リベラルアーツ研究教育院 News
【技術史】ヤクブ・ベクタス 講師
私の専門は技術史と哲学です。
哲学、文学、美術など人文系の学問が、科学・技術とどのように関係し合えるのかを、長年研究し続けています。
テクノロジーすなわち技術を文系の領域に結びつけて考えることは、概念的、抽象的な思考訓練となります。はっきりと数値化できるものではないので、まだ人生経験の浅い学生には難しいことでしょう。だからこそ、その学びが学生時代に重要となるのです。講義では東工大の学生が興味を持ちやすいように、テーマや内容に工夫を凝らしています。
私の受け持つ講義の一つに、「技術はどんな怪物を創造するのか?フランケンシュタインからゴジラへ」と題したものがあります。
19世紀イギリスの作家、メアリー・シェリーによって書かれた小説『フランケンシュタイン』から始まり、マーローの『フォースタス博士』、ゲーテの『ファウスト』、スティーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』を経て、ウェルズの邪悪な『モロー博士の島』に上陸。1954年の映画『ゴジラ』でゴジラが東京を攻撃するのを見て、さらに絶滅した恐竜が生き返る『ジュラッシク・パーク』までを俯瞰します。
みなさんは、これらの作品のうち、どれかを読んだり見たりしたことはあるでしょうか。現代の学生も『ゴジラ』なら馴染みがあるかと思います。
といっても、講義の主題は作品鑑賞ではありません。大切なのは、科学・技術の予期しない結果、および技術の不確実で潜在的な危険性について、批判的に思考することです。
それぞれの作品には、科学の進歩によって生み出された「怪物」が登場し、人間社会を攪乱します。怪物とは、人間が生み出したものの、人間の制御を超え、脅威となる技術のメタファーにほかなりません。ゴジラは核実験の失敗から誕生した怪物でしたが、物語の背景には、まさに1954年に社会問題となっていた、アメリカによるビキニ環礁での核実験がありました。
講義の最後に学生は、それぞれが関心のある科学的・技術的な課題について、自分なりの怪物物語を書くことも可能です。DDT(有機塩素系殺虫剤)、原子力、クローン、遺伝子組み換え……科学・技術は時に、大きな災いや破滅、恐怖を人類にもたらします。その負の側面を「物語」を通して理解することで、「技術はすべて善か?」「技術は常により良い世界や生活の創造を助けるのか?」という問いに、学生は深く向き合うことになります。そこから、技術の二面性を認識し、概念的思考の重要性に気付くようになるのです。
私はアンカラ大学で哲学、心理学、社会学を専攻し、その後、奨学金を得て英国のケント大学大学院に進みました。博士号取得の後は、アメリカのスミソニアン博物館とデューク大学で研究を続けました。スミソニアンは美術館・博物館群で有名ですが、研究施設としても世界から名だたる研究者たちが集まっています。
アメリカでの研究は刺激的でしたが、9.11の悲劇=2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件が起きた後に、アメリカの文化的風土がすっかり変わってしまったことを痛感しました。そこで新たな研究の場として、私は日本に新境地を求めたのです。
当初は短期間の予定で、ひたすらに「鉄道」の旅を続けました。鉄道はまさしく産業革命による技術的な大発明です。その鉄道が、文学など人文分野にどのような影響を及ぼしたかについての研究も、私のテーマの一つです。日本各地を回る中で、私は「ふるさと」という感覚がこの国にあることを知りました。
この体験は、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』への興味にもつながりました。当時、東工大にはベトナム戦争に反発して、祖国アメリカを離れたロジャー・パルバース先生が教鞭を執られていました。パルバース先生は日本文学について研究と執筆を行っており、宮沢賢治の散文を崇拝していました。
彼は『銀河鉄道の夜』の初期の翻訳者の一人だと聞いています。リベラルアーツ研究教育院が設立される、はるか以前のことですが、2009年ごろからボランティア・グループが東工大の留学生に日本語を教え始めました。そのメンバーの和泉田澪さん (朝日新聞OB)と出会い、宮沢賢治の作品を読み始めました。いろいろな作品を読みながら、彼の作品にハマっていったのです。
賢治の魅力を言うなら、繊細な叙述、独特の自然観、哀しみ(メランコリー)と悲しみ(サッドネス)になります。私のふるさとはトルコの大都市ではなく、ユーフラティス川が生まれたやまぞいの小さな村です。人々が自然とともに暮らすカントリーサイドで育ったことで、賢治の世界に内在する自然観に共感を持ったのかもしれません。
