リベラルアーツ研究教育院 News
【高等教育、教育行政学】岡田 佐織 准教授
私は、2019年5月にリベラルアーツ研究教育院に着任して以来、コア学修科目の運営や学修成果の可視化・教育改善に関わる調査を担当しています。
学修成果の可視化とは、大学での学びを通してどんな力が身についたのか、中でも特にテストなどでは評価しづらい力について、その成長を多面的に明らかにすることを目指すものです。
前職は教育企業の研究所です。大学生の能力や成長のプロセスを多面的に評価するアセスメントデータを活用した教育改善の研究を、いくつかの大学と共同で行っていました。ただ、プロジェクトの中で課題や成果を見出しても、実際の教育運営に生かすところまではタッチできない。そのもどかしさから、「ならば、大学の中に入って自分でやってみよう」と飛び込んだのが、東工大でした。
リベラルアーツ研究教育院が創設されてから4年が経過する2020年3月には、新カリキュラムのもとで新入生のときから学んだ最初の学生たちが巣立ちます。現在は彼らへのインタビュー調査を通じて、改革の成果や課題を洗い出しているところです。
一方で、私自身も教壇に立たせてもらっています。2019年度の担当授業は「教養卒論」。学士課程3年生を対象にした必修科目で、アカデミックライティングの実践と学生同士のピアレビューを繰り返しながら、自分なりのテーマを設定し、探究した結果を5000~1万字のレポートにまとめさせます。
学生たちの取り上げるテーマは、「世界を一周して気づいたこと」「自分の専門を生かした社会への貢献方法」「教育制度に対する疑問」などさまざまです。ただし、自分の好きなテーマで生き生きと論文を執筆する学生がいる一方で、好きなことを書いていいといわれると戸惑いがあったり、学生同士で行うピアレビュー自体に抵抗感を持ったりする人もいます。
授業では、「なぜこの作業が必要なのか」「自分の将来にどう役立つのか」をまず一緒に考えるようにしています。技術者や研究者として将来活躍するために、この授業でどんなスキルや能力を身につける必要があるのかを筋道立てて説明すると、学生たちはストンと納得してくれます。いったん火がつきさえすれば、熱心に打ち込んでくれるようになるのは、東工大生の美点だと思います。
また、テーマとしては面白くても、それを深掘りするテクニックはまだ我流の域を出ていない場合があるのも事実です。人文科学系や社会科学系などの教養科目で問いの立て方や深掘りの仕方を学び、それを「教養卒論」にどうつなげていくかも今後の課題だと考えています。まだまだ試行錯誤の段階ですが、大学の中で自ら実践しながら課題解決に取り組めることには、大きなやりがいを感じています。2020年度からは、「東工大立志プロジェクト」や「リーダーシップ道場」なども担当します。
私の専門は「教育行政学」です。
教育行政学は、教育の実践を支える制度や行政、組織のあり方を対象とする研究分野。教育をどのように組織化し、その外側にある社会と接合するかを考える学問なんですね。
この分野に関心を持ったきっかけは、学生時代の「怒り」にありました。
私は、もともと理系の学生でした。中学・高校は受け身のままただ与えられたカリキュラムの中で理数系の勉強をし、分からないことや疑問が出てきても、大学に入ればいずれそれらは解消されるだろうと考えて入学。でも疑問は一向に解消されないし、そもそも自分は理系に向いていないんじゃないかと思ったときに、ハタと気づいたんです。ここでドロップアウトしたら、理科系の教育を受ける機会はここで終わってしまう。そうなると、科学者や技術者ではない一般市民として生きていくうえで必要な科学的知識を、まだ何も学べていないままなのではないかと──。
当時の日本の理工系教育は、科学者や技術者になるために設計されたカリキュラムになっていて、途中で辞めたら何も残らないような気がしたのです。例えば、原子力発電の何がどう危険なのかとか、コンピュータがどうやって動いているのかといった、日常生活を送る上でも必要なことが、カリキュラムの梯子を最後まで登りきらないと見えてこない。
そのことに憤りを感じた私は、なぜこんな一部の人にしか役に立たないような教育がまかり通っているのかを突き止めたくて、教育学部へ文転しました。そして、教育内容を定めた学習指導要領が戦後どういうプロセスで作られてきたかを調べるうちに、その背景には政治的な圧力や経済界の要求が少なからずあることがわかりました。学校教育、中でも数学や理科といった理系の教育は「大人や社会の都合」が反映されやすい領域なんです。
それで、今度は行政の側から教育を考えてみたいと思い、大学の学部卒業後は市役所に入りました。ところが配属されたのは衛生局で、仕事は病院を監督すること。その仕事もやりがいはあったのですが、その頃ちょうど教育の現場では、学習指導要領が大きく変わって「総合的な学習の時間」が始まったり、教育行政の地方分権化の動きが出てきたり。ダイナミックな変化が起きているのに居ても立ってもいられなくなった私は、公務員生活を2年で打ち切り、大学院に戻って教育行政学の研究を続けることにしました。
研究対象は、教育委員会制度。教育委員会は本来、政治的な圧力から教育を守るために設置されたものです。一般市民が委員となることで、いろいろな人たちの意見をバランス良く反映することが理念とされています。でも、現実には、任命権を持っている自治体の長などの意向が色濃く反映されます。市役所に勤めて知った、制度が掲げる理念と実態との乖離をどうすべきか。市長や教育長、教育委員会の事務局職員にアンケート調査を行い、論文にまとめました。
