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金属含有色素を光学活性にするナノ道具

芳香環キラル空間の新たな光学機能を発見

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2025.08.07

ポイント

  • 水中で自発的かつ安定なキラルカプセルを作製
  • 内包により金属含有色素に強い光学活性を付与
  • 熱刺激で内包体の光学活性の強弱を自在に制御

概要

東京科学大学(Science Tokyo)物質理工学院 応用化学系の橋本義久大学院生(博士後期課程2年)、同 総合研究院 化学生命科学研究所の田中裕也助教と吉沢道人教授らの研究グループは、キラル[用語1]なナノ道具を作製し、それを活用して非キラルな金属含有色素[用語2]に強い光学活性を付与することに成功しました。

生体では、光学活性なアミノ酸からなる柔らかい脂肪族[用語3]キラル空間を利用して、優れた分子識別や変換を行っています。一方、人工的な芳香環[用語4]キラル空間は、生体にない硬い骨格に由来した高い機能が期待されますが、その合成や機能はほぼ未開拓でした。そこで本研究では、金属含有色素を効率的に内包できる新たな芳香環キラル空間の創出とその機能開拓を目指しました。

研究グループはまず、軸不斉[用語5]を持つ芳香環骨格ビナフチルと親水性側鎖からなる湾曲型の両親媒性分子[用語6]を作製しました。この分子は水中で自発的に集合して、約3ナノメートルの球状キラルカプセルを形成しました。このカプセルは水中で、金属含有色素を効率良く内包し、その内包体は色素に由来する強い光学特性を示しました。特筆すべきことに、通常、光学活性化が極めて困難とされる平面で剛直の色素に対して、本手法は簡便かつ効率的に光学特性を供与できます。さらに本研究では、熱刺激によって内包体の光学特性を不可逆的に制御できることを見出しました。この新たな手法は、多段階の合成や分離を経ずに、金属含有色素へ光学特性を導入できるため、優れた光機能材料や不斉触媒反応への応用が期待されます。

本研究成果は、米国化学会(ACS)の主幹化学雑誌「Journal of the American Chemical Society」(オンライン版;オープンアクセス 6月15日)に掲載されました。

背景

生体は水中・室温で、光学活性なアミノ酸からなる柔軟な脂肪族部品の集合によりキラル空間を作り出し、優れた分子識別や変換を行っています。これに対して、剛直な芳香環部品からなる人工の芳香環キラル空間は、生体に類似した機能だけでなく、前例のない分光特性や触媒活性を持つナノ道具として期待されています。しかし、狙いとする芳香環キラル空間の作製は困難であり、また、その空間機能も未開拓でした。

これまでに吉沢らの研究グループは、非キラルな湾曲型の両親媒性分子AA(図1a)が水中で集合して、ミセル型のカプセルが形成することを明らかにしています。また、その芳香環空間は、さまざまな有機色素や金属含有色素を効率的に内包できます[参考文献1]。そこで本研究では、高い分子内包能を持つ芳香環キラル空間の構築を目指し、新たにキラルな湾曲型の両親媒性分子sBAM(図1b、c)を設計・合成しました。この分子は、1つの軸不斉な芳香環骨格のビナフチルと2つの親水側鎖を持ち、水中でミセル型のキラルカプセルを定量的に形成しました。また、このカプセルをナノ道具として活用することで、汎用的な種々の金属含有色素を効率的に取り込むとともに、特異なキラル空間機能が発現することを明らかにしました。

図1.

図1.a)既報の非キラルな湾曲型両親媒性分子AA、 b)本研究のキラルな湾曲型両親媒性分子sBAMと c)その計算構造。

研究成果

(1)水中でのキラルカプセルの形成

まず、両親媒性分子sBAMを市販の化合物から5ステップで合成しました。この分子を水に溶かすだけで、キラルカプセル(sBAM)nが定量的に形成されました(図2a)。このキラルカプセルを核磁気共鳴分光法(NMR)、動的光散乱法(DLS)や分子モデリング(MM)を用いて分析したところ、12個のsBAMからなる、平均直径が約3 nmの球形集合体の形成が示されました(図2b)。また、カプセルの紫外可視(UV-visible)スペクトルでは、310〜355 nmにビナフチル骨格に由来した吸収帯を示し、さらに、円二色性(CD)[用語7]スペクトルでは、同じ波長領域に正のコットン効果[用語8]が観測されたことから、芳香環キラル空間の形成が確認できました(図2c、d)。メタノール中および水中での蛍光スペクトルから、カプセル形成による蛍光効率の向上(1.3倍)が見られました(図2e)。また、鏡写しの立体関係にあるキラルカプセル(rBAM)nも同様に作製しました(図2d)。

図2.

図2.a)キラルカプセル(sBAM)nの形成と b)(sBAM)12の分子モデリング図、c)UV-visible、d)CDおよび e)蛍光スペクトル。

(2)金属含有色素の内包による光学活性化

得られたキラルカプセル(sBAM)nをナノ道具として活用することで、種々の金属含有色素を効率的に内包して、優れたキラル光学特性を発現させました。例えば、両親媒性分子sBAMと亜鉛含有ポルフィリン色素ZnTPの固体をすりつぶしで混合して、水を加えた後に、余剰のZnTPを除くことで内包体 (sBAM)n•(ZnTP)m の紫色水溶液が定量的に得られました(図3a)。この溶液のUV-visibleスペクトルでは、ZnTPに由来する強い吸収帯が380〜470 nmに観測されました(図3b)。またDLS、NMRやMMによる構造解析から、主生成物は5分子のZnTPを25分子のsBAMで内包した約4 nmの球状集合体であることが示されました(図3d、e)。本来は非キラルであるZnTPがキラルカプセルに内包されることで、CDスペクトルで強いコットン効果が観測されるようになり、光学活性化(非対称因子[用語9]gabs= 3 × 10–4)が達成できました(図3c)。本手法はさまざまな金属含有色素に適用できることも確かめられました。白金、銅、パラジウムを含有するポルフィリン色素や反芳香族性のニッケル含有ノルコロール色素NiDN(図3f)でも、キラルカプセルの効率的な内包によって、強い光学活性の付与(gabs = 5〜8 × 10–4)にも成功しました。

図3.

