生命理工学系 News
シクリッドの絶滅リスクを遺伝学的側面から評価
東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系の二階堂雅人准教授(生命理工学コース 主担当)、今本南大学院生、畑島諒大学院生、相原光人研究員、伊藤武彦教授(生命理工学コース 主担当)、総合研究大学院大学 統合進化科学研究センターの中村遥奈研究員、およびタンザニア水産研究所の共同研究チームは、東アフリカの湖へ持ち込まれた外来種の魚類であるナイルパーチが在来種のシクリッドにもたらした影響を、大規模なゲノム解析から明らかにした。
食用魚として高い商業的価値を誇る肉食性の大型魚・ナイルパーチは、1950年代に殖産向上を目的に東アフリカのビクトリア湖へ人為的に放流された。ナイルパーチの漁獲数は増大した一方で、主要な構成群であった淡水魚・シクリッドの個体数が激減し、最終的に約200種のシクリッドが絶滅したと考えられている。しかし、具体的な個体数の減少時期や、遺伝的な影響の評価は行われていなかった。
本研究では、シクリッド158個体のゲノムデータを用いた大規模な比較ゲノム解析から、ナイルパーチがシクリッドに与えた影響を遺伝学的側面から評価した。その結果、シクリッド4種において個体数が減少しており、それに伴い種内の遺伝的な多様性も低下していることが明らかとなった(ボトルネック効果[用語1])。また、多様性の損失度合いは種によって異なっており、食性など生態の違いが、ゲノムの多様性に大きく影響した可能性が示唆された。外来種侵略の影響を遺伝学的に評価できたことにより、保全すべき種の順位づけや漁獲制限などの保全政策立案の指標に利用されることが期待される。
この研究成果は、5月24日(現地時間)に米国の学術誌「Molecular Biology and Evolution」電子版に公開された。
近年、外来種の放流は生態系へさまざまな悪影響を及ぼすことで知られている。特に生態系を構成する在来種が受けた影響の総合的な評価は、適切な保全アプローチを取るためには必要不可欠である。
肉食性の大型魚・ナイルパーチは白身魚として知られる食用魚で、ヨーロッパや日本をはじめ全世界に流通している。1950 年代初頭、ナイルパーチは殖産のため東アフリカのビクトリア湖に⼈為的に放流され、以来漁獲数は⼤幅に増加し商業的成功を収めた。一方で、ナイルパーチがビクトリア湖の在来生態系へ与えうる影響については、多くの研究者たちが警鐘を鳴らし続けてきた。ナイルパーチは国際自然保護連合(IUCN)の「世界の侵略的外来種ワースト100」にも選定されており、ビクトリア湖の生態系に与えた影響は、ドキュメンタリー映画『ダーウィンの悪夢』で取り上げられアカデミー賞にノミネートされるなど、一躍注目度の高い環境問題となった。
ナイルパーチの放流の影響を強く受けた在来種が、元々湖に生息するシクリッドである(図1A)。ナイルパーチの漁獲数がピークに達した1980年代を境に、シクリッドの漁獲数が大幅に減少し、1990年代には約200種のシクリッドがナイルパーチの影響で絶滅したと言われている(図1B)。しかし、外来種・ナイルパーチの放流が、在来種であるシクリッドへ与えた影響について、具体的な個体数の減少時期の推定や、遺伝的な影響の評価はこれまで行われていなかった。
本研究では、ナイルパーチの侵略が在来種であるシクリッドに与えた遺伝的な影響を評価するため、新規にゲノム配列を決定した21個体を含む合計158個体、137種のシクリッドゲノムを用いた、大規模な比較ゲノム解析を行った。
環境の変化などにより種の個体数が減少すると、種内の遺伝的な多様性が低下する「ボトルネック効果」が起こる。ボトルネックを受けた種は、生存に不利な有害変異が除去されづらくなるだけでなく、失われた遺伝的多様性の回復にも長い年月を有する。したがって、ボトルネックを受けた種を特定し、遺伝的な多様性を評価することは、種の保全の観点から極めて重要である。
著者らは、解析に用いたシクリッド8種のうち、4種においてボトルネック効果を検出した。まず、遺伝的多様性の指標となる塩基多様度π[用語2]を種ごとに算出したところ、Haplochromis sp. ‘matumbi hunter’、H. microdon、H. chilotes、H. sauvageiの4種においてゲノム全体の塩基多様度が低くなっていることが明らかとなった(図2A)。さらに種の個体数の目安となる有効集団サイズNe[用語3]を推定したところ、遺伝的多様性の低下が見られた4種において、Neの大幅な減少が確認された(図2B)。個体数の減少は1970年代から1980年代にかけて始まっており、ナイルパーチの勢力が拡大した時期と一致している。このことから、今回検出されたボトルネック効果は、ナイルパーチの侵略がきっかけで起こったと予想される。
また、今回ボトルネックが検出された種のうち、H. sp. ‘matumbi hunter’(以下、マタンビハンター)とH. microdonは、他のシクリッドから卵を奪って食べる「卵・稚魚食[用語4]」のシクリッドである。シクリッドの大量絶滅が起こった際、ナイルパーチと同じ生態的地位に位置する肉食性シクリッドから先に絶滅したことが、複数の先行研究で予想されていた(図3)。本研究では、理論的に予想されていたナイルパーチの侵略と肉食性シクリッドの絶滅の関係性を、ゲノム比較から検出したことになる。
