リベラルアーツ研究教育院 News
【生理心理学、脳科学】小谷 泰則 准教授
私の専門は生理心理学です。心と脳、そして体の関係について調べています。
心の動きと脳の活動とがどう関わり合い、体が心の動きと脳の活動にどのように介入していくかを解明するのが研究の目的です。
私たちは、ついつい脳を中心に考えてしまいがちです。脳が司令塔となって体に指示を出したり、影響を与えている、という具合に。また、人間の「心」のありかは脳の中にある、と思っています。でも、必ずしもそうではないんですね。むしろ体の状態が、脳の活動に影響を与え、人間の心の動きにも影響を与える、ということのほうが多かったりするのです。
たとえば、体が疲れているとき、集中力を出して、勉強しようとしてもなかなかはかどりませんよね。これは、体から脳に「疲れている」という情報が伝えられると脳は「休もう」とするからです。逆に、睡眠も食事もしっかりとっていると体から「元気だよ」という情報が脳に伝わり、結果として集中力を増すことができたりします。このように、脳は、体から伝えられた情報にしたがって、ぼーっとした状態と集中する状態を切り替えているのです。
こうした体と脳の情報のやりとりの状況や、体からの情報を受けて脳がどのように判断を下しているか、どうすれば科学的に調べることができるでしょうか?
現在、脳の活動を調べるにあたっては、主に2つの方法が取られています。
1つは、一般的によくとられる脳波を計測する方法です。もう1つは、機能的磁気共鳴画像法(fMRI)といって、MRI装置を使って、脳の断面の画像をとり、脳の活動の部位を調べる方法です。脳波計測からは脳が「いつ」活動したかという時間の情報が得られ、fMRIからは、脳の「どこ」が活動したかという場所の情報が得られます。私たちの研究では、この2つの方法を組み合わせて、心と脳と体の関係を探ることを目指しています。
ただし、どちらも簡単な検査では済まないところがネックです。脳波の計測は、脳波キャップという帽子をかぶって実験室内の「シールドルーム」と呼ばれる部屋で検査しますが、この脳波キャップの装着には時間がかかります。fMRIはさらに大掛かりな装置が必要で、専門施設に行かなくてはいけません。
そこで私たちが取り組んでいるのが「非接触脳活動センシング技術」というものです。この技術は、特別なセンサーや電極などを体につけずに、顔の赤みから脳の活動を推定しようとするものです。人間の顔には脳の熱を放出する機能が備わっています。そのため、脳が活発に活動し、熱を生じると、顔は赤みを増します。その赤みを画像に撮り、画像の中のRGB=赤、緑、青の色の要素を分析することで、脳の活動の様子を測ることができるのです。
この技術は特許を取得し、現在、さらなる実用化に向けて開発を進めています。
脳波やfMRI、そして非接触脳活動センシング技術などを活用して心と脳と体の関係性を探る研究で得られる知見は、実社会の課題解決に非常に役立ちます。人間の集中力の維持の仕方が解明できたら、人間のやる気の出し方がわかったら、人間のモチベーションの上げ方がわかったら、個人のそして社会の生産性は大いに向上しますし、文字通り心身健康な社会をつくる一助になるはずです。
私たちは基礎研究の他に、応用研究として企業との共同研究にも取り組んでいます。
ひとつは「うつの検知」に関する研究です。近年増加しているうつ病を簡単に検知する新技術の開発を目指しています。うつが疑わしい人に、脳波キャップをかぶってもらったりfMRIの施設に行ってもらったりするのは大変です。手間を取らせず、体に触ることなしに、個々人の抑うつ状態が検知できたら、負担が少なくて済み、早期受診、早期治療開始に結び付けることができます。
もうひとつは車の自動運転と脳の関係について調べています。間もなく自動運転の時代が来ます。自動運転になると、ドライバー自体は運転から解放され、自動車の計器やウインドウの向こうの外部を監視するのが仕事になります。というと聞こえがいいですが、要するに手足を動かさず、シートに座ったまま、前を向いているだけになる。当然、集中力は切れますし、眠くなります。
では、自動運転の車でドライバー(という言い方もおかしいですが)が起きていられるにはどうすればいいか?
