リベラルアーツ研究教育院 News
【比較文学】木内 久美子 准教授
サミュエル・ベケット、都市の表象、翻訳研究が、私の現在の研究の三本柱です。
まずはベケットのお話をいたします。アイルランドで生まれ、パリで亡くなったベケット(1906-1989)は英語とフランス語、2つの言語で作品を執筆し、自らの作品を翻訳し、詩や評論、小説、散文、演劇、ラジオ作品、映画そしてテレビドラマに至るまで、様々なメディアをとおして芸術表現を行いました。日本では劇作家としてよく知られています。『ゴドーを待ちながら』は日本でもとてもよく知られた作品です。1969年にノーベル文学賞を受賞しています。
ベケットに興味を抱いたのは、文学や演劇ではなく、映画経由でした。
私は早稲田大学第一文学部でフランス文学を専攻していました。周りの友人の影響もあり、映画が好きになり、学部一・二年生の頃は、ミニシアターや小さな映画館でサイレント映画やヨーロッパ映画をよく見ていました。好きな映画監督は複数いましたが、アメリカの喜劇俳優でもある、バスター・キートンもその一人でした。
あるとき、キートンの映画がかかるというチラシをみて、小さな劇場に行きました。そこでベケットの『フィルム』(1965)という映画をみたのです。年老いたキートンは、それまで自分が知っていたコミカルなキートンとは全く異なる演技を見せていました。この映画の監督がベケットだったのです。面白いとは思ったのですが、なぜそう感じるのかがうまく説明できない。よくわからなかったんです。この感覚から、ベケットについてもっと知りたいと思うようになりました。
大学の卒業論文では、ベケットの作品と、現代アートの元祖ともいうべき、フランスの芸術家・マルセル・デュシャンの作品を、チェスという主題から比較・考察しました。デュシャンの特に初期の作品にはチェスのモチーフが散見されます。また彼はチェスの棋士としても有名で、ヨーロッパ大会で上位に食い込むほどの腕前でした。
他方でデュシャンは、棋譜の美しいチェス、進行の遅いチェス、終わりを遅らせるチェスに美学を見出し、勝利に無関心なゲームの美について論じています。第二次世界大戦中、二人は南仏の海辺の町アルカションで出会い、チェスをしていた時期がありました。ベケットの演劇作品『エンドゲーム』は、デュシャンとのチェスから発想を得たともいわれています。そこで、デュシャンの作品における美学と彼のチェス美学を明らかにしたうえで、ベケット作品の読解に援用できないかと考え、卒論を書きました。
この卒論をきっかけに大学院では、ベケット研究をやめてデュシャンを研究しようと思っていたのですが、指導教官に「デュシャンの研究でやることは残っていない」と言われてしまい、ベケット研究をしていた先輩が二人いたこともあって、なんとなくベケット研究に取り組み続けることになりました。修士論文では、作家性や象徴性といった意味のシステムから自らの作品を切り離そうとベケットが、試行錯誤しながら意図的に言語表現の実験をおこなった時期、60年代の散文を扱い、作品執筆のメカニズムを、草稿を参照しながら論じました。
正直なところ、修士論文を書いた後、研究を続けたいのかどうか自信が持てませんでした。その時期に、幸運なことにロータリー財団から国際親善の奨学金をいただき、イギリスのサセックス大学に留学することができました。進路への迷いがあったので、イギリスで修士課程(一年間)をやり直しました。修士課程ではベケットから離れ、ドイツの写真家、ジゼル・フロイントを取り上げました。彼女の論文や社会と写真への理論的なアプローチと、実際に撮影した写真や書いた文章を比較して、理論と実践と照応と齟齬、そこから立ち上がってくる写真家像を描出しました。
結局、イギリスでの修士課程の指導教員の励ましもあって博士課程に進学し、博士号を修了しました。博士論文ではそれまでに培ってきた文学の知識と、映画、造形芸術、写真などの芸術への関心を、ベケット作品の読解を通して、言語論やジャンル論という領野において展開することができました。研究ではベケットを離れては戻るということを繰り返しています。それはいくら研究しても完全には「わからない」からなのです。そもそもベケットを研究し始めたきっかけも、よくわからなかったからでした。私にとって、研究とは、自分が知らないもの、わからないものへのアプローチなのですね。
そのなかで作品読解へのアプローチも変わってきました。当初は、ベケットの作品を作品の中だけで読解し、作品が提示する世界像を明らかにしようという立場で研究をしていました。ですが、博士論文を書いてからは、むしろベケットの読書経験や自分以外の芸術との接点が、その作品の生成のプロセスに与えた影響に興味をもっています。ベケットはインテリの作家で、多読家でもありました。
