電気電子系 News
5Gのさらなる高度化を実現
国立大学法人東京工業大学 工学院 電気電子系の岡田健一教授と、日本電気株式会社は共同で、第5世代移動通信システム(5G)[用語1]の高度化に向けた偏波MIMO[用語2]に対応するミリ波[用語3]帯フェーズドアレイ[用語4]無線機を開発した。同じ周波数帯域幅で比較すると、従来に比べ、通信速度を二倍にすることが可能である。
5Gでは、ミリ波帯の周波数を用いて通信速度の向上を図っているが、さらなる高速化のための方法の一つが、単一のアンテナから二つの独立した偏波[用語5]信号を送受信する偏波MIMOである。しかし従来の回路方式では、二つの偏波信号が混信し、信号品質が劣化するため、十分に通信速度を向上させられなかった。
本研究では、偏波信号間の混信を無線機回路内で打ち消すことにより、信号品質を改善し、通信速度を向上させる新たな回路方式の開発に成功した。この回路方式による28 GHz帯フェーズドアレイ無線機を製作したところ、変調精度(EVM)[用語6]を7.6 %から3.2 %へ改善し、256 QAM[用語7]による偏波MIMOでの通信に世界で初めて成功した。この無線機は、安価なシリコンCMOS(相補型金属酸化膜半導体)プロセスで製作された。今回開発した回路は、5G向けの各種無線通信機器に搭載可能で、高い周波数利用効率と装置の小型化を両立し、ミリ波帯の5Gの普及や高度化を加速させる成果といえる。
研究成果は6月15日からオンライン開催される国際会議「Symposium on VLSI Circuits 2020(VLSI回路シンポジウム2020)」で発表する。また、この発表論文は同国際会議の注目論文に選定されている。
※研究は総務省委託研究「第5世代移動通信システムの更なる高度化に向けた研究開発(JPJ000254)」の成果の一部である。
昨今の急激な社会情勢などの変化により、人々が物理的に隔離された状況下でも社会・経済活動を円滑に進めていくことが、人々の健康や持続的な社会を維持するために極めて重要となっている。その基礎の一つとなる技術が無線通信であり、特に動画配信やテレワーク、リモート授業などの拡大によって高まる通信需要を満たすものとして、第5世代移動通信システム(5G)が脚光を浴びている。
現在、日本を含めて、先駆的な取り組みを行っているいくつかの国では、初期の5Gシステムの運用が開始されつつあるが、社会的変化により、さらなる通信高速化の需要が高い。5Gでは、事業者ごとに周波数帯が割り振られており、そのうちミリ波帯の一部である28 GHz帯では、400 MHz帯域幅を上限として割り当てが行われている。この400 MHzの帯域幅を用いて64 QAM変調による通信を行うと、2.1 Gbpsの通信速度を実現できるが、5Gの高度化のためにはさらなる通信速度の向上が必要とされる。
従来のマイクロ波帯での通信と異なり、ミリ波帯では送受のアンテナ間に遮蔽物のない見通し通信が行われる。このため、マイクロ波帯で通信速度向上のために用いられるMIMO技術は、ミリ波帯では必ずしも利用することができない。そのため、偏波を用いることで見通し間でもMIMOを可能とする、偏波MIMO技術が注目を浴びている。
偏波MIMOでは、図1に示すように、一つのアンテナにおいて水平と垂直の直交する二つの偏波信号を発生させる。しかしながら、単一のアンテナから異なる二つの信号を放射するため、両者の分離が難しく、また集積回路チップ内やプリント基板上の配線でも信号が混信する。特に周波数帯域幅が広くなるほど混信を防ぐのが困難となる。このような理由から、従来の回路方式では信号品質が劣化するため、64 QAM変調での偏波MIMO通信が限界であった。また、別々のアンテナを用いれば、ミリ波帯でもMIMOを利用することができるが、省面積化の観点から、単一のアンテナでの偏波MIMOを実現できる技術の確立が望まれていた。
研究グループは、従来の回路方式で問題となっていた偏波信号間の混信を無線機回路内で打ち消すことにより、信号品質を改善し、通信速度を向上させる新たな回路方式の開発に成功した。具体的には、信号漏洩を検出する回路と、高精度補償を可能とするアクティブキャンセル回路を無線機内に内蔵することにより、偏波補償回路を実現した。5Gでは広帯域信号を扱うため、デジタル信号処理で偏波漏洩を一括して補償することが難しいため、高周波回路部でのアクティブキャンセルを行うことで、高精度に補償することを可能とした(図1)。また、この技術を用いることで、偏波を任意角に回転させることも可能となった(図1)。
この新しい回路方式を用いたフェーズドアレイ無線機を、最小配線半ピッチ65 nm(ナノメートル)のシリコンCMOSプロセスで製作した。この無線機では、16平方mmの小面積に、水平偏波用に4系統分、垂直偏波用に4系統分のトランシーバを搭載した(図2)。集積回路チップはWLCSP(Wafer Level Chip Size Package)技術によりパッケージングした。プリント基板の表面にはアレイアンテナを設け、裏面に集積回路チップを実装した。個々のアンテナ素子には、それぞれ水平・垂直の2偏波分の信号線が接続されている。プリント基板全体では、合計64個のアンテナ素子と、16個の集積回路チップを実装した(図3)。
図2. 偏波MIMO対応フェーズドアレイ無線機
図3. 64アンテナ素子搭載プリント基板
製作したフェーズドアレイ無線機について、電波暗室内で2台のモジュールを対向させ、今回開発した偏波補償回路を動作させてデータ伝送試験を実施した。その結果、偏波補償回路の動作により、偏波間信号漏洩を-15 dBから-41 dBに改善できることが分かった。トランシーバ1系統あたりの飽和出力電力[用語8]は16.1 dBmで、0度方向での等価等方輻射電力(EIRP)[用語9]の最大値は52 dBmであった。従来技術では、偏波間の信号漏洩のため、28 GHz帯に割り当てられている400 MHz帯域幅を用いて256 QAMの偏波MIMO通信を行うことができなかったが、今回開発した回路によって補償することで、変調精度(EVM)を7.6 %から3.2 %へ改善し、256 QAMによる偏波MIMOでの通信に世界で初めて成功した。
