応用化学系 News
脱共役プロトン電子移動による触媒反応の制御
東京工業大学 地球生命研究所(ELSI)の中村龍平教授(理化学研究所環境資源科学研究センター生体機能触媒研究チーム チームリーダー、応用化学系 地球生命コース 主担当)、理化学研究所環境資源科学研究センター生体機能触媒研究チームの大岡英史研究員、何道平国際プログラム・アソシエイト(研究当時、現東京工業大学 地球生命研究所(ELSI)研究員)らの国際共同研究グループは、一つの固体触媒[用語1]から複数の窒素化合物を選択的[用語2a]に合成することに成功しました。
本研究成果は、環境汚染を引き起こす亜硝酸イオン(NO2-)を無害化し、目的に応じた窒素化合物を選択的に合成する化学プロセスの確立に貢献すると期待できます。
亜硝酸イオンを還元すると、一酸化窒素(NO)や一酸化二窒素(N2O)、アンモニア(NH3)、窒素(N2)などさまざまな化合物が生成します。これらは、化学産業を支える重要な化合物である一方、さまざまな化合物が混ざってしまうと化学合成への利用が困難になります。そのため、これまで欲しい化合物を得るには、各反応に適した複数の触媒を使い分ける必要がありました。
今回、国際共同研究グループは、脱共役プロトン電子移動[用語3]反応を駆動するモリブデン硫化物(MoS2)を触媒とすれば、一つの触媒でも、pHや電位などの反応条件を変えるだけで、複数の窒素化合物を選択的に合成できることを実証しました。
本研究は、科学雑誌『Nature Catalysis』オンライン版(9月12日付:日本時間9月13日)に掲載されました。
豊かな生活を実現する上で、窒素化合物は重要な役割を果たしています。例えば、大気中の窒素(N2)からアンモニア(NH3)を合成できるようになったことで、食糧供給が安定しました。しかし、窒素肥料の大量消費により、環境中へ窒素酸化物の蓄積が進み、飲料水の汚染や富栄養化[用語4]などの環境問題が引き起こされています。そのため、持続可能な社会を実現するためには、窒素化合物の循環を考慮に入れた、新たな触媒反応の開発が求められています。
自然界における窒素循環は、硝酸イオン(NO3-)、亜硝酸イオン(NO2-)、一酸化窒素(NO)、一酸化二窒素(N2O)、アンモニア、窒素などに代表される八つの化合物から構成されています。そして、これらの化合物の変換には、電子とプロトン(水素イオン)が関与します。そのため、これまで中村龍平チームリーダーらは窒素化合物を選択的に変換させるための新たな方法論として、電子とプロトン移動の制御を基礎とした脱共役プロトン電子移動理論に着目し、触媒開発を進めてきました。そして、1T構造を持つモリブテン硫化物(1T-MoS2[用語5])触媒が、同理論を実証する上で最適な触媒であることを見いだしてきました。※1、※2
本研究では、脱共役プロトン電子移動理論から予測される反応選択性[用語2b]を制御するための仕組みを踏まえ、環境汚染物質である亜硝酸イオンから、目的に応じた複数の窒素化合物を選択的に合成することに挑戦しました。
※12018年3月29日 理化学研究所プレスリリース「温和な環境で働く人工脱窒触媒」
※22020年12月17日 理化学研究所プレスリリース「電気化学反応の選択性を高める秘訣」
電気化学反応において電子とプロトンが移動する際、両者が同時に移動する(共役)か、どちらか一方が先に移動するか(脱共役)の2通りがあります(図1a)。「脱共役プロトン電子移動」理論によると、脱共役反応の速度はあるpH(水素イオン濃度)で極大を示すことが予測されています。そのpHは、反応中間体の酸解離定数pKa[用語6]付近といわれています。しかも、複数の脱共役型の反応経路が競合する場合、極大となるpHが異なるため、pHを変えることで目的反応の選択性を向上させることが可能となります(図1b赤線と青線)。さらに、pHはプロトン移動の速度に影響しますが、電子移動の速度も電極電位などによって制御することが可能です。したがって、脱共役プロトン電子移動反応は、pHや電極電位など、反応環境を変えるだけで反応選択性が大きく変わると考えられます。
以上の理論予測を踏まえ、国際共同研究グループは、1T-MoS2を電極触媒として、脱共役型の反応機構でNO2-が還元されてNO、N2O、NH4+が合成される反応の選択性について調べました。その際、プロトン駆動力は、反応溶液のpHや触媒材料のpKaによって調整し、電子移動の駆動力は、電極電位を変えることで調整しました。図2に、pHと電位を5条件ずつ合計25条件でNO2-を還元した結果を生成物ごとに示します。ここでは、合成した触媒の中で最も優れた特性を示した、6.0にpKaを持つMoS2材料(MoS2-6.0)の結果を示しています。
NO、N2O、NH4+の生成速度は、明確なpH-電位依存性を示しました。すなわち、NOの生成速度は低pHかつ正の電位で、N2Oの生成速度は中性pHかつ負の電位で、そしてNH4+の生成速度は高pHかつ負の電位で向上しました。ここで注目すべきは、反応が促進されるpHや電位が、競合する3つの反応で異なる点です。このため、NO、N2O、NH4+の選択性は反応条件に強く依存し、選択性の最大値はそれぞれ80%(pH4、0.2V)、61%(pH5、0V)、100%(pH8、-0.2V)に達しました(図2)。
以上のpH-電位の結果を踏まえ、NO2-をN2に変換し、完全に無害化することを試みました。NO2-をN2に変換するためには、N2Oを経由する必要があります。このため、N2O生成に最適な反応条件でN2の合成を試みました。その結果、N2の選択性は36%にまで達しました。この値は、現在報告されている人工脱窒触媒の中で最高値になります。