図3.a)内包体(sBAM)n•(ZnTP)mの作製と b)そのUV-visibleおよび c)CDスペクトル、d)DLSデータと e)(sBAM)25•(ZnTP)5の分子モデルおよび f)金属含有色素の構造。

(3)キラル光学特性の熱刺激応答性

この金属含有色素の内包体を加熱したところ、内包状態を維持したままで、光学活性が熱刺激に応答して変化することが明らかとなりました。CuPcの内包体の場合では、水中で80℃に加熱すると、CDスペクトルの吸収強度は大幅に減少(–91%)しました。一方、ルテチウム含有フタロシアニンダイマー色素LuPc2(図3f)の内包体では、同様の熱処理によって大幅に吸収強度が増幅(+60%、|gabs| = 5.7 × 10–3)しました。このことから、用いる金属含有色素を変えることで、光学活性の挙動を容易に調整できます。

特筆すべきことに、通常は光学活性化が極めて困難な、剛直で平面的な構造体である銅含有フタロシアニン色素CuPc(図3f)に対しても、キラルカプセルをナノ道具として活用することで、光学活性(gabs = 5.5 × 10–4)を付与できることが明らかとなりました。モデル構造を用いた理論計算から、光学活性化の鍵は、軸不斉骨格と色素骨格の効率的な分子間CH-πおよびπ-π相互作用があることが示されました。

社会的インパクト

本研究では、非キラルな金属含有色素を内包させるだけで強い光学活性を付与できる、新たなナノ道具を開発しました。さらにこの光学活性の強弱は、熱刺激でも制御できます。今回開発したナノ道具により、これまで合成化学的に困難とされてきた、金属を含有するポルフィリンやフタロシアニン色素の光学活性化が実現しました。これら色素は、強い発色や長波長の吸収帯、高い構造安定性、そして電子的・磁気的・触媒的機能を併せ持つ、魅力的な合成色素です。今後は、さまざまな機能を持つ金属含有色素をこのナノ道具を用いて光学活性化することで、新たなセキュリティ技術やメモリー材料、キラル触媒などへの応用が期待されます。

  • 付記

本研究の実施にあたり、名古屋大学の忍久保洋教授よりニッケル含有ノルコロール色素の提供を受けました。本研究は、科学研究費助成事業(課題番号:JP22H00348・JP23K17913(吉沢道人)、P25K01783(田中裕也))、科学技術振興機構(JST)次世代研究者 挑戦的研究プログラムおよび日本学術振興会(橋本 義久)の⽀援を受けて⾏われました。

  • 参考文献
  1. [1] M. Yoshizawa, L. Catti, Acc. Chem. Res. 2019, 52, 2392–2404.
  • 用語説明
[用語1] キラル:右手と左手のように、鏡像関係であり重ね合わせることのできない物質。
[用語2] 金属含有色素:金属イオンを含む有機色素。一般的な有機色素と比較して、構造の安定性が高く、色強度や色範囲などで利点が多い。
[用語3] 脂肪族:アミノ酸や糖、脂肪酸など、主に単結合からなる柔軟で鎖状や環状の骨格を持つ有機化合物。
[用語4] 芳香環:ベンゼンなど、分子内に複数の二重結合が環状に繋がり、剛直で平面な骨格を持つ構造。
[用語5] 軸不斉:複数の芳香環(ナフタレンなど)骨格を持つ分子に見られるキラルな性質。分子内の軸に対して、鏡像な関係を示す。
[用語6] 両親媒性分子:親水性と疎水性の両方を持つ分子。水中で自発的に集合して、ミセルなどの分子集合体を形成する。
[用語7] 円二色性:右回りと左回りのねじれた光(円偏光)に対して、分子が異なる吸収を示す現象。
[用語8] コットン効果:キラル分子が円偏光を吸収する際に、吸収強度が波長に応じて変化する現象。
[用語9] 非対称因子:左右にねじれた光の成分の吸収差の強さを示す数値。値が大きいほど、光に対するキラルな応答が強いことを意味する。
  • 論文情報
掲載誌: Journal of the American Chemical Society
タイトル: Chiral Aromatic Micelles as Chiroptical Host Tools for Large Metallodyes in Water
著者: Yoshihisa Hashimoto, Yuya Tanaka,* Si-Yu Liu, Hiroshi Shinokubo, Michito Yoshizawa*
(橋本義久, 田中裕也*, Si-Yu Liu, 忍久保洋, 吉沢道人*)
DOI: 10.1021/jacs.5c06179別窓

 研究者プロフィール

橋本 義久 Yoshihisa HASHIMOTO

東京科学大学 物質理工学院 応用化学系 大学院生(博士後期課程2年)
研究分野:超分子化学、有機化学

田中 裕也 Yuya TANAKA

東京科学大学 総合研究院 化学生命科学研究所 助教
研究分野:錯体化学、分子エレクトロニクス、超分子化学

吉沢 道人 Michito YOSHIZAWA

東京科学大学 総合研究院 化学生命科学研究所 教授
研究分野:超分子化学、空間機能化学

お問い合わせ

東京科学大学 総合研究院 化学生命科学研究所

教授 吉沢 道人

E-mail : yoshizawa.m.ac@m.titech.ac.jp
Tel : 045-924-5284 / Fax : 045-924-5230

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