応用化学系 News
機能性ホスホン酸エステルの導入に成功
東京科学大学(Science Tokyo) 物質理工学院 応用化学系の稲木信介教授、玉野智大大学院生(当時)と京都大学 大学院工学研究科 材料化学専攻の大宮寛久教授らの研究チームは、高分子に可視光を照射することにより高分子に機能性部位を導入し、高付加価値な高分子に変換する手法を開発しました。
プラスチックに代表される高分子化合物は分子変換することで、その性質を大きく変えることができます。近年、可視光の照射という穏和な条件で駆動する光酸化還元触媒[用語1]を用いて、酸化還元活性エステル[用語2]を導入した高分子を分子変換する方法が注目されていますが、高分子主鎖上に生成する炭素ラジカル種[用語3]を利用するため、扱える反応には制約があり、複雑な機能性部位を導入することはできませんでした。
本研究では、光酸化還元触媒を用いた高分子の分子変換を行うことで、高分子にホスホン酸エステル[用語4]を導入できることを見出しました。この触媒反応では、高分子中の酸化還元活性エステル部位が脱離した後、高分子主鎖上に炭素カチオン種[用語5]が生成するため、求核剤[用語6]である亜リン酸トリアルキルとの反応が起こりホスホン酸エステルを導入できます。ホスホン酸エステルを含む高分子は、温度応答性や難燃性などの機能性があることから、リチウムイオン電池の発火を防ぐ添加剤などへの応用が期待されます。また、本手法を用いてホスホン酸エステル以外のさまざまな官能基[用語7]を自在に導入することができれば、多彩な機能性高分子の開発につながると期待されます。
成果は、「Angewandte Chemie International Edition」誌に5月15日付でオンライン掲載されました。
プラスチックに代表される高分子化合物を分子変換することで、その性質を大きく変えることができます。特に、特定の官能基を導入することによって、その特性に応じて高分子に機能性が付与されるため高付加価値化することができます。しかしながら、ポリスチレンやポリメタクリル酸メチルなどの汎用高分子は、その主鎖構造が安定な炭素ー炭素結合(CーC)や炭素ー水素結合(CーH)から構成されるため、主鎖に官能基を導入することは一般に困難です。そこで、脱離しやすい官能基をあらかじめ導入した高分子を作成し、これを分子変換反応の前駆体とすることで新たな官能基を導入する方法が盛んに研究されています。これにより、一種類の前駆体高分子から多様な機能を持つ複数種の高分子を合成することが可能となります。
近年、可視光照射という穏和な条件で駆動する光酸化還元触媒反応を用いて、高分子を変換する方法が開発されています。図1に示すように、酸化還元活性エステルを含むモノマーとアクリル酸メチルの共重合体[用語8]を前駆体高分子とし、光酸化還元触媒存在下で可視光照射することにより、フタルイミド基と二酸化炭素が脱離して主鎖上に反応性の高い炭素ラジカル種が生成します。最近の研究では、水素ラジカル源となる水素化トリブチルすず(Bu3SnH)や安定なラジカル種として知られる2,2,6,6-テトラメチルピペリジン 1-オキシル(TEMPO)を共存させることにより、高分子に水素やTEMPOを導入し新しい高分子骨格を構築できることが報告されています。しかしながら、これまでに報告されている光酸化還元触媒を用いた高分子の変換反応は、上記の炭素ラジカル種を用いた反応に限られており、導入できる官能基に制約がありました。もし前駆体高分子にさまざまな官能基を導入することができれば、多彩な機能性を付与することができると期待されます。
図1. 光酸化還元触媒を用いた炭素ラジカル種を経る高分子の官能基化の一例(従来研究)
近年、小分子化合物を対象とした有機合成化学分野において、可視光を用いる光酸化還元触媒反応が数多く開発されています。特に、フタルイミド基を有する酸化還元活性エステル化合物から、まず炭素ラジカル種を発生させ、その後、炭素カチオン種を生成させるラジカルー極性交差反応[用語9]が注目されています。これにより、さまざまな求核剤との反応が可能となります。
本研究では、高分子化合物におけるラジカルー極性交差反応での求核剤との反応を検討しました。ベンゾフェノチアジン型光酸化還元触媒の存在下、フタルイミド基を有するメタクリル酸エステルとアクリル酸メチルの共重合体を用いて、亜リン酸トリアルキル(P(OR)3)を求核剤として可視光照射を行ったところ、高分子主鎖上にホスホン酸エステルを導入することに成功しました。これは、図2に示すように、スルホニウムイオン(炭素カチオン種)を生成し、求核剤である亜リン酸トリアルキルと反応したことを意味しており、高分子化合物に対して光酸化還元触媒を用いるラジカルー極性交差反応に成功しました。一方で、目的としたホスホン酸エステルの導入に加え、水素化体の副生も観測されました。この水素化体は炭素ラジカル種が水素ラジカルと反応する副反応に由来します。今後はこの副反応の抑制が課題となりますが、今回得られた高分子は、ホスホン酸エステル、水素化体、アクリル酸メチル由来の骨格を持つ複雑な高分子構造となりました。これは対応するモノマーの重合では得ることができない特殊な構造であるため、本手法により得られた新規骨格の高分子自体の機能や付加価値も期待されます。