本研究成果により、ミリ波帯フェーズドアレイ無線機の小型化と、さらなる高速化が可能となった。開発した無線機は、5G用基地局向けの仕様にあわせて製作されており、早期の実用化が可能であると考えられる。
[用語1] 第5世代移動通信システム(5G) : 2019年に展開を開始した、国際的な移動通信ネットワークの第5世代技術標準。現在ほとんどの携帯電話に用いられている第4世代移動通信システム(4G)ネットワークの後継の規格である。5Gネットワークの主な利点の一つは、より大きな帯域幅を持つことであり、さらなる高速化によって、最終的には10ギガビット/秒(Gbit/s)以上の通信速度を目標としている。既にサービスを開始している5Gの移動通信のほとんどは従来技術の延長であり、4G携帯電話と同じかわずかに高い、6 GHz程度までの限られた帯域の周波数範囲を使用している。一方で、高度な技術が必要とされる、ミリ波・超広帯域などを利用した5Gシステムも活発に研究されており、新たなテクノロジーの突破口となることが期待されている。
[用語2] 偏波MIMO : MIMO(multiple input multiple output)とは、複数の送受信アンテナを使用することで、複数の無線通信経路を確立し、利用する技術であり、帯域あたりの伝送速度の向上が可能である。適切なアンテナを用いることで、特定の偏波[用語5]の電波を取り出すことが可能であり、水平偏波と垂直偏波の二つの偏波を用いて複数の通信経路を作り出すMIMO技術を、特に偏波MIMOという。
[用語3] ミリ波 : 波長が1~10 mm、周波数が30~300 GHzの電波。
[用語4] フェーズドアレイ : 複数のアンテナへ位相差をつけた信号を給電する技術。放射方向を電気的に制御するビームフォーミング(電波を細く絞って、特定の方向に向けて集中的に発射する技術)の実現に利用される。
[用語5] 偏波 : 光が空間を伝わるときに波が振動する方向のことを偏光といい、カメラの偏光フィルタなどを用いることで、特定の振動方向の光を取り出すことができる。同様に電波が空間を伝わるときに波が振動する方向のことを偏波といい、振動方向が一定で、電界が地面に対して垂直な偏波を垂直偏波、電界が水平な偏波を水平偏波と呼ぶ。
[用語6] 変調精度(EVM) : Error Vector Magnitudeの略。無線通信に用いられるデジタル変調の品質を示す尺度の一つ。理想的な信号と、測定された雑音や歪などの劣化を含む信号との間の、差分のベクトルの大きさから計算される。値が小さいほど品質の高い理想的な信号に近いことを示す。
[用語7] 256 QAM、64 QAM : デジタルデータと電波や電気信号の間で相互に変換を行うためのデジタル変調方式の一つ。AMラジオ等で用いられるAM(Amplitude Modulation)変調は搬送波の振幅を利用した変調方式であるが、QAM(Quadrature Amplitude Modulation)は搬送波の位相と振幅の両方を利用した変調方式である。データを示す位相と振幅の組み合わせの数が256であるものを256 QAMと呼び、64であるものを64 QAMと呼ぶ。例えば256 QAMでは、位相が直交する二つの波を合成して搬送波とし、それぞれに16段階の振幅を与えることで、合計での256値(16×16)のシンボルを利用して一度に8ビットの情報を伝送することができる。
[用語8] 飽和出力電力 : 増幅器が出力できる最大電力。
[用語9] 等価等方輻射電力(EIRP) : Equivalent Isotropic Radiated Powerの略。指向性のあるアンテナを用いると、放射方向によっては無指向(等方性)のアンテナを用いるよりも強い電力密度を発生させることができる。この場合に、指向性のあるアンテナで生じる電力密度を、等方性アンテナにより得るために必要となる送信電力を等価等方輻射電力という。
研究成果は6月15日からオンライン開催される国際会議「Symposium on VLSI Circuits 2020(VLSI回路シンポジウム2020)」において発表される。また、本研究は、同国際会議の論文委員会において高く評価され、全110件の発表のうち6件の注目論文(Technical Highlights)の一つに選定されている。
会議Webサイト: | Symposium on VLSI Circuits 2020 |
講演タイトル : | A 28-GHz CMOS Phased-Array Beamformer Supporting Dual-Polarized MIMO with Cross-Polarization Leakage Cancellation(アクティブリークキャンセルによる偏波MIMO対応28GHz帯CMOSフェーズドアレイ無線機) |
講演ビデオ公開時間: | 日本時間6月15日午前1時(CF2 – RF & mm-Wave Circuits) |
Q&Aセッション: | 日本時間6月19日午前9時(High Speed Circuits, Systems and Devices) |
お問い合わせ先
研究に関すること
東京工業大学 工学院 電気電子系
教授 岡田健一
E-mail : okada@ee.e.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-3764 / Fax : 03-5734-3764
日本電気株式会社 ネットワークサービス企画本部
E-mail : contact@nwsbu.jp.nec.com