電気電子系 News
「ダイヤモンドと聞くと、一般には高価な宝石という印象がありますが、実はメタンと水素があれば作ることができます。ダイヤモンドは炭素(C)という軽くて単一の元素が密に結合した単純な構造をしています。単純ですがユニークな性質を示し、環境エネルギー、生体用、と様々な用途に使える大きなポテンシャルを秘めている物質です。」
ダイヤモンドに魅せられた波多野が、一般企業を経て東工大でまず取り組んだのは、ダイヤモンド半導体とそれを使った電力変換や制御を行うパワーデバイスの開発である。
ダイヤモンドは通常電気を通さないが、リンやホウ素を加えることにより半導体になる。半導体と言えばメモリーやマイクロプロセッサーに用いられているシリコン(Si)が思い浮かぶが、パワーデバイスにも主にシリコンが用いられている。パワーデバイスは今後スマートグリッド化が進む社会インフラのキーデバイスで、その大容量化と電力変換時の損失低減が課題であり、それを実現する新しい半導体材料が求められている。
ダイヤモンドはシリコンと比較して熱伝導率が14倍、耐電界は30倍である。熱伝導率が優れているということは熱を逃がしやすく、大電力で発生する熱の冷却装置が小さくて済む。耐電界が大きいということは文字通り大きな電圧を加えることができるし、電力変換時の損失を低減できる。これらの特長を兼ね合わせると、送電、電気自動車、鉄道など、いずれも数キロボルト(kV)の電圧が必要なパワーエレクトロニクスに利用できる究極の半導体と言える。
しかしながら、ダイヤモンド半導体はこれまで電子が伝導キャリアであるn型半導体と正孔が伝導キャリアであるp型半導体をそれぞれ作ることまではできても、デバイスの基本構造である横型pn接合の形成が難しかった。波多野は産業技術総合研究所の研究者と組んで、横型のpn接合技術を確立し、それをパワーデバイスに利用して接合型電界効果トランジスタを試作、世界で初めて高耐圧のパワーデバイスを実現した。このデバイスは、特に電力供給の最適化を図るスマートグリッドへの応用によって、環境問題に大きく貢献できると考えられている。
波多野がダイヤモンドの応用として、現在、最も精力的に取り組んでいるのは、世界の注目が高まっているダイヤモンドセンサーの研究と生体への応用だ。
ダイヤモンドの結晶では、本来、炭素(C)があるべきところに窒素(N)を置き換え、その隣に空孔(V)がある空孔複合体(NVセンター)を作ることができる。負電荷を帯びたNVセンターは電子スピン※と呼ばれる磁気的な性質を示す。NVセンターに緑色光を照射すると赤色の蛍光を発する。その際に磁場に応じて蛍光過程が変化し、磁場強度や向きの検出ができる。この原理を利用したのがダイヤモンドセンサーだ。生体などは磁場を発しており、この機能を使って、ダイヤモンドセンサーは磁場のイメージングができるのだ。
ダイヤモンドセンサーが他のセンサーと比べて優れている点は、NVセンターの密度や位置を制御することにより空間分解能を、ナノメートルからミリメートルのオーダーまで幅広く設定でき、高い磁気感度を有していることである。また、低温で稼働するSQUID磁気センサーなどと比べて常温で動作することも大きな特徴である。
ダイヤモンドセンサーにより、タンパク質の構造解析に必要なナノメータの領域、ドラッグデリバリや免疫検査に適用される細胞計測に必要なサブミクロンの領域、医用・食品・構造物の非侵襲計測に必要なミクロン以上の領域まで、空間分解能に対してスケーラブルな応用が拓ける。
パワーデバイス半導体でのダイナミックな使い方と、ナノスケールにまで応用できるセンサー。これら両極にある課題をダイヤモンドの力で実現可能にするために、専門の電気電子系以外にライフサイエンス、理論物理の研究者など、異分野間の融合を促進し、海外の連携も強化して進めている。
現在はこうしてダイヤモンドに魅了され、研究の世界に身を挺している波多野だが、科学者としての素養は、幼少の頃からすでにあったようだ。
4歳の誕生日に祖父からバージニア・リー・バートンの「せいめいのれきし」をプレゼントされる。地球が生まれてから現代に至るまでの命のリレーを芝居形式で紹介する絵本にすっかり魅了された波多野は、理系の両親の元で科学への関心をごくごく自然体で深めていった。父とは「今食べているものは何の原子からできているのか?」と会話することもしばしばだったとか。一方で、小学校では、火を噴くようなダイナミックな理科の実験にも興味を覚えたという。
