応用化学系 News
創薬における3次元化合物の多様性を拡張
東京工業大学 物質理工学院 応用化学系の下世明日葉大学院生、永島佑貴助教(研究当時、現 東京大学 大学院薬学系研究科 助教)、田中健教授(応用化学コース 主担当)、および東京大学 大学院薬学系研究科の内山真伸教授を中心とした研究グループは、ホウ素元素と光エネルギーを組み合わせることで、2次元化合物から高度に縮環された3次元化合物を合成する新しい分子変換反応を開発した。
高度に縮環[用語1]された3次元化合物は、縮環数が高いほど分子の形が固定化され、標的特異的な生理活性・代謝安定性・細胞膜透過性などの創薬パラメータ[用語2]が向上しやすいことから、医薬品候補化合物として創薬の分野で注目されている。2次元芳香族化合物[用語3]を原料として、芳香族性を破壊しながら修飾する手法は、原料の入手容易性、生成物の多様性の観点から、3次元化合物を合成する最も優れた手法である。しかし、代表的な2次元化合物の一つであるキノリン[用語4]からは、合成できる3次元化合物に大きな制約が存在し、医薬品候補化合物の探索を妨げてきた。
研究グループは、ホウ素元素と可視光エネルギーを利用することで、2次元化合物であるキノリンから3次元化合物テトラヒドロキノリン[用語5]を一段階で合成する新しい分子変換反応を開発した。さらに、分光学と計算化学の両面から詳細に解析することで、ホウ素元素と可視光エネルギーを利用する本手法が、多様な3次元化合物の合成にも有効であることを見いだした。
今回の成果によって多様な3次元化合物への簡便なアクセスが実現できたことで、医薬品、生理活性物質、有機材料などの複雑な有機化合物が効率的に得られるようになるとともに、太陽光などの自然エネルギーを利用した持続可能な物質生産にも貢献できると期待される。
研究成果は、ドイツ化学会誌「Angewandte Chemie International Edition」の掲載に先立ち、5月27日(現地時間)にオンライン掲載された。
高度に縮環された3次元化合物は、縮環数が高いほど分子の形が固定化され、標的特異性な生理活性・代謝安定性・細胞膜透過性などの創薬パラメータが向上しやすいことから、創薬の分野で重要な化合物群である。しかし、複雑な環状分子を得るためには、段階的な化学反応の実施と収率の低い環化反応の利用が必須であるため、合成に必要なコストが高く、合成可能な分子の種類は大きく限られていた。
近年、2次元の環状分子である芳香族化合物を原料とすることで、芳香族性を破壊しながら修飾することで3次元化合物を合成する手法が注目を集めている。この手法は、一段階の化学反応であり、かつ環化反応を利用する必要がないため、合成に必要なコストが低く、多様な環状3次元化合物を合成できる優れた手法だと期待されている。そのため、さまざまな芳香族化合物を原料とした分子変換反応が開発されてきた。代表的な芳香族化合物の一つである、ベンゼン環とピリジン環が縮環された分子であるキノリンについても、3次元化の検討がなされており、ベンゼン環側を3次元化する手法は多数報告されている。しかしながら、ピリジン側環を3次元化する手法が乏しいことが3次元化合物の合成において大きな制約となり、医薬品候補の探索を妨げてきた。
上記の背景のもと、研究グループは、2次元化合物キノリンに対してピリジン環側を3次元化させる新しい手法を開発することで、これまで合成困難であった3次元化合物テトラヒドロキノリンを開拓できると考え、研究に着手した。さらに、新たに開発した手法に関して、分光学・計算化学の両面から解析することで、ホウ素元素と可視光エネルギーを利用する本手法が、テトラヒドロキノリン以外のより多様な3次元化合物の合成にも有効であることを見いだした。
研究グループはこれまでに、入手容易な芳香族化合物であるキノリンを原料として、有機リチウム試薬による求核付加と、シリルボランと呼ばれるケイ素とホウ素が結合した試薬の添加、および可視光照射という3つの手法を組み合わせることで、テトラヒドロキノリン誘導体の簡便な合成法を報告している。本研究では、このようなホウ素アート錯体の光化学的特性を付加環化反応に利用し、高度に縮環した3次元化合物を合成できないかと考えた。
