リベラルアーツ研究教育院 News

シェイクスピア映画、学術的文章教育、映画を活用する英語教育。3本軸で研究を深く豊かに

【16-17世紀イギリス文学、ライティング・センター、英語教育】 小泉 勇人 准教授

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2019.11.26

小泉 勇人 准教授

映画の世界にシンクロすれば、
英語が自分の言葉になる

現在、私は大きく分けて2つの領域に渡って研究を進めています。

1つは、教育学の領域にあたり、映画を活用する英語教育、ならびに学術的文章教育の研究です。もう1つは文学研究の領域にあたり、16世紀英国文学、特にシェイクスピア演劇およびそれを原作とする映画の研究です。

リベラルアーツ研究教育院外国語セクションおよび社会・人間科学コースでは、教育学の領域で授業を行う場合が多いです。なかでも英語教育分野に関しては、必修の英語授業に大きく関与しています。

担当する英語の授業では、映画を教材化して活用するのが特徴です。英語を習得するには、まず英語圏文化や、その文化圏内でものを考えて生活している人々に興味を持つことが重要だと考えているからです。人は好きなことなら、苦労と思わずに学ぶものです。英語圏の文化に興味を持ち、「なんだか面白いし、これならちょっと勉強したいな」と思ってもらえれば、英語教育者としての仕事の大事な部分は押さえられたと言えます。もちろんここまで持っていくのが難しいのですが。ただ学生たちにここまで思ってもらえたら、彼らは自ら考えて学修、研究を進めてくれるのではないでしょうか。

授業では、私が本当に面白いと判断した映画だけを扱うようにしています。いま使用しているのは、『スポットライト』(トム・マッカーシー監督, 2015年)というアメリカ映画です。このうち、主要キャラクターの心理が大きく変化したり、物語を大きく動かすきっかけとなる台詞があるシーンを3箇所ほど選択し、脚本として文字起こしします。その脚本をベースに、授業では役者の演技に近いスピード、イントネーション、感情の入れ方で学生たちに音読してもらいます。

その場で立ち上がって動画と脚本を見比べながら、キャラクターと同じタイミングでしゃべってもらう、いわゆるオーバーラッピングという学習法です。最終的には脚本は見ずに、動画を見て音声を聞きながら発話してもらう、シャドウイングという学習方法にも挑戦してもらいます。これは同時通訳者が訓練として採用する学習法で、本格的です。これらの活動を行う際に学生には起立してもらいますので、私の授業では、居眠りしたくても、できません (笑)。

声に出してしゃべる、というのは、本来人間にとって楽しい行為です。高校までの英語の授業で音読をほとんど経験して来なかった学生がもしいるとすれば、それはとてももったいないことです。英語の授業は実は音楽の授業に近いのです。でも、高価な楽器を買う必要もなければ、細やかな運指を身につける必要もありません。映画の台詞を音読する授業は、声が出るならひとまずはこなせる、いわばコスパ最強の音楽学修のようなものです。起立して声を出すことに最初はためらっている学生も、慣れが深まると楽しさを感じられるようになっていきます。

しかも、音読する英語は、刺激的な物語の中で話される、これまた刺激的な台詞です。映画の脚本を使うと、キャラクターの思考や感情にシンクロしやすくなります。キャラクターに自分をかぶせられるようになると、登場人物の英語が自分の言葉になります。そうすると自然に文法や単語、発音、表現も身に付き、文化の理解にも深みが出ます。外国文化への理解度は、結果的に論述といった形で問うことも不可能ではありませんが、純粋に点数化することは困難です。

また点数化すべき事柄かどうかは教員にだってわかりません。でも、英語、ひいては外国語を学ぶことの面白さは、実はその点数で測りきれない部分にこそある。そんな面白さもまた学習者には経験してほしいと私は考えています。

学術的文章のカウンセリング技術「チュータリング」で
読み、書き、対話する力を伸ばす

小泉 勇人 准教授

大学院生を対象に、「ピアレビュー実践」の授業も受け持っています。「ピアレビュー実践」では、学術的文章の知識を活用しながら他人の文章を診断しする能力だけではなく、対話を展開することで、書き手に自分の文章の問題点を自発的に気づいてもらう方法を実践的に習得します。

