電気電子系 News
あらゆるものをインターネットでつなげるIoT社会の実現に貢献
文部科学省の卓越研究員[用語4]で、高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所の宮原正也准教授は、東京工業大学 工学院 電気電子系の岡田健一准教授らの研究グループと共同で、高速起動と低電力を同時に実現する水晶発振回路の開発に成功しました。
水晶発振回路は、最小線幅65 nm(ナノメートル)のシリコンCMOSプロセスで試作。発振回路の増幅器を再構成可能な多段増幅器とし、26 MHz(メガヘルツ)および40 MHzで発振させたところ、40 MHz発振時には64 µs(マイクロ秒)で高速起動することを確認しました。これは、これまでに報告された同じ発振周波数の水晶発振回路の半分以下の起動時間です。水晶発振回路を無線機やシステムクロックなどの信号として使う際、非動作時には省エネのため各回路の電源をオフにして運用します。従来の水晶発振回路は電源オン後に発振が安定するまでに数ミリ秒かかり、無駄な電力を消費していましたが、今回開発に成功した水晶発振回路は、起動時間を短くすることで、起動にかかる消費エネルギーを大幅に減らすことが可能です。
水晶発振回路はあらゆるものをインターネットでつなげるIoT(Internet of Things、モノのインターネット)機器[用語5]に欠かせない部品として知られていますが、近い将来、IoT機器のノード数[用語6]が世界中で1兆個を超えると予測されており、その低電力動作を可能とする開発成果は、社会的に大きなインパクトを生むことが予想されます。
このほど、宮原准教授が筆頭著者となり上記成果をまとめた論文が、2018年6月18日から22日に、米国ハワイ・ホノルルで開催される“2018 Symposium on VLSI Circuits”の発表論文として採択され、現地時間の17日午後7時(日本時間の18日午前11時)に公開されます。同シンポジウムは、集積回路の分野では世界的に著名な学会の一つであり、実験装置を持ち込んで行うDemo Session(デモ・セッション)の一つにも選ばれました。
なお、本研究の成果の一部は、国立研究開発法人 新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が進める「IoT推進のための横断技術開発プロジェクト」の結果、得られたものです。
私たちの身の回りにはテレビ、携帯電話、デジタルカメラなど様々な電子機器が溢れており、その中には正確な動作の基準となる電気信号を作り出すための水晶振動子、水晶発振器が活躍しています。
水晶は、工芸品や宝飾品としても知られていますが、二酸化ケイ素で形成される無色透明の結晶で、変形させると電圧を発生する圧電物質の一つです。水晶に機械的な圧力をかけると表面に電気を生じます(圧電効果)。これは1880年に、イギリスのピエール・キュリーとジャック・キュリー兄弟による公開実験で明らかになったものですが、その後、逆に電気をかけると水晶が変形する(逆圧電効果)ことも明らかになり、この性質が水晶振動子に用いられるようになりました。
水晶振動子では、特定の角度で切り出した水晶板に電界をかけると起きる、ある一定の振動を利用します。水晶は非常に純粋な結晶体のため、温度や湿度など様々な環境条件にも強く、非常に安定した振動周波数を発生し続けます。この周波数を電気信号として取り出し、各種電子回路に利用します。水晶振動子が電子機器内において果たす用途は、(1)通信のために安定した周波数を維持する、(2)機器を動かすための規則正しい基準信号を作り出す、の二つがあります。
(1)は、ラジオやテレビ、携帯電話など電波を通じて情報をやりとりする電子機器に不可欠な機能です。例えば携帯電話では同時に多くの人が同じ場所で利用できるように、決められた周波数帯を数千チャンネルにも細かく分けて基地局と通信しています。水晶発振器は一定の周波数を維持しながら発振するため、この信号を基準信号として用いることで、通話や複数の機械の間でのデータ通信を可能にしています。(2)も、演算回路のプロセス制御や、機械制御のための正確なタイミングでの同期信号を出す機能のことで、パソコンのクロック周波数を生成したり、モーターを制御したりするのに使われています。また、正確な時間の基準信号のために、時計・電子機器の時計としても使われています。
本研究は水晶発振回路にある工夫を施すことで、その起動時間を大幅に短縮化し、低エネルギー消費を実現するもので、主に電源のオン、オフを繰り返す(1)の通信分野で、社会的に大きなインパクトを発揮すると考えられています。
従来の水晶発振回路は、図1(a)に示すように電源がオンされてから発振が安定するまでの起動時間に数ミリ秒を要し、この期間に無駄な電力を消費するという課題がありました。本研究では図1(b)のように水晶発振回路を高速起動させ、起動にかかる電力を抑える仕組みを完成させました。より詳しく見ていきます。
図1. 従来の水晶発振回路の課題
従来の水晶発振回路は、図2(a)に示すように、水晶振動子と発振回路で構成されています。それぞれを電気的な等価回路で示すと図2(b)のようになりますが、発振を開始させるためには水晶振動子の抵抗(RX)を打ち消すように、発振回路で負性抵抗(RN)を発生させる必要があります。また、RNの絶対値がRXよりも大きければ大きいほど起動時間を短くできることが知られています。
図2. 従来水晶発振回路の構成と等価回路
しかし、水晶発振回路の起動時間を高速化するには、以下の二つの課題がありました。
1.の課題に対し、本開発では図3(a)のように増幅器を3段縦続接続する構成としました。1段目、2段目の増幅器によって100倍程度の電圧利得を稼ぐことで、わずかな消費電力で大きな負性抵抗を生じさせることが可能となります。しかしながらこの構成だけでは、2.の課題が解決できないため、さらに図3(b)のように容量フィードフォワードパスを追加し、従来の理論限界値を超えられるように工夫しました。その結果、それぞれの回路の負性抵抗は、図4のようになり、従来構成と比べ100倍上大きな値が得られるようになりました。最終的な回路構成としては図5に示すように、水晶発振回路の起動開始後の一定期間のみ負性抵抗を大きくして起動を速め、定常発振時には消費電力を極力抑えられるように、増幅器を3段構成と1段構成の2種類に切り替える再構成を可能にしています。
