応用化学系 News
結晶構造の多様性向上で新たな有機系デバイス実現に貢献
東京工業大学 物質理工学院 応用化学系の下村祥通大学院生および小西玄一准教授(応用化学コース 主担当)と、同大 理学院 化学系、九州大学 先導物質化学研究所 井川和宣助教(東京工業大学 大学院理工学研究科 応用化学専攻 博士課程を修了)、仏ナント大学、工学院大学の研究グループは、発光性の有機π電子系分子の分子内に橋かけ[用語1]構造を構築することにより、1分子で超高効率発光する固体発光材料を作製することに成功した。
近年、有機EL、表示材料、分析などに利用されている、固体で強く発光する蛍光色素の機能開発に大きな注目が集まっている。蛍光色素において欲しい発光色と高い発光効率を同時に実現するには、結晶状態で分子を孤立させることが理想であり、従来は色素にかさ高い置換基を導入する方法が取られてきた。しかしこの方法には、色素密度や機能の低下、加工や合成の難しさなどの欠点が指摘されている。
研究グループは、有機π電子系色素の分子内に、柔軟性のある炭化水素鎖を用いて橋かけ構造を構築することにより、1分子で高効率発光する理想的な結晶構造を作製することに成功した。こうした有機π電子系分子への橋かけ構造の導入により得られる結晶構造では、橋かけ構造のないものとは結晶形が異なる場合が多く、本手法がもたらす結晶構造の多様性の向上は、固体発光材料や有機半導体の開発に大きく貢献すると期待される。
本研究成果は、ヨーロッパ化学会連合とWiley-VCHの総合化学雑誌「Chemistry-A European Journal(ケミストリー・ヨーロピアン・ジャーナル)」ウェブ版に7月11日付で先行公開され、Hot Paper(重要論文)に選定された。さらに、研究の概念図が近日中に発行される最新号のInside Coverに掲載される。
固体状態で強く発光する蛍光色素は、これまでに有機ELをはじめとするデバイス、バイオイメージングなどに広く利用されてきた。近年の急速な用途の拡大により、応用目的に合致する光機能の設計が比較的容易で、合成が簡便で加工性に優れた有機分子が特に注目されている。色素の設計において重要なのは、固体状態(バルクまたは結晶)で欲しい発光色と高い発光効率の両方を実現することだ。そのための方法の1つに、モノマー発光(1分子が単独で発光すること)の利用がある。モノマー発光は、溶液中と固体状態の発光色(発光スペクトル)が酷似しており、分子同士の相互作用による消光が少ないという特徴がある。固体状態でモノマー発光を実現するには、色素をかさ高い分子で修飾して遮蔽するのが一般的だが、この方法では応用段階で色素密度や機能の低下、加工の難しさなどのさまざまな問題が生じてしまう。したがって、色素に小さな官能基を導入して分子間相互作用を抑制し、モノマー発光を実現する新たな分子設計戦略が求められてきた。
研究グループは、青色の有機蛍光色素として広く使われているπ電子系分子であるジスチリルベンゼン[用語2]を基本骨格とし、その2つの二重結合のまわりを短い炭化水素鎖でゆるく結合し、小さな環を導入した7員環構造の「橋かけジスチリルベンゼン」を合成した。この橋かけジスチリルベンゼンの光物理的性質を検討したところ、溶液中、凝集状態、固体状態、フィルムに分散した状態のすべてでほぼ同じ蛍光スペクトルを示し、さらに固体状態で高い発光量子収率[用語3](84%以上)を示すことから、モノマー発光を実現していることがわかった。
次に、単結晶X線構造解析を行ったところ、モノマー発光する橋かけジスチリルベンゼンは、分子間で電子的な相互作用を起こさない、π平面[用語4]が交互に捩じれた結晶構造であることがわかった(図1)。一方、橋かけ構造のない通常のジスチリルベンゼンの場合には、電子的相互作用が起こるπ平面の積層が起こり、固体状態になると発光波長が溶液中と比べて大きく長波長にシフトした(図2)。しかし、結晶における発光部位(ジスチリルベンゼン)の占有体積は、橋かけ構造の有無に関わらずほぼ同じだった。
また、橋かけジスチリルベンゼンは、機械的刺激(応力)を加えても発光色が変化しなかった。したがって、結晶、固体、フィルム分散などの加工方法を選ばずに、一定のパフォーマンスを発揮することができる。
このように、剛直なπ電子系分子へ橋かけによる小さな環を導入するだけで、その結晶構造を環がない場合から大きく変化させることができた。結晶形成のメカニズムは複雑で、現在のところ、得られる結晶形を正確に予想することはできないが、結晶構造の多様性を向上させるこの手法の発見には、大きな波及効果がある。