もともと自身が早稲田大学文学研究科の大学院生だった時代に、学内にある文章指導機関「ライティング・センター」で、6年ほど学部生からや院生までを対象に、学術的文章の相談を受け付けていました。チュータリングはそこで必要とされる技術です。

チュータリングとは、いわば文章専門のカウンセリングです。書き手が持ってきた文章を読み、書き手と対話をしながら一定時間内に内容を改善するよう試みます。

通常の文章添削では、相手の論文を読んで、それがもし主張の不明確なものである場合、「何が言いたいかわからないよ」「これ、間違っているよ」と指摘したり、「こう書いたほうがいいんじゃない?」と赤ペンで書き込んだりするかもしれません。

でもこのやり方だと、書き手は受動的になり、次回も誰かに見せて書き直し案を受け入れておけばいいや、と思ってしまい、能動的に自分の文章を書き直そうとはしなくなるかもしれません。書き手にそう思わせないことが肝要です。そのためには、「この文章/パラグラフの中であなたが一番言いたいことは何ですか?」と聞き、「それはこの文章/パラグラフのどこに書いてありますか?」と尋ねれば、書き手は「あ、それは書いていなかったな。それを書くと自分の伝えたいことが明確になるのか!」と気づいてくれるかもしれない。これがチュータリングです。ピアレヴューを行う者は、書き手に教え込むのではなく、気づきを得る余裕を持ってもらい、思考に寄り添い、「自立した書き手」になる手助けをします。

授業では、そういった質問の技術も訓練内容に織り込みながら、もう少し大局的なものの考え方-自分で思考して物を書いていく書き手になる、また、そういう書き手を育てるにはどのような道筋があるか-を検討してもらいます。チュータリングには文章を読む力、書く力だけでなく、的確に質問し考えを引き出すコミュニケーション力が必要です。そのような能力を育成する点も含め、必修英語ライティングの授業でも、チュータリングの手法を伝える機会を設けています。

「エロくて、グロテスクで、バイオレンス」
な映像表現から、人間の本質を考える

小泉 勇人 准教授

私のもう一方の研究領域である、シェイクスピア演劇/映画についてお話ししましょう。「シェイクスピア演劇」はわかるとしても、「シェイクスピア映画」とは何か。これは、シェイクスピア劇を原作とする映画のことです。映画が発明されて以来、シェイクスピア劇は映画界に取り入れられてきました。海外の例をあげると枚挙にいとまはありませんが、日本映画界では黒澤明の功績がよく知られています。『マクベス』を原作にした『蜘蛛巣城』(1957)や、『リア王』を原作にした『乱』(1985)があります。同監督の『悪いやつほどよく眠る』(1960)が『ハムレット』を原案にしているという説もあります。

シェイクスピア劇では、暴力衝動や性衝動、または差別的感情といった人間の残酷さが非常に豊かに、巧みに描かれています。『リア王』では目玉をくり抜いて視力を奪う拷問描写がありますし、『ヴェニスの商人』では、ユダヤ人のシャイロックが、自分を差別し続けてきたキリスト教徒アントーニオの胸を公衆の面前でナイフで切り開こうとします。これら過激なイメージは前者で言えば、裏で進行する陰謀を見抜けない盲目的な人間への辛辣な懲罰とも取れますし、後者で言えば、相手の胸を暴力的に切り裂かないとどうにも解消のしようがない辛さや悲しみ、差別される者の憤怒、といったエモーションと地続きです。

シェイクスピアとは直接的には関係のない例で恐縮ですけれど、ティム・バートン監督は『バットマン・リターンズ』という作品において、シェイクスピア劇で描かれる事柄に通底するような社会の残酷さと、やりきれなくなって暴走する「弱者」の姿をこれでもかと表現しています。悪役であるはずのキャットウーマンやペンギン男は、いじめられ、理不尽に差別され、あとはもうがむしゃらに反撃するしかなくて支配欲や破壊衝動を暴走させてしまう。この映画はシェイクスピア劇を下敷きにした作品ではありませんが、その精神においてシェイクスピア劇の末裔であると、ひょっとしたら言えるのではないでしょうか。