自動運転中のドライバーの脳の状態が随時わかれば、適切な対策を講じることができます。ただしドライバーに脳波キャップをかぶらせるわけにはいきません。そこでより簡便な方法が求められるわけです。シートに着座した状態でドライバーの脳波を図り、適切な刺激を与える。その技術開発を自動車メーカーと連携で進めています。自動運転の確立に寄与する研究です。
人間の脳の「予測」のメカニズムも研究テーマです。
たとえば、あなたがスポーツ選手だとします。大切な試合の日は、朝から不安になったり緊張したりしますね。これは脳の「島皮質(とうひしつ)」の働きによります。
人間の脳は二重構造になっています。脳の表面は認知したり判断したり集中したりする皮質に覆われています。感情つまり心の動きに気づくのも皮質の働きによります。また、ぼんやりしているときには皮質の中央付近の「谷間」が働き始め、この「谷間」の働きが色々な心の病気と関係があることもわかっています。皮質から深くなるにしたがい、動物も持っている脳の部位になります。ところが、さらに脳の深いところにはまた皮質があります。島皮質といい、ここが体と心をつなぐ役割をしていると考えられています。
疲れていると集中できないというのは、体をモニターしている島皮質が疲れを検知し、脳の表面に伝わったことで、「疲れたから休もう」と意識化された状態です。島皮質はさまざまな脳の領域とつながっていて、そのときどきで脳の活動部分を切り替えていると考えられます。
大切な試合が迫ったスポーツ選手は、脳の深い部分が過去の経験を思い出して「自分(の心臓)はドキドキする」と予測してしまう。そして実際に心臓がドキドキする。すると、その心臓のドキドキという情報が島皮質を介して、脳の表面の皮質に伝える。結果、不安を感じてしまう。これが、心(脳)の不安と心臓(体)のドキドキの関係です。不安だからドキドキするのではありません、ドキドキするから不安になるのです。
不安を解消するにはどうしたらいいか。予測の精度を上げればいいのです。「この状態は予測可能だ」「思っていた通りだ」と心が感じていると、心臓はドキドキしない。心臓がドキドキしないと不安を覚えない、というわけです。
では、予測の精度を上げるにはどうすればいいか。乱暴な言い方をあえてしましょう。
「場数を踏む」。
これが大事です。試合会場に着いたとき、初めての試合だと「客席を見るとドキドキする」でしょうが、なんども試合をしていると「お、いつもの会場だな。今日は客の入りが少ないな」となると、一気に不安ではなくなります。さんざん、脳の話をしておきながら「場数を踏む」が処方箋、というと、がっくりくるかもしれませんが、心の活動とはそういうものです。
私はスポーツ心理学も研究しているので、こうした生理心理学の知見をスポーツ心理学に提供しています。「スポーツのトレーニングの現場では、メンタルトレーニングとフィジカルトレーニングが別々に行われていることが多いけれど、双方が協力して1人の選手を見ることが大事だ」と提言したりして、現場のメンタルトレーナーの人たちが科学的根拠を持った指導ができるようになることを目指しています。
私が研究者になったきっかけをお話ししましょう。
私はずっと柔道の選手でした。でも高校で初めて公式戦に出たときに、すごくあがってしまい、散々な成績だったのです。けっこう練習して実力も積み重ねてきただけに、ショックでした。ただ、そこでなぜ「あがってしまうのか」疑問に思ったのです。なぜ僕はあがるのか?それを解明したくて進路先を探ったところ、筑波大学にスポーツ選手の “あがり”などの心と体の関係について研究されている先生がいらっしゃることを知りました。
将来は体育の教師になろう、とも思っていたので、筑波大学の体育専門学群に進学しました。柔道も続けながら体育心理学を学ぶことになったのです。ところが私が体育心理学を学び始めて間もなく、指導を受けたいと思っていた先生がすでに退官されていることを知りました。どうしようかと困っているところに助手の方から、脳波から人の心にアプローチするという方法があると教えられ、大学3年生から生理心理学を研究するようになりました。
東工大の授業では、英語で行う大学院の博士教養やウェルネス実習、健康科学概論を教えています。健康科学概論の授業は、さきほどお伝えした私の研究の成果を学生たちに伝えています。心と脳と体の関係を理解してもらうこと。そして、体の状態が、脳の活動と心の動きを左右すること。これを学んでほしいと思っています。
