リベラルアーツ研究教育院 News
【政治学】中島 岳志 教授
私は「政治学」を教えています。
ただし、「政治学A」では、いわゆる政治概論を教える前に、私の問題意識をちゃんと伝えたいので、アニメーションの『新世紀エヴァンゲリオン』など学生たちが実際に見たことのあるコンテンツを題材にしながら、ナショナリズムと現代社会、現代の生きづらさと政治の関係、政治は何をやってはならないのか、といったことをいっしょに考えていきます。10代終わりの青春時代は、誰もが自分がいったい何者なのか、自らの実存問題にモヤモヤとした不安を抱いています。そのモヤモヤにあえて「政治とは何か」という命題をぶつけて考えさせる。そんな授業を実施しています。
「政治学B」では、政治学の基礎的な話に加えて、日本で今起きているリアルな政治について考えさせます。その際に、国内の政治の枠組みだけではなく、アジア全体の視点を必ず入れるようにします。たとえば、マハトマ・ガンディーについて。1946年インドのカルカッタを中心に起きた大暴動は、ガンディーが断食をして死にかかることで、止みました。一般の政治学の教科書には、平和実現のために、世界的な機関である国連が介入して云々というプロセスが書いてあったりします。平和実現のために指導者がご飯を食べないで死にかかる、とは書いてありません。
でも、インドでは指導者ガンディーが死を賭した断食を行ったことで、平和が訪れました。西洋政治学では捉えられない人間の内発性の問題、「俺がガンディーを殺すかもしれない」と思う、人の中から湧き上がってくる一種宗教的な何かが、インドで暴動を止め平和を構築したわけです。
このときにインドの人々の内面で起きた変化は、インドの一瞬の奇跡ではなく、おそらく人類の普遍的な何かだろう、と思います。そんな観点から、政治学のオーソドックスな説明に加え、現実の政治や社会を動かす、違う余地のようなものについて、学生たちに根源的に考えさせていきます。
「政治学C」では、戦前の日本で、当時の悩める青年がいかに超国家主義にのめりこんでいくのかを、生の文章を読むことで学生たちに味わってもらいます。戦前の超国家主義は、ついつい戦後民主主義の観点で批評されがちですが、あえてそのアプローチをとりません。現代の学生にとって、戦前の同世代の青年は、自分と異なる他者です。だからこそ、当時の彼らの生の声に触れ、内在的なところから理解をすすめ、そのうえで彼らがなぜ超国家主義に走ったのかを考えてもらう。自分自身の身をその時代に置いて歴史的な観点で対話しなければ見えてこないものがある。それを学生たちに伝えています。
私がこの大学で求められているのは、教科書通りの政治学を学生に教えることではない、と思っています。東工大生たちが無意識のうちに封印しているもの、理屈で説明できないものを突き付ける。そして東工大生の常識を揺さぶる。私の授業の本番は、むしろ教室の外にあったりします。学生には、「授業中に何かひっかかることがあったら、そのまま本屋に行って自分で調べてきなさい」と常に話しています。授業で疑問に思ったことがある瞬間は、問題意識が高揚しているはず。そんなときに出会った本の内容は、ものすごく頭に入る。私が授業で教えたこと暗記する必要はまったくない。むしろ触発されて、自分で考え、自分で動き出すきっかけとなってほしい。
東工大では3年生になると1万字前後の「教養卒論」を必ず書かなければなりません。教養卒論の授業では、問題意識を持たせることを一番大切にしています。大学生は、書籍や他者と出会うことが大切だ、とよく言われます。でも、いちばん一番大切なのは自分と出会うことです。自分にとって、何が問題なのか。人生の大切なものはなんなのか。その2つに出会うチャンスが少しでも得られるよう、私自身が卒業論文を書いたときに感じた、自分にしか書けないことを書く面白さや快感を、学生たちに伝えています。