図3. 本開発の増幅器構成
以上の構成について、最小線幅65 nmのCMOSプロセスを用いて試作を行いました。チップ写真を図6に示します。58 µm(マイクロメートル)× 91 µmの小面積で実現しました。図7に40 MHzの発振時において本手法を用いた場合と用いない場合の水晶発振回路の起動時間の測定結果を示しています。本手法を用いることで起動時間を18倍速めることが可能となり、起動時間はわずか64 µsとなりました。
図8は他の研究機関の水晶発振回路の高速化手法との性能比較を示しています。各手法を用いる前後の起動時間の比(手法適用前/手法適用後)と、起動にかかる消費エネルギーの比(手法適用前/手法適用後)を表したもので、値が大きければ大きいほど削減効果が高い手法であると言えます。特に26 MHz発振時における起動時間の削減効果は30倍(起動時間を1/30以下に削減)で、これは従来の手法と比べて2倍以上の効果が得られました。また、消費エネルギーの削減効果も高く、本手法を用いることで消費エネルギーを1/9に抑えることが確認できました。
あらゆるものがインターネットにつながるIoT社会が進展するなか、インターネット上につながるIoT機器は増え続けています。
総務省の情報通信白書(平成29年版)は、IHS Technologyの推定を引用し、2016年時点でインターネットにつながるIoT機器の数は173億個で、2015年時点の154億個から12.8%の増加と堅調に拡大していると報告。2016年を起点に2021年までに年平均成長率(CAGR)15.0%とさらに成長率が加速し、2020年は約300億と現状の数量の2倍に規模が拡大する見通しであると述べています。この調子で増え続ければ、IoT機器は近い将来、1兆個を超えるとも予測されます。
IoT機器の多くは電源として電池または環境発電で賄われるため、低消費電力化技術は、IoT社会を実現する鍵となる技術として、近年盛んに研究開発が行われています。IoT機器の低消費電力化に有効な技術としては、動作時のみ回路の電源をオンにし、動作しない時には電源をオフにするという間欠動作があります。水晶発振回路は、IoT機器を含むあらゆる電子機器のシステムクロックや無線機などの基準信号源として用いられる重要な回路ブロックであり、間欠動作に対応した省エネ対策が求められていました。
本開発品の水晶発振回路は、広範なIoT機器への組み込みが可能です。水晶発振回路の高速起動によりIoT機器の間欠動作を簡便に行えるようにすれば、電池交換など電源メンテナンスの頻度を減らすことが可能となり、IoT機器の爆発的普及のきっかけとなることも予想されます。本開発の水晶発振回路を低消費電力無線機に適用した場合、電池寿命を最大で4倍程度延ばすことが可能であると試算されており、今後、無線機を備えたデータ収集端末に組み込み、効果を実証していく計画です。
用語説明
[用語1] 水晶発振回路 : 水晶振動子と発振回路(IC)を組み合わせた発振回路のこと。水晶振動子、発振回路については、背景を参照。
[用語2] 容量フィードフォワードパス : 水晶振動子の寄生容量に起因した制限をクリアするため、前もってその影響を極力なくすように加えた回路パス。具体的には1段目の増幅器を囲むように容量の回路パスを加えている。
[用語3] 負性抵抗(RN) : 局部的に「負性の抵抗値」を持つ素子などの性質。電圧を増すと電流が減る、または電流を増やすと電圧が低下する現象のこと。
[用語4] 卓越研究員 : 文部科学省が2017年度から始めた「卓越研究員事業」により公募され、新たに採用された研究者。同事業の目的は、新たな研究領域に挑戦するような若手研究者が、安定かつ自立して研究を推進できるような環境を実現するとともに、全国の産学官の研究機関をフィールドとして活躍し得る若手研究者の新たなキャリアパスを提示することなどが挙げられている。詳しくは文部科学省のホームページを参照。
[用語5] IoT機器 : 固有のIPアドレスを持ち、インターネットに接続が可能な機器のこと。センサーネットワークの末端として使われる端末から、コンピューティング機能を持つものまで、エレクトロニクス機器を広範囲にカバーするもの。
[用語6] ノード数 : ネットワーク上に接続されているIoT機器の数。
論文情報
掲載誌 : | 2018 Symposium on VLSI Circuits |
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論文タイトル : | A 64 µs Start-Up 26/40 MHz Crystal Oscillator with Negative Resistance Boosting Technique Using Reconfigurable Multi-Stage Amplifier |
著者 : | Masaya Miyahara1, Yukiya Endo2, Kenichi Okada2, and Akira Matsuzawa2 |
所属 : |
1 High Energy Accelerator Research Organization, Ibaraki, Japan 2 Tokyo Institute of Technology, Tokyo, Japan |
講演情報
国際会議 : | 2018 VLSI Circuit Symposium |
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講演セッション : | Session 11 – Frequency References |
講演時間 : | 現地時間6月20日午後1時55分 (PDT) |
講演タイトル | A 64 µs Start-Up 26/40 MHz Crystal Oscillator with Negative Resistance Boosting Technique Using Reconfigurable Multi-Stage Amplifier(64 µsで起動する26/40 MHz 水晶発振回路-再構成可能な多段増幅器を用いた負性抵抗ブースト技術により達成-) |