また、共重合のモノマーとしてスチレンを用いた場合にも本反応は進行し、対応するホスホン酸エステルを含有する高分子を得ることができました。このように、種々の前駆体高分子に対して本反応を適用できることを示しました。
図2. 光酸化還元触媒を用いたラジカル-極性交差反応による高分子へのホスホン酸エステルの導入(本研究)
ホスホン酸エステルを含む高分子は、一般的に特異な温度応答性や難燃性などの機能性があることから、リチウムイオン電池の発火を防ぐ添加剤などへの応用が検討されています。本手法を用いてホスホン酸エステルを含むさまざまな骨格の高分子を合成することにより、その応用開発が進展すると期待されます。
本研究により、光酸化還元触媒を用いる穏和な条件で高分子に求核剤由来の官能基を導入できることを示しました。現状では副反応として水素化が併発するため、ホスホン酸エステルの選択的導入法を確立することが今後の課題となります。また、水素化を抑制することができれば、亜リン酸トリアルキル以外の求核剤を導入できる可能性があるため、条件の最適化を検討します。これが実現すると、さまざまな官能基を自在に導入することができ、多彩な機能性高分子の開発につながると期待されます。
本研究は、科学研究費助成事業 学術変革領域研究(A)グリーン触媒科学(課題番号:23H04914、23H04912)の支援を受けて行われました。
[用語1] | 光酸化還元触媒:光を吸収して基質の一電子酸化や一電子還元に活性を示す触媒。光励起された状態から基質を一電子酸化(または還元)した後、さらに一電子還元(または酸化)することにより触媒サイクルが機能する。代表例として、遷移金属錯体や芳香族有機化合物があり、後者は有機光酸化還元触媒とも呼ばれる。 |
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[用語2] | 酸化還元活性エステル:酸化還元に対して反応性を示すエステル化合物のこと。本研究で使用したフタルイミドエステルは、一電子還元の後、フタルイミドアニオンおよび二酸化炭素が脱離し、炭素ラジカル種を生じるため、さまざまな有機合成や分子変換に有用である。 |
[用語3] | 炭素ラジカル種:炭素原子上に不対電子を有する分子のこと。高い反応性を有し、さまざまな結合形成反応に有用である。 |
[用語4] | ホスホン酸エステル:一般式R−P(=O)(OR')2で表される化合物のこと。本研究では高分子主鎖上に炭素-リン結合(CーP)を有するホスホン酸エステルを導入した。 |
[用語5] | 炭素カチオン種:炭素原子上に正電荷を持つカチオン種のこと。カルボカチオンとも呼ぶ。強い求電子性を示し、求核剤などと反応しやすい性質を持つ。 |
[用語6] | 求核剤:電子密度が低い原子と反応し、結合を作る化学種のこと。孤立電子対をもち、求核的な反応において電子対を供与する。 |
[用語7] | 官能基:化合物に特定の化学的な性質を与える原子団。 |
[用語8] | 共重合体:二種類以上のモノマーを用いた重合(共重合)により生成する高分子のこと。コポリマーとも呼ぶ。 |
[用語9] | ラジカルー極性交差反応:化学反応において、ラジカル種の生成後、一電子酸化または還元により正電荷を持つカチオン種または負電荷を持つアニオン種が生成して関与する極性反応のこと。 |
掲載誌: | Angewandte Chemie International Edition |
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タイトル: | Organophotoredox-Catalyzed Postfunctionalization of Poly(methacrylate) Derivatives via Radical–Polar Crossover Phosphonylation |
著者: | Tomohiro Tamano, Kosuke Sato, Hirohisa Ohmiya, Shinisuke Inagi |
DOI: |
10.1002/anie.202507572![]() |
稲木 信介 Shinsuke INAGI
東京科学大学 物質理工学院 応用化学系 教授
研究分野:高分子化学、有機電気化学
大宮 寛久 Hirohisa OHMIYA
京都大学 大学院工学研究科 材料化学専攻 教授
研究分野:有機合成化学