さらに、マタンビハンターにおいて最も強いボトルネックの痕跡が見られ、この強いボトルネックが、本種が特殊な遺伝構造[用語5]を持つ原因であることが示唆された。通常、近縁な種同士は似通った遺伝構造をとる。しかし、遺伝構造の推定を行った結果、マタンビハンターは近縁種であるH. microdonなどの卵・稚魚食者を含めた他のシクリッドには見られない、独自の遺伝構造を有することが分かった。これは本種が遺伝的多様性を失ったことに起因する現象だと予想される。
外来種が在来種に与える影響はさまざまだが、本研究チームは遺伝学的側面に着目し、種ごとの影響度合いの差を検出することに成功した。これまで外来種が在来種に与えた影響を評価する場合、観測データや漁獲量を用いた比較が主流であった。今回、ゲノムデータから遺伝的多様性や実際の個体数の変動を推定し、外来種侵略の影響を特に強く受けた種を特定できたことは、保全生物学に新たな知見を与えるものとなった。こうした遺伝学的な指標による評価によって、保全すべき種の優先順位づけや、漁獲数の制限や禁漁区の設置など、保全政策立案の指標として今後利用されることが期待される。
現在、ビクトリア湖では絶滅したと考えられていた種の再発見も相次いでいる。今後ゲノム比較の知見からの在来種保全が活発化することで、生態系のさらなる復活が期待される。
今回はゲノムサンプル入手の都合上、湖の特定の地域に生息する8種のみを用いて解析を行ったが、今後は種数を増やしたビクトリア湖全域にわたる、さらに大規模な解析を行うことを検討している。ボトルネックの解析は、1種あたり複数個体のゲノムデータを解析に含める必要がある。シクリッドゲノムの公共データベースへの登録数は毎年増え続けており、多くの種において解析に十分なサンプル数が確保できつつある。複数種間でボトルネックの規模を比較することで、生息地域や環境、生態などの違いが、ナイルパーチから受けた被害の差にどの程度影響を与えたのか明らかにしたい。
本研究は日本学術振興会 科学研究費助成事業 国際共同研究加速基金 国際共同研究強化(B)(20KK0167)および特別研究員奨励費(20J13861)、東京工業大学SPRINGスカラシップ 研究奨励費(JPMJSP2106)の支援を受けて実施された。また一部の解析は情報・システム研究機構 国立遺伝学研究所 遺伝研スーパーコンピュータシステムにて実施された。
[用語1] ボトルネック効果 : 種の個体数が減ると、種内の遺伝的な多様性も低下する現象。一度ボトルネック効果が生じると、失われた遺伝的多様性の回復に長期間を有する。また、種の個体数が多いと、個体の生存に不利な有害変異が生じても、それらを取り除く自然選択と呼ばれる効果が働く。しかし個体数が少ないと、自然選択の効果が弱まることで、有害変異が種内に残りやすくなり、結果として種の存続を脅かすこととなる。したがってボトルネック効果が働いた時期や強さを推定し、生物が外来種侵略や環境変動などの外的要因による影響をどの程度受けたのか推測することは、保全生物学の観点から非常に重要である。
[用語2] 塩基多様度π : 複数の塩基配列を比較したときに、配列間で異なる塩基を持つ割合。注目する種の塩基多様度を算出することで、種内の遺伝的多様性を間接的に推定することができる。例えば、種内の塩基多様度が高い場合は、種を構成している個体間で異なる塩基を多く有している状況であり、遺伝的な多様性が高い状態であると言える。逆に塩基多様度が低い場合、種内の遺伝的な多様性が低いと言える。
[用語3] 有効集団サイズNe : 種など遺伝的に均質な個体の集まり(集団)において、実際に繁殖にかかわる個体の数を一般化したもの。
[用語4] 卵・稚魚食 : 特殊な捕食様式によって他のシクリッドから卵・稚魚を捕食する、シクリッドの食性グループ。多くのシクリッドは、メスの口内で卵からある程度の大きさの稚魚まで育てる習性がある。卵・稚魚食のシクリッドは、卵・稚魚をくわえたメスの口から直接卵を吸い出す、あるいはメスへストレスを与え口内の卵を落とさせ、卵を奪い捕食すると言われている。
[用語5] 遺伝構造 : 同じ種でも、個体の全ての遺伝情報(ゲノム)を構成する塩基の組み合わせは個体ごとに微妙に異なっている。この各個体や種を構成する遺伝的な特徴を遺伝構造と呼ぶ。通常、同種同士や近縁種間では似た遺伝構造をとる。同種であっても、地理的な隔離などで複数の集団(個体の集まり)に分かれた際、隔離が長く続くほど各集団の遺伝構造は異なったものになる。
掲載誌 : | Molecular Biology and Evolution |
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論文タイトル : | Severe Bottleneck Impacted the Genomic Structure of Egg-Eating Cichlids in Lake Victoria |
著者 : | Minami Imamoto, Haruna Nakamura, Mitsuto Aibara, Ryo Hatashima, Ismael A. Kimirei, Benedicto B. Kashindye, Takehiko Itoh, Masato Nikaido |
DOI : | 10.1093/molbev/msae093 |
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東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系
准教授 二階堂雅人
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