リベラルアーツ研究教育院 News
~とらわれた自分に気づくことに成長がある。生きる意味、奥深さ、豊かさを発見する人生を振り返る~
2024年3月末で東京工業大学を定年退職した、リベラルアーツ研究教育院の上田紀行教授の最終講義&セッション(2024年3月8日開催)の様子をご紹介します。
当日は、東京工業大学長の益一哉先生ほか、リベラルアーツ研究教育院の先生方、上田研究室に所属した卒業生ほか、学内外から多くの方々が集まり、会場となった東工大大岡山キャンパス70周年記念講堂は、約400名の参加者でほぼ満席になり、会場内は熱気に包まれました。
最終講義の冒頭で上田先生は、「私たちの人生は意味深く、本当に豊かで奥深いもの。でも、そう簡単に言い切れない要因が社会にはたくさんあって、人生を薄っぺらなものにしている。貧困、ジェンダー、戦争…。そういった阻害するものに対する怒りがあり、それが教壇で講義をする原動力になった」と語り、さらに「もうひとつは心の中にある問題。お金や学校の成績などへの葛藤や囚われがあり、そのことによって自分の人生の奥深さが狭いものになっていく。でも、私はそれらに囚われた自分に気づくことに成長があると考えている。自分も囚われまくっている人生を送り、それを苦しんで、挫折して考えてきた」と、これまで歩んできた道を振り返りました。
上田先生の最終講義の内容は、森中航記者(東京スポーツ新聞社)の記事を転載しています。(研究生OB・OGとのセッションと、ゲスト登壇についてのコラム以外)
「さて、私はいったい何をやってきた人間なんだろうかっていうことを、最終講義が決まりましてから本当にこう、考えてきたところなんです。
いったい何をやっていたのか。今日はここに私の著書で、チラシのあるものにかんして18冊くらい(の紙の資料を)お渡ししてあります。チラシがない本も10冊くらいありますのであるものだけってことなんですけど、これを見ると何をやってきた人なのかなってわかるのかなぁ。
この最終講義もそうですけれど、私は誰かにやれって言われて、もう3月8日までに考えなきゃいけないってのがあって、はじめて考える人間であるところがありまして、この本というものも、私が書きたいからただ書いたんじゃなくて、編集者の方が『この本、書かないか?』と言って、『締切はこれだから』って締切が設定されてはじめて書かれたものです。出版されてからも、ここに書かれているのは私の言葉というより編集者の方々の思いがこもっております。お世話になった編集者の方々に感謝したいという意味で、今日はみなさんにお渡しすることにしました。
で、これだけ綴じたものを見て、また、何だったろうなあってことを考えてきたときに、まあ最初からもう、じゃ私は何が気になって何をやりたい人間だったのか、結論じみたものを最初から申し上げておきます。
私はですね、人生っていうのはすごく意味深かったりだとか、奥深いものだって思うんですんね。で、私たちの生きる意味の奥深さとか豊かさっていうものの可能性が私たちにはすごくある、なんかもうひと言では言えないような何か、もう秘密というか神秘というか…。私たちの生きていくことってすごく奥深いものだっていう、そういう感覚があります。で、そのことをずっと言いたかったんじゃないのかなぁ~って気がしてるんですね。
あと今度は反対のほうなんですけど、僕たちの生きる意味とか人生っていうのはすごく奥深くて豊かであって、すごく意味深いものであるのに、それを疎外する要因というものがこの社会の中にはたくさんあって、私たちの人生をとてつもなく薄っぺらなものにしたりとか、あるいは本当にそれだけの可能性があるにもかかわらず、こんなものにしてしまうということがあります。そうした疎外要因に対しての憤りとか怒りというものがこれまでずっと(私を)支えてきて、このような本を書かせていただいたり、あるいは、こんな至らない人間が教壇に立ち続けて何か話す、あるいは全国各地にお招きいただいて講演をさせていただいたり、あるいはテレビ・新聞・雑誌で、いろいろなことを発信させていただくという原動力になっていたんじゃないかなということに思い至りました。
その疎外される要因というものはたくさんありまして、たとえば戦争。戦争で爆弾が降り注いできたら、私の生きる意味なんて、あるいはその豊かさなんて、爆弾が当たって死んでしまえば、それはもう疎外されますよね。
