リベラルアーツ研究教育院 News
【教育工学、教師教育】松田 稔樹 教授
東工大では、「教育工学」をはじめとする教職科目を担当しています。
教育工学とは、よりよい教育目標の達成を追求する学問です。“工学”という言葉から、ICT(情報通信技術)の活用を前提とした教育方法だと思われがちですが、その限りではありません。むしろ、道具や方法にこだわることは大きな間違いだと思います。
教育というのは、あくまでも内容が大事。生徒たちのどういう能力を育てたいのか、そのために何を教えるべきか、教える内容をいかに分析し、整理・統合し、表現するか──。そこが検討されていなければ、教育は始まりません。つまり、教育工学において最も肝心で基本となるのは「授業設計」であり、何を使って教えるかはその次なのです。
授業設計とは、授業を実施する前にあらかじめ学びの過程を考え、生徒の反応を予測し、それをふまえてどう支援していくかを構想・設計する作業です。要は学習目標や授業展開を分析したうえで指導案を作成していくわけですが、私の授業ではこれを「教授活動ゲーム」という自作のシステムを使って行います。
これは授業設計に必要な教員の知識や思考過程をモデル化した上で開発したシステムで、授業で扱う項目を選択したり、授業展開の要素を組み合わせたりすることで学生がどう指導しようとしているのかを解析し、その結果、生徒がどんな反応を示すかをシミュレートしていくというもの。
長年の研究成果をもとに構成された選択肢は無数にあり、それに対するレスポンスも様々です。この選択と反応を繰り返し検証することで、より良い指導案の作成や、状況や意図に応じて授業を組み立てる方法を学んでもらうのが狙いです。
授業設計では、生徒がどこで間違えるかの予測を立てることが、とても重要です。そこには、間違えた方がいいのか、間違えないように教えた方がいいのか、という区分けも入ってきます。なかには間違えないと理解できないこともあるからです。そして間違えたときはどう対応するのが望ましいか、そのために何を準備するべきか。「教授活動ゲーム」ではそこまで入念にシミュレートし、生徒たちをいかに導いていくかを思考させます。
このようにシステム化できるところはシステムに任せて、学生たちには「人にしかできない教育」を追求してもらう。そのための動機づけを行うのが私の役割だと思っています。だから、私はいつも学生たちにこう言うのです。「僕は君たちのために指導してるのではなく、君たちに教わる生徒のために授業をやっているんだよ」と。
そういうわけで、私の授業は結果的に厳しいと受け止められていますが、それだけにしっかりついて来て単位を取得した学生の4~5割は教員の道を歩んでいます。裏を返せば、うちの教職課程を選ぶ学生には、本気で教員を目指す人が多いということなのでしょう。
私自身も、東工大の出身です。もともとは、高校の数学教員になりたくてこの大学を選びました。最初は教員養成学部への進学を考えていたのですが、「高校の教員は専門性が必要だから」と担任の先生に助言され、東工大の1類(理学部)に入学したのです。ところが、入学直後の学科説明会で人工知能研究の話に心を引かれ、その後の進路は数学科ではなく情報科学科へ。もともと教育に関連した心理学に関心があり、この学科でも数学の教員免許が取れるとわかったからです。
この大学に来て何より幸運だったのは、教育工学と、その第一人者である故・坂元昂先生(東京工業大学・大学入試センター名誉教授)に出会えたことです。坂元先生は、もともと心理学が専門で、アメリカ流のインストラクショナルデザイン(教材設計)の考え方と日本の学校現場の知見を融合させた授業設計・改善手法の研究をされ、東工大では故・末武國弘先生(東京工業大学名誉教授)とともに全国でいち早く教育工学の研究を始められた方です。日本における教育工学は東工大が発祥ともいえるんですね。
私は学部3年生のときに坂元研究室に入り、修士課程修了まで指導していただきました。ただ、教育を柱にしつつも、学部4年生からは情報科学科の藤井光昭先生の研究室で統計学を学び、修士1年の時は、さらに人工知能研究をされていた小林重信先生のゼミにも参加させて頂きました。
おかげで、大岡山とすずかけ台を行き来しながら、毎日がゼミという学生生活でした。せっかくだからそれらを統合した研究をしようと考え、修士論文では「マイコンによる知的教授支援システム」をテーマに取り上げました。それが後の博士論文で礎を築いた「教授活動ゲーム」の研究につながっているのです。
