応用化学系 News
細胞接着やがん、線維症など病態の解明に光
東京工業大学 物質理工学院 応用化学系の田中拓哉大学院生と小西玄一准教授(応用化学コース 主担当)、九州大学 大学院理学研究院 生物科学部門 松本惇志博士と池ノ内順一教授らの研究チームは、高光安定性かつ低毒性のソルバトクロミック蛍光色素[用語1]を開発し、約1時間の細胞分裂において、細胞膜中の脂質の組成や流動性を連続撮影することに成功した。
生きた細胞の生体膜中の脂質層の組成や秩序とその時間変化の解析は、細胞接着やシグナル伝達などの生命現象や、がんなどの病態形成の解明の鍵を握っている。しかし、従来用いられてきた蛍光色素には高い毒性や低い光安定性といった問題があり、生きた細胞膜の脂質組成などの長時間観察はこれまで実現されていなかった。
本研究チームは、蛍光の極性応答に必要な電子受容性官能基[用語2]として、脂質に含まれるエステル結合を用いてソルバトクロミック蛍光色素を開発した。細胞死を誘導せず、強いレーザー光を照射しても安定なこの新しい色素を用いることで、生命イベントの連続的な可視化に成功した。この色素は一般的な蛍光顕微鏡だけでなく、数ナノのサイズを判別する超解像顕微鏡にも用いることができ、多様な膜機能の解明、細胞外/細胞内刺激に応答した膜タンパク質の活性化などのメカニズム解明につながると期待される。
本研究成果は、総合科学雑誌「Advanced Science」(インパクトファクター: 15.1)に3月12日(現地時間)に公開された。
生きた細胞内で起こるイベントの可視化とその基礎的なメカニズム解明は、疾患の理解と治療方法の確立に貢献するものとして、以前から研究が行われている。そうしたイベントの長時間に渡る連続観察は、下村脩博士によってオワンクラゲから単離された蛍光タンパク質(FP)とその発展型のFPが細胞の様々な部位に適用されたことで、大きな進歩を遂げた(2008年ノーベル化学賞)。しかし、生体膜における脂質組成の変化が引き起こす膜の秩序と流動性の観察は、脂質と比べて巨大な分子であるFPを用いた解析では困難なため、これまで実現していなかった。
生体膜は、細胞の形態形成、運動性、物質交換、シグナル伝達などのプロセスを制御することで、細胞機能において重要な役割を果たしている。また上皮細胞におけるがんや線維症などの病態形成にも関係している。生体膜の基本構造である脂質二重膜は、数千種類もの異なる脂質分子から構成されるが、個々の脂質分子種の機能はほとんど明らかになっておらず、生命科学のフロンティアの一つである。生きた細胞膜の組成解析にはこれまで、膜中の脂質組成に応じて発光色を変化させる、化学合成されたソルバトクロミック蛍光色素が用いられてきた。現在、その標準色素としては、プロダン(1979年)と当研究室が開発したピレン色素PK(2013年 [参考文献])が知られている。しかしそうした有機蛍光色素は、蛍光の明るさが不足することや、毒性があるために長時間の観察が細胞死を誘導することなど、それぞれ欠点があり、生きた細胞活動の全容を長時間に渡って追跡することが困難であった。
研究グループは、発光特性、光安定性、低毒性のすべての性質を最適化した実用的なソルバトクロミック膜プローブを開発するために、ソルバトクロミック色素の電子受容基として、生体適合性が高いと予想されるカルボン酸エステルを採用し、様々なπ電子系骨格[用語3]との組み合わせを検討した。系統的な色素の合成と細胞の染色実験による探索の結果、π共役拡張フルオレン色素FπCMが発光特性、光安定性、低毒性においてバランスの取れた分子設計であることが分かった(図2)。FπCMの蛍光輝度[用語4]は、標準色素であるプロダンの370の約100倍であり、顕微鏡観察に理想的な色素である。また、蛍光強度の経時変化を調べたところ、光安定性と生体への適合性が高いことが確認できた(図3a)。
このFπCMを用いて、生命現象の一つである細胞分裂を観察したところ、従来色素のPKでは見られなかった細胞分裂の一部始終の観察に成功した(図4)。またFπCMとPKを用いて細胞膜の形態変化を観察したところ、PK観察時には細胞死(アポトーシス)[用語5]の進行に伴う変化が観察されたが、FπCMではそうした変化は見られず、明らかに細胞毒性が低いことが分かった。(図3b) さらにFπCMは、比較的強力なレーザー光を用いても壊れないため、強いレーザー光が必要な超解像顕微鏡での観察も可能であることが確認できた。
