リベラルアーツ研究教育院 News

学生たちの心を動かすために、 文筆家としてできること

【人間文化論、近代日本精神史】若松 英輔 教授

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2019.11.26

若松 英輔 教授

詩の創作を通じて
動く存在としての自他を確認する

担当しているのは「人間文化論」です。

この授業の中では、詩歌や哲学、そして生死についての考察を学生たちと試みています。授業で大切にしているのは、まず「言葉」とどう向き合うかということ。私たちは、言葉をどう使うかはよく考えますが、言葉とは何かを改めて問うことは少ないようです。
言葉は、ときに灯火のように人を照らし温めることもあれば、刃のように心を傷つけることもあります。そして言葉の周りには、不可視の、言語化できない意味やはたらきを持つもう一つの「コトバ」も潜んでいます。まずはそうした言葉とコトバのあり方を知る。そのうえで、「学び」とは何かを探求します。

学びに不可欠なのは、「読む」「書く」「話す」「聞く」の4つの営みです。つまり「言葉」を介して交わされるこの4つの営みの間に、学びが生まれるのです。
ただし、4つのバランスをとるのはとても難しい。「聞き上手だけど話し下手」「読むのは好きだけど書くのは苦手」という人もいるでしょう。でも、不得意なところがあっていいのです。不均衡な状態こそが、自分が何を学ぶべきかを教えてくれるのですから。

もう一つ、「物事を動的に考える」ことを重視しています。
大学では「概念」を教えるような授業や講義がとても多いのですが、概念とはすでに止まっているもの。一方で、人間も地球も宇宙も、この世にあるものはすべて動いています。世界は一瞬たりとも止まっていません。宇宙の誕生以来、止まったことなどないのです。動的にものを考えていかなければ真実には迫れません。人を理解するというのもそれと同じで、動く存在としての他者と向き合うことこそが大事だと考えています。

では、具体的にはどんなことをやっているのかについてお話しします。
ひとつには詩を読むこと、そして自ら詩を書くことも授業では実践しています。東工大生の多くは、これまで詩を読んだことはあっても、書いたこと、書こうと思ったことがあまりないようです。
もちろん、自信のない学生もいます。うまく書けないから自信がないのだと思いますが、そもそも詩は、うまく書く必要なんてまったくないんです。「うまく」書いた詩は、必ず誰かの作品に似ています。
こうした認識のうえで真剣に書いてみると、自分の中から言葉が生まれ、さらには言葉たり得ない何かの存在に気づいてはっとする瞬間がある。
詩を書くというのは、「言葉」を通じてその向こうにある「コトバ」を他者と分かち合う行為です。誰もが胸の内に持つ言葉にならない「コトバ」にふれたとき、私たちはようやく他者と関わり、自分で考え始めることができるのではないでしょうか。そこに、人を動かす何かがある。詩を通じて、そんな経験を学生たちと共有したいと願っています。

もう一つは、母語の哲学です。「日本の」哲学の可能性というよりも、「日本語で行う」哲学の可能性を考えています。それもなるべく平易な日本語による哲学です。
海外の哲学を扱わないのではありません。それを日本語で考えてみることに秘められた創造性をさぐってみたいのです。
翻訳とは、意味を単に機械的に異なる言語に移し替えるのではありません。それは言葉による次元展開です。異なる文化的次元へと移行しようとする営みです。英語のflowerと世阿弥が「秘すれば花」といったときの「花」は同じではありません。これまでの哲学は、西洋哲学の紹介、翻訳といった色彩が濃かったように思います。哲学的問いを、哲学書だけでなく文学はもちろん芸術にまで広げながら考えてみたいと思っています。

もう一つの大きな主題は「死」です。世の中には、あまり自覚的に考えなくても生き抜くことができる問題もあります。しかし、死は、誰もが確実に経験する問題です。死を考えるとは自分の死を考えるだけではありません。大切な人の死、人々の死、そしてすでに亡くなった人の死、四つの死の認識があります。それをめぐって考えるだけでなく、それらとどう向き合うことができるのか。こうした問題を極めて行きたいと思っています。

