応用化学系 News
電子の授受でカプセル構造の集合と分散を操る
東京工業大学 物質理工学院 応用化学系の遠山和希大学院生(博士後期課程1年)、同 科学技術創成研究院 化学生命科学研究所の田中裕也助教(応用化学コース 主担当)と吉沢道人教授(応用化学コース 主担当)は、サンドイッチ型分子「フェロセン」の殻を持つナノカプセルの新構築法を開発した。このカプセルを利用することで、平面状分子や球状分子の簡便な内包に成功した。また、電子不足分子の内包で、特異な近赤外吸収帯[用語1]が出現した。さらに、このカプセルは電子の授受により分散と集合を制御することができ、その外部刺激で内包分子の放出にも成功した。本研究成果は、フェロセンカプセルによる新たな刺激応答性材料への展開が期待される。
フェロセンは鉄イオンを有機分子で挟んだサンドイッチ型の有機金属化合物で、高い酸化還元反応[用語2]性から機能性電子材料の骨格として注目されている。フェロセンを精密に集合させることで、新たな電子機能や空間機能が期待されるものの、そのような高集合化した構造の合理的な構築手法は未開拓であった。本研究では、新たにフェロセンを持つ湾曲型の両親媒性分子[用語3]を設計・合成した。この分子が水中で瞬時に集合することで、高密度なフェロセンの殻を持つナノカプセルの形成に初成功した。また、このカプセルの内部空間は、水中で平面状分子や球状分子を効率良く取り込むことできる。特に電子不足な分子を内包することで、カプセルとの効果的な電荷移動相互作用[用語4]に基づく近赤外吸収帯(650~1,350 nm)を示した。カプセルは電子の授受で、その構造の分散と集合を制御することが可能であり、内包分子の放出とともに近赤外吸収帯の解除にも成功した。
これらの研究成果は、欧州の主幹化学雑誌Angewandte Chemie(アンゲヴァンテ・ケミー)にオープンアクセスで掲載された(オンライン版:7月5日、冊子版:印刷中)。
フェロセンは、2つの有機分子で1つの鉄イオンを挟んだサンドイッチ型の構造の有機金属化合物である(図1a)。1951年に偶然発見され[参考文献1]、1973年にノーベル化学賞の受賞対象となった。有機骨格と金属イオンの融合による優れた電子授受能を持つことから、機能性電子材料の原料として注目され続けている化合物である。フェロセンが高密度かつ精密に集合することで、単独では見られない応答性の電子機能や空間機能が期待されるが、既存の構築手法ではフェロセンをカプセル型に高集合化することは未達成であった。
そこで本研究では、独自に開発した有機骨格からなる湾曲型の両親媒性分子[参考文献2][参考文献3]を基に、新たに2つのフェロセンを含む湾曲型の両親媒性分子FAを設計・合成した(図1b左)。この分子が水中で自己集合することで、高密度なフェロセンの殻を持つナノカプセル(FA)nが構築できると考えた(図1b右)。実際にFAは水中で、フェロセンが密に集合した球状のカプセルを形成し、平面状や球状分子を効率良く内包できた。特に電子不足な分子を内包すると、カプセル骨格との電荷移動相互作用に基づく近赤外吸収帯を示した。また、このカプセルは電子の授受によって、その構造の分散と再集合を制御でき、カプセルの分散に伴う内包分子の放出にも成功したので、以下にその詳細を説明する。
まず、湾曲型両親媒性分子FAは黄橙色の固体として、全6段階の反応により合成した。FAを室温で水に溶かすことで、フェロセンの殻を持つナノカプセル(FA)nが瞬時に形成した(図1b)。ナノカプセルの構造は主に、8つのフェロセンが密集した球状4量体(FA)4であることが、動的光散乱法(DLS)による粒径分析と分子モデリングから判明した(図2c)。このナノカプセルは、外部刺激として酸化還元反応による電子の授受を行うことで、その構造の集合・分散挙動を示した(図2a)。実際に、ナノカプセルに水中で酸化剤を添加すると酸化体FA2+が生成し、そのイオン的な反発と親水性の増加により、カプセル構造が分散した。次に、この分散状態に還元剤を添加すると元のカプセル(FA)nが再形成することを、粒径測定から明らかにした。紫外可視(UV-visible)吸収スペクトルより、このカプセルの集合と分散の応答は、10回以上繰り返せることを確認した(図2b)。
