リベラルアーツ研究教育院 News

学校現場の声を聴き、学校現場から学ぶ 教育学者として学校の教師を支える

【教育学、教師教育、学校改革研究】鈴木 悠太 准教授

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2020.03.19

鈴木 悠太 准教授

人は教育について
先入観なしには語れない

私の専門は教育学です。学校教育の実践や政策について、理論的・歴史的に研究しています。

特に、学校の教師について研究を進めています。「教師教育」という専門分野の研究です。教師とはどのような職業なのか。教師はどのように専門的な力量をつけていくのか。教師が生涯かけて成長していくには何が必要なのか。学校の経営や教育の行政においてどのようにリーダーシップを発揮していくのか。そのようなことについて考えています。

もともと私は学校の教師を目指していました。現在でもその憧れの気持ちは変わりません。東京大学に入学し、大学3年で教育学部に進学し、現在の師匠である指導教官に出会いました。教師の仕事を支える「教育学者」という職業があることを知ったのです。自分の進むべき道はこれだと思い、教育学の研究者となることを志しました。

教育という営みに興味を持ったのは、教育というものが新しい現実を準備するものだと感じたからです。何かを知る、何かを分かるという営みへの関心です。それは、学問への興味と近しいものかもしれません。

今までに知らなかったことを知ると、世界を新しく見通すことができます。そのことは、どこかで苦しんでいる人を助けたり、より良い現実を新しく作り出すことにつながっていきます。

教育はそうした機会を多くの人にもたらすことができます。その可能性に特別な関心を持ったのです。

東京工業大学は、1881年に工業の専門家を養成する「東京職工学校」として設立されました。工業における高度な技術者やその指導者の育成を目的として設立されたのです。東工大はその創設の時から、工業教育の担い手を育成する機能を期待されてきたのです。それはその後の附属高等工業教員養成所の設置などに展開していきます。

その伝統を引き継ぎ、現在も東工大には教職課程があり、中学校教諭・高等学校教諭の免許を取得することができます。数学、理科、情報、工業の教員免許です。

私はその中で、「教職概論A・B」「教育基礎A」「教育制度」「教職実践演習」「教育実習」などの授業を担当しています。

教職概論A・Bという授業は、教職課程の導入にあたる授業です。私はその授業の冒頭にて「教育について自由に考え抜く高度な知性を身につけて欲しい」と語りかけます。

それはどういうことでしょうか。

大学に入学してきた学生たちは、既に小学校・中学校・高校とおよそ1万2000時間の授業を受けてきました。それゆえ、学生の誰もが、「良い授業とはこういうものである」「良くない授業とはこういうものである」といった自分なりの授業に対する見方を持っています。

それは大事な経験であると同時に、授業に対するある種の先入観を作り出しています。高校までの授業は児童・生徒という立場で受けてきただけですので、教師側の視点を欠いています。児童・生徒の立場からは、学校教育の背後にある政策や制度や理論を十分に知ることはできませんし、ましてや見ることのできない教師側の葛藤や判断については知りようがないのです。

であるからこそ、私は教育学の授業を行うにあたり、学生たちが自らの先入観を自覚することを出発点に据えています。その上で、最新の教育学の理論や実践から学び、教育や教師について一人ひとりが自由に考え抜いていけることを授業の目標としています。

教職課程の授業が、
新しい教育経験となるように

鈴木 悠太 准教授

教職課程の授業では、グループワークを取り入れた「協同学習」を目指しています。

そのプロセスを簡単に説明しましょう。まず、私の方で教育学の古典や教育の実践記録など読むべきテキストを選びます。そしてテキストを読んで考える課題も設定します。学生たちはそのテキストをじっくり読んだ上で課題に対してグループで議論します。その上で学んだことを毎回のレポートにまとめてもらいます。同じテキストと同じ課題に取り組んだにもかかわらず学生それぞれの理解の多様性が生まれることを大切にしています。その理解の多様性の差異から学ぶことも強調しています。そのプロセスが教育についての高度な理解の形成につながっていきます。

この20年で学校現場では、講義形式中心の授業からグループワークを中心とする授業が増えてきました。「アクティブ・ラーニング」という言葉は、政策の議論の中でも頻繁に登場し、今や一般社会にも広く普及していると言えるでしょう。

教育実践や教育学の歴史を紐解くと、例えば100年前に世界規模で「新教育」を求める運動があり、「児童中心」の教育が追求されました。日本では、大正自由教育運動と呼ばれました。

現在の「アクティブ・ラーニング」の推進はそうした動向の現代的なリバイバルとしての側面も持っていると思います。

しかしながら、グループワークを取り入れた協同学習の実践は簡単なものではありません。なぜなら協同学習が教育実践の高度化を実現しているかどうかが重要であると考えるからです。

教育実践の高度化のためには、内容の〈内容の高度化〉と〈方法の高度化〉の両面を考える必要があると思います。グループワークで取り扱う教育内容が、講義形式の授業を超えて高度な内容を扱っているのかどうか。グループワークにおいて他者と協同するコミュニケーションを身につけるプロセスを確保できているかどうか。その両者の失敗はもとより、片一方の失敗だけでもっても旧来の教育を超える実践とはなり得ないと思います。

