電気電子系 News
量子コンピュータや超伝導マイクロプロセッサ活用に欠かせない極低温から室温への高速信号伝送に期待
東京工業大学 科学技術創成研究院 未来産業技術研究所の庄司雄哉准教授(電気電子コース 主担当)、工学院 電気電子系の高村陽太助教(電気電子コース 主担当)、水本哲弥名誉教授と、カリフォルニア大学サンタバーバラ校 電気・コンピュータ工学専攻のパオロ・ピンタス(Paolo Pintus)研究員、ジョン・バウアーズ(John Bowers)教授、レイセオンBBNテクノロジーズ社のレオナルド・ランザニ(Leonardo Ranzani)研究員らの共同研究チームは、磁気光学効果[用語1]を活用して、極低温環境で動作する光変調器[用語2]を開発し、高速データ通信に成功した。
高度な処理能力により、次世代技術として注目を浴びる量子コンピュータ[用語3]や超伝導マイクロプロセッサ[用語4]は、絶対零度(-273.15℃)にきわめて近い極低温下でのみ動作する。そのため、コンピュータなどから金属配線を通じて電気信号を取り出す従来のデータ伝送方法では、配線から伝わる熱が妨げになって伝送スピードが落ちるという問題が生じていた。
光変調器は、コンピュータなどから送られる電気信号を、大容量・高速データ伝送に適した光通信[用語5]で送るための光信号に変換するデバイスである。本研究で開発したものは磁気光学効果を活用した「磁気光学変調器」で、これまでのような電圧駆動型ではなく電流で駆動するため、超伝導回路[用語6]との接続性がよく、極低温環境においても高効率で動作し、2 Gbit/sでの信号伝送にも成功した。さらに、この光変調器は光通信で多用される波長1,550 nmの光で動作し、シリコンフォトニクス[用語7]を使った光集積回路に搭載されているため、汎用性にも優れている。本技術を用いることで、熱を伝えにくい光ファイバ[用語8]を介した高速なデータの伝送が可能になり、次世代コンピュータなどの実用化に大きく貢献するものと期待される。
本研究成果は、科学雑誌「Nature Electronics」に2022年9月5日付でオンライン掲載された。
情報を光の信号に変え、光ファイバケーブルなどを伝送路として通信を行う光通信(光ファイバ通信)は、電気信号を銅ケーブルなどを通して送る従来の通信に比べ、大量のデータを一度に、素早く伝送できるため、現在、長距離・大容量データ通信の主流となっている。そして近年では、スーパーコンピュータやデータセンターにおける処理容量の増大に向け、これまで銅など金属配線でのデータ送信が行われてきたケーブルチップ間やボード間といった短距離通信に対しても、光通信の応用ニーズが高まってきている。
例えば最先端技術として期待を集める量子コンピュータや超伝導マイクロプロセッサなどを使うと、通常のコンピュータでは膨大な時間がかかるような問題を短時間で高速に計算できる。しかしこれらの機器は絶対零度(-273.15℃)にきわめて近い極低温下でのみ動作するものも多く、非常に繊細でもあり、既存の室温システムとの接続ではいくつかの障害が発生してしまっていた。
そのひとつが、量子コンピュータなどにより極低温下で計算したデータの取り出しである。現状のシステムでは、コンピュータが計算した電気信号によるデータを金属配線によって取り出しているが、金属配線から熱が伝わってしまうため、信号を取り出せる速度が限られ、それがボトルネックとなってコンピュータ本来の性能を十分に生かせなくなってしまっていた。
この問題の解決策として、石英ガラス製で熱の伝導を小さく抑えながら、従来の1,000倍以上の高速伝送が期待できる光ファイバを経由したデータ信号の取り出しが期待されているが、それには量子コンピュータから取り出される電気信号を光通信を行うための光信号に変換でき、なおかつ極低温の環境でも効率よく駆動できる光変調器が必須とされていた。そこで本共同研究チームでは、極低温環境と室温環境との間で高速な信号のやり取りを可能とする、磁気光学効果を活用した光変調器の開発に取り組んだ。
本共同研究チームが開発した光変調器は、電気信号が発生させた誘導磁界[用語9]が、磁気光学ガーネット[用語10]の光学特性を変化させるという「磁気光学効果」を利用した、「磁気光学変調器」である。
磁気光学変調器の構造は(図1)の通りで、光の通り道となるシリコン光導波路を挟む形で、マイクロリング共振器[用語11](灰色)と磁気光学ガーネット(緑色)が接合されている。金で形成したコイル(黄色)に、電気信号(電流)が流れると、マイクロリング共振器がその上にある磁気光学ガーネットと作用し、シリコン光導波路を通る光の強度が磁気光学効果によって変化させられることによって、光信号が生成される。
この光信号生成の仕組みを、より概念的に示したのが(図2)のイメージ図である。
従来の光変調器は、コンデンサ[用語12]のような構造を用い、電圧によって駆動するため高い抵抗を持っており、極低温で超伝導状態となった抵抗のない電気配線とは整合性が低かった。しかし、本研究で開発した磁気光学変調器は電流で駆動するため、抵抗が低く、超伝導回路との接続性も良い。
