応用化学系 News
経験と勘に基づく分子設計から理論的設計へ
東京工業大学 物質理工学院 応用化学系の大塚英幸教授(応用化学コース 主担当)、相模中央化学研究所の巳上幸一郎主任研究員(研究当時)、杉田一CREST特任研究員(研究当時、現 本学物質理工学院研究員)らの研究チームは、DFT計算[用語1]による理論解析と実験による検証から、力学的刺激で特定の共有結合が均一に開裂する分子(ラジカル型メカノフォア、RM[用語2])の合理的設計方法を開発した。
プラスチックや繊維、ゴムなどの高分子材料は、私たちの日常生活から最先端科学技術まで幅広く使用される、社会に欠かせない有用な材料である。高分子材料を構成する高分子の鎖の一部にRMを導入すると、外部応力による共有結合の開裂後に結合の組み換えが起こり、自己修復性や再加工性が発現する。また、発生するラジカル種に由来する着色や蛍光発光が生じるため、応力検知や危険予知などに応用できる。一方でこれまでのRMの分子設計は経験と勘に基づいており、耐熱性のような所望の特性を持つRMの開発は困難であった。
本研究では、力学応答性を維持しながら高い耐熱性を有するRMの合理的な設計戦略を確立した。DFT計算を用いた理論的予測に基づいてRMを合成し、その耐熱性を実験的に検証した結果、RMの耐熱性はラジカルの安定性[用語3]と置換基のハメット定数[用語4]に関連していることが明らかになった。
本研究成果は2023年8月3日にイギリス王立化学会(RSC publishing)「Chemical Science(ケミカル・サイエンス)誌」にHot Article(注目論文)としてオンライン掲載された。
プラスチックや繊維、ゴムに代表される高分子材料は、軽量性・柔軟性・強靭性などの特徴を有するため、私たちの生活に必要な身近な製品から、航空・宇宙産業や情報通信技術といった最先端技術を支える材料まで幅広く利用されている。こうした高分子材料の劣化・破壊は、社会システムの維持や利便性、安全性、信頼性を揺るがす問題に直結する。この問題を解決するために、応力を検知・可視化することで事前に危険を知らせてくれたり、生じた傷を材料自身が修復したりできる次世代機能性高分子材料の開発が近年注目を集めている。
研究グループではこれまでに、「力学的刺激」によって特定の共有結合が均一に開裂する、ラジカル型メカノフォア(RM)と呼ばれる力学応答性分子を開発してきた。RMを高分子材料に導入すると、外部応力により高分子鎖中のRM部位で共有結合が均一に開裂し、その後の結合の組み換えによって自己修復性や再加工性が発現する。また、発生するラジカル種に由来した着色や蛍光発光が生じるため、応力検知や危険予知などに応用できる。しかし、ほとんどのRMは力だけでなく熱にも応答してしまうため、力学応答性を最大限に引き出したRMの開発は困難であった。そのため、力学応答性を維持しながら熱に対する応答性を自在に制御できれば、次世代機能性高分子材料の開発を飛躍的に促進できると期待されてきた。
今回、大塚教授らと巳上主任研究員らのグループでは、高い耐熱性を持つRMの合理的な設計戦略を実証した。DFT計算から導いたRMに対応するラジカルの安定性(RSE) とハメット定数の関係から、官能基の電子求引性を高くすれば高い耐熱性を有するRMを創出できることが理論的に予測された。そこで、電子密度の異なるビスアリールシアノアセテート(BiACA)骨格を持つ一連のRMを合成して評価することにより、RSE-ハメット定数の関連性を実験的に検証した(図1)。
一連のBiACA骨格をもつ誘導体の耐熱性を調査した結果、生成するラジカルのDFT計算によって見積もられた安定性と、電子スピン共鳴(ESR)法を用いて実験化学的に見積もられたBiACA誘導体の熱解離割合の序列が一致した(図2a)。さらに、BiACA骨格をRMとして高分子鎖中に導入し、得られた高分子をボールミル[用語5]によってすり潰し、電子スピン共鳴(ESR)法[用語6]で分析した。その結果、BiACA骨格の中心炭素-炭素結合が開裂して生成したラジカル種が観測されたため、新たに開発したRMとしての BiACA 骨格は耐熱性と力学応答性を有していることが明らかになった(図2b)。
本研究では、自己修復性や危険予知といった高機能性の高分子材料の開発につながる、RMの化学構造と熱応答性との関係性を明らかにした。この結果は、優れた耐熱性を維持しながら、様々な機能性を有するRMを設計するための系統的な指針を与えるものである。RMの性能を予測・評価できるようになったことで、室温下で自発的に駆動する機能性から力学刺激にのみ発現する機能性まで、希望する機能性を持った分子を合理的に設計できるようになり、今後の高機能性高分子材料の開発を加速することができると考える。
今回確立した合理的設計方法を用いることで、今後は、RMが組み込まれた多種多様な機能性高分子材料の開発を促進することができると考えられる。また、これまで一般的に化学分野では、仮説と実験、結果に対する考察およびフィードバックというサイクルの繰り返しだったが、今回の研究では、RMの化学に計算化学を適用できた。このことは、今後データサイエンスを取り入れていくための足掛かりとなり、この分野の加速的発展が期待できる。
本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られた。
戦略的創造研究推進事業 チーム型研究(CREST)
[用語1] DFT計算 : 化学で用いられる計算手法の一種。密度汎関数理論に基づく。
[用語2] ラジカル型メカノフォア(Radical-type Mechanophore; RM) : すり潰しや引っ張り、衝撃といった力学的な刺激により共有結合の均等開裂反応を起こす分子。
[用語3] ラジカルの安定性(Radical Stabilization Energy; RSE) : 不対電子を持つ原子や分子の相対的安定性。
[用語4] ハメット定数 : 置換基の電子供与性及び電子求引性の強さを示すパラメーター。–1に近いほど電子供与性が高く、+1に近いほど電子求引性が高い。
[用語5] ボールミル : 微細な粉末を作る装置で、金属などの硬質のボールと、対象となる材料を容器にいれて回転あるいは振動させることで、材料をすり潰す。
[用語6] 電子スピン共鳴(Electron Spin Resonance; ESR)法 : 不対電子を検出する分光法の一種。不対電子の種類や量を評価することができる。
掲載誌 : | Chemical Science |
---|---|
論文タイトル : | A rational design strategy of radical-type mechanophores with thermal tolerance |
著者 : | Yi Lu, Hajime Sugita, Koichiro Mikami,* Daisuke Aoki and Hideyuki Otsuka* (ルー・イー、杉田一、巳上幸一郎*、青木大輔、大塚英幸*) |
DOI : | 10.1039/d3sc02991c |
お問い合わせ先
東京工業大学 物質理工学院 応用化学系/
国際先駆研究機構 リビングシステムズ材料学研究拠点 教授
大塚英幸
Email otsuka@mac.titech.ac.jp
Tel 03-5734-2131
相模中央化学研究所 機能性高分子グループ 主任研究員/
グループリーダー(研究当時)
巳上幸一郎