あるいは貧困の問題があって、貧困のおかげで勉強ができないとかそういったものがあります。あるいはジェンダーの問題とかもあって、『男の子だから、女の子だからこうしないといけない…』という問題もあります。そうしたようなもの、そうした戦争とか貧困とか社会問題にかんしては絶対になくしてなきゃいけないという思いがあります。
あと、もうひとつは私たちの心の中にある問題ですよね。私たちが戦争とかの外的な暴力で奪い去られるのでなくて、自分がそのことによって、それを持ってしまっているからこそ、私たちの人生の奥深さが疎外されるということがたくさんあります。
たとえばお金っていうものがあって、『お金を持ってなきゃいけない』、『お金さえ持っていれば人生いいんだ』というふうに思った途端に、私たちの人生の意義深さとか神秘とかがある意味で薄められていく。あるいはまぁ、学校で教えていれば、『とにかく成績取らなきゃダメでしょ』『成績さえとってりゃいいんだよ。いい成績さえとっていれば幸せになるんだよ』。こういう考え方もある意味では私たちの潜在的に持っている奥深さをすごく狭いものにしています。
もちろんですね、お金は大切だと思うんです。お金のことを否定する人はいない。だけどお金を儲けて何に使うんですかっていう、そのお金を何に生かすんですかっていうその意味の部分まで乗ってくれば、お金っていうのはいいんですけど、お金というものが何かのためのものではなくて、単にお金さえっていうものすごい抽象化され透明な言葉になってしまったお金というのは、同じように私も抽象化させ、そして私の生きている神秘というものから遠ざけるんじゃないかな。
もちろん成績は重要で、大学の先生が『成績どうでもいい』なんて、そんなこたぁ言いませんよ(笑)。だけど、その成績を取るために頑張って、『じゃあそのあとどうするの? あなたのその蓄えた実力を何に生かすの?』とか、そもそもすべての学科で成績がすべての授業でいい成績を取る必要がないので、私はここの数学のナントカは絶対妥協しないけど、文化人類学はまぁ適当でいいとか、ちょっと自分を落としてますけど…、そういう濃淡があるんだったらいいけども、成績っていわれるといい点数取りたくなる。いい点数さえ取ってればいい人生が拓けるんじゃないのかっていうことも、人生をものすごく狭くし、薄いものにするんじゃないかなっていうふうに思います。
あるいはまぁ誰かへの敵対心、あるいはですね、あいつには勝たなきゃ。こうしたライバル心もすごく切磋琢磨していいこともあります。ただ、ものすごくそれだけが特化されてしまうと、すごい薄いことになりますよね。そして評価というものがあります。『みんなからいい評価をもらっていればOKじゃん』っていう考え方もあるかもしれません。でも、評価を取りながら、それは本当に自分がやりたいことをやって評価が取れているのか、やりたくもないことをやって評価を取るために生きていくのかっていうことになれば、その人はもうブラック企業に入ればひたすら摩耗して、精神を病んでいくということになります。
お金にせよ成績にしても評価にしても本当に使いようで、そこにはこう、人間の豊かな意味、奥深さというものにつながるお金であったり、成績であったり、あるいは評価であったりということが、必要なんです。お金にかんしてはもうその人がどういうふうに使うのかっていう意味を疎外して『あなた年収いくらですか』って(聞くような人もいて、そのように質問されたらわれわれは)、ちょっとでも高いほうがいいって思っちゃいますよね?そうした私たちから生きる意味の豊かさを奪うというようなことに対しての憤り、怒りというものが同時に(私を)支えてきたんじゃないかなぁということになります。
こうなってくると、まぁどんどん(疎外要因を)排除すればいいんじゃないかっていうふうにちゃんとなってくると思うんですけど、私の場合そこが屈折していて、なにかそれでもね、お金に乗っ取られたりだとか評価に乗っ取られてしまったりだとか、あるいはこの親を乗り越えなきゃという葛藤みたいな…。
