応用化学系 News
約50年ぶりとなる新たなスズ化学種の実現
東京工業大学 物質理工学院 応用化学系の永島佑貴助教(応用化学コース 主担当)、田中健教授(応用化学コース 主担当)と、東京大学 大学院薬学系研究科の内山真伸教授のグループは、「有機スズアニオン[用語1]」の光励起[用語2]によって高エネルギー体「有機スズジラジカル[用語3]」を発生させることに成功し、これを利用した有機スズ化合物の簡便な合成法を開発した。
有機スズ化合物は、炭素―スズ結合を有する有機化合物で、機能性分子や生理活性物質、医薬品の合成に用いられる重要な化合物群である。その合成にはこれまで、スズアニオンやスズラジカル[用語4]を用いる合成法が多用されてきたが、更に幅広い有機スズ化合物を合成するために、新たな手法の開発が望まれていた。
永島助教らの共同研究グループは、光照射によってスズアニオンを励起三重項状態[用語5]へ変換できれば、高エネルギー体「ジラジカル」として有機スズ化合物の合成に利用できるのではないかという考えを提唱し、様々なスズ元素導入反応を開発した。このスズジラジカルは約50年ぶりとなる新たなスズ化学種であり、今回開発した新手法は、これまでアクセスできなかった多種多様な有機スズ化合物の合成を実現し、材料化学・医薬化学の発展に寄与することが期待される。
研究成果は、米国化学会誌「Journal of American Chemical Society」の掲載に先立ち、オンライン版(3月26日付)に掲載され、カバーピクチャーに採用された。
有機スズ化合物は、炭素―スズ(C–Sn)結合を有する有機化合物で、クロスカップリング反応[用語6]によって別の有機化合物と容易に結合させることができるため、機能性分子や生理活性物質、医薬品の合成など、様々な分野で利用される重要な化合物である。そのため、スズ元素を有機化合物に導入することによって有機スズ化合物を合成する手法は古くから研究されてきた。1952年に開発されたスズアニオンや、1968年に開発されたスズラジカルなど、スズ化学種を用いる合成法が現在でも多用されている(図1C)。しかしながら、材料化学や医薬化学などの分野で更に幅広い有機スズ化合物を利用できるようにするために、新しい概念に基づくこれまでにないスズ化学種を作り出すことが求められてきた。
研究グループは新たなスズ化学種を作り出すことを目指して、スズ化学種の光励起状態に着目した。具体的には、1952年より長らく有機スズ化合物の合成に利用されてきたスズアニオンを、光照射によって電子励起状態へ変換できれば、新しい高エネルギー化学種「ジラジカル」として合成に利用できるのではないかと考えた(図1A)。
まず、このスズジラジカルの性質を理論化学的に検証するために、密度汎関数法[用語7]による理論計算を行った。その結果、400 nm 付近(青色)の光を用いれば、スズアニオンを効率よく光励起できることが示唆された(図1B)。また、スズ元素の重原子効果によって、励起一重項から励起三重項に効率よく変換されることも理論的に予想された。こうして生じる励起三重項スズジラジカルの分子軌道[用語8]を解析したところ、高い1電子還元能[用語9]を有することが予測され、これまでとは異なる反応を実現できる可能性が示された。
次に、スズジラジカルの性質を実験化学的に検証する方法として、炭素―炭素三重結合を有するアルキンとの反応を検討した。具体的には、スズアニオン前駆体とフッ化物イオンの組合せに青色光を照射して光励起させ、スズジラジカルを発生させた(図2)。その結果、スズジラジカルが従来のアニオンやラジカルとは異なる反応性を有し、望みの反応点のみを変換できる高い選択性を有することが確認された。本反応では、化合物を混ぜて光を当てるだけで目的の有機スズ化合物が得られる。また、医薬品であるメストラノールを変換可能であるなど、従来法よりも幅広い化合物の合成に適用できる。
さらに研究グループは、最も安定な結合の一つである炭素―フッ素結合を有し、機能性分子や医薬品などに数多く含まれるフッ化アリールに着目した。この炭素―フッ素結合を炭素―スズ結合へ変換できれば、得られる有機スズ化合物を上述のクロスカップリング反応と組み合わせることで、様々な類縁化合物が一挙に合成できると期待される。しかしその結合の高い安定性から、従来の方法ではそうした変換は困難であるとされてきた。
