はチェロを弾き、目を他の分野にも広げれば、ソニーの3代目社長の大賀典雄は声楽、アメリカ経済の指導者のAlan Greenspanはジュリアード音楽院のクラリネットの奏者、ビル・クリントン大統領はサキソフォンを吹き、コンドリーザ・ライス国務長官はヨーヨー・マのチェロのピアノ伴奏を務めたとか、2007年ノーベル経済学賞のシカゴ大学のRoger Myersonはハーモニカの演奏家、など続々と並びます。また、東工大生の中にも、音楽コンクールで受賞している人をはじめ、楽器の上手な学生がたくさんいます。
理工系の人々は生来真面目なので、勉強づけ、仕事づけとなりやすいのですが、ひとつぐらい楽器ができた方が楽しい人生が送れるのではないでしょうか。精神衛生上から言ってもその方が仕事人生、研究人生を長持ちさせてくれそうです。もしかすると良いアイデアも湧いてくるかもしれません。ところが現在の東工大には音楽練習室がとても少ないのが現状です。もう少し増やして学生たちが音楽を楽しむことができるように配慮してくださるとありがたいですね。
研究分野 音楽学、能楽・能管、英語
アメリカ・イリノイ州シカゴ生まれの日系二世。レイク・フォレスト大学(理学部化学専攻、音楽副専攻)を卒業後、United States Peace Corps Volunteerとして2年間モロッコに滞在。国際協力の組織にて自国とはまったく異なる環境に身を置き、音楽を通しての国際交流に目覚めた。その後、高校の特殊教育のアシスタントを経て、イリノイ大学大学院アーバナ・シャンペーン校に進学し、音楽研究科でフルートを専攻。同修士課程、博士課程を修了。2005年に文部科学省国費留学生として来日し、2012年に東京藝術大学大学院音楽研究科博士後期課程修了(音楽文化学専攻)。2009年にAssociation for Asian Performance, Emerging Scholar Awardを受賞。2018–2019年、米ミシガン大学日本研究センターのトヨタ招聘客員教授。国際的に英語能の研究と上演に励み、フジテレビ『にほんのれきし【たけし&村上が27時間で4万年の旅へ】』にも出演。2020年に著書Piercing the Structure of Traditionが出版予定。東京藝術大学音楽研究センター教育研究助手を経て、2015年より東京工業大学外国語研究教育センター准教授に就任し、2016年から現職。