電気電子系 News
高速通信可能な衛星搭載用無線機の低コスト化に貢献
東京工業大学 科学技術創成研究院 未来産業技術研究所の白根篤史准教授と同 工学院 電気電子系の岡田健一教授、戸村崇助教(ともに電気電子コース 主担当)および株式会社アクセルスペースは、放射線センサ搭載の新たなフェーズドアレイ[用語1] ICを用いて、耐放射線Ka帯[用語2]フェーズドアレイ無線機を開発することに成功した。
フェーズドアレイ無線機は、地上と衛星の間および衛星と衛星の間の通信の姿勢制御の競合を避けるために用いられるが、ICが衛星筐体外側のアンテナ近くに設置されるため、放射線耐性に課題があった。そのため本研究では、アレイ上のあらゆる位置での放射線劣化を検出することが可能なフェーズドアレイ無線機を考案した。この無線機では、たとえアレイ上の放射線劣化が一様でなくとも、無線機性能の劣化を補償することができる。
この耐放射線Ka帯フェーズドアレイ無線機のプロトタイプは、64素子のアレイアンテナと、シリコンCMOSプロセス[用語3]で製造した16チップのフェーズドアレイICによって構成される。各ICは4つの放射線センサを搭載しており、64個の放射線センサが64個のアンテナ素子に対応する。無線機の基本特性の測定評価を行ったところ、Ka帯25.9 GHzから30.1 GHzで動作し、右旋・左旋の両円偏波[用語4]において最大で8 Gbpsの通信速度を達成した。また、衛星搭載用低消費電力化を進めることで、1系統あたり2.95 mWという、最新のフェーズドアレイ無線機の5分の1以下にあたる低消費電力化に成功した。さらに、実際に放射線を無線機に照射することで、放射線センサによる性能劣化の検出と、検出値を用いた性能補償による2 dB以上の利得性能の改善を達成し、考案した技術の有効性を示した。
研究成果の詳細は、2月19日から米国サンフランシスコで開催される国際会議ISSCC 2023「International Solid-State Circuits Conference 2023」で発表される。
次世代の移動体通信規格である6G[用語5]は、地上の通信インフラだけでなく、ドローンやHAPS、人工衛星といった非地上の通信インフラを利用することで、さらなる通信エリアの拡大が検討されている。これまでインターネットがつながらなかった山頂や海上、無電化地域といった場所や、自然災害発生時などの地上通信インフラが一時的に使えないときに、非地上の通信インフラは、より広域かつ堅牢な通信ネットワークを提供し、より安心かつ安全な社会を実現できる。近年、6G時代に向けた低軌道衛星コンステレーション[用語6]の研究開発およびサービス化が急速に進んできており、宇宙の過酷な環境に耐えうる高速通信可能な衛星搭載用無線機の需要が高まっている。
低軌道衛星は一周おおよそ90分で地球を周回しており、衛星と地上の通信地点の位置関係が時々刻々と変わるため、電波の指向性が常にある地点を向くように制御する必要がある。従来の低軌道小型衛星では、衛星の姿勢制御によって固定指向性のアンテナの向きを所望の地点に向けていた。しかし、地上と衛星の間だけでなく、衛星と衛星の間が接続される衛星コンステレーションでは、姿勢制御に競合が生じてしまい、姿勢制御のみでの2方向への通信が困難であった。
一方でフェーズドアレイ無線機は、電気的な指向性制御によって姿勢制御することなく通信方向を所望地点へ向けられるが、放射線耐性に課題があった。フェーズドアレイ無線機は、昨今サービスが始まったミリ波帯5G通信において利用され、地上用としては、多くのフェーズドアレイ無線機が製品として存在する。しかしこれらの無線機は、小型化・軽量化・低コスト化のために、アンテナとフェーズドアレイICが基板上に一体化されており、アンテナとICを分けて搭載することができない。そのため、衛星にフェーズドアレイ無線機を搭載する場合、従来は衛星筐体内で放射線からシールドされていたICが、衛星筐体外側のアンテナ近くに設置され、十分な放射線シールドが存在しない環境にさらされる。このような過酷な放射線環境では、時間の経過にともなって放射線によるICへのダメージが累積し、性能が徐々に劣化していく総電離線量(TID)効果が問題となる。
一般的なフェーズドアレイ無線機の大きさは、衛星通信の回線設計によっては数千素子の規模になり、本研究のKa帯においては数千cm2になることもあるため、大面積のアレイ上で放射線劣化が一様に進むとは限らない。各アレイ素子が放射線によって一様に劣化した場合は、全てのアレイ素子で利得を一律に増やすといった対処が可能だが、劣化が一様でない場合は、まず各アレイ素子の劣化の分布を知る必要がある。