研究グループは過去の研究で、溶液中で消光し、固体状態で強い発光を示す凝集誘起発光(AIE)色素「橋かけスチルベン」を開発した[参考文献1]。この研究では、溶液中で蛍光を消光することを目的としていた。モデルとした橋かけフェニルスチルベンは、固体にすると分子が平面で積層し、その蛍光波長は溶液中より長波長化する。しかし、結晶構造を眺めてみると、π電子系骨格をうまく選べば、小さな橋かけ構造を使って、分子を平面で積層させずにねじらせて配置できる可能性があることがわかった。その候補の1つとして、青色発光素子として知られているジスチリルベンゼンが浮かび上がった。
本研究では、青色発光素子の1つであるジスチルルベンゼンを、分子間相互作用を排して高密度で配列させることに成功した。固体状態でも性能が低下することなく、欲しい発光色を設計できるこの技術は、発光素子や材料・生体組織の分析などへの応用をすることで、性能向上や分析精度の向上につながり、特に医療分野での発展に大きく貢献するだろう。さらにこの橋かけ構造は、今まででは困難であった、電子・光機能を有する有機π電子系分子を基盤としたデバイスの実用化にもつながる技術である。有機系デバイスは、環境への低負荷、設計における自由度の高さなどから、従来の無機系デバイスに取って代わり、我々の生活をさらに豊かにすることが予想される。
電子・光機能を有する有機π電子系分子を基盤としたデバイスの製作において、固体状態での分子の配列(結晶構造)の制御がボトルネックとなっているケースは多い。対象となる部材に対して高いポテンシャルを持つ分子を設計できても、分子の配列により、機能が低下したり、1分子とは異なる性質に変換されたりしてしまうことがある。一方、分子の配列により1分子では達成できない機能を付与することもある。固体状態での分子の配列には複数の因子が絡んでおり、現状ではその予測と設計は困難である。本研究は、既存の機能分子に環を導入することで、その配列をまったく違うものにする新技術である。この技術によってもたらされる配列の多様性の向上は、有機系デバイスの新しい可能性を拓くと考えられる。
本研究では、従来は大きな置換基を必要とした固体状態でのモノマー発光を、「橋かけ構造」という小さな置換基で実現することができた。今後はこの手法を用いて、多彩な発光色のモノマー発光性色素の開発を目指す。また、橋かけを施すπ電子系のスコープを拡大すると、これまでπ電子系骨格単独では得ることができなかった新しい結晶形が得られると考えられる。橋かけ構造の導入は、結晶中のπ電子系分子の密度を下げることなく、結晶形の多様性を拡張することのできる新しい手法である。今後の研究では、求められる機能材料に合わせた有機π電子系骨格と橋かけ構造の組み合わせで、電子・光機能を持つ新素材を生み出したい。なお、この手法に関してすでに2件の特許(未公開)を出願している。
本研究は、日本学術振興会 科学研究費助成事業 基盤研究(B)(C)、特別研究員奨励研究費(PD)、文部科学省 科学研究費助成事業 新学術領域研究(研究領域提案型)「π造形科学」、科学技術振興機構 戦略的創造研究推進事業(さきがけ)、小笠原敏晶記念財団、村田学術振興財団などの支援により行われた。
[1] R. Iwai, S. Suzuki, S. Sasaki, A. S. Siri, K. Igawa, T. Suenobu, K. Morokuma, G. Konishi, Angew. Chem. Int. Ed. 2020, 59, 10566. [DOI: 10.1002/anie.202000943]
掲載誌 : | Chemistry-A European Journal |
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論文タイトル : | Flexible Alkylene Bridges as a Tool To Engineer Crystal Distyrylbenzene Structures Enabling Highly Fluorescent Monomeric Emission(ジスチリルベンゼンへの柔らかな橋かけ構造の導入による結晶構造操作で単分子的な高効率発光を実現) |
著者 : | Yoshimichi Shimomura, Kazunobu Igawa, Shunsuke Sasaki, Noritaka Sakakibara, Raita Goseki, Gen-ichi Konishi* |
DOI : | 10.1002/chem.202201884 |