初めに、キノリンにブチルリチウムが求核付加して生じるアニオン性の中間体Aに対して、アルケンを加えて可視光照射を行い、付加環化反応が進行する条件を探索した。しかし、未反応の化合物Bと再芳香族化した化合物Cが得られるだけで、目的の付加環化反応は進行しなかった。一方で、中間体Aにホウ素試薬としてピナコールボラン(HBpin)を添加し中間体Dを形成したところ、目的の化合物Eが選択的に得られることを発見した。得られた分子は、単結晶X線構造解析[用語6]によって構造を決定した。解析の結果、求核付加によって導入された官能基と、新たに形成された環が、すべて決まった位置に導入され、かつ互いに逆向きの立体配置である化合物が選択的に得られたことを確認した。さらに条件を最適化していった結果、本反応をさまざまなキノリン誘導体(2次元化合物)に適用することで、最終的には最大収率99%以上、37種類以上の高度に縮環したテトラヒドロキノリン(3次元化合物)を合成することができた。
今回見いだした分子変換反応は、光反応を促進させるためにしばしば利用されるイリジウム光増感剤[用語7]などを用いた場合には全く進行せず、ホウ素試薬が特異的に反応を促進できることが分かった。そこで、ホウ素試薬の役割を探るべく、分光学的手法と計算化学的手法の両面から反応のメカニズムを解析した。
まず、ホウ素試薬の役割が「光吸収によって生じる励起状態を安定にすること」ではないかと仮説を立て、分光測定[用語8]を行った。吸収・発光・りん光スペクトル測定など、幅広い測定を行ったが、ホウ素の有無にかかわらず安定な励起状態に移行することが示唆され、この仮説は誤っていることが分かった。
次に、ホウ素試薬の役割が「励起状態における化学反応を促進すること」ではないかと仮説を立て、密度汎関数法[用語9]による計算によってコンピュータシミュレーションを行った。目的の付加環化反応と目的ではない再芳香族化反応の二通りの反応に関して、どちらが速く反応が起こるか(=活性化エネルギーの大小)を比較した。その結果、ホウ素試薬を加えない場合では、目的ではない再芳香族化反応の方が速かったのに対して、ホウ素試薬を加えた場合では、目的の付加環化反応の方が速く起こることが判明した。つまり、ホウ素元素によって「目的の付加環化反応を促進しつつ」「副反応である再芳香族化を抑制する」ことで、3次元化合物合成が実現していることが明らかになった。
最後に、得られた知見を基に、キノリン以外の2次元化合物を原料にすることで、より多様な3次元化合物の合成を試みた。その結果、高度に縮環したテトラヒドロキノリンの二量体や、医薬品候補化合物として重要なテトラヒドロイソキノリン[用語10]誘導体を合成できた。さらに、機能性材料として重要な多環芳香族炭化水素[用語11]の一つであるフェナントレンを原料とすることで、含ホウ素3次元化合物の合成にも成功した。いずれの反応も、ホウ素試薬がない場合には反応は進行しなかったことから、本手法が多様な3次元化合物へのアクセスを可能にする有用な手法であることが示された。
本成果は、医薬品や生理活性物質、有機材料などのさまざまな機能性分子の探索に貢献できると期待される。また、本成果は可視光を利用した分子変換法であり、将来的には太陽光も利用できる可能性がある。そのため、持続可能な開発目標(SDGs)の観点からも重要性の高い結果である。
今回の研究によって、2次元化合物であるキノリンから、3次元に高度に縮環したテトラヒドロキノリン誘導体の簡便な合成法を開発した。今後、ホウ素の特性を活かしたさらに多様な3次元骨格の構築へと挑むとともに、創薬の標的分子に対する生理活性や生体内安定性をはじめとする3次元化合物の新しい特性を解明していきたい。
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業(No.24H01067、No.24H01839、No.23H01956、No. 22H05346、No.22H00320、No. 22H05125)、国立研究開発法人 科学技術振興機構(JST)創発的研究支援事業(FOREST)(JPMJFR221Y)、戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)(JPMJCR19R2)、公益財団法人 旭硝子財団、東京工業大学 挑戦的研究賞の支援を受けて行われた。