大学院生の指導でも、それぞれの学生が何を問題として何を面白いと思っているか、それを引き出してあげることが大切だと認識しています。もちろん「研究をすすめたり論文を書くにあたって先行研究は必ず読むこと」といった研究の基本ルールは教えますが、それ以外は研究も論文も個々人の作品なのだから、細かく手を突っ込んだりはしません。
私自身は、人間の精神性と政治の関係性に一番の関心があります。具体的なテーマは大きく3つ。今の日本、戦前の日本、インドをはじめとする世界的な現状。これが研究の柱になっています。
1995年1月17日、20歳のときに阪神淡路大震災を経験したことが大きなきっかけです。焼け野原の戦後からコンクリートを積み重ねて経済発展をし、そのパイを拡大し続けてきた日本でしたが、その発展は、バブルの崩壊で終わりました。そして、経済成長のシンボルだったコンクリート建造物は地震一つで崩れてしまうものだった。象徴的にも実質的にも戦後50年間続いてきた日本の形式が崩壊しつつある、と思ってしまったのです。
翻って、私たちには物質的ではない精神的な柱があるのだろうか、と考えるようになりました。そこで必然的に、宗教に対して思考を巡らせることになったのですが、そんな矢先の95年3月20日、オウム真理教の地下鉄サリン事件が起きました。メディアは一斉に「宗教は危ない」というキャンペーンを張りました。地下鉄サリン事件を犯したオウム真理教信者の多くは、当時20代から30代前半の若い層でした。このため「なぜ若者は新興宗教にハマるのか」という記事がメディアにいくつも載りました。
でも、事件直前の阪神・淡路大震災で、がれきの中で家族の位牌を探している人を見かけたり、震災で亡くなった妻とつながろうと凧をあげている男性と出会ったりした私は、安直に「宗教なんか」と切り捨てることはとてもできませんでした。もちろんオウム真理教は排他的でその行いは犯罪でした。どちらも宗教というのならば、宗教や信仰とは私たちにとってなんなのか? バブル経済が崩壊し、就職氷河期に突入したポストバブル世代である私は、人生の羅針盤が見えなかった。ならば、いっそ宗教や信仰について真剣に考えてみよう。現在の研究者の道はここから始まった気がします。
もう一つが、同じ戦後50年の1995年、自社さ連立政権の村山富市内閣から8月に出されたいわゆる「村山談話」でした。村山首相が先の大戦に対して公式に反省と謝罪を出したとたん、同じ連立を組んでいる自民党の中から異論が出て、ここから歴史認識問題を基軸としたナショナリズムの問題が噴出したのです。
1975年生まれの私は、後に「ロスジェネ」と呼ばれる世代に属しています。団塊ジュニアで同じ学年の人数が多く、いい学校に行けばいい会社に入れて老後も安泰だと言われ、だから塾で勉強しろと言われました。ところが、そう言われて大学に入った瞬間、バブルが崩壊し、不景気がやってきて、就職難民になるわけです。
社会学者の宮台真司さんから「まったり世代」と言われ、意味なんか問わずにその時々の楽しさだけで充足できる後期近代に適応した世代であると称賛されたりもしました。しかし、「まったり世代」であるはずの私は、そういう時代はとっくに終わったという感覚を持っていました。楽しさという「強度」の追求ではなく、さまざまな「意味」について考えなければいけない、と思っていました。私にとっては、宗教とナショナリズムという日本全体を直撃した問題の意味と私自身との関係を考えることだったのです。
以来、私の研究テーマは根本的には変わっていません。私が研究する政治学は、ナショナリズムや宗教と政治、そのメカニズムなどを通して考える「現代日本とそこに生きる私」が大きなテーマです。
今の日本を学問として相対化するには比較対象が必要と思い、時空間をずらして、その対象を探しました。それが戦前日本の右翼研究です。もう一つは空間をずらしてインドに行きました。インドは90年代に排他的なヒンドゥー原理主義が蔓延しました。イスラーム原理主義もそうですが、同時代のグローバルな世界で、なぜ宗教ナショナリズムが起きるのかという共時的な問題。この2つの視点で今の日本を挟み撃ちして考えてみようと思ったのです。