ナノカプセル(FA)nにより、代表的な電子不足分子であるクロラニル(Chl)[用語5]の効率的な内包に成功した(図3a左)。実際に、FAとChlの固体を良く混合してから水を加え、遠心分離とろ過を行うことで、内包体(FA)n•(Chl)mが得られた。粒径と吸収測定、分子モデリングにより、形成した内包体は主に、8分子のFAで2分子のChlを内包した直径約2.5 nmの球状構造体であることを明らかにした(図3b)。この内包体は、650~1,350 nmの近赤外(NIR)領域に幅広な吸収帯を示した(図3c)。この吸収帯は、FAとChlが単に共存する有機溶媒中では見られず、内包によって誘起される特異的な現象である。量子化学計算から、この現象は、ナノカプセルのフェロセン骨格とChlが空間内で近接し、電荷移動相互作用が効率的に働くことに由来することが判明した。
上述の酸化還元応答性を活用することで、カプセルに内包された種々の分子を放出することに成功した(図3a右)。例えば、内包体(FA)n•(Chl)mの水溶液に酸化剤を加えることで、カプセルの分散とともにChlの放出が起こり、この不溶性のChlを回収することができた。続いて還元剤を加えることで、カプセルが再生した。この放出過程は、UV-visible-NIRスペクトルでの吸収帯の消失で簡単に追跡できる(図3c)。
同様の現象は、代表的な電子不足分子であるテトラシアノキノジメタン(TCNQ; 図3d)でも観測することができた。また、平面状分子の銅フタロシアニン(CuPc)や球状分子のフラーレン(C60)も効率的な内包を達成し、ペリレンジイミド(PDI)では外部刺激による放出にも成功した。
本研究では、サンドイッチ型分子「フェロセン」を活用した新しいタイプのナノカプセルを構築し、水中で平面状・球状分子や電子不足分子の効率的な内包に成功した。また、分子内包に誘起された特異的な近赤外吸収帯の発現と電子授受による外部刺激を駆動力とした内包分子の放出を達成した。今後は、本手法を応用して、様々な外部刺激に応答可能なナノカプセルの開発を進めるとともに、分子内包で現れる新たな現象を解き明かしていきたい。
本研究は、科学研究費助成事業および三菱財団 自然科学研究助成(代表:吉沢道人)、松籟科学技術振興財団および中部電気利用基礎研究振興財団 研究助成(代表:田中裕也)、⾼度⼈材育成フェローシップ(遠山和希)の⽀援を受けて⾏われた。
[用語1] 近赤外吸収帯 : 700 nm以上の光の吸収領域。生体透過性が高い領域のため、近赤外吸収帯を持つ分子は生体適合材料への応用が期待されている。
[用語2] 酸化還元反応 : 電子の放出(酸化)と受け取り(還元)が関与する化学反応。
[用語3] 両親媒性分子 : 親水性と疎水性(=親油性)の両方の性質を持つ分子。水中で自発的に分子の集合体を形成する。
[用語4] 電荷移動相互作用 : 電子豊富な分子から電子不足な分子への部分的な電子移動に基づく相互作用。
[用語5] クロラニル : 4つの塩素原子を含むベンゾキノンの誘導体。代表的な電子不足分子で、有機電子材料への応用が研究されている。
掲載誌 : | Angewandte Chemie International Edition |
---|---|
論文タイトル : | A Redox-Responsive Ferrocene-Based Capsule Displaying Unusual Encapsulation-Induced Charge-Transfer Interactions (特異な内包誘起電荷移動相互作用を発現するレドックス応答性フェロセンカプセル) |
著者 : | Kazuki Toyama, Yuya Tanaka* and Michito Yoshizawa* (遠山和希、田中裕也*、吉沢道人*) |
DOI : | 10.1002/anie.202308331 |
お問い合わせ先
東京工業大学 科学技術創成研究院
化学生命科学研究所
助教 田中裕也
Email ytanaka@res.titech.ac.jp
Tel 045-924-5229
東京工業大学 科学技術創成研究院
化学生命科学研究所
教授 吉沢道人
Email yoshizawa.m.ac@m.titech.ac.jp
Tel 045-924-5284 / Fax 045-924-5230