今でも研究は続けています。ただし私のアイデンティティは研究者にではなく、あくまで教職課程の担当教員にあると考えています。そもそも高校教員になりたくて学んできたのです。修士修了後はそのまま教員になるつもりで、採用試験も受けて合格もしていました。そんなとき、教職課程の助手にならないかと坂元先生から誘われて、今に至るわけです。
研究はより良い教育を追求するための手段であり、主ではなく従ですから、いかに効率のよいやり方で問題解決するかを重視しています。論文として発表する意義ある研究テーマは何か、研究として成立するためには何が必要か、ひたすら考えて構成を組み立てていく。授業設計と同じですね。おかげで毎年いくつかの論文を発表し、受賞や表彰につながる成果も出せています。これも教育工学の賜なのかもしれません。
リベラルアーツ研究教育院では、教養コア科目として教養先端科目を教えています。博士後期課程の学生が、自らの専門分野に限定されない教養を身につけることを目的とした講義です。
では、ここでいう教養、リベラルアーツとは何でしょうか。
私の考えるリベラルアーツとは、サイエンスをベースに人間らしい世界を作っていく方法を体系的に学ぶことです。サイエンスというのは、欧米でいうところの、神が造った真理世界を探求する学問。一方で、人にしか生み出せないことに挑むのがアートです。
世の中のあらゆることはサイエンスとアートに分類され、それらを融合させることでより自由な思考を手に入れるのが、リベラルアーツのあるべき姿なのです。そのためには自然科学だけでなく、社会科学も人文学もトータルに学ぶ必要があります。
現在、私は「問題解決」をテーマに研究をしていますが、何らかの課題を解決に導くには、幅広い知識とそれらをまとめて関連づけて俯瞰できるリベラルアーツ的視座が不可欠です。サイエンスの知識だけあっても、またアートにだけ秀でていても、人類が抱えている様々な問題の解決には至れません。その意味では、大学や人生で学ぶすべてのことがリベラルアーツに関わっているといえるでしょう。
問題を解決するというのは、楽しいものです。本来、工学とはそういうものだからです。実際、困難にぶつかったりすると、どこかでわくわくしている自分を発見することがあります。でも、困難を苦痛と感じる人も当然いる。その差は、問題解決力の有無にあると考えています。
問題解決力とは、言い換えれば、どれだけ多くの選択肢を持っているかということ。問題の壁に追い詰められてしまうのは、代替案を考えられないからです。何ごとにおいても正解はひとつではないし、道は無数にあります。いろんな正解があれば、抜け道だって見つかるし、自分に合った方法にも出会えるかもしれません。
それは教員のあり方にもいえます。学校は、多種多様な先生がいるからおもしろいんです。自分と波長が合わない先生もいるかもしれないけれど、なかにはビビッとくる先生もいて、それで救われる生徒がいたりする。「いい先生」に正解はないんです。
そうした正解のない数多の選択肢を知るためにも、学生のみなさんには目の前に広がる様々な道を探求してほしいと思います。今の私が、東工大で学んだ教育工学と心理学、情報科学、統計学、人工知能、システム科学のすべてに支えられているように、その時々の興味の赴くままに進んだ道は決して無駄にはなりません。
学んだことが役立つかどうかは、それを活かそうとする意識や実現しようとする意欲の問題です。それを教えることこそ、教育の役割ですね。ぜひいろんなことに果敢に挑戦し、充実した楽しい学生生活を送って欲しいですね。
研究分野 教育工学、教師教育
1982年東京工業大学理学部情報科学科卒業、1984年同総合理工学研究科システム科学専攻修士課程修了。東工大工学部助手を務める傍ら、1991年東工大にて博士号取得、助教授に。2019年より現職。学外では、江戸川大学情報教育研究所客員教授を併任するほか、文部省初等中等教育局中学校課教科調査官(平成8・9年度)、文部省メディア教育開発センター客員助教授(平成10~17年度)、大学入試センター新教育課程委員会委員、教科専門委員会委員、試験問題特別専門委員会委員なども務めた経験がある。日本シミュレーション&ゲーミング学会・優秀賞と論文賞、日本情報科教育学会・全国大会優秀研究賞、科学技術融合振興財団・FOST賞など受賞多数。主な共著に『学習者とともに取り組む授業改善~授業設計・教育の方法および技術・学習評価』(学文社)など。