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フェロモン受容機構が退化した哺乳類をゲノム解析で特定

哺乳類の鋤鼻器官進化に関する新たな知見

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2020.06.09

要点

  • 哺乳類261種についてフェロモン感覚に必須な2つの遺伝子を進化解析
  • この2つの遺伝子の機能を両方とも喪失した種を特定
  • フェロモン感覚が退化した哺乳類を新たにDNAレベルで見出すことに成功

概要

東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系の二階堂雅人准教授と総合理工学研究科の張子聡大学院生は、ゲノム情報が公開されている261種の哺乳類において、フェロモン受容機構[用語1]の中枢で働く遺伝子の進化解析により、フェロモン感覚が退化した生物種を新たに特定することに成功した。

フェロモンは動物の重要なコミュニケーション手段であるため多くの種で保存されている。しかし、上位の霊長類やクジラ、一部のコウモリ類では他の感覚器官が発達したことにより、フェロモン感覚が退化したことが知られていた。

今回の研究では、これらの種に加えて水棲哺乳類のマナティやアザラシ、カワウソの仲間と陸棲哺乳類のヨザルやフォッサ、ハーテビーストの仲間で、フェロモン受容に重要な2遺伝子の損壊および自然選択作用の緩みを検出した。

今回の発見は、哺乳類における鋤鼻器官[用語2]を介したフェロモン感覚の退化に関して新たな知見を与えるだけでなく、これらの動物における代替感覚の進化や、未知な部分の多い繁殖生態の解明につながることが期待される。

この研究成果は4月21日に英国の学術誌『Genome Biology and Evolution(ゲノム・バイオロジー・エボリューション)』に掲載された。

図1. 哺乳類の系統樹とフェロモン受容機構の収斂的な退化

図1. 哺乳類の系統樹とフェロモン受容機構の収斂的な退化

多くの哺乳類は鋤鼻器官を介したフェロモン受容機構を保持しているが、系統によってそれらを退化させていることが示唆された。黒実線:フェロモン受容機構を保持している種、灰色破線:今回の研究結果でフェロモン受容機構の退化が示された種、コウモリは系統によっては退化した種と保持している種が混在するため黒と灰色のまだら。

背景

我々ヒトは主に視覚や言語を用いてコミュニケーションするが、多くの哺乳類は視覚や言語が発達していないため、嗅覚に頼ってコミュニケーションしている。その嗅覚の中でも、異性の誘因や排卵誘発など、子孫を残すための生殖行動において重要な役割を果たしているのがフェロモンであり、多くの哺乳類はこのフェロモン感覚を保持している。

しかし、一部の哺乳類ではこの重要なフェロモン感覚が退化していることが示されてきた。例えばクジラは水棲環境への適応に伴いフェロモン感覚が退化した。他にはヒトやチンパンジーなどを含む上位の霊長類や一部のコウモリ類でフェロモン感覚が退化しており、これはそれぞれのグループにおける視覚や反響定位能力[用語3]の発達とのトレードオフの結果だと考えられている。

哺乳類は鼻の先端部に鋤鼻器官というフェロモン受容に特化した器官を持っており、フェロモン感覚の退化は鋤鼻器官の縮小・喪失といった解剖学的な特徴によっても強く示唆されてきた。しかし退化が形態的な変化を伴うまでには長い時間を要するため、例えば鋤鼻器官のわずかな縮小が機能の退化を反映しているものなのかどうかを、解剖学的な情報に頼って判断するのは困難である。また、解剖学的な研究の難しい希少種や大型種は鋤鼻器官の記載すらされてないこともある。

それに対し、特定の器官で働く遺伝子はその器官の退化とともに急速にDNA変異を蓄積することが分かっている。つまり、鋤鼻器官の機能に関わる遺伝子配列を解析すれば、その種における鋤鼻器官を介したフェロモン感覚の退化を客観的に検証することが可能になる。昨今では希少種も含めた実に多様な哺乳動物の全ゲノム配列データが公開され始めており、ゲノム解析の技術と知識さえあれば、あらゆる遺伝子の配列を取得できるようになったのも研究推進の追い風となっている。

研究成果

今回はゲノム情報が公開されている全261種(研究開始当時)に渡る哺乳類について、ancV1R[用語4]とTRPC2という2つの遺伝子配列を単離した。ancV1Rは2018年に二階堂准教授らの研究グループによって新規に発見された遺伝子で、鋤鼻器官の全体に発現し、脊椎動物の進化の過程で4億年も保存されてきたことが分かっている。そしてTRPC2は鋤鼻神経において神経伝達の根幹の担う遺伝子である。

二階堂准教授らは、これらの2つの遺伝子について、遺伝子の機能を破壊するDNA変異の有無と遺伝子に働く自然選択圧の緩み[用語5]を検証した。その結果、鋤鼻器官が退化したことが分かっているクジラ、上位の霊長類、一部のコウモリ類については、どの種においても上記のDNA変異と自然選択圧の緩みが検出された(図1)。そのため、解析に用いた2つの遺伝子の機能欠損が、鋤鼻器官を介したフェロモン感覚の退化を予測する有効なマーカーになりうることが示された。