賢治は農学を学び、土壌学に詳しく、鉱物を愛した「理系青年」でしたが、一方で科学至上主義には懐疑的でした。そこから彼ならではの理想主義への傾倒、法華信仰が深まっていったのです。その点で、英国ヴィクトリア朝時代の社会思想家、ジョン・ラスキンとも共通性があります。
賢治は宗教的人物であるという分析もありますが、私はその核心を「自然」への畏敬の念と、とらえています。賢治にとっては「美」が批評の起点であり、その批評を裏付けるものが自然だったのです。その意味でまさしく、「センス・オブ・ワンダー」を提唱した先駆者といえます。
ちなみに『センス・オブ・ワンダー』は、アメリカ人作家、レイチェル・カーソンによる有名な著作です。1960年代に環境問題をいち早く告発した本書は、科学と人間との関係を考えるための古典です。
東工大で教えていて実感するのは、学生が非常に優秀なことです。比較することに大きな意味はありませんが、アメリカの名門、デューク大学の学生ともひけを取りません。
リベラルアーツ研究教育院が設立されてから、より探究心の強い学生が増えたとも思います。東工大にはGSEPという独自の留学生受け入れプログラムがありますが、GSEPのおかげで、マレーシア、タイ、ベトナムなどアジアを中心に、世界から意欲のある留学生が学びに来るようになりました。
GSEP以前には学部生向けの英語の講座がなかったので、とりわけ語学的な涵養は顕著です。日本人学生、留学生の別なく、それぞれに大勢の前で自分の考えを述べるための、言語スキルが上達したように思います。学生のスキル上達も、教員の務めですので、うれしいことです。
大学という高等教育機関では、スキルと同時に、文化的素養を磨くことも大切です。私は「ミュージアムから学ぶ科学、技術、文化コミュニケーション」という講義も英語で開講しています。平たく言うと、学生たちがミュージアムや寺社に行って、美術館、博物館、寺社という「文化の翻訳者」に触れることで、その重要性を知ることが目的です。
授業では学生が行きたいミュージアムを自由に選びます。上野の「国立科学博物館」、竹橋の「科学技術館」といったメジャーなミュージアムから、東工大の学内にある「東京工業大学博物館」、大学の近くに立地する「松岡美術館」、その他さまざまなミュージアムに学生は出かけます。
留学生に人気のあるミュージアムの一つが横浜にある「カップヌードルミュージアム」です。カップヌードルは日本の偉大な発明です。どこでインスタント麺のイノベーションが起こったのか、その背景にあった技術は何だったのかと、まさに科学・技術史からアプローチできます。
ミュージアムを講義に取り入れるアイデアは、スミソニアン博物館で研究者を務めていた時に私の学んだものです。アメリカでは学生、研究者たちがよく展覧会に行き、自分が観てきたものについて意見を活発に交わしていました。ミュージアムはディスカッションに適したテーマの宝庫です。でも、そんな理屈の前に、ミュージアムそれ自体が好きになること。それが何よりです。
東工大は科学史・技術史の優れた先生を輩出している大学です。かつて科学史の先達である木本忠昭先生、山崎正勝先生、藁谷敏晴先生、梶雅範先生がいらっしゃいました。いまも、リベラルアーツ研究教育院には、調麻佐志先生、中島秀人先生がいらっしゃいます。研究室の本棚には「山崎文庫」という文字が残っているのですが、山崎俊雄先生が以前にお使いになっていたものです。
現代のテクノロジーはDNAを操作するまでになっています。フランケンシュタインやモロー博士の話が、小説の中だけではなくなっているわけです。倫理と科学・技術の関係性を正しくとらえ、自分たちの研究に反映させることは、東工大の学生にとって、ごく身近な課題です。
その課題を考える時に、リベラルアーツの素養は欠くことができません。目の前の現実だけでなく、抽象的な思考に慣れる。そして、優れた文学や美術を学ぶ。それらのことは、あなたに知的な優秀性だけでなく、自由をもたらします。自由は真にイノベーティブでクリエイティブな探究に、欠かせないものです。
そして学生には、「何が自然であるか」についても敏感になってもらいたい。倫理と良識を身に付けた人だけが、技術を人類にとって、よりよいものに磨いていくことができるのです。
研究分野 技術史
トルコ生まれ。アンカラ大学で哲学、心理学、社会学を専攻し、1987年に卒業した後ケント大学(英国)にて歴史哲学と科学との関連について修士号、博士号を取得。スミソニアン協会(米国)での研究活動とデューク大学(米国)講師を経て2024年より現職。
更新日 2024年7月30日 役職を変更しました。