そういうのはないほうがいいです。葛藤はないほうがいいです。とらわれがないほうがいいでしょ?『それを除去していきゃいいじゃん』って思われるかもしれませんが、私の場合はもう一発屈折していて、いや、でも一発とらわれて、そのとらわれた自分に気づくってところに成長があるんじゃないか。だって誰だって何かにとらわれるから…。
だから、それを最初から除去するっていうのがいいんじゃなくて、やっぱりどうしても生きてれば、何かにとらわれてしまう。でもとらわれてしまったときに、とらわれてしまった自分に気づくことによって、次なる人生のステージが拓かれていくんじゃないか。だから意外とこういうことを言ってる割には、とらわれることが好きな人間でとらわれまくっているんです、人生が(笑)。なかには『僕は人生で一回も失敗したくないです!』という学生さんがいらっしゃるんです。
『東工大入ったのは勝利なんで、一生無敗のまま終わりたいです』
『あなたね、相撲でも十五番あるんだから、それじゃ土俵に上がらないってことでしょ。土俵に上がれば投げ飛ばされることもあるし、突っ込んでいったらはたき込みで転ぶこともあるから、まずは土俵にあがって自分の相撲を取らなきゃ!』
こうなってくると自己成長ってどこにあるのかな。だから失敗のススメ、挫折のススメ。私の(著書である)『生きる意味』の中には『苦悩が成長させる』ってこともありますけど。とらわれたら人生薄くなり、でも、人間はとらわれる動物なので、とらわれてみてそこで考えてみる、そこで苦しくなって挫折して考える。まぁこうなんじゃないかなという風に思った次第です。ここまで言っちゃったら、あとは寝ていただいても(笑)。今日は割と結論から入ってます」
ゼミが終わってからが本番? 朝まで飲んで大いに語るのが『上田研究室』
最終講義には「卒業生セッション」として、上田研究室の卒業生4人が参加し、「上田先生とかかわった私たちは何を学び、いかに生きているか」をテーマに、上田先生とのセッションを行いました。
在籍時期はそれぞれ異なるものの、ゼミの思い出として一致したのは、ゼミ後に朝まで飲む夜の会での醍醐味について。「ゼミ中の上田先生はスイッチ“オフ“だから夜の会こそが本番だった」(笑)と、懐かしくそれぞれの「上田研」の思い出を語りました。
「(ゼミのワークショップでバリ島の男声合唱の)『ケチャ』をやったのがすごく印象に残っている」「学生の人生に、“そこまで突っ込むのか”というぐらい本気で意見してくれた」など、上田研で過ごした濃い時間をそれぞれ振り返り、「(上田研には)人生に課題を抱えた人たちが自然と集まり、ゼミに在籍する過程で人間的な成長を遂げて巣立っていく」と振り返りました。
また、上田先生が日本仏教の再生に向けて取り組んだ、若手僧侶のディスカッションの場である「ボーズ・ビー・アンビシャス」についても紹介され、メンバーの一人からビデオレターが寄せられました。
東工大での教養教育の必要性についてずっと考えていた上田先生は、2012年に前身の「リベラルアーツセンター」の所長に就任。当時の東工大生が“理系の大学で文系の授業は単位を取るだけの存在”という感じが強まり、最適値を導き出し高い点数を取ることに関心がある学生に危機感を覚えた先生は、大学改革に伴って充実した教養教育を教える組織づくりに取り組みます。
最後に上田先生は「『リベラル=人間を自由にする』『アーツ=技』、つまり人間が自由になっていく技がリベラルアーツです。ひとりひとりが自分のカラフルな“志”を持ち、切磋琢磨していく。日本の社会が同調圧力でひとつのものに染め上げていく傾向が強いが、リベラルアーツだけでなく私が理想とする社会の姿は、ひとりひとりが自由でありながら、お互いに刺激を与えあって良きものに変わっていくというものです」と、改めてリベラルアーツの由来について説明し「その過程で挫折しても失敗してもその都度、立て直していく力が大切になってくるでしょう」と述べました。
「仏教思想家であります鈴木大拙、昭和で一番有名な仏教思想家で英語がペラペラ、奥さんがアメリカ人ということもあって、アメリカとかでの講演は大変な人気を博した鈴木大拙さん。文化勲章受章者でもありますけれども、鈴木大拙の言葉を私は後生にしています。その中で、自由について鈴木大拙が語っている文章を読んでそろそろ終わりにしたいと思います。