さらに、上記の種だけでなく哺乳類全体について網羅的な進化解析をおこなったところ、水棲哺乳類ではマナティ、カワウソ亜科(カワウソ・ラッコ)、アザラシ科、陸棲哺乳類ではヨザル、フォッサ、ハーテビースト亜科において、ancV1R、TRPC2ともに、遺伝子の機能を破壊するDNA変異と自然選択圧の緩みの両方が検出された(図1)。

上記の種は鋤鼻器官の退化に関して現在も議論が続けられていたり、鋤鼻器官の解剖学的な記載すらなかったりする種である。今回の結果はこれらの種においても鋤鼻器官やフェロモン感覚が退化している可能性をDNAレベルで提示したものと言える。マナティやカワウソ亜科、アザラシ科におけるフェロモン感覚の退化はクジラと同様に水棲適応に伴って起きたと予想できる。そうすると、クジラが反響定位能力を発達させたように、これらの種においてもフェロモンに代わる何か別の感覚を発達させて異性の誘引や繁殖をおこなっているのかも知れない。

また、ヨザル、フォッサ、ハーテビーストなどはいずれも希少な動物であり、その繁殖生態に関する記載はごく限られたものだった。今回の研究はこのような生態のよく分かっていない種についても、網羅的なゲノム比較解析を通じて思いもよらない新たな発見があることを示した。

今後の展開

今回の研究でフェロモン感覚の退化が新たに示唆されたグループについては、解剖学・生態学を専門とする研究者と分野横断的に共同研究を進め、鋤鼻器官の詳細な観察や野外における繁殖行動の調査を予定している。加えて、解析の対象となる種や遺伝子を増やすことで、フェロモンの受容機構がどのような過程を経て退化に至ったのかを明らかにすることができると考えている。

そして、上記の種において鋤鼻器官の代替えとなる感覚器官を探っていくことにより、研究者がこれまでに気づくことすらなかった、まだ見ぬ哺乳類の進化の多様性を見出していく研究を進めていく方針である。

謝辞

本成果は主に、文部科学省(MEXT)/日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金、旭硝子財団、倉田記念日立科学技術財団のサポートを受けて行われた。

  • 論文情報
掲載誌 : Genome Biology and Evolution
論文タイトル : Inactivation of ancV1R as a predictive signature for the loss of vomeronasal system in mammals
著者 : Zicong Zhang and Masato Nikaido
DOI : 10.1093/gbe/evaa082 Outer
  • 用語説明

[用語1] フェロモン受容機構 : フェロモンを感知してから脳が認識するまでの一連の経路とそのメカニズム。哺乳類のフェロモンのほとんどは匂いと同様に揮発性の小分子である。しかし、匂いとフェロモンはまったく異なる経路を経由して脳に認識され、異なる結果をもたらす。匂いの刺激は嗅神経から脳の主嗅球を経由して大脳皮質に至ることで認識される。一方で、フェロモンの刺激は鋤鼻神経と脳の副嗅球を経由して視床下部に至ることで内分泌系や自律神経系を直接駆動する。

[用語2] 鋤鼻器官(じょびきかん) : 両生類、爬虫類、哺乳類が持つフェロモン受容に特化した嗅覚器官である。匂いを感じる主嗅上皮(いわゆる鼻の粘膜)とは独立している。通常鼻腔の先端にあるが種によって形態が多様である。例えばウシなどでは口腔と鋤鼻器官がトンネルで繋がっている。爬虫類では鼻腔から断絶しており口腔の先端部に存在する。発見者の名前にちなんでヤコブソン器官とも呼ばれる。我々ヒトでは鋤鼻器官は退化していると考えられている。

[用語3] 反響定位能力 : 動物が音波を発しその反響を利用して周囲の環境の知覚や獲物の察知に役立てる方法。人間に馴染みの深いところとしては超音波診断として応用されている。哺乳類ではクジラやコウモリが独立に獲得しており、反響解析のための独自組織や聴覚などをそれぞれ発達させている。コミュニケーション手段としても用いられている。

[用語4] ancV1R : 脊椎動物のフェロモン受容体遺伝子群V1Rのうちの1つ。通常のV1R受容体と異なり、鋤鼻器官の神経細胞の全体に発現しており、フェロモン受容の根幹的な役割を果たすと予想されている。脊椎動物の進化の過程で4億年以上も保存されてきた唯一のV1Rであり、その起源がシルル紀まで遡ることからancV1R (ancientの意味)と名付けられた。2018年に東工大を中心とする研究グループによる成果。

[用語5] 自然選択圧の緩み : 遺伝子に対する変異(塩基置換)は、タンパク質の配列を変える変異(非同義置換)と、変えない変異(同義置換)に分けることができる。非同義置換は遺伝子機能に悪影響を与える確率が高く、同義置換は中立と予想される。一般に、機能遺伝子では非同義置換率が同義置換率よりも低いが、機能を失った遺伝子では非同義置換率が同義置換率に近づくと予想され、これが選択圧の緩みとして検出される。

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