[用語1] 縮環 : 環式化合物で、一つの環を構成する2個以上の原子が、同時に別の環の構成原子になっているような場合を指す。
[用語2] 創薬パラメータ : 医薬品探索において、生体内の標的分子への生理活性だけでなく、生体内代謝安定性、細胞膜の透過性、薬物動態、望まない生体内分子との親和性、など複数のパラメータを評価して、化合物を総合的に最適化していく必要がある。これらのパラメータを総じて創薬パラメータと呼ぶ。
[用語3] 芳香族化合物 : 環状の不飽和有機化合物の一群のうち、4n + 2 個のπ電子を有する共役不飽和環構造を有する化合物のこと。π電子を複数の原子で共有することによって、分子全体が大きく安定化されている。
[用語4] キノリン : 分子式C9H7Nで表され、炭素で構成されるベンゼン環と窒素原子を含むピリジン環が縮環した2次元平面化合物。
[用語5] テトラヒドロキノリン : キノリンを水素還元することで得られる3次元化合物。
[用語6] 単結晶X線構造解析 : 分子が規則正しく配列した結晶物質にX線を照射して起こる回折現象を利用して、分子構造を調べる解析手法。
[用語7] 光増感剤 : 自らが光を吸収して得たエネルギーを他の物質に渡すことで、反応や発光のプロセスを助ける役割を果たす物質のことである。
[用語8] 分光測定 : 光を波長ごとに分解し、それぞれの大小(強度)を配列するスペクトルを得ることによって、対象物の物性を調べる測定手法のこと。吸収スペクトルとは、試料に紫外光または可視光を照射し、その照射波長を連続的にスキャンしながら、試料が吸収する光量(吸光度)を測定し、波長と吸光度をプロットした2次元グラフのこと。発光スペクトルとは、試料に特定の波長の光を照射したあとに、試料が発光する光量(発光度)を測定し、波長と発光度をプロットした2次元グラフのこと。りん光スペクトルとは、発光スペクトルのうち、長寿命の発光のみを取り出して得られるグラフのこと。
[用語9] 密度汎関数法 : エネルギーなどの物性を電子密度から計算することが可能であるとする密度汎関数理論を用いた計算手法。
[用語10] テトラヒドロイソキノリン : テトラヒドロキノリンの窒素原子の場所が変化した化合物。
[用語11] 多環芳香族炭化水素 : ヘテロ原子や置換基を含まない芳香環が縮合した炭化水素の総称。
掲載誌 : | Angewandte Chemie International Edition |
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論文タイトル : | Dearomative Construction of 2D/3D Frameworks from Quinolines via Nucleophilic Addition/Borate-Mediated Photocycloaddition |
著者 : | Asuha Shimose, Shiho Ishigaki, Yu Sato, Juntaro Nogami, Naoyuki Toriumi, Masanobu Uchiyama, Ken Tanaka*, and Yuki Nagashima* |
DOI : | 10.1002/anie.202403461 |
お問い合わせ先
東京工業大学 物質理工学院 応用化学系(研究当時、現 東京大学 大学院薬学系研究科)
助教 永島佑貴
Email nagashima.y.ae@m.titech.ac.jp; y.nagashima@mol.f.u-tokyo.ac.jp
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東京工業大学 物質理工学院 応用化学系
教授 田中健
Email tanaka.k.cg@m.titech.ac.jp
Tel 03-5734-2120