私の場合、研究対象に向き合うとき、たとえその対象が超国家主義のテロリストであろうと悪い奴だと突き放して書くつもりはありません。そもそも、自分の歴史観に当てはめて枠をつくっていく見方が好きではないのです。自分自身もスレスレだという意識があり、生の対象を見て、論壇の左右では見えなくなる部分に道筋をつけ、内在的な批評を行い、自分のあり方を問う形で、文章にしていきたいと思っています。
私は、一回一回の授業を、講演会だと思ってやっています。そもそも私は教員免許を持っていません。それでもなぜ教育を行っているのか。それは私が研究者だからでしょう。あるジャンルの専門家であり研究者だと認定されているが故に、研究内容を学生に伝えることができる。それが大学教育の根拠です。ただし相手は選挙権を持つ立派な成人です。主権者としては私とはフラットな関係でもある。だから、私は何かを教えるというのではなく、問いを投げかけるというスタイルをとっています。
私が授業で伝えることができるのは「答え」ではありません。先人たちが特例の事象についてどのように考えてきたか、歴史ではどのような政治過程が見られたのかについては教えますが、その先の「答え」を私は所有していません。もし「正しい政治」についての「答え」を知っているのだったら、私は政治家になるべきでしょう。
しかし、残念ながら私だけでなく、人類も「絶対的に正しい政治」には到達しておらず、今後もそのような見通しはありません。大切なのは、先人や歴史に学び、問いを持つことです。私の授業の目的は、学生たちに刺激を与え、潜在的な問いを掘り起し、「もっと知りたい」という知的欲求を起こさせることに集約されます。学生たちが後々社会に出て何か問題に出会ったときに、「あのとき中島先生があんなことを言っていたなあ。そうだ、先生の本でも買ってみるか」と思い出してもらえるような何かを授業で伝えたいですね。
では、若い人たちに、どうやったら伝えることができるか。若いときはまだ本質的な問題に出会っていない。だから、そもそも何が問題かもわからない。私ができることは、まず、私自身がこれが問題だと思うことを全力で言い続けることです。学生たちの記憶の片隅に残るようにすることです。そして、いつか彼らが何かの問題にぶつかったとき、引き出せるようなインデックスを作ってあげることです。
学生たちには「わかることを大切にするな」とも話しています。今わかることは、今のあなたがわかる程度の話。いまの自分にはわからない、と思うことこそ心にとどめておいて追い続けてほしい。そちらのほうが重要です。今の能力では理解の及ばないもの、自分の常識とは違う、わからない世界に触れ、考え続けることではじめて道が拓けることがある。学生たちにはわからないことに出会うことを恐れないでほしい、それを大切にしてほしいですね。
東工大は昔から、永井陽之助や鶴見俊輔、江藤淳など、学会の主流にならなかった、ひとりで勝手にやっている人たちが自由闊達に学問をする場所だ、というイメージがあります。私もその1人として任命されたと勝手に思っています。理工系の大学だからこそ、むしろ文系の私が自由に研究し、発信し、教育できる。東工大のリベラルアーツ研究教育院は、そんな懐の深い場でもあります。
研究分野 政治学
1975年大阪府生まれ。大阪外国語大学卒業。京都大学大学院博士課程修了。京都大学人文科学研究所研修員、ハーバード大学南アジア研究所客員研究員、北海道大学公共政策大学院准教授を歴任。2005年著書『中村屋のボース インド独立運動と近代日本のアジア主義』で大佛次郎論壇賞、アジア・太平洋賞受賞。他の著書に、『ナショナリズと宗教』、『保守と立憲 世界によって私が変えられないために』、『自民党 価値とリスクのマトリクス』など多数。