リベラルアーツ研究教育院 News

劉岸偉教授 最終講義を実施

外国語で書くことの意味を考える ― マッテオ・リッチ神父、夏目漱石、新渡戸稲造、林語堂について

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2023.03.24

劉岸偉教授

リベラルアーツ研究教育院で日中比較文学・文化史、および中国語を担当した、劉岸偉(りゅう がんい)教授が、2023年3月末で東京工業大学を定年退職するにあたり、2023年3月8日に最終講義を行いました。

劉先生は1957年北京生まれ。北京大学大学院(東方言語文学科)を経て1982年に来日し、東京大学大学院で比較文学を修めたあと、1998年から東工大で25年間にわたり教鞭をとってきました。リベラルアーツ研究教育院の前身に当たる組織から中国語講座の立ち上げに関わるなど、東工大の外国語教育ならびに、比較文化史の授業を担当し、東工大の教養教育に貢献してきました。

最終授業は「外国語で書くことの意味を考える ―マッテオ・リッチ神父、夏目漱石、新渡戸稲造、林語堂について」と題し、母国語以外の言葉で創作活動を行った歴史上の人物を取り上げ、「母語の外に出る」という自覚を持ち、外国語で書く行為を行った文人・作家らの活動の技術的、文化的な要素、心理的な要素を分析。「外国語教育のあり方を考えるにあたって、ひとつの問題提起をやりたい」と、長年外国語教育に携わってきた自らの最終講義の目的について語りました。

中国語へのアプローチ。漢文で本を執筆したヨーロッパの宣教師と、明治を代表する知識人の夏目漱石

劉岸偉教授1

講義の最初に取り上げたのは、イエズス会の宣教師として16世紀に中国で布教活動を行ったマッテオ・リッチ神父。20世紀初頭まで数百年間にわたり、文語体と口語体とで異なる二重言語であったころの中国語を苦労の末に習得し、西洋人として初めて漢文の本を執筆したことで知られています。劉先生は「当時の政府の上層部に信頼され、中国内でのスムーズな布教活動に役立てる戦略としての中国語の習得はまったく正しかった」とし、リッチ神父の果たした数々の功績についての興味深いエピソードを紹介しました。

次に夏目漱石や正岡子規ら明治時代の知識人について触れ、特に漱石が英語に加えて漢文にも天賦の才があったことを紹介。江戸時代の名残を残す明治初頭に初等教育を受けた同世代の知識人の中でもかなり見事な体裁の漢文を書き、独特の味があると賞賛しました。その理由として、漱石が唐代や宋代の名文の数々を暗唱していたことに注目し、外国語習得法としてこういった名文をまる暗記することについては、かつては批判された手法であるものの、文章のリズム感を習得し上達するために、現在も大いに役立つのではないかと述べました。


温厚真摯な人柄や、示唆に富む講義の内容に魅了された聴講する皆さん

聴講する皆さんは、劉先生の温厚真摯な人柄や、示唆に富む講義の内容に魅了されました

英語で執筆することで、母国の文化と自らのアイデンティティを再発見した、新渡戸稲造と林語堂

劉岸偉教授2

続いて取り上げたのは、著書の大半を英語で執筆した東洋人の二人、国際的知識人である新渡戸稲造と、中国近代の作家林語堂(りん ごどう)。二人とも共通して幼少期から徹底した英語教育を受け、アメリカとドイツにも留学経験があるが、そのため母国の文化については「深い知識を得られなかったのではないかと考えられています」。そして劉先生はこの二人について、英語の技術的な優劣をつけるのではなく、心理的な側面からの考察を試みました。

「それぞれの母語で書いた書物を読むと、何かしらの“浅さ”を感じる。例えば新渡戸の文章は、漱石や鴎外の文章と比較した場合、その感がぬぐえない」とし、著名な「武士道」についても、武家出身の新渡戸が受けた幼少期の道徳の薫陶を「武士道」と名づけているだけで、本当の意味での武士論としては不十分であると述べました。しかしながら、新渡戸が「日本人としての自覚」を持って執筆されたものであることは文章から非常によく伝わってくるとし、英語で自国の文化を紹介する中で、新渡戸は武士道を再発見したと語りました。

一方、林も英語と中国語では執筆姿勢がまったく異なっているとし、西洋社会に対して中国文化、中国人を伝えるべく、強烈に中国人としての立場で書いている英語の場合と、読者が対中国人の場合とでは大きな違いがあり、中国語での執筆は「中国文化の闇の部分にメスを入れて、鋭い文明批判の毒舌の面を見せている」と紹介しました。そして、ふたりとも東洋と西洋の理解を促す「interpreter(通訳・解釈者)」としての役割を担っていることを自覚しながら、自らのアイデンティティを求め、日本人とは中国人とは何かを証明しようとしている。そして、それらは単なる母国に対する愛情だけではないのだとの見解を述べました。

しかしながら、こういった古い世代が持つ心の葛藤は、現代ではもう少し異なるものに変ってきているのではないか? そう考える劉先生は、ドイツ語と日本語で創作する作家の多和田葉子のコメント「ドイツ語と日本語の間に詩的な“峡谷”を見つけて落ちていきたい」を例に、「二つの言語のはざま」そのものが大切であるという感覚が、日本語と中国語で執筆する自らの心情に近いとし、「僕が日本語で出した著書について、日本を研究するこれからの若い世代の中国人が読んでくれることを切に希望している」と語りました。

シュテファン・ツヴァイクの「昨日の世界」に寄せて

劉岸偉教授3

最後に劉先生は、世紀末ウィーンの優れた文化的環境の影響を強く受けたユダヤ系オーストリア人の小説家、シュテファン・ツヴァイクの「昨日の世界」を紹介しました。ヨーロッパを席巻したナチスドイツ政権時代という展望のない状況下において、失われたヨーロッパ文明への賛歌として執筆された回顧録に非常に感銘を受けたとし、「この物語は東工大の教壇を去る自分の心境を代弁しているように思える。東工大での25年は、すべて『昨日の世界』のように懐かしく思い出されるでしょう」と語り、講義を締めくくりました。


先生たち

リベラルアーツ研究教育院の外国語セクションの同僚の先生方から、最終講義への質問や、劉先生へのねぎらいの言葉が述べられました

先生たち1

劉岸偉先生、長い間本当にありがとうございました


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