教職課程の授業では、教育学を学ぶだけでなく、新しい形式の授業を経験することを通して、教育の内容をいかに高度にするか、教育の方法をいかに高度にするのかを経験的に学ぶ機会となることも意識しています。教職課程の授業そのものが学生たちにとっての教育の新しい経験となることを目指しています。

教師は孤独な仕事。
教師の共同体の構築が学校を変える。

鈴木 悠太 准教授

私自身の研究は、授業をより良いものにしていく「授業改革」や学校をより良いものにしていく「学校改革」を主題にしています。例えば大学院では、「授業改革・学校改革の理論研究」という講義を担当しています。授業の改革は本質的に言って学校の改革と同時に起こらなければ成功しません。そのメッセージを込めて、この授業科目名を立てました。

授業改革=学校改革は次のように説明できるでしょう。まずは教室における生徒たちの協同的な学び、それを引き起こすための職員室における教師たちの協同的な学び、教師や学校管理職との協同的な学び、さらにはそうした教師や学校を支える教育行政官も含めた協同的な学びを生み出すことが改革の焦点となる、ということです。それは決して容易なことではありません。

私は、1970年代から2000年代にかけてのアメリカにおける学校改革研究についての研究を行い、博士論文とし、その後『教師の「専門家共同体」の形成と展開―アメリカ学校改革研究の系譜―』という書籍として刊行しました。教師の「専門家共同体」とは、教師たちが教育の専門家として構築する共同体のことです。この「専門家共同体」を形成することが、授業の改革と学校の改革を成功に導くのです。

ケース・スタディで説明しましょう。アメリカのある経済的に厳しい地域に、生徒たちの人生を回復するような授業を実現している高校がありました。生徒の退学率が激しく高かったその学校が劇的に再生したのです。そうした学校改革の成功の一番の要因は何だったのでしょうか。それが教師の「専門家共同体」の構築だったのです。個々の教師たちが孤立してその困難に立ち向かうのでもなく、孤独に人知れず妥協を重ねてしまうのでもなく、教師たちが専門家として連帯して、目の前の厳しい状況にある生徒たちのために、授業の改革を、そして学校の改革を成し遂げていったのです。

教師の「専門家共同体」が民主主義を原理としていることにも触れておきたいと思います。全ての生徒の学びを期待すること、全ての教師の学びの可能性を追求すること。聞こえはいいかもしれませんが、これを現実の文脈の中で本当に追求するとすればどれほど難しいことか想像に難くありません。

教師の「専門家共同体」の視点は、そうした学校を作り出す学校長のリーダーシップや、そうした学校を支援する教育行政のマネジメントや、政策立案者たちのガバナンスの在り方を問い直す視点を与えてくれています。

教師の仕事はすぐれて個人的な仕事です。それぞれの教師が教室という閉ざされた空間で個別に仕事を行うからです。さらにアメリカでは、教師たちはその授業をする教室を居室としています。日本の学校のように教師たちが一堂に会する職員室を持っていないのです。それゆえにアメリカの教師たちはより一層孤立を強いられる状況にあります。であるからこそ、教師たちが「専門家共同体」を形成する意義は格別に高いものとなります。

教師は自分の授業を同僚に見せたがりません。それは授業という仕事がきわめて難しい仕事であることに起因しています。一時間の授業において教師は100も200もの個別の困難な判断を求められています。生徒にどのように声をかけるのか。どの生徒に声をかけるのか。どのタイミングでグループワークを促すのか。どのタイミングで次なる課題を提示するのか。誰のために授業を行うのか。教師の授業における判断はきわめて複雑で困難を伴います。であるからこそ教師たちが専門家として連帯を築き、その複雑さと困難さを共有し探究し続けることが改めて重要なこととなるのです。

こうした授業改革・学校改革を現実に作り出すために、私は全国の小学校や中学校や高校の教師たちやその支援者たちと協同することを続けています。もちろん私のスタンスは、教師たちを指導するという立場ではなく、より良い授業やより良い学校のために教師の仕事を理解し支援するという立場に徹しています。授業改革や学校改革という営みの複雑さと困難さを認識すれば、誰かが指導するということが改革の成功につながるとは到底考えられません。粘り強く協同する関係を構築することこそが改革の成功を導く唯一の道だと思います。

共通の教養(リテラシー)を身につけて卒業する。
東工大の教養教育の意義。

鈴木 悠太 准教授

私は2017年に東工大に着任しました。リベラルアーツ研究教育院が発足して1年が経っていました。私は東工大の教養教育の特徴として、「東工大生全員が受けている」ことが重要なことであると考えています。つまり、東工大の教養教育は「共通教養(リテラシー)」の教育として成立している、ということです。

