リベラルアーツ研究教育院 News
【科学技術社会論】調 麻佐志 教授
リベラルアーツ研究教育院で、私は「科学技術社会論」を教えています。
科学技術社会論とは何か?
科学技術が社会との関わりの中で引き起こしてしまう問題や、逆に社会が科学技術に与える影響などについて考える研究分野です。「科学技術社会論A」は1年生向けで、科学とは何か、という問題についてのこれまでの考え方の変遷を教えたうえで、論文の役割や書き方、ついで研究姿勢・倫理について話をして、最後に科学技術社会論の現実的な問題を取り上げます。「同B」は2年生向けでより幅広い事例を深く分析します。水俣病やイタイイタイ病、薬害エイズ訴訟、Winny事件、低量被ばく問題などをテーマに講義を行っています。「同C」は3・4年生向けで、こちらではクリティカルシンキングの手法を取り入れながら科学技術社会論の具体的な問題についてグループで考えるいわゆるグループワーク型の授業を行っています。
「科学技術社会論」は科学と社会の交わりを考える学問ですが、ここでポイントとなるのが「法律」です。私たちが「科学技術社会論」の教科書を作ったときも、科学と法律の問題が結果的にクローズアップされました。たとえば、「公衆被ばくの線量限度」という概念があります。これはICRP(国際放射線防護委員会)の勧告がもとになっていて、現在は一般公衆で1mSv/年、職業人100mSv/5年かつ50mSv/年とされ、日本もそれに準じていると言われたりします。
しかし、日本には職業上の被ばくに関する法律はあっても、公衆被ばくの線量限度という概念は法体系に取り込まれていません。そのため、2011年の東日本大震災に伴う東京電力福島原子力発電事故のような巨大事故が起きて、住民の年間被ばく線量が1mSvを超えても、電力会社を訴えるのに使えるような明確な基準は存在しません。しかも、避難指示の基準もそれまで法律がなかったこともあって、ICRP勧告の内容をいとも簡単に曲解する形で20mSv/年とされてしまいました。現実社会、とりわけ科学が政治のアジェンダとなることがほぼない日本社会において、科学が関連する問題であっても市民の権利を守る砦は法律なのです。そこで、私の授業では、この20mSv/年の避難指示の基準を実質的に追認することとなった内閣官房の「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」の報告書などをもとに、科学と安全、科学と行政の関係を議論していくわけです。
私の授業で学生たちにぜひ教えたいと思っていることは、「科学の不確実性とどう向き合うか」という課題です。例えば、現在は低い値でも少しずつ証拠も出始めていますが、従来放射線の人体への影響は100mSv以下では小さすぎて疫学的には検知できないとされていました。そこで、低線量被ばくでの「がんリスク」を評価するときには、LNT(Linear Non-Threshold:しきい値無し直線)というモデルを通常は用います。ある程度以下の低線量の放射線の人体への影響の有無を科学的に証明することはできません。疫学的にリスクが見つからなくても「人体にまったく影響がない」という証があるわけでもないのです。このように確実に証明できない事柄に対して恣意的な評価を断言するのは、科学者がすべきことではありません。科学的知見が、社会的なあるいは政治的な判断の根拠となる局面ではなおさらです。
では、いったい科学者はどう行動すれば良いのでしょうか? 学生たちに問いかけ続けています。東工大の卒業生の多くは、科学や技術の先端分野に進み、将来は科学や技術を生み出し、取り扱う責任を負う者となります。だからこそ、科学と社会の交わりについて、学生時代から見識を広めてほしい。そう思っています。
私の主な専門は「科学計量学」です。科学研究を、論文データベースや電子メディア、研究者数、研究費などの幅広いデータを用いて数字で分析する。つまり「科学を科学する」学問分野です。といっても、本格的に研究を始めたのは大学院を出てからで、学部時代は数学を学び、院では社会心理学や認知科学、経営学などが交わる領域で研究をしていました。その頃出会ったのが、当時東大先端研の村上陽一郎研の助手だった本学の中島秀人先生で、中島先生が「STS Network Japan」という科学技術社会論の団体を立ち上げるというので手伝ったりしているうちに、自分もその分野に手を伸ばすようになりました。
最初は趣味として手を出していたのですが、懸賞金欲しさに投稿した情報社会に関する論文が賞を取ってある学会の年報に載ったことが縁で、信州大学に職を得て文化情報論という今東工大で教えている科学技術社会論に近いことを教えることになったのです。しばらくやっているうちに自分はやっぱり数字をいじっている方が向いてるのではと感じて少しずつ科学計量学の研究を進めるようになり、別の縁があって2002年に東工大へと異動しました。その後、科学計量学の研究も軌道に乗り、科学技術社会論の研究は卒業しようと思っていました。そんな矢先に、2011年の東日本大震災と福島の原発事故が起きました。科学技術社会論をやっていた人間として、この問題から目を背けることは絶対にできません。今後もずっと関わっていく義務があると思い直し、現在は「科学技術社会論」と「科学計量学」の二本柱で、教育者と研究者をやっている次第です。
