リベラルアーツ研究教育院 News

人生を味わう、リベラルアーツの世界にようこそ

【独文学、ドイツオペラ】 山崎 太郎 教授

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2019.12.11

山崎 太郎 教授

言葉は文化、そして響き
東工大生よ「大きな声で!」

東工大では、ドイツ語の授業を1993年から担当しています。

必修の第二外国語のなかでも、理系の大学生は昔からドイツ語を選択する割合が多く、今では数は減りましたが、それでも三分の一強の学生が学んでいるはずです。

日常で使うドイツ語の挨拶から始める初級クラス。ドイツ語圏への留学を目指している学生もいる中級・上級クラス。どちらの授業でも、「言葉は文化だ」ということを伝えていきたいと思っています。

言語はそれを使う人々の世界観を反映しています。例えば、ドイツ語の構文は動詞や助動詞など文の中で核となる述語が、しばしば主語の直後ではなく文の最後尾に来て、中にその他のいろいろな単語を挟んでゆく「枠構造」を大きな特徴としていますが、ここには奥深い森林に住みつつ、遠くを見通す技を身につけようとしたドイツ人古来の空間感覚が息づいているのではないでしょうか。

あるいは 英語でIt is rainingやIt is ten o’clockなど、天候や時刻の表現に使われる非人称代名詞。このitの意味を突き詰めると、古代人にとっての神や宇宙の摂理など、人間にコントロールできない自然を表しているとも考えられますが、面白いのは、英語のitと違い、ドイツ語のesが「お腹がすいた」「ぞっとする」などの生理現象や心理現象の主語としても使われることです。つまり私たち人間の体や心の中にも、制御の効かない「内なる自然」があるというわけです。フロイト以降、このesは無意識を意味する普通名詞としても定着しました。

ドイツ語圏の文化や歴史にふれるために、視聴覚教材も活用します。例えば、Burg(城)という単語が出てきたら、Bürger(市民)はもともと、城の内側に住む人々を意味していたと解説する。そのあとさらに、スライドで城壁に囲まれた中世の町の構造を見せながら、現在の都市の環状道路が人口増加のため19世紀に撤去された城壁のあとを走っていることを確認したり、大都市のターミナル駅の多くが町の中心ではなく、少し外れたところにある理由を説明したり。

もちろん発音も重視しています。東工大生は概して声が小さいんですね。授業中、声がする方向に見当をつけて近づいていき、顔を覗いて、やっと誰が話しているか特定できる。小さな声で下向いて、ぼそぼそ言っているのでは何も聞こえません。まず前を向いて、大きな声を出してほしい。

そういう思いから、有名な詩を皆で朗読する時間も授業の中に取り入れています。「言葉はなによりも音だ」ということを感じてもらうため、その詩をもとにしたシューベルトなどの歌曲をCDで流したり、時には自分で歌って聞かせたり。私は趣味で歌もやっていて、アマチュアの歌劇団に出演したりもしているのですが、そんな道楽が教師としての本業に役立つ瞬間でもあります(笑)。

第二外国語は2016年度までは1年生が履修していました。現在は2年生の必修科目。実は、2年生になると入学時のフレッシュなやる気が継続しなくなってしまうのでは、と心配していたのですが、杞憂に終わりました。

2016年に始まった「東工大立志プロジェクト」が、いい影響を与えているのだと思います。学生たちの授業に対する取り組み方が目に見えて能動的になりました。

東工大に入学した1年生は、すぐに全員が「立志プロジェクト」に参加します。社会の第一線で活躍する学者やジャーナリスト、NPO代表、聖職者が大講堂での講義を行い、その内容を受けて30人弱の少人数クラスでグループワークを実施します。それぞれの登壇者の講義内容について、自分で感じ、考える。少人数クラスでは、さらに4人グループに分かれて、それぞれの考えをぶつけあい、話し合う。

ほぼ初対面ですから、最初は恥ずかしがったりしていますが、対話をしていくうちにグループワークが盛り上がっていく。対話を通じて、1人では思いもよらない新たな考えが生まれたり、積極的に学び合うことが楽しかったりすることを、肌身で実感させることができる。「立志プロジェクト」がなかった頃には見られなかった光景です。

普遍のテーマで社会や人間を捉える
総合芸術オペラを深く狭く、分かりやすく

山崎 太郎 教授

私が「ドイツ語」や「立志プロジェクト」と並んで東工大で教えている文系教養科目の講義の1つが「オペラへの招待」です。授業では、歌とオーケストラ、言葉と演技などといった要素が一体となった総合芸術であるオペラの多面性を見ていきます。

オペラは単なる娯楽でなく、市民の教養として発展してきた芸術です。ヨーロッパでは、劇場は市民が自立して政治などについて思考するための公共の教育機関なのだ、という考え方が根強くあります。ドイツでは、人口10万人以上の都市には必ず劇場があり、市民たちは毎週、夜に劇場に集い、みんなで芸術作品を鑑賞し、政治を議論してきた歴史があります。

オペラで描かれるテーマは、普遍的なものです。決して昔々の話ではありません。作曲家・細川俊夫氏の「海、静かな海」という新作オペラは、東日本大震災後の福島が舞台。平田オリザ氏が演出して、ドイツ・ハンブルクで初演されました。