さらに、この光変調器は光通信でよく用いられる波長1,550 nmの光で動作し、シリコンフォトニクスを使った光集積回路に搭載されているため、汎用性にも優れた構造となっており、測定では2 Gbit/s(1秒間に2億ビットのデータ)の信号伝送に成功した。
量子コンピュータや超伝導マイクロプロセッサといった技術は、近年急速な発展を見せており、その分、取り扱う計算データ量も非常に大きくなっている。しかしいくら量子コンピュータなどが高速な計算を実現しても、データの出し入れ速度が遅ければそのパフォーマンスを十分に得ることができない。本研究の成果は、量子コンピュータのような極低温を用いた次世代計算機の実用化に向け、重要な基幹技術の一つとなると考えられる。
本研究では、2 Gbit/sでの信号伝送に成功している。今後は磁気光学ガーネットに代えて新たな材料を用いることで、極低温下でのさらなる高効率動作が可能な光変調器の開発を目指す。
東工大とカリフォルニア大学の研究グループは、長年にわたって磁気光学デバイスに関する共同研究を行なってきた。本研究は、カリフォルニア大学の研究グループを中心として実施され、同グループはプロジェクト構想の立案からデバイスの設計、製作、評価を行なった。また、東工大では磁気光学ガーネットの作製、極低温下での磁気特性評価を実施し、レイセオンBBNテクノロジーズ社では極低温下でのデバイス測定を担当した。
(参考)カリフォルニア大学サンタバーバラ校のニュースページ
The Magneto-Optic Modulator | The UCSB Current
[用語1] 磁気光学効果 : 物質の磁化の向きや強さに応じて、その物質中を透過する光の感じる屈折率や吸収率が変化する現象。
[用語2] 光変調器 : 電気信号を光信号に変換するデバイス。電気信号によって光の強度や位相などを変化させ、光信号の生成を行う。
[用語3] 量子コンピュータ : 重ね合わせや量子もつれと言った量子力学的な現象を用いて高速演算を行い、従来のコンピュータでは現実的な時間や規模の制約により解けなかった問題を解くことが期待されるコンピュータ。
[用語4] 超伝導マイクロプロセッサ : 超伝導回路を利用した、微小なエネルギーで動作可能な、低消費エネルギー論理回路からなるマイクロプロセッサ。
[用語5] 光通信 : 光によって情報を伝送する通信方式。一般に、半導体レーザなどを光源とした光信号による情報を、光ファイバケーブルを通して送る通信方式を指す。電気信号を銅などの電線を通して送る従来の電気通信に比べ、損失が少ないため伝達距離が長く、高速大容量のデータ通信に向く。
[用語6] 超伝導回路 : 特定の金属を非常に低い温度まで冷却すると抵抗がゼロになるという超伝導の仕組みを利用した電気回路。
[用語7] シリコンフォトニクス : 半導体産業で利用される微細加工技術を用いてシリコン基板上に発光素子や受光器、光変調器といった素子を集積する技術。
[用語8] 光ファイバ : 光の全反射を利用して光を閉じ込めて伝送することができるケーブル。主に透明な石英ガラスやプラスチックなどから成る。電気信号よりも高速の光パルスを伝送することができるため、従来の銅線ケーブルと比較して1,000倍以上の高速伝送が期待でき、大容量通信用のケーブルとして広く利用されている。
[用語9] 誘導磁界 : アンペールの法則にしたがって、電流の流れる向きに対して右ネジの回る向きに発生する磁界。
[用語10] 磁気光学ガーネット : 鉄などの磁性金属を含んだ酸化物結晶で、ガーネット構造と呼ばれる結晶構造をもつ。
[用語11] マイクロリング共振器 : 10~100万分の1メートルという小さなサイズのリング状の光導波路を用いて、特定の条件で光が共振現象を起こして光強度が変化する現象を利用した光回路。
[用語12] コンデンサ : 電気を通さない絶縁体を、電気を通す2つの導体で挟み、その導体間に加えた電圧によって電子を蓄えたり放出したりする回路素子。
掲載誌 : | Nature Electronics |
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論文タイトル : | An integrated magneto-optic modulator for cryogenic applications |
著者 : | Paolo Pintus, Leonardo Ranzani, Sergio Pinna, Duanni Huang, Martin V. Gustafsson, Fotini Karinou, Giovanni Andrea Casula, Yuya Shoji, Yota Takamura, Tetsuya Mizumoto, Mohammad Soltani & John E. Bowers |
DOI : | 10.1038/s41928-022-00823-w |