例えば東工大の1年生およそ1200人全員が必修である「立志プロジェクト」という授業があります。これは講堂での講義と少人数クラスでのグループワークやペアワークをセットにした授業です。ここで全ての東工大生が、対話的に学ぶことの意義を学ぶのです。何よりも他者の考えを聴くこと、それを受け止めること、それを共有し理解を深める術を学ぶのです。

同様に東工大の3年生全員が必修である「教養卒論」という授業があります。これは自ら主題を設定し探究する10000字に及ぶ「卒論」を執筆するという授業です。これは、4年生の時にものする個別の研究室での「卒論」とは異なるものです。この「教養卒論」の授業を通してアカデミック・ライティングに必要な用語や観点を共通する言葉と経験でもって全ての東工大生が学んでいるのです。さらには、建設的なピア・レビューの方法を繰り返し経験的に学びます。専門の科学や所属する研究室を超えて、全ての東工大生が他者の問題意識を尊重するピア・レビューを追求する経験を創出しているのです。

私は現在、「立志プロジェクト」と「教養卒論」の企画・運営・実施を担うワーキング・グループのメンバーでもあります。これら東工大の共通教養(リテラシー)を作り出している授業を5年、10年のスパンで持続的に発展させる準備ができたらと考えています。その鍵は、〈教養教育の高度化〉にあると思います。つまり、教員の立場からすればその内容の〈内容の高度化〉と〈方法の高度化〉を実現していくということです。

例えば「立志プロジェクト」の内容の高度化には、私は少人数クラスでも追加のテキストを読むことを授業中に課しています。講堂での講義を聴くだけでなく、それに関連する重要なテキストを私が準備してそのテキストも踏まえて対話的な学びを展開するというものです。

「教養卒論」では東工大生同士の「教養卒論」の水準が高く、そのことが自ずと内容の高度化を導き切磋琢磨を実現しているということが、2年間の「教養卒論」の本実施を踏まえて私たちが気づかされていることです。

また、「立志プロジェクト」や「教養卒論」の成功のためには、リベラルアーツ研究教育院の教員において「専門家共同体」を形成することが鍵を握ることは明らかです。驚くべきことですが、リベラルアーツ研究教育院には、こうした教養教育の授業について、その実施前と実施中と実施後と年度末とにワーキング・グループが主導して振り返り議論する会が既に設けられています。そうした機会が継続して充実したものとなり、共同体が築かれることが文化として根づくよう心を砕いていきたいと思っています。

教師を医師や弁護士のような
プロフェッションに

鈴木 悠太 准教授

私が生涯をかけて追求するのは教師の専門職化です。教師を、医師や弁護士と同じようなプロフェッションとして、外在的・内在的の両面から位置づけるということです。その専門家の実践には高度な理論や知識を必要とし、大学院課程までの養成教育を必要とし、さらに生涯かけて力量を高め、社会的な信頼が厚く地位も高い、そうした専門職として認められるようにする、ということです。

教師の専門職化を追求する動きは、1980年代から世界的に進行しています。現在、世界をリードする国において教職に就くために求められる学位は修士号であることが基準となっています。さらに博士号を獲得することで学校管理職や教育行政官となるというキャリアパスが準備されてもいます。

東工大の教職課程のことに話を戻しますと、彼女たち彼らのことを力強く支えていきたいと思っています。もちろん東工大での学士号や修士号や博士号はその出発点に過ぎません。その後の生涯に渡る教師としての成長を継続的に支えていきたいと私は考えています。

昨年の夏から、東工大を卒業・修了して教職に就いている教師たちや現在の教職課程で学んでいる学生たちや私の研究室の院生たちとで授業研究の研究会を始めました。

そこには東工大附属科学技術高等学校の教師たちも集ってくれました。東工大の附属高校はこれまでも日本の高校教育のモデル・カリキュラムを開発する重要な役割を担ってきました。今後も同校が高校教育を先導する役割を担うことに私も協同して力を尽くしたいと考えています。

高校教育の世界的なネットワークの形成も手掛けています。私のアメリカ学校改革研究が基盤となり、学校改革に取り組む世界各地の高校の教師たちやその支援者たちとのネットワークを築き始めています。

これらが花開くための準備を続けていきたいと思います。

Profile

鈴木 悠太 准教授

研究分野 教育学、教師教育、学校改革研究

鈴木 悠太 准教授

1981年、神奈川県生まれ。東京大学教育学部卒業、東京大学大学院教育学研究科学校教育高度化専攻博士課程修了。博士(教育学)。日本学術振興会特別研究員、東京大学特任講師を経て、現職。専門は教育学、教師教育、学校改革研究。主著書・主論文は『教師の「専門家共同体」の形成と展開―アメリカ学校改革研究の系譜―』(勁草書房、2018年)(2019年日本学校教育学会賞)、『教育の本質と教師の学び』(共著、学文社、2019年)、Teachers' Professional Discourse in a Japanese Lesson Study, International Journal for Lesson and Learning Studies, Vol.1, No. 3, pp. 216-231(2012年)。主な訳書に『驚くべき学びの世界―レッジョ・エミリアの幼児教育―』(共訳 ワタリウム美術館(編)アクセス・パブリッシング 2011年)。

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