福島原発の事故以来、科学に対する信頼がなくなったといわれています。私自身は科学そのものや科学者に信頼を置いていた側の人間ですが、事故を境にそれが揺らぐことも増えてきました。おもに科学者の言動に対してです。たとえば、ICRPのLNTモデルでは、100mSvの追加的な被ばくがあれば、全人口において生涯のがん罹患リスクが1.1%と上昇すると推測されています。1mSvなら約0.01%です。大したレベルではないのだけれど、それでも子育て中のお母さんが不安に思う。そんな数字です。しかし、この数字に対するお母さんの不安を「科学的にはほぼ問題ない」と切り捨てる科学者が散見されました。そのような科学者の態度はあまりに想像力を欠いています。そうした科学者のふるまいが科学の信頼を貶めてしまうのだとしたら、それを防ぐのが理系におけるリベラルアーツ教育の役割の一つだと思います。
教養というのは、知の厚さです。科学者だからといって、専門知識だけあればそれでいいというわけではない。国際会議などで海外の研究者と話すたびに実感するのですが、彼らは実に幅広い見識を持っています。たとえば生物学者と科学史の研究者が、互いの領域のテーマについてディープな議論をしていたりする。政治や文化の話題にしても同様です。とくに最先端の研究となると、ひとつの専門分野だけでは成り立たないこともあり、トップにいる人ほどあらゆる知識を身につけています。リベラルアーツ研究教育院で学んでほしいのは、そうした専門の外にある教養です。そこで得た知見は、自分の研究の幅を広げることにつながるし、研究成果を社会に活かす際の大きなヒントとなるはずです。
近年、科学技術政策やイノベーションの領域では、RRI(Responsible research and innovation=責任ある研究とイノベーション)という概念が普及しています。これはイノベーションが社会に好ましい結果をもたらすように、研究者だけでなく科学技術の受け手である市民やステークホルダーがその全プロセスで相互に協働するという考え方です。東工大においても、何か大きな研究プロジェクトを実施する際には、初期の段階からリベラルアーツ研究教育院が関わっていくという試みがあると面白いのではないでしょうか。シーズとニーズでいえば、リベラルアーツ研究教育院はニーズを見出す場にもなり得るということです。
ちなみに、リベラルアーツという科目群自体の重要性は言うまでもありませんが、それ以外でもリベラルアーツ研究教育院を科学計量的に分析すれば、大学経営における重要組織と考えられます。今年、東工大は国立大学法人運営費交付金の重点支援で105%の増額評価を受けたのですが、その実績にはリベラルアーツ研究教育院が大きく貢献しているのです。どういうことかというと、指標のひとつに「運営費交付金等コストあたりTOP10%論文数」というのがあり、それに当研究教育院の先生方が大きく貢献しているからです。東工大には1000人余りの教員がいて、うちリベラルアーツ研究教育院で教えているのは60数名。その全体の5〜6%ぐらいの人数で大学が提供する全単位の4分の1を担当していますから、それだけ他の学院の先生方の教育負担を低減し研究時間を増やすことに貢献しています。それによってコストあたりのトップ論文も出やすくなりはずです。
日本の研究者は、異分野交流があまり得意ではないといわれます。実際そうなのでしょう。でも、それでは本当の意味で未来の最先端分野を担うことはできません。東工大にはリベラルアーツ研究教育院をはじめ、専門分野外の学生と触れあう機会も多いので、ぜひ積極的に交流を図ってほしいと思います。
私が担当している講義にも、「国際エンジニアリングデザインプロジェクト」という、留学生と日本人学生で混成チームを作って課題に取り組む短期集中のプロジェクトがあります。おもに短期留学生を対象にしていて、留学生の受講者はアジアや欧米の一流大学の学生ばかり。でも残念なことに、東工大生、とくに日本人学生の参加はごくわずかです。正直もったいないと思いますね。だって世界有数の大学から来た学生とグループワークができる機会なんてそうそうないのですから。もちろん私の講義以外にも、東工大には魅力的なプログラムがたくさん用意されています。無料で参加できるものも多いので、どんどん活用して、東工大を学び尽くしてください!
研究分野 科学技術社会論
1965年生まれ。1989年東京大学理学部数学科卒業。1995年東京大学大学院総合文化研究科満期退学後、信州大学人文学部で教鞭をとる。1998年博士(学術)。2002年東京工業大学大学院理工学研究科助教授、2005年東京農工大学大学教育センター准教授、2010年東京工業大学理工学研究科准教授を経て、2016年より現職。専門は科学計量学、科学技術社会論。共著に『研究評価・科学論のための科学計量学入門』(丸善出版)、『科学者に委ねてはいけないこと 科学から「生」をとりもどす』(岩波書店)など。東工大では、広報誌『TechTech(テクテク)』の編集長も務める。