研究グループは、ジラジカルの高い還元力を利用することで、この炭素―フッ素結合を切断し、スズ元素を導入することに成功した(図3)。本反応も機能性分子へ応用可能であり、例えば、医薬品(統合失調症治療薬)であるブロナンセリンを直接的に変換できることを実証した。また、フッ素を足がかりとした連続変換プロセスの構築によって、機能性分子の多様な類縁化合物が一挙に合成できることを実証し、医薬品や材料分子の探索研究を大きく促進できることを示した(図4)。
今回の研究では、光励起を利用することでスズジラジカルを発生させるという新たな戦略を開発した。今回開発した手法は、約50年ぶりの新たなスズ化学種を発生させるものであり、高い反応性と選択性によって、これまで合成できなかった有機スズ化合物へ容易にアクセスすることができる。
今後、本手法を用いることで、幅広い機能性分子や医薬品の多様な類縁化合物を迅速に合成することが可能になり、材料化学・医薬化学の発展に寄与することが期待される。
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金(No.17H05430、No.17H06173、No.20K22521)、国立研究開発法人 科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)(JPMJCR19R2)、公益財団法人 長瀬科学技術振興財団、上原記念生命科学財団の支援を受けて行われた。
[用語1] アニオン : 負に帯電したイオン。有機化合物中の電気的に陽性な部分と付加反応を引き起こすと、新しい結合が形成される。
[用語2] 光励起 : 分子が光を吸収することで、高いエネルギー状態へと移行すること。
[用語3] ジラジカル : 一分子内に2つの不対電子を有する分子。一般に、高い反応性と短い寿命を持つことが知られる。
[用語4] ラジカル : 一分子内に1つの不対電子を有する分子。
[用語5] 励起三重項状態 : 光励起されて移行する高エネルギー状態のうち、一重項状態はすべての電子スピンが対になった分子状態であり、三重項状態は励起電子が基底状態の電子と平行スピンとなる状態を指す。一般に、まず励起一重項状態となったあとで励起三重項状態へ移行する。
[用語6] クロスカップリング反応 : パラジウム触媒の作用により、有機金属化合物と有機ハロゲン化物を結びつけ、炭素―炭素結合を生成する化学反応。有機金属化合物として有機スズ化合物を使用する反応は、開発者の名前から右田・小杉・Stilleクロスカップリング反応と呼ぶ。
[用語7] 密度汎関数法 : エネルギーなどの物性を電子密度から計算することが可能であるとする密度汎関数理論を用いる計算手法。
[用語8] 分子軌道 : 分子中の各電子の振る舞いを記述する1電子波動関数。
[用語9] 1電子還元能 : 他の分子へ1電子移動させる能力。これにより自身は酸化され、他分子は還元されることになる。
掲載誌 : | Journal of American Chemical Society |
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論文タイトル : | Illuminating stannylation |
著者 : | Kyoka Sakamoto, Yuki Nagashima*, Chao Wang, Kazunori Miyamoto, Ken Tanaka, Masanobu Uchiyama* |
DOI : | 10.1021/jacs.1c00887 |
お問い合わせ先
東京工業大学 物質理工学院 応用化学系
助教 永島佑貴
E-mail : nagashima.y.ae@m.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-3631
東京工業大学 物質理工学院 応用化学系
教授 田中健
E-mail : tanaka.k.cg@m.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-2120
東京大学大学院 薬学系研究科
教授 内山真伸
E-mail : uchiyama@mol.f.u-tokyo.ac.jp
Tel : 03-5841-0732