彼の作品は文学や芸術の伝統との対話のもとに書かれています。ベケットがその伝統をどう受容、解釈し、それに対して応答したのか。その結果が作品に結実しているわけです。分析を通じて、アイロニー文学作家としてのベケット像があらためて確認できました。最近の研究では、作品生成のプロセスの中で、英語とフランス語における自己翻訳が果たした役割を明らかにしたいと考えています。ここ数年は、『新訳ベケット戯曲全集』(白水社)の翻訳の仕事に、少しですがかかわらせていただいて、作品の声を聞き取るとはなにか、別の言語に移すとはなにかということを考えています。
翻訳とは、ある作家が書いた言葉、作品を、第三者の翻訳者が別の言語にうつし取ることです。うつし取るのは意味だけではありません。リズムや口調、言葉の響きあい、イメージの呼応、ある文化圏の読者に与える感覚的なもの(地名や固有名など)なども、うつし取らねばなりません。翻訳はとても難しいものです。原文を読んだときに作品に与えられる感覚を、日本語や英語にどう訳すのか。作品を丁寧に理解することはもちろん大前提で、さらにそれに合うトーンを翻訳する言語のなかに見つけなければいけません。とても大変な作業ですが、翻訳は自分の先入見や誤読を正すうえで、文学研究者にとっては言葉に向き合う姿勢を学ぶのにとてもよいトレーニングだと思っています。
3つ目の研究の関心は、都市の表象を論じることです。
都市に関心を向けるきっかけになったのは、イギリスの映画監督、パトリック・キーラーのエッセイ・フィルム「ロビンソン三部作」を、2015年に東京・名古屋・神戸で上映したことでした。
1作目の映画作品『ロンドン』は1992年に撮影されています。その当時、マーガレット・サッチャー政権が終焉を迎えたロンドンでは、依然として保守党政権が存続していました。主人公のロビンソンと語り手は、サッチャー政権が残した政治的な傷跡を一都市生活者として感じながら、19世紀の作家・芸術家・思想家の足跡をたどりながらロンドンを歩き回ります。
この作品には、都市を自由に歩き回る自在さがある一方で、いま目に見えている風景(現在)から過去を読み解き、さらにはそこから都市の未来を見通そうという切実な試みがあります。それを拡大してイングランドに足を伸ばしたのが2作目の『空間のロビンソン』(1997)、ホームレスとなったロビンソンがオックスフォード周辺を歩き回る3作品目が『廃墟のロビンソン』(2010)です。
キーラーの映画では、都市の建物や橋など都市を支える構造物の映像と、それを環境として生きる人間の視点や歴史についての語りが交錯しながら物語が展開していきます。『ロンドン』で扱われている主題や描かれている都市の様子が、2015年の東京と重なって見えたので、この時期にこの作品を上映する意味があるだろうと思い、企画・運営・字幕などの作業を色々な人の助力を借りながら、なんとか上映までこぎつけました。
『廃墟のロビンソン』は「未来のランドスケープ」という研究プロジェクトの一環で制作されたのですが、このプロジェクトにかかわっていた人文地理学者のドリーン・マッシーさんと出会ったこと、またキーラー監督からいただいた力強いサポートが、さらに都市表象研究に足を踏み入れることを後押ししてくれました。現在は、ロンドンのイーストエンドや南東部、テムズ河川を舞台とした文学作品や映画における場所感覚の問題、ある場所が私たちにそのような場所として感じさせるものは何か、そのような感覚は作品でどのように構築されているのかについて調査を進めています。
この研究から端を発して東京にも目を向けるようになりました。私はいま月島に住んでいて、ときどき町歩きをしながら、月島の街を記録しています。月島地域は第二次大戦の戦災を免れた数少ない地域で、戦後しばらくは古い建物や町割りが残されていました。古い建物の更新が深刻な問題となり始めた時期がバブル期に重なり、街ではタワーマンションによる大規模開発が行われました。それ以後、少しずつ街のかたちが変わってきています。
当初は自分の研究との延長で、戦前・戦後の日本映画における埋立地の表象について調べていたのですが、街の人の声を聞くなかで、街づくりなどにも興味を持つようになり、一住民としてこの街の未来についても考えるようになりました。大規模な再開発では、法的にも経済的にもプロセスが非常に複雑で、必然的にデベロッパー主導にならざるを得ず、計画に住民の意見が反映されにいのが現状です。またタワーマンションでは、家賃以外の管理費や維持費が高額であるため、現住民が長期的に採算が合わなくなり、住み慣れた場所を離れざるを得ないという現象も起きます。
その結果、いわゆるジェントリフィケーションが起きています。住む人が変わり、新たなコミュニティの構築が必要となるなかで、いま月島が持っている街のよい特徴を守り育てるために、何ができるのかと、微力ながら日々考えています。
主に英語の授業を担当しています。
