リベラルアーツ研究教育院 News
【18–19世紀イギリス小説、ジェイン・オースティン、歴史執筆】 広本 優佳 准教授
みなさんは、ジェイン・オースティンの小説を読んだことがありますか? 私は高校時代に『高慢と偏見(Pride and Prejudice)』に出会って以来、その魅力にはまって、彼女の作品の研究を続けています。専門は英文学ですが、もしオースティンがフランス語で書いていたら、きっと仏文学を専攻していたでしょう。
ジェイン・オースティンというと、ハーレクイン小説や少女漫画におけるロマンスをイメージする人が多いと思いますが、私は必ずしもそうではないと思っています。もちろん作品の楽しみ方は人それぞれですが、オースティンの書いた原作は、多くの映像化作品に見られるロマンス至上主義ではなく、底意地の悪いコメントや不謹慎な冗談に溢れています。オースティンはそれを洗練された言葉に落とす技に長けていて、私にとっては「おもしろいことを言う頭のいい姉」みたいな存在なんです。
大学に入って作品を原文で読むようになってからは、その言葉の巧みさにますます惚れ込みました。原文では言いたいことが最小限の言葉でシャープかつユーモラスに表現されています。それは小説だけではなく、オースティンが家族や友人に宛てた手紙にも表れています。簡潔で比較的読みやすい英語なので、ぜひ原文でその魅力に触れていただきたいですね。
オースティン研究において、現在私が取り組んでいるのは、「ジェイン・オースティンと歴史」というテーマです。オースティンは歴史書をかなり読んでいたので、それが彼女の小説の構造や文体にどう影響していたのかを明らかにしようとしています。
オースティンの生まれた18世紀のイギリスにおいて、歴史は文学の一ジャンルという位置づけでした。歴史的出来事が真実かどうかは現在ほど重要視されておらず、 'dignified narrative' 、つまり威厳あるエレガントな言葉で綴られていることが「よい歴史」の定義の一つとされていたのです。一方で、オースティンはリアリズム小説の創始者の一人と言われることがあります。実際いかにも実在していそうな人物や出来事の描写に優れています。ただし、彼女はリアリズムを何の疑いも持たずに信望していたというより、リアリズムのからくり、つまり事実らしさを言葉で演出する手法や意味そのものについて思考し続けたのだと、私は考えています。
歴史が、必ずしも事実とは限らない「物語」と定義されていた時代において、オースティンは歴史をどう捉えていたのか。それを考察することが、オースティン作品における事実とフィクションの緊張関係を探るヒントになるのではと考えたのです。
オースティンについては、まだまだ知りたいことも調べたいこともたくさんあります。高校時代から「おもしろいことを言う頭のいい姉」である彼女の後をずっと追いかけ続けている私は、いまだに姉離れできていないのかもしれません。
2023年4月からは、東工大で、英語の授業とリベラルアーツ研究教育院のコア科目である「立志プロジェクト」を担当しています。といっても、私自身もまだオックスフォード大学の博士課程に在籍しています。だから教員であると同時に、東工大生と同じ「学生の立場」から、留学中に見聞きし学んだことなど自分の経験をできるだけシェアしていきたいと思っています。
例えば、「英語第一演習」のクラスでは、3年間の留学で体験したエピソードを交えています。この授業の目的は、英語力に加えて国際意識を養うこと。そこで、リアルな体験談のほうが学生にも伝わりやすいと思ったのです。留学中に旅したヨーロッパの国々での出来事や人々との触れ合いなど、様々な雑談を交えることで、世界の国々や英語に関心を持ってもらえれば嬉しいですね。
授業において雑談は重要なコミュニケーションだと思っています。それは、英語のクラスに限りません。「立志プロジェクト」でも、ディスカッション中に全然関係のない話で盛り上がるグループもあるのですが、私はあえて話題の軌道修正をしないように心がけています。実際、そこから面白い意見や新しい視点が生まれることも多いです。どこにセレンディピティ(思いもよらなかった偶然がもたらす幸運)が潜んでいるのかわからないところも、学問の醍醐味。その瞬間を逃したくはないですね。
2023年度の後期には、「英語圏文化を知る」というオムニバス形式のクラスも担当する予定です。ここでは、より私の専門に近い授業ができるのではないかと、今からワクワクしています。この授業ではずばり、ジェイン・オースティンを取り上げるつもりです。
オースティンは、原作である小説に加えて、戯曲や映画、漫画など、非常にアダプテーション作品の多い作家です。それらを一つひとつ検証していきながら、異なる媒体やジャンルでその作品がどう姿を変えていくのかを、学生のみなさんと考察したいと考えています。これは私が関心を抱くテーマの一つでもあります。