小泉研究室では、シェイクスピア劇を明らかに原作とする映画から(原作のタイトルをそのまま採用している映画はすぐにそれだとわかります)、アメコミ映画、スターウォーズ・シリーズ、007映画など、「一見シェイクスピア劇とは無縁そうに思えてその実は精神を受け継いでいる映画」も射程範囲に入れます。そうした映画作品を分析しながら、シェイクスピアは人間が抱える悩みにどう挑み、後世の作品にどのような影響を及ぼし、そしてシェイクスピア劇の台詞やモチーフをどう引用しているのかを追求します。

シェイクスピア映画においてもそうですが、それ以外の映画における暴力表現も研究対象にしており、大学院生向けの授業で扱うこともあります。私は、エロくて、グロテスクで、バイオレンスな言語/視覚表現をふんだんに盛り込んでくれる映画が好きなんです。そう言うと怖がる人もいるのですが、コントロールの利かない性衝動や、深く底の知れない暴力性は、人間が否定できない本質的な部分でしょう。そういったことについて考えてみることも、貴重な学問の時間です。

2018年の授業では暴力について深く追求した映画3作品を授業内で研究しました。そのうちの1本が、黒沢清監督による『キュア』です。この映画では人の暴力性を話術で巧みに引き出す催眠術師のような男が登場します。暴力性を引き出された人間は、無意識のうちに嫌悪感を抱いている対象を、衝動的に殺してしまう、という物語です(ちなみに、現実においては催眠術でここまで誘導するのは不可能とのことです)。こうした映画についての問をきっかけに受講生達が、誰しも抱える暴力衝動について、否定から入るのではなく、あえて認めたうえでどういなしていくのか考えることが重要ではないか、といった様に議論することもありました。

映画や演劇で闇と向き合う時間が、
人格を形作る

小泉 勇人 准教授

映画を使用した英語教育、学術的文章指導、シェイクスピア映画は、本来はそれぞれが独立した研究領域です。けれども、英語やライティングは対話の手法であり、シェイクスピア演劇も映画も、核となるのは他者あるいは自己の内面と交わす対話です。これらの領域は、どうやら対話という枠組みで捉えることができそうです。

いずれの領域も、リベラルアーツと深い関わりを持っています。シェイクスピア劇や映画作品について知識を蓄えることは重要ですが、鑑賞体験をどこまで自分ごととして噛み砕いて消化するかも忘れないようにしたいところです。人はだれでも直視したくないどす黒さを心の中に抱えている(かもしれません)。文学や演劇や映画は、それを直視するきっかけになる。直視することで、当然心にそれなりの傷を負うことだってあります。そうして出来た傷跡がかさぶたになり、体の中にいっぱい残ります。でもそれが人格を形作り、人間への複雑な理解につながる。だから、闇や渇望感と向き合う経験、時間そのものがリベラルアーツだと私は考えます。

学生によっては、自ら発信する行為に困難を覚える方もいるでしょう。発信力を伸ばすには、役に立つ、立たないを度外視し、まずはいろいろなものを吸収することをオススメします。できの良し悪しを問わず映画を何百本と観てみる、興味の赴くままに小説を読む、天気の良い日には街をぶらぶら歩いて美術館を訪れてみたりする。いろいろなものを片っ端から食べて、ボリボリ噛み砕いて、消化し、自分なりの胃袋でブレンドさせる。そのブレンドした結果としての何かがあれば、言葉や振る舞いという形にして伝えようという自然な欲求が湧き出てくるのではないでしょうか。

Profile

小泉 勇人 准教授

研究分野 6-17世紀イギリス文学、ライティング・センター、映画を活用する英語教育

小泉 勇人 准教授

1983年生まれ。大阪府枚方市出身。関西学院大学英文科を卒業後、早稲田大学大学院文学研究科修士課程に進学し、シェイクスピア作品における医学的表象(主に梅毒の表象)を研究。博士課程では引き続き同分野を研究しながら、シェイクスピア劇の映画化作品にも強い関心を持つようになる。2013年、イギリスのロンドン大学キングスカレッジに留学。ナショナルシアターでサム・メンデス演出の『リア王』を観劇し、シェイクスピア劇における暴力表現の多様さに改めて気づき、研究の着想も得る。シェイクスピア研究と並行して2007年より6年間、早稲田大学ライティング・センターで学術的文章指導にも当たる。2017年より現職。共著に『シェイクスピアの広がる世界』(彩流社)、『文章チュータリングの理念と実践』(ひつじ書房)がある。

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