応用化学系 News
硫酸の三酸素同位体組成に基づいたフィードバック機構の解明
東京工業大学 物質理工学院 応用化学系の服部祥平助教(応用化学コース 主担当)らを中心とする東京工業大学、北海道大学、国立極地研究所、名古屋大学、気象研究所などの研究グループは、北極グリーンランドアイスコア[用語1]の分析から硫酸エアロゾルの生成過程を復元し、1980年以降の二酸化硫黄(SO2)排出削減にもかかわらず、硫酸エアロゾルの減少が鈍化している要因を解明した。
大気中でSO2から生成される硫酸エアロゾルは、気候変動や健康影響との関連から重要な物質とされている。SO2排出量は排出規制の導入により、1980年以降の30年間で約7割削減されたものの、硫酸エアロゾルの減少は5割程度にとどまっている。この減少鈍化のメカニズムが特定されていないことが、効果的な削減策の策定や正確な気候変動予測の足かせとなってきた。
本研究では、北極グリーンランドアイスコア試料を使った硫酸の三酸素同位体組成 (Δ17O値(17Oの異常濃縮)[用語2])の分析により過去60年間の大気中の硫酸エアロゾルの生成過程を復元した。その結果、この期間に大気中の酸性度が減少したため、排出されたSO2から硫酸への酸化反応が促進される「フィードバック機構」が作用していたことがわかった。酸性度の減少は、SO2削減による酸性物質の減少に加え、施肥などによるアンモニアなどのアルカリ性物質の排出増加によると考えられる。規制対象ではなかったアルカリ性物質の排出が、硫酸エアロゾルの減少鈍化の原因であったという本研究の結果は、今後の効果的な大気汚染の緩和策の策定や、正しい将来の気候変動予測に役立つことが期待される。
本研究成果は、5月5日(米国東部時間)にアメリカ科学振興会(AAAS)のオンライン誌 「サイエンスアドバンシズ(Science Advances)」に掲載された。
大気微粒子(エアロゾル)は、大きな粒子になると雲の核として作用し、雲粒数を増やす効果があり、結果として雲が日射を遮るため、地球表面を寒冷化する要因となる。また直径 2.5 µm 以下のエアロゾル(PM2.5)は人体に悪影響を及ぼすことが知られている。二酸化硫黄(SO2)が大気中で酸化されて生成する硫酸(SO42−)エアロゾルは、大気エアロゾルの主成分であり、その動態の理解は、上述した気候影響と健康影響の両面に関連するため重要とされている。
産業革命以後、北半球では人間活動(化石燃料の使用)の増加によって大気中のSO2濃度が上昇し、それに伴って硫酸エアロゾルが増加した。これにより、1970年代や80年代には世界的に環境汚染が顕在化し、国内でも公害問題などでその問題が認識されるようになった。米国では、1970年、1977年、1990年に改訂された大気浄化法(Clean Air Act)によってSO2の排出が規制されたことにより、1980年以降はSO2濃度が減少している。
このSO2排出規制によりエアロゾルが減少したことで、米国だけで数十万人の命が救われたという報告(Cohen et al. 2017)がある一方で、1980年代以降の硫酸エアロゾルの減少はSO2に比べて緩やかであり、排出規制が効果的に作用していないことが指摘されている。このような硫酸エアロゾル減少の”鈍化”を説明するメカニズムとして、大気環境の変化によって従来と異なる化学反応が促進されるようになり、SO2が大気中で硫酸(SO42−)へ酸化される効率が上がるという、「フィードバック機構」がいくつか提案されてきた。しかし、提案されたような大気化学反応過程の変化を実証する観測的証拠は、これまで存在しなかった。
本研究では、北半球におけるSO2の排出規制前と後の時代について、大気中のSO42−の化学反応過程に変化があったかどうかを復元した。その方法は、過去のエアロゾルを保存しているアイスコア内のSO42−の三酸素同位体組成(Δ17O値)を調べるというものである。大気中のSO42−は硫黄原子1個と酸素原子4個とからなる化合物だが、このうち酸素原子の同位体比が大気化学反応過程を知る手がかりになる。具体的には、Δ17O値を調べることにより、オゾン(O3)が関与した酸化剤(O3, H2O2等, Δ17O > 0 ‰)による大気酸化反応(図1のR2とR3)と、それ以外の酸化剤(OH等, Δ17O ≒ 0 ‰)による大気酸化反応(図1のR1とR4)を区別できる。この手法を、過去60年間の北米及び西ヨーロッパの大気エアロゾルを保存している、グリーンランド南東ドームコア(SE-Domeコア、図2)で掘削されたアイスコアに適用した。
分析の結果、過去60年間でSO42-のΔ17O値が1.0 ‰から1.7 ‰に上昇したことが確認された(図3)。このSO42-のΔ17O値の上昇は、SO2の液相O3酸化(図1のR2反応、Δ17O値が6.4 ‰と高い)の寄与率が10~15 %ほど高まっていることを示している。このことから、この期間に大気中でのSO42-生成過程が変化したことが明らかになった。R2反応は、大気中の酸性度が低い(アルカリ性度が高い=液相のpHが高い)ほど反応速度が速いことが知られている。実際に、1980年代以降のSO2排出量の削減によって、大気中の酸性物質の濃度は低下してきたのに対し、アンモニア(NH3)などのアルカリ性物質の濃度は逆に増加しており、大気中の酸性度は低下傾向(液相のpHは上昇傾向)にある。すなわち、R2反応が起きやすくなる環境が生じ、SO42-生成効率が高まっていると考えられる。