授業では、こうした現代作品も含めて、社会が抱える問題が、オペラのプロダクションの中にどのように盛り込まれているかも解説しています。「オペラ入門」と銘打ってありますが、例えばモーツァルトの作品に啓蒙思想がどのように反映しているかなどの歴史的背景や、オーケストラのこの旋律は何を意味しているかなどの音楽に関する切り口も含め、かなり専門的な内容に踏み込んで教えています。

講義で取り上げる作品は、比較的メジャーであり、かつ近く上演があるものをその都度選択しています。授業でオペラに関心を持ってもらった学生にはぜひ、劇場に足を運んで、生のオペラを鑑賞してほしい、という思いがあります。

波乱万丈なワーグナーの生涯をめぐる

山崎 太郎 教授

私自身は、リヒャルト・ワーグナーの楽劇についてテクスト解読・上演史と演出分析などさまざまな方向からアプローチして、研究を重ねています。

ワーグナーは表層のドラマの流れでは表現しきれない部分を、音やト書きなどで私たちに多角的に伝えます。例を一つあげるなら『ニーベルングの指環』という作品に、主人公が忘却の薬を飲まされて妻を裏切り、その後に記憶を取り戻す薬を飲まされて……という展開があります。

思い出す薬を飲むシーンにある「物思いに耽りながら目を落とし……」といったト書きは、忘れ薬を飲むシーンと同じです。深読みすると、この動作が何かしら呼び水となって、主人公の意識を、忘れ薬を飲んだ瞬間、さらにはそれ以前の記憶へと連れ戻したのだとも考えられます。忘れ薬自体は神話的設定のなかの荒唐無稽な道具立てですが、ワーグナーは無意識などの概念がまだ普及していなかった時代に、音と言葉で深層心理を描き尽しているわけです。フロイトやユングの先取りだと言われる所以ですね。

心理学だけではありません。ワーグナーの作品は、哲学や歴史学、社会学、文化人類学など、さまざまな学問分野の知見とも結びついています。文明社会の起源と終焉が語られたり、現代科学文明や貨幣経済に対する批判がドラマの中に象徴的に盛り込まれていたりと、彼の作品自体が持つ深みや広がりは、計り知れません。

私のもう一つの関心は、ワーグナーその人自身です。自ら台本を書いたばかりか、社会論や芸術論などの著作も残し、さらに革命に参加したり、自作専用の劇場を建てて、音楽祭を創始したり……。ワーグナーの生涯は音楽家の枠に括れないものでした。

特に最近注目しているのは、ワーグナーが残した多くの手紙です。これまであまり研究対象にされなかった書簡からは、彼の人間としての振れ幅や本音が見てとれます。死刑を宣告された革命の同志に「自分は今幸せで、君たちの分まで生きるから安心してくれ」と書き送ったり、それと同じ時に幼い人妻と駆け落ちの約束をするものの、資金がなく浮気相手の家の援助を期待したり。

さらに自分の妻には日本語に訳して1万字にも及ぶ長大な別れの手紙を書きながら、駆け落ちのことには一切触れず、僕らは性格が合わないから離れ離れに暮らしたほうがいいけど、でも離婚はしないでおこうと……。ツッコミどころが満載です(笑)。そんなワーグナーの言動を追いながら、彼が生きた19世紀という時代を考察することも面白いですね。

人生を深く味わうために、
そして人生につまずいたときに――

山崎 太郎 教授

教養とは何でしょうか。すぐには役に立たないものかも知れませんが、しかし必ず心の栄養になる。リベラルアーツという言葉はもともと「人間を自由にする技」という意味ですが、私はそこにもう一つ、「人生を豊かにする知恵」という意味を付け加えたいのです。

現代は情報に溢れ、能率が一番だとされる社会です。しかし能率主義をつきつめると、漏れてしまう要素が必ずあります。それは“味わい”だと思います。そしてリベラルアーツ、つまり教養は漏れた“味わい”をすくい上げてくれる。

人間がなぜ生きるのか。種としての人間を生物学的に捉えると、自分の遺伝子を未来に残してゆくためということになるのかも知れませんが、それとは別に、私たち一人ひとりにとっての「生きる意味」を考えるならば、「物事を深く味わう」ということに行きつくのではないでしょうか。

「味わう」ためにはそれなりの時間をかけることも必要です。食事がエネルギー摂取だけを目的とするなら、一粒の錠剤ですむ時代が来てもおかしくないはずですが、それを抵抗なく受け入れられる人はいないでしょう。食べること自体の楽しみが人間の生活を彩り、成り立たせているからです。小説やオペラも情報としてあらすじを知るだけでは、全然作品を味わったことにはなりませんよね。

人が何かに躓いたとき、支えになるのも教養です。音楽や読書から得られる味わいこそが、心の栄養になり、生きる希望を与えてくれるーーそんな日がみなさんにも来るかも知れません。

Profile

山崎 太郎 教授

研究分野 独文学、ドイツオペラ

山崎 太郎 教授

1961年生まれ。東京大学文学部 独語独文学卒業後、東京大学助手を経て、1993年より東京工業大学赴任。主な著書に 『《ニーベルングの指環》教養講座 読む・聴く・観る! リング・ワールドへの扉』(アルテスパプリッシング)、訳書に『ヴァーグナー大事典』(監修・共訳、平凡社)など。日本ワーグナー協会理事。またオペラの上演実践の現場にも、ドラマトゥルグ(学術アドヴァイザー)として携わり、モーツァルト『後宮よりの逃走』『魔笛』(日生劇場、2004年、2008年)、ヤナーチェク『利口な女狐の物語』(同2006年)などのプロダクションに参加。

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