本研究は、1979年に蛍光ソルバトクロミック蛍光を示す膜プローブが開発されて以来、約50年間残されていた光安定性と毒性の問題を解決した。観察のためのメソッドが新たに確立されたことで、細胞接着のメカニズムの解明といった細胞レベルでの基礎研究の発展や、がんや線維症などの疾患の原因追及や治療方法の確立への貢献が期待される。また、市販されている従来色素より低コストで合成可能であることから、研究者が手に取りやすく、新たなスタンダード色素としての普及が見込まれる。
研究グループでは、今回開発した色素を、生命イベントに伴う形態変化や脂質組成の解析や、超解像光学顕微鏡を用いた極微少領域の観察に応用するための研究を進めている。そこからさらに、細胞膜の脂質組成とタンパク質機能との未解明な相関関係を明らかにし、生命イベントのメカニズムを紐解いていくことを目指している。本研究で利用したカルボン酸エステルを含む有機蛍光色素は、細胞イメージング以外でも発光色素として優れた性質を示すことから、高分子材料や有機-無機発光材料分野への応用も検討中である。
質量分析の測定は、オープンファシリティセンター分析部門すずかけ台の小泉公人氏に依頼した。研究室から独立した機関で測定することにより、データの客観性を保証することを目的としている。
本成果は、文部科学省科学研究費助成事業(22KJ2374, 21K19231, 23K18141, 23H05145, 17H05145)、科学技術振興機構・創発的研究支援事業(JPMJFR204L)、さきがけ(JPMJPR1096)、九州大学R4年度理学研究院若手支援プロジェクト(22-S1)、JST 科学技術イノベーション創出に向けた大学フェローシップ創設事業JPMJFS2112および長瀬科学技術振興財団の支援によるものである。
Y. Niko, S. Kawauchi, G. Konishi, Chem. Eur. J. 2013, 19, 9760.
[用語1] ソルバトクロミック蛍光色素 : 周囲の極性環境によって蛍光波長が変化する色素。機能性蛍光色素として、バイオイメージングだけでなく、化学センサーとして広く用いられている。
[用語2] 電子受容性官能基 : 電子を吸引し、電子密度を小さくする効果を持つ置換基の称号。逆に電子を供与する置換基を電子供与性官能基と呼ぶ。
[用語3] π電子系骨格 : 二重結合などのπ結合によって形成される骨格のこと。多環芳香族炭化水素のピレン、ナフタレン、アントラセン、フルオレン、フェナントレンなどが代表例である。
[用語4] 蛍光輝度 : 物質が放出する光の強さを表す。一般に蛍光輝度は、吸光係数と蛍光量子収率の積で定義される。
[用語5] 細胞死(アポトーシス) : 構造的な損傷による細胞死ではなく、細胞間シグナルやストレスなどの外部環境に応答した自発的な細胞死を意味する。
[用語6] 共焦点顕微鏡 : 高い空間分解能を持ち、生物や材料の三次元構造を観察するのに適している。サブミクロンレベルの限られた厚みの情報を取得することで、細胞の内部構造を生きたまま観察することができる。
掲載誌 : | Advanced Science |
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論文タイトル : | Fluorescent solvatochromic probes for long-term imaging of lipid order in living cells(和訳:生きた細胞内の脂質秩序を長期間イメージングする蛍光ソルバトクロミックプローブ) |
著者 : | Takuya Tanaka1, Atsushi Matsumoto2, Eiji Tsurumaki3, Andrey S. Klymchenko4, Junichi Ikenouchi2,*, Gen-ichi Konishi1,*,(田中拓哉1, 松本惇志2, 鶴巻英治3, アンドレイ・クリムチェンコ4, 池ノ内順一2,*, 小西玄一1,*) |
所属 : | 1. 東京工業大学 物質理工学院 応用化学系 2. 九州大学 大学院理学研究院 物質化学生命系 3. 東京工業大学 理学院 化学系 4. ストラスブール大学 |
DOI : | 10.1002/advs.202309721(オープンアクセス記事。無料で閲覧可能。関連リンクに論文の日本語訳を載せました。) |
お問い合わせ先
東京工業大学 物質理工学院 応用化学系
准教授 小西玄一
Email konishi.g.aa@m.titech.ac.jp
Tel 03-5734-2321
九州大学 理学研究院 生物科学部門
教授 池ノ内順一
Email ikenouchi.junichi.033@m.kyushu-u.ac.jp
Tel 092-802-4292