さらに本研究では、全球大気化学輸送モデル(GEOS-Chem)を用いて、大気中でのSO42-生成効率を生成過程ごとに評価した(図4)。その結果、北米と西ヨーロッパの両方で、1973年から2013年にかけてSO42-生成効率が10~15 %上昇し、その要因としてR2反応の寄与増大が関わっていることが、数値計算からも確認できた。また、北米とヨーロッパでSO42-生成効率に寄与する硫酸生成過程の割合が異なることから、大気化学反応やSO42-生成効率には地域差が見られ、効果的な削減達成には地域の状況に沿った排出規制策が必要であることも明らかとなった。
本研究では、アイスコアのSO42-のΔ17O値から、過去60年間に大気中での硫酸エアロゾル生成反応が変化している証拠を発見した(図5)。このことから、硫酸エアロゾルがもたらす大気汚染の防止や気候変動の予測には、SO2の排出量削減だけでなく、硫酸生成反応の効率に関わるアンモニアの管理も重要であることが示唆される。このため、SO2などの単一の汚染物質の排出規制だけでなく、大気化学過程に関連する複数の要素を考慮した、効率的な排出規制策を策定することが必要と考えられる。
この知見は、大気汚染問題の解決に向けた排出規制の実施・検証がこれから行われる、中国やインドなどの地域での現象解明に貢献することも期待される。さらに、人為活動の変化によって、エアロゾルの動態やその気候影響がどのように変化するかを予測するのにも役立つと期待される
北海道大学の飯塚准教授らの研究グループは、今回対象としたSE-Dome域において第二期アイスコア掘削計画を実施している。この第二期では、産業革命前から現在にかけての人間活動の変化に対応するエアロゾル生成・動態の復元に取り組み、過去200年間のエアロゾルについての世界で最も確度の高いデータベースの公開を目指している。
本研究は下記の日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成制度及びその他の研究費の支援により実施された。
[用語1] アイスコア : 氷床コアとも呼ばれ、氷河や氷床から取り出された氷の試料のことを指す。一般に地下に向かうにつれて古くなるため、古気候や古環境の研究に用いられる。本研究では、北海道大学低温科学研究所の飯塚芳徳准教授及び的場澄人助教らが2015年に掘削したグリーンランド南東ドームコア(SE-Domeコア)を用いた。このアイスコアは、過去60年間の北米と西ヨーロッパを主な起源とする人為由来エアロゾルの歴史を、世界中のアイスコアの中で最高の年代精度で保存している。
[用語2] Δ17O値 : 酸素安定同位体組成は一般的に、最も存在量の多い16Oに対する17O、18Oの比率をδ17,18O値(= 17,18O/16O − 1)と定義して評価する。さらに大気中のオゾンのように特異的な17Oの濃縮は、質量依存則(δ17O = 0.52×δ18O)からのずれとして評価するため、Δ17O = δ17O − 0.52 × δ18Oと定義されている。大気中のオゾン(O3)は生成時に17Oを特異的に濃縮し、O3はΔ17O = 約25 ‰という特徴的な値を有する。他方、O2やH2Oは17Oを異常濃縮せず、Δ17O = 0 ‰である。
掲載誌 : | Science Advances |
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論文タイトル : | Isotopic evidence for acidity-driven enhancement of sulfate formation after SO2 emission control |
著者 : | 服部祥平(東京工業大学 物質理工学院応用化学系 助教) 飯塚芳徳(北海道大学 低温科学研究所 准教授) Becky Alexander (ワシントン大学 大気科学科 教授) 石野咲子 (国立極地研究所 日本学術振興会特別研究員 PD) 藤田耕史 (名古屋大学 環境学研究科 教授) Shuting Zhai (ワシントン大学 大気科学科 博士課程学生) Tomás Sherwen (ヨーク大学 研究員) 大島長 (気象庁気象研究所 主任研究官) 植村立 (名古屋大学 環境学研究科 准教授) 山田明憲 (豊島電気製作所) 的場澄人 (北海道大学 低温科学研究所 助教) 鈴木希実 (東京工業大学 物質理工学院応用化学系 研究員 (研究当時)) 鶴田明日香 (東京工業大学 物質理工学院応用化学系 修士課程学生 (研究当時)) Joel Savarino (グルノーブルアルプス大学 主任研究員) 吉田尚弘(東京工業大学 物質理工学院 教授(研究当時)、地球生命研究所 特任教授) |
掲載巻・号・年 : | Vol. 7, Issue 19, 2021 |
DOI : | 10.1126/sciadv.abd4610 |
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東京工業大学 物質理工学院 応用化学系
助教 服部祥平
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