「学び」は二者の間に起こる出来事
教室の外にこそ本当の学びがある

若松 英輔 教授

「学ぶ」という営みはそもそも時間のかかるものです。一回90分の授業では限界があります。1コマ90分、あるいは100分という長さに限界があるのではなく、もっと長い時間のなかで「学び」をとらえる視座が大切です。
そもそも、本当のことを学びたいなら、教室の中だけでは完結し得ません。むしろ、教室を出てから始まるのが、ほんとうの「学び」だとすらいえると思います。言い換えればそれは、教室を出て一週間後の授業でまた戻ってくるまでの間、教師と学生がどれだけつながっていられるかということ。すなわち学生が次に教室のドアを開けるまで向き合うことのできる問いを投げかけること、このことこそが、授業ですべき私の最大の仕事だと思っています。幸いにして、東工大生は長く思索、思考する術に長けているので、本当に、真面目に考えてきてくれるんです。

授業が終わると、私は自分の研究室には籠らず、キャンパス内の芝生のうえや百年記念館でくつろいでいます。そうすると、学生たちも話しかけやすいんです。授業で挙手するのと違って、「あ、先生」「お、どうした?」なんて具合に気軽なコミュニケーションが生まれる。教室を離れ、教師と学生という堅苦しい構図から解放されたとき、普段は言えないことを学生たちが話せたとき、そこで初めて本当の学びが起こるんじゃないかと私は考えています。「学び」とは単に教師が学生に教えるものではなく、教師と学生が同じ目線に立った時に起こる出来事だからです。

東工大への着任を考えていた頃、不思議なことがありました。以前、別の大学で一時期だけ教えていた学生に街でばったり出会い、頭を下げられたのです。
「先生のおかげで、私は今やっと自分の言葉で考えられるようになりました。そのことをずっと伝えたいと思っていたんです」と。

そして、日を置かずして偶然にもまた別の教え子に遭遇し、同じようなことを言われました。彼らを教えていたのは、その時から3年以上も前のことだったにもかかわらず、です。つまり、教育が実るのにはそれだけ時間がかかるということなんですね。
でも、そうやって長い時間をかけて学んだこと、本人のなかで醸成されたことは、その後の人生でずっと生き続けるという事実を、学生自身に私は教えられました。

物書きとして目指す理想は
「言葉が残って名前が消える」こと

若松 英輔 教授

リベラルアーツ研究教育院では2018年9月から教鞭をとっています。これまでも大学の非常勤講師や社会人向けの講座は続けてきましたが、フルタイムで大学生・大学院生を教えるのはこれが初めてです。物書きである私が、なぜ教師になろうと思ったのか。そのきっかけは師の死でした。
師は、井上洋治というカトリックの神父で、私が10代の頃から生きるとは何かを教えてくれた人でした。訃報を聞いたとき、深い悲しみとともに、打ち消し難い勢いで「今度は自分が若い人たちに教えていく番なんだ」という想いが沸き上がってきました。そのときに東工大で募集があることを知ったのです。

これは、私が文筆家になった経緯とも似ています。若い頃から物を書いて生きていきたいと思っていました。自分の書いたものが雑誌に掲載されたのは22歳です。比較的早いと思うのですが、以来、16年間何も書けなかったのです。
その間も営業マンとして成果を上げたり、起業したりと、ビジネスに情熱を捧げ、充実もしていたのですが、「書く」という営みが自分の中から立ち上らないのです。
ですが、一方で書きたいという想いは持ち続けていました。それがある日──今でもよく覚えている2006年の11月23日、「今日書かなければ一生書けなくなる」という思いに貫かれたのです。
その瞬間から4日間で書き上げたのが、後に三田文学新人賞をいただくことになる『求道の文学――越知保夫とその時代』という評論です。
この作品から物書きとしての人生が始まるのですが、今私がこうしていられるのは、越知保夫さん(1911年~1961年)のおかげだと思っています。もちろん、私は彼と面会したことはありません。私が生まれる前に亡くなっているのですから。しかし、その言葉を通じて深い交わりを経験したように思います。越知さんは優れた評論家でありながら、一冊も著作を遺すことなく病で亡くなりました。私は彼の成し得なかったことを受け継いだに過ぎません。
それまで書けなかった私が、誰かがやり残した仕事とつながったことで動き始め、自分の中にある自分の知らないものが言葉となって開花した、というのがその当時の実感なのです。
だから今、物書きとして、教師として、私が目指しているのは、「言葉が残って名前が消える」ことなのです。本物の言葉は、それを発したのが誰かとは一切関係なく、永遠に生き続けるからです。学生たちにもいつかそんな言葉を残したい。そんな理想を掲げながら、日々ものを書き、教壇に立っています。