授業で大切にしているのは、内容の面白さと汎用性です。内容の面白さのために、私自身が面白いと思ったコンテンツからオリジナル教材をつくり、積極的に授業で活用しています。映像作品を使うときにはスクリプトや単語帳だけでなく、グループワーク用の設問も作成するのでとても大変です。ですが学生さんが面白いと思ってくれれば、努力は報われます。面白いことに対しては、積極的に考えますし、グループで協力すれば複数の論点が出てきます。
すでに出たアイデアをまとめるための作文であれば、一人で悩むことも少なくなります。このようにアウトプットの流れが生まれると、発信型の外国語力を研磨しやすくなります。もちろんうまくいかないこともありますが、教育はいつでも試行錯誤の連続です。
東工大の教養ですから、やはり理系と文系をつなぐためにはどうすればいいかというのは常に考えています。テーマは理系ですが、扱っている問いはリベラルアーツ的という作品はたくさんあります。時間はかぎられていますが、そういったものを学生に授業で紹介するように心がけています。
外国語の体得はスポーツだと学生には伝えています。基礎体力がなければ伸びない。継続的に練習しなければ、練習の成果を体が忘れてしまう。基礎体力が文法や語彙力、練習の成果として培われるのが四技能です。もちろん自分流の学習法で構わないのですが、練習をしやすくするノウハウや知識はあります。それを伝授するのも教員の役割だと考えています。授業では音読のルール、プレゼンテーションの組み立て方、パラフレーズの仕方など、学生が今後、専門分野で論文執筆や学会発表をする際にも応用できるようなコンテンツを教えるようにしています。
どう勉強すればいいですか、と訊く学生には、自分の好きなものを見つけること、そして毎日触れることをすすめています。歌でも映画でもゲームでも漫画でも、コンテンツは問わないので、まずは好きなものを見つけて暗記するくらい親しむこと。毎日、通学の行き帰りで15分でもいいから英語を耳にする、聞き取りが苦手な学生には音読をすること。文字と音を結びつけることで、体が少しずつ聞くことに慣れてくるのです。外国語が読めれば、アクセスできるコンテンツが増え、知の地平が広がります。その喜びを学生に伝えたいですね。
学生に伝えたいのは、言葉に向かう姿勢です。
一つの言葉がどういう歴史を持っているか、どういう使われ方をして、いろんな意味を持つに至ったか、どういう文化的なコンテキストで使われるのか、どういう言葉で翻訳できるのか。たとえば、般若心経とか南方熊楠の言葉を日本語から英語に訳すのは、本当にできるのか、という感じです。そういう言葉というものの厚みというか、その言葉の他者性みたいなものを、私はつねに考えています。まだ学生には十分に伝えられていないと思いますが、少しずつ伝える方途が見えてくるといいなというのはあります。
大学教育の贅沢さは、自分が面白いと思うことを自由に探索することにあると思います。人間がその贅沢さを失えば、人間の想像力はどんどん枯渇していくでしょう。大学がある意義はそこに尽きると思います。だから一教員としては、学生の興味・関心を育てるような授業、個々の発想の自由を大切にするような授業をしたいと思っています。
学びは、自由への扉です。自分の興味のあることを深く学べばそれだけ、扉の奥にはいっていける。でもその扉の奥にある通路が、別の扉の通路につながっているということもあります。そのつながりに気づくには、自分と遠い話題に触れることも必要です。自分の知らないことを、既存の知識で判断しないこと。謙虚に学ぶことで、たくさんの扉が開かれていくと感じています。
学問分野のあいだに優劣や垣根を設けるのではなく、あらゆる小さな興味関心から抽象的な学問までが自分の中でつながっていくのが素敵なことだと思うのです。東工大では少なからずの学生が英語を苦手にしていますが、苦手でも何かに結びつけて楽しむことが第一歩。たかが英語の授業かもしれないけれど、似たような単語をどう使い分けるかというところから文化の話までできるわけです。そういう体験を自分の学びの中で見つけてほしいと思っています。
研究分野 比較文学(20世紀・ヨーロッパ文学)
早稲田大学文学部卒業、東京大学総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程を経て、英国・サセックス大学人文学部英文学部博士課程修了。2012年より東京工業大学外国語研究センター准教授。研究分野はサミュエル・べケット、20世紀ヨーロッパ・モダニズム、翻訳論など。映画にも造詣が深く、2015年に「ロビンソン3部作」上映会を行ったことをきっかけに都市論にも関心を寄せる。共訳書に『新訳ベケット戯曲全集2 ハッピーデイズ』(2018年、白水社)『新訳ベケット戯曲全集3 フィルム』(近刊予定)など。