自由の本質とは何か、これをきわめて卑近な例でいえば、松は竹にならず、竹は松にならずに、各自にその位に住すること、これを松や竹の自由というのである。
これを必然性だといい、そうならなくてはならぬのだというのが、普通の人々および科学者などの考え方だろうが、これは、物の有限性、あるいはこれをいわゆる客観的などという観点から見て、そういうので、その物自体、すなわちその本性なるものから観ると、その自由性で自主的にそうなるので、何も他から牽制を受けることはないのである。
これを天上天下唯我独尊ともいうが、松は松として、竹は竹として、山は山として、河は河として、その拘束のなきところを、自分が主人となって、働くのであるから、これが自由である。必然とか必至とか、そうなければならぬというが、他から見ての話で、その物自体には当てはまらぬのである。
(鈴木大拙『自由・空・只今』より)
まあ昭和の文体なのでちょっと難しいところがありますけれど、言っていることはものすごくシンプルだと思います。松は松として生きる、竹は竹として生きる、あなたの中には松がある、その松を自由自在に松として生きるということがあなたの自由なんだ。
世の中の自由の考え方は違います。松として生きている人に『あなたは竹にもなれへんな、梅にもなれへんな、山にもなれないし、河にもなれないなぁ』で、こういうことができないじゃないかと指摘して、『お前は不自由な奴だなぁ、松にしかなれなくて』というのが今の自由という考え方かもしれません。
しかしながら、その前に、あなたが松であるんだったらもう松を自由奔放に育てて『松になれよ~』っていうことへの力づけとか、そのことで『俺は松でいくから、お前、竹でいけよ。(それぞれが)違っていていいじゃないか』。松は松で100点満点。竹は竹で100点満点。山は山で100点満点。誰が松に向かって、『お前は竹じゃないから95点だな』とか、そんなこと言いますか?
『お前は山であって河にはなれないから50点だな』。そういうものでなくて、とにかく松になる、竹になる。そのことにこそ自由があるんだという、そのことを私は東工大で伝えてきたのかなぁという感じもしています。
そしてまぁ、ここにお集まりのみなさん、きょう初めて東工大にいらっしゃった方もいるかもしれません。しかしながら、きょう、こうやってここでお会いできたことがですね、もしかしたら、30年後のどこかで思い出したり、あるいは私の指導した学生の諸君も私が亡くなってからどこかで思い出すことがあります……かどうか期待したいものですね(笑)。そういうご縁は続いていきます。本日は私の最終講義&セッションにお集まりいただき本当にありがとうございました。
みなさんの中の松は松、竹は竹がどんどん育っていってですね、そして人生はまだ続いてきますので、ここで私が死ぬわけではないので、今後の楽しい人生を、苦しいこともあるかもしれませんけども、このご縁でご一緒に生きていければというふうに考えております。今日は本当にありがとうございました」
上田紀行先生、長い間ありがとうござました!
最強の仲間たちと、学ぶ「場」を作る!
最終講義後、上田先生と一緒に東工大のリベラルアーツ教育の組織・カリキュラム作りを担ってきた伊藤亜紗教授と池上彰特命教授が登壇し、リベラルアーツ研究教育院の設立当初の話を披露しました。
池上先生は大学教員として初めて東工大に着任した当時や、上田先生と行った海外視察を振り返り「マサチューセッツ工科大学やハーバード大学などを視察する中で、リベラルアーツとは何かを定義するところから始め、視察で得たエッセンスを東工大に実装すべく馬力を発揮した。最初は何もなかったところから見事に創り出した先生の馬力は素晴らしい」と語りました。
伊藤先生は「多様な研究者をまとめるのは大変だが、本当に楽しそうに指揮をされていた。そのチャーミングな動きの中に、先生が大事にされている自由さが入っていました」。そして「先生は『東工大のキャンパスを“劇場”にしたい』とおっしゃり、学生が授業でないところでも議論したりできるような、科目ではなく“場”としてのリベラルアーツを目指していた。みんなの潜在的な力を引き出していく“場”を作ることをずっとされてきた先生が、全体を指揮して暖かく見守っていることを私はずっと感じていた」と上田先生を名指揮者に例えました。