私がリベラルアーツ研究教育院で
教えることを決めた2つの理由

若松 英輔 教授

東工大で教えたいと思った理由はまだあります。そのひとつは、この大学が水俣病と深く関わりを持っているためです。水俣病の発見が遅れてしまった理由のひとつに、当時のとある東工大教授が「水俣病の原因は、チッソ由来の有機水銀ではなく、有機アミンだ」と政府機関に発表したことがあります。
科学は暮らしを豊かにする一方で、ときに弱者をつくり出してしまう。科学の誤りが人間の「いのち」を奪ってしまうこともあるのです。ですから、科学を学ぶ学生たちには、若いうちからそのことを強く自覚してもらいたいと願っています。
何か物事を起こそうというときは常に、もっとも弱い人たちへの影響を考慮して決断し、行動できる人間になってほしいのです。私の教育の基軸にあるのは、弱い人との共存です。それは弱い人を理解していこうという考えではなく、弱い人にからいかに学ぶか、ということです。弱い人たちの存在に目を向けることも、リベラルアーツ教育の役割だと考えています。

もう一つは、仲間となる教員たちです。この人たちと時間を共有することができるなら、ある時期の人生を賭けても良いと思いました。
すでに大学に勤務している友人がいるのですが、同じ大学に勤務していても、ほとんど交わりがないと語っていました。しかし、リベラルアーツ教育研究院は違います。専門は異なるのですが、学内外でとても創造的な交わりが行われています

リベラルアーツとは、人が自由になるための扉です。自由になるとは、真実と直面するということです。真実は楽しいことばかりではありません。むしろ辛くなることのほうが多い。なぜなら、あらゆることが他人事ではなくなるからです。
たとえば、どこかの国の、ある村で台風が起きて誰かが亡くなったとします。そして、今食べている果物は、その土地で採れたものだとします。
自分が今手にしている、この果物は、もしかしたら亡くなった誰か収穫したものかもしれない。これは空想のようにも思えますが、現実でもあります。世界は自分の知らないところでつながっている。そのことを理解することは、常に楽しい学問ではないかもしれない。なぜなら、悲しみや苦しみこそ、分ち合われるべきものだからです。しかし、たしかな手応えのある学びです。知識を取りいれる「速さ」や知識の「量」を競うのでなく、学びの手応えが残る教育を目指していきたいと考えています。

Profile

若松 英輔 教授

研究分野 人間文化論、近代日本精神史

若松 英輔 教授

1968年新潟県生まれ。批評家、随筆家。慶應義塾大学文学部仏文学科卒業後、ピジョン株式会社入社。ピジョン・クオリティ・オブ・ライフ株式会社社長を経て、シナジーカンパニージャパン創業。2013年10月から2015年12月まで「三田文學」編集長を務める。2018年9月より現職。2007年「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞受賞。2016年『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』で第2回西脇順三郎学術賞受賞。2018年『詩集 見えない涙』で第33回詩歌文学館賞、『小林秀雄 美しい花』(文藝春秋)にて第16回角川財団学芸賞、第16回蓮如賞を受賞。著書に『井筒俊彦 叡知の哲学』(慶應義塾大学出版会)、『イエス伝』(中央公論新社)、『魂にふれる 大震災と、生きている死者』(トランスビュー)、『生きる哲学』(文春新書)、『霊性の哲学』(角川選書)、『悲しみの秘義』(ナナロク社)、『内村鑑三 悲しみの使徒』(岩波新書)、『言葉の贈り物』『詩集 幸福論』『本を読めなくなった人のための読書論』(亜紀書房)など。

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