そしてまた、ジェイン・オースティンを授業で扱うことで、東工大に「ジェイナイト(オースティンの熱狂的なファン)」を増やしたいという野望もあります。
オースティン読者は女性ばかりと思われがちですが、彼女を最初に評価したのは、歴史小説家のウォルター・スコットや、哲学者で文学批評家のジョージ・ヘンリー・ルイスなど、文壇の大物男性たちでした。当時の摂政皇太子ジョージ(のちのジョージ4世)もオースティンの大ファンで、『エマ(Emma)』は彼に献呈されています。今も、実は男性ファンが少なからずいるでしょう。
男女を問わず、東工大で学ぶ学生のみなさんには、オースティンの魅力を知ってもらいたいと願っています。たとえファンになれなかったとしても、英語の感性を磨くうえで、きっと勉強になるはずです。
東工大でチャレンジしたいことは、他にもまだあります。一つは、学生たちを集めて読書会を開催すること。モデルは、『ジェイン・オースティンの読書会』という映画にもなった小説(カレン・ジョイ・ファウラー作)です。作中では6人の登場人物が毎月作品を読み進めていくうちに、癒やされたりモチベーションを高めていったり、思いも寄らぬドラマが生まれたりするんですね。これを私もやってみたいなと。
というのも、東工大にはとても真面目な学生が多く、授業中は「間違ったことを言っちゃいけない」空気があるので、何か教室を離れたところで課外活動ができないかと思ったのです。その点、読書会なら好きな本を持ち寄って自由な意見交換ができるし、それがオースティン作品だったら仲間が増える楽しみもあります。興味のある学生さんがいれば、ぜひ一緒に「ジェイン・オースティンの読書会」をやりましょう!
やってみたいことのもう一つは、ランゲージパートナーシステムの導入です。これはオックスフォードに留学していたときに私も利用してとても助けられた仕組みで、要は学生同士で互いの言語を教え合うパートナーシップのこと。大学がプラットフォームを用意してくれていたので、手軽に相手を見つけることができたのです。
私の授業でも、「英語を話す機会がない」とこぼす学生を見かけます。でも東工大には英語をはじめいろんな言語を話す留学生もいるし、日本語を学びたい留学生もいるでしょう。そうした学生たちをつなげる、東工大版ランゲージパートナーシステムのような仕掛けをつくったら、きっとみんなも喜んでくれるのではないでしょうか。留学生との交流の場でもある「TAKI PLAZA」を活用して、何かできればいいなと秘かに考えています。
東工大では、リベラルアーツというと文系のイメージがあるようですが、文系の私にとってはむしろ理系科目こそがリベラルアーツ。理系の学生たちとの交流を通して新たな気づきや発見を得たいと思ったのが、東工大を就職先に選んだ理由の一つです。自分の好きなことや研究だけに没頭していたら、出会えなかったかもしれない知識や経験。そんな思ってもみなかった知との邂逅(かいこう)が、リベラルアーツのロマンだと考えています。
でも学生の中には、「理系の行き過ぎを文系で正す」とか「理系は文系に監視してもらわないとダメだから」などと卑屈気味に考えている人もいると知りました。一方で、リベラルアーツは「役に立つ」とか「役に立たないからこそいい」といった意見も聞きます。
リベラルアーツは、決して自らを過度に戒めるためだけの学問ではないと、私個人は思っています。心を開いて学ぶことで、もっと自由になれる。そう実感できる場を提供するのが、リベラルアーツの役割です。また、役に立つ・立たないの二項対立で世界を理解するというより、むしろその対立を外から俯瞰する視点を養うのがリベラルアーツの狙いだと思います。ですから、学生のみなさんには、何か新しい出会いを待ち焦がれる気持ちで取り組んでほしいですね。
大学生活は、可能性の宝庫です。学ぼうと思えばなんでも学べるし、逆に学ぼうと一念発起しなければ何も生まれません。自分で選ぶことの自由と責任を享受しつつ、学生時代の苦楽をとことん味わってください。私もみなさんと一緒に学ぶのが楽しみです。
研究分野 18–19世紀イギリス小説、ジェイン・オースティン、歴史執筆
東京都立国立高校在学中にジェイン・オースティン作品と出会う。その魅力を追求し、東京大学文学部では英文科を専攻。東京大学大学院人文社会系研究科 修士課程修了後、日本学術振興会の特別研究員(DC1)として同博士課程進学。2019年中途退学し、10月よりオックスフォード大学英文科へ(現在も在学中)。2022年8月帰国後、2023年4月より現職。日本英文学会、日本オースティン協会所属。