最後に、この結果を踏まえ、反応速度論[用語7]に基づく数値シミュレーションを行いました。一つ一つの素反応がpHや電位に依存するため、脱共役プロトン電子移動の理論に基づきモデルを構築しました。そして、実験から想定されるN2O生成のメカニズムも考慮したところ、数値シミュレーションにより実験結果を再現することができました。これは、実験で示唆される反応機構が正しいことを支持する結果であり、モリブデン硫化物の優れた触媒選択性の起源を明らかにするものです(図3)。
窒素化合物の変換のみならず、二酸化炭素の還元などにおいても、反応選択性の制御は不可欠です。本研究を通して脱共役プロトン電子移動による選択性向上が触媒開発の新たな概念として確立できれば、幅広く触媒反応の開拓が促進されると期待できます。また、高い選択性をもつ酵素反応によって進行する代謝反応を、人工触媒を用いて再現することにも繋がります。
本研究成果は、国際連合が設定した「持続可能な開発目標(SDGs)」[用語8]のうち、目標6「安全な水とトイレを世界中に」、目標7「エネルギーをみんなに、そしてクリーンに」、そして目標14「海の豊かさを守ろう」に貢献する研究成果です。
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(B)「多電子輸送制御に基づく生体機能模倣型酸素発生触媒の開発(研究代表者:中村龍平)」、同若手研究「Electrocatalytic Reductive Functionalization of Carbon Dioxide(研究代表者:李亜梅)」、同基盤研究(S)「アイソトポログによる地球表層環境診断(研究代表者:吉田尚弘)」、科学技術振興機構(JST)創発的研究支援事業「非平衡状態における触媒反応ネットワーク理論の開拓(研究代表者:大岡英史)」による支援を受けて行われました。また、大型放射光施設SPring-8において、ビームラインBL14B2を活用しました(高輝度光科学研究センター2021A1664、2021B1920、2022A1045、2022A1669)。
[用語1] 固体触媒 : 自身は変化せず、反応速度を高める物質。医薬品や石油化学製品の合成、水素の製造、排ガス浄化など、化学産業の至るところで触媒は活用されている。
[用語2a] 選択的 : 亜硝酸イオンの還元に限らず、多くの化学反応では複数の生成物が得られる可能性がある。ある目的生成物を高純度かつ大量に生産するためには、その反応だけを選択的に行う必要がある。得られた生成物全体における目的生成物の割合は選択性として評価され、100%に近いほど優れた化学プロセスといえる。
[用語2b] 選択性 : 用語2aを参照。
[用語3] 脱共役プロトン電子移動 : 多くの電気化学反応の本質は、プロトン(水素イオン)や電子の移動である。この場合、両者を同時に動かすのか、タイミングをずらして移動させるのか、大きく分けて2通りがあり、前者を共役型、後者を脱共役型のプロトン電子移動と呼ぶ。共役型は活性を、脱共役型は選択性を高める方法として有効であると理論的に予測されている。
[用語4] 富栄養化 : 湖沼や海域で、窒素やリンなどの栄養塩類の濃度が上昇した状態。富栄養化が進むと赤潮など、生態系の破壊が起きる。
[用語5] 1T-MoS2 : モリブデン硫化物(MoS2)には、モリブデンと硫黄原子が1:2の比率で含まれているが、それぞれの原子がどう配置されるかによってさらに細分化することが可能である。1T-MoS2は硫黄原子が八面体の頂点に並んだ構造をしており、触媒以外にも、超電導や磁性材料としても優れた特性を示す。ほかにも、硫黄原子が三角柱の頂点に並ぶ2H構造などもある。
[用語6] 酸解離定数pKa : プロトン移動を促進する触媒にはプロトンが保持されやすい場所とされにくい場所があり、その尺度として酸解離定数を用いる。酸解離定数が大きいほど、プロトンが保持されやすくなる。
[用語7] 反応速度論 : 化学反応がどれだけ速く起きるかを予測するための理論。反応が起きるかどうかに着目する熱力学や平衡論よりも数式は複雑になるが、選択性など、触媒特性を定量的に予測できるという点において優れている。
[用語8] 持続可能な開発目標(SDGs) : 2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のためのアジェンダ」にて記載された2016年から2030年までの国際目標。持続可能な世界を実現するための17のゴール、169のターゲットから構成され、発展途上国のみならず、先進国自身が取り組むユニバーサル(普遍的)なものであり、日本としても積極的に取り組んでいる(外務省ホームページから一部改変して転載)。
掲載誌 : | Nature Catalysis |
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論文タイトル : | Regulation of the electrocatalytic nitrogen cycle based on sequential proton−electron transfer |
著者 : | Daoping He, Hideshi Ooka, Yamei Li, Yujeong Kim, Akira Yamaguchi, Kiyohiro Adachi, Daisuke Hashizume, Naohiro Yoshida, Sakae Toyoda, Sun Hee Kim, Ryuhei Nakamura |
DOI : | 10.1038/s41929-022-00833-z |
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