東工大生は、なにせ勉強ができますから、ややもすると「脳」を中心に考えてしまう傾向があります。その一方で「体」がおろそかになる。脳がちゃんとワークしていれば、心の動きもコントロールできるし、体の状態はそもそも関係がない、と思いがちになったりします。
けれども、すでに説明したように、脳をちゃんとワークさせたかったら、まず体の状態をベストに持っていかなければいけない。運動したり体の健康状態を保つことが、将来研究者や技術者といった知的職業に従事するときにとても重要だ、ということを学んでもらいます。
今、企業社会では働き方改革が進んでいます。そして東工大生の多くは、労働時間等の規定が適用されない「高度プロフェッショナル制度」を活用する立場になるはずです。研究者や技術者はまさに高度プロフェッショナルです。
こうした仕事で活躍するためには、自分の裁量で、ワークライフバランスを考えながら、脳と体のパフォーマンスをピークにもっていけるようにすることです。そのためには体のパフォーマンスをまずは上げなければいけません。授業ではそこから読み解いていきます。
ただし、こうした話を座学で延々とすると、大概の場合、学生たちの脳の「谷間」が活発になる。つまり眠くなる、ぼんやりしてしまうのです(笑)。
ではどうするか。これもまたある意味でものすごくアナログな方法なのですが、徹底的にノートをとらせます。私の授業では、とにかくメモをとること、ノートに書くことを重視します。手を動かすと、島皮質が「筋肉が活動している。ぼーっとしている場合ではない」と判断し、ワーキングメモリーという集中に関する脳を活動させるからです。昔から「手を動かすと覚える」といわれますが、あれは本当なんです。
実際にちゃんとノートをとっている学生たちは前の授業の内容をよく覚えています。次の授業のときに前の授業の復習をさせると、彼らは体と脳の関係を身を持って理解してくれるようになります。
私は東工大生と30年間接してきました。みなさんきわめて優秀なのですが、なかには自己評価が低い学生もいます。苛烈な大学受験を経て入学してくるので、その過程で挫折したり、あるいは大学に入って周囲と比較して挫折したり、というケースがあります。
自己評価が低いと、自尊心がなくなっていきます。脳の計測をすると、自尊心がある人とない人では、脳の海馬のサイズが異なることがわかっています。海馬は記憶を司る部位で、人間の心理状態の影響を受けてそのサイズが変化しやすい、という特徴があります。自己評価が低く、自尊心がなくなると、なんと海馬は小さくなってしまうのです。すると将来、認知症になるリスクが上がります。人間の心理状態が、脳の部位の大きさを変え、将来の健康にも悪影響を及ぼすのです。
自己評価を低くしない、自尊心をなくさない。そのために重要なのは他者と比較しないことです。人間の脳は「報酬」を受けると働きが非常に活発になります。この場合の「報酬」とは成功体験です。どんな小さな成功でもいいから、他者と比較せずに自分の成功体験を前向きに評価し、自己評価をあげて、自尊心を回復する。これが重要です。
大学に入ってからの勉強、その先にある研究は、受験勉強とは異なります。受験は究極の他者比較です。でも、大学の勉強、そして研究におけるライバルは、他人ではなく自分の理想や自分の希望です。自分の描く理想に勝って、もっと大きな自分になる。そのためには健全な自尊心があったほうがいい。
そこでまずは大学に入ってぜひ好きなことを見つけてください。そして自分なりの成功体験を積み重ねてください。その成功体験が体に入ったら、心も上を向くようになります。
研究分野 生理心理学、脳科学
1966年生まれ、山口県出身。筑波大学大学院体育研究科体育方法学専攻修了後、東京工業大学工学部(当時)に着任。一般教養保健体育の指導に当たる。1998年、東京都立大学理学研究科生物学専攻修了。博士(理学)。著書は『これからの健康とスポーツの科学』(講談社サイエンティフィック・分担執筆)、『生理心理学と精神生理学』(北大路書房・分担執筆)他、多数。企業との共同研究も多く、共同開発した「運転者状態判定装置及び運転者状態判定方法」(2017年)、「精神疾患判定装置」(2018年)、「脳活動推定装置」(2017年)などで特許を取得。
※ 2023年3月31日 本文の一部を修正しました。