その根幹には、「“資源のない日本は科学技術で勝負する”という家庭と学校の教育環境がしっかりと働いていたのかもしれない」と波多野は懐かしげに笑みを浮かべた。
大学卒業後に入社した日立製作所では、超伝導や量子効果デバイス等に関する基礎研究に12年間従事。その間、業務と並行しながら博士号を取得している。その後、プロジェクトリーダーとしてモバイルディスプレイ製品化の研究開発、環境エネルギーエレクトロニクスの柱プロジェクトに取り組んだ。
波多野の研究に対する取り組み方や思考に転機をもたらしたのが、1997年から3年間にわたり、会社から共同研究のための客員研究員として滞在したカリフォルニア州立大学バークレー校(UCB)での体験であった。波多野の専門は電子工学だが、あえて専門外である機械科の教授と共同研究に臨んだ。熱をテーマに研究を重ねた結果、相互理解が深まり、結果としても融合領域を見出すことができて非常に有意義だったと波多野は振り返る。
「分野が違うとお互いの専門性を尊重して議論し、それが新領域や融合領域の発生につながります。また、UCBの近くのシリコンバレーは研究分野を変えることや転職が当たり前で、流動的な人を通じて技術やノウハウがさまざまな場所にネットワークを通じて拡散し、新たなベンチャーが続々と生まれたりと独特の風土が形成されているのです。」
一方で、異文化での生活を通じ、この地特有の刺激も体感した。留学当初はまだ長女が小学生、次女は保育園児であったが、ちょうどシリコンバレーはベンチャーによる起業の最盛期を迎え、人口の急増によりインフラ整備が進まず、教育機関も不足するほどだったという。そんな中、長女が通った公立の小学校には、10ヵ国以上の児童が通っており、まさに世界中から頭脳が集結していることを、意外な面で実感したという。時には、近隣企業ヒューレット・パッカードやゼロックスパークやベンチャー企業の協力を得て小学校の新設支援にも携わったことも。授業もフレキシブルで、NASAや大学、一流企業の社員が臨時で講師を務めたりしていたと波多野は振り返る。
「同級生の母親でもあるスタンフォード大の先生は“牛の目の解剖”をしてくださったのですが、これがかなり衝撃的でした。カエルの解剖しか経験がなかった子どもたちにも、生涯忘れられない体験になったと思います。」
「東工大へは、ゼロベースでやってきました。」
波多野が日立製作所から東工大に移ってきたのは、2010年の7月。「これからは教育に情熱を注ごう」とある日突然決意した。
日立製作所での仕事ぶりは傍から見るとやりがいもあり順風満帆に思えるような状況だったが、あえて大学というまったく違う土俵に身を移したのだ。安心感や満足感に浸ることを好まず、安定したときこそ“スクラップ(取り壊す)・アンド・ビルド(建設する)”したくなる、という波多野。当初は、企業と大学とのギャップに戸惑いもあったが、「覚悟さえあればゼロからスタートできることを学生たちに伝えたいし、あがいている姿も見せたい」と意気揚々と語る。
また、将来を見据える学生たちに向けて、波多野はこんなメッセージをくれた。「これからは、課題をいかに解決するだけでなく、これまでにない新たな価値を創造することがますます重要になります。東工大の学生は専門性は秀でていますから、それを活かし、多様な人と協創し新たな価値を生み出し、社会をデザインしていくことが重要です。お互いが理解し合い、触発しあうことにより“自分一人ではできなかった素晴らしいもの”が生み出せるはずです。」
最後に、波多野はダイヤモンドにまつわる夢の話をしてくれた。
ダイヤモンドセンサーに使用する人工ダイヤモンドを生成する際、感度を極めていくと、ピンク色を帯びてくるのだというが、その原理はまだわかっていない。海外では色のついた稀少なダイヤモンドが高額で取引されており、2013年には最高級のピンクダイヤ(59カラット)が約83億円で落札されている。
「将来は『007』の映画に登場するワンシーンように宝石に囲まれるなんて夢も、密かに抱いていたりします。」と瞳の奥を輝かせる波多野。研究への挑戦は、まだまだ終わらない。
電荷を持った電子の自転は円電流とみなすことができ、その回転軸に沿った磁力が発生する。
波多野 睦子(Mutsuko Hatano)
工学院 電気電子系 教授
※本記事は2016年9月に全学サイトSPECIAL TOPICSに掲載した内容です。