博士課程在籍中には、法人化したばかりの公立大学で学生調査を担当しました。その後は教育企業に就職し、大学生の能力や態度などを多面的に評価するためのアセスメントの設計やデータ分析を担当するなど、さまざまなかたちで大学教育に携わり、現在に至ります。
教育企業では、個々の学生の学びと成長のプロセスや、学生が身につけた能力をどのように評価し、それを教育改善につなげていくかを考える仕事をさせてもらいました。それまでは、国や地方自治体の政策形成といったマクロな領域を研究対象としていたのですが、個人に徹底的にフォーカスした仕事をする中で、ミクロとマクロをつなぐ視点を持つことができ、教育という営みの捉え方が自分の中で大きく変化したと感じています。
一度は理系を目指した私にとって、東工大は本当にわくわくする職場です。キャンパスを散策していると、飛行機の模型がぶら下がっていたり、大きな工作機械があったりして、眺めているだけでも心踊る気持ちになれます。新任教員の私と同じく、新入生のみなさんも、きっとそう感じているのではないでしょうか。
わくわくした理由はもうひとつ。それは、リベラルアーツ研究教育院の教育プログラムです。まず新入生が全員必修で受ける「東工大立志プロジェクト」の仕組みや運営方法に驚きました。「東工大立志プロジェクト」は、毎回多彩なゲストが実施する講堂講義を聴講したのち、その内容や問いかけに沿って演習、ディスカッションを行うコア学修科目です。
東工大の教養教育の要となるこのプログラムは、それぞれ別の専門を教える先生方が同じ枠組みの中で一緒に運営しているんですね。みなさん本当に情熱を持って取り組んでいらっしゃる。それを実感したのが、授業の後に行われる「立志カフェ」でした。
「立志カフェ」は、立志プロジェクトの担当教員が集まってその日の授業や学生たちの様子を共有する場です。ゲストの講義内容をご自身の専門分野の視点から解説してくださる先生もいらして、その場にいるだけでも豊かな教養を得られるのですが、さらに感銘を受けたのは先生方が本当によく学生を見ていらっしゃる点。たとえば、みんなの前で話すのが苦手な学生がいたらどうフォローするかということも、あらゆる切り口から真剣に検討されている。こういうことが日常的にできるというのはすごいなと、感銘を受けました。
講堂講義と演習をセットにしたカリキュラム自体もとても優れているうえ、その繰り返しの中に少しずつアレンジを加えていく余地があるというのも面白いですね。「東工大立志プロジェクト」も「教養卒論」も、基本的な構造として、同じパターンのトレーニングを繰り返すように設計されているのですが、その中に毎回少しずつ変化を組み込んでいきます。それで授業の中に試行錯誤が生まれ、先生方にも学生たちにとってもいい刺激になっていると思います。
リベラルアーツ研究教育院が育もうとしている「教養」は、単なる知識ではありません。どれだけ多くのことを知っているかということよりも、いかに世界や他者に対して心を開けるか。そういうマインドこそが重要だと思います。言い換えれば、懐の深さですね。
コア学修科目では、コミュニケーション能力を養うことも目的の一つとしていますが、ここでいうコミュニケーション能力とは、人前でペラペラ喋れるようになるということではなく、異なる他者に相対したときにも、相手の目線に立って語り、相手の思いを受け止めようとする姿勢。心を開くことで、初めて世界や他者との相互作用が生まれるのです。学生たちには、ぜひそうしたマインドを高めてほしいですね。
東工大には、自分の世界を広げるさまざまなチャンスがたくさんあります。その中で、好きなことを精一杯やれるというのは素晴らしいこと。科学が好き、エンジニアになってこんなことがしたい、というピュアな気持ちをここで大切に育んでもらいたいと思います。
ただし、専門を突き詰めていくと、いずれどこかで壁にぶつかることが出てきます。外の世界に目を向けること、他者と対話すること、そういったリベラルアーツで学んだことは、壁にぶつかった時の突破口や、新しい世界を切り拓くヒントにもつながります。東工大はそれをカリキュラムで支え、先生方も一緒に考えてくれる非常に希有な学びの場。他にはないこの魅力を、在学中にとことん味わい、活用し尽くしてほしいです。
研究分野 高等教育、教育行政学
1997年東京大学教育学部教育行政学コース卒業。地方自治体勤務を経て、2002年東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。2008年同教育学研究科博士課程満期退学。公立大学職員として学生調査の企画・運営業務に従事した後、ベネッセコーポレーション大学事業部、ベネッセ教育総合研究所等で学生調査・アセスメントテストの設計・分析、大学FD・IRに関するコンサルティング、研究等を行う。その間、相模女子大学、多摩大学等で非常勤講師を務める。2019年5月より現職。共著に『教員免許更新講習テキスト ―教育現場のための理論と実践』(昭和堂)、『保育者・小学校教員のための教育制度論 補訂版』(教育開発研究所)、『大学IRスタンダード指標集』(玉川大学出版部)、『学生の成長プロセスを可視化する実践的研究』『「学びと成長の可視化」からその先へ』(ベネッセ教育総合研究所ほか)など。