そのため本研究では、フェーズドアレイ無線機を構成するフェーズドアレイICに放射線センサを搭載し、全てのアンテナ素子で、つまりアレイ上のあらゆる位置で放射線劣化を検出することを可能にした。またその検出値にもとづいて、無線機性能の劣化を補償できるようにした。1つのフェーズドアレイICは、4つの放射線センサと8系統の受信機を持っており、受信機はそれぞれ4素子の両偏波対応アンテナに接続され、各アレイ素子の放射線劣化をIC内部の直近の位置で検出可能である。
プロトタイプの耐放射線Ka帯フェーズドアレイ無線機は、64素子のアレイアンテナおよび16チップのフェーズドアレイICで構成した(図1)。各アンテナ素子は、右旋・左旋の両円偏波に対応する2つのポートを持つため、1つのフェーズドアレイICに対して4つのアンテナ素子が接続される。フェーズドアレイICは、安価で量産可能なシリコンCMOSプロセスで製造し、ウェハーレベル・チップ・スケール・パッケージ(WLCSP)パッケージを採用した。
次に、作成した無線機の基本性能の測定を行い、高速通信性能および低消費電力特性の評価を行った。その結果、本無線機は、高速通信が可能なKa帯の25.9 GHzから30.1 GHzにおいて動作し、受信感度を決める雑音指数は3.6 dBであった。OTA測定(Over The Air)[用語7]を行ったところ、本無線機は、256APSK(256 Amplitude Phase Shift Keying)[用語8]変調時に、右旋・左旋の両円偏波にて最大で8 Gbpsの通信速度を達成した。消費電力は1系統あたり2.95 mWであり、最新のフェーズドアレイ無線機と比較しても、5分の1以下の低消費電力化に成功した。
さらにこの無線機に対して放射線照射を行い、照射された総電離線量の検出と無線機性能劣化の補償を行うことで有効性を確かめた。放射線試験としては、東京工業大学にある千代田テクノルコバルト照射施設において、コバルト60ガンマ線照射を行った。放射線による劣化が一様ではなく、勾配を持つように、各アレイ素子と線源の距離が異なるようにフェーズドアレイ無線機を配置し、各アレイ素子で放射線センサを用いた総電離線量の検出を行った。放射線センサは全部で64個あり、それぞれのアレイ素子に対応した総電離線量を示す。計算より求めた総電離線量と、実際に放射線センサで得られた検出値の比較により、開発した放射線センサで良好な検出特性が得られていることを確認した(図2)。さらに検出値を用いて各素子における特性劣化を補償することで、2 dB以上の利得性能の改善に成功した(図3)。
本研究は、今後ますます重要な通信インフラとなる衛星コンステレーションを実現するための鍵となる、衛星搭載可能な耐放射線無線機を実現するものである。本研究で考案した、フェーズドアレイ無線機上に分布させた放射線センサによって、放射線耐性に懸念のある小型軽量かつ安価なフェーズドアレイ無線機でも、放射線耐性を高めることが可能となる。このことから、本研究は衛星の低コスト化や軌道寿命の向上につながるものであり、大量の小型衛星による衛星コンステレーション実現に貢献すると期待される。
本研究の耐放射線無線機は、並行して研究開発を進めている省電力送信系のフェーズドアレイ無線機とともに数年以内にアクセルスペース社の開発する小型衛星に搭載され、衛星コンステレーションを構築するための実験衛星として打ち上げ予定である。本研究で考案した耐放射線フェーズドアレイ無線機技術は、宇宙での利用が進むフェーズドアレイ無線機にとって不可欠な技術であり、今後はアレイの大規模化に伴い、その重要性はさらに増していくと考えられる。さらに、衛星コンステレーションによる、あらゆる場所とあらゆるときにつながる次世代通信だけでなく、エネルギー問題解決に向けた宇宙太陽光発電の送電用無線機のような、さまざまな社会課題を解決する技術の実現にも貢献し得る技術である。
本研究成果は、国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT(エヌアイシーティー))の委託研究(採択番号00601)により得られた成果である。
[用語1] フェーズドアレイ : 複数のアンテナへ位相差をつけた信号を給電する技術。放射方向を電気的に制御するビームフォーミングの実現に利用される。
[用語2] Ka帯 : 一般には26~40 GHzまでの周波数帯域を指すが、衛星通信においては、衛星通信用に割り当てられているアップリンクの17~21 GHz、ダウンリンクの27~31 GHzの周波数帯を指す。
[用語3] シリコンCMOSプロセス : CMOSプロセスはN型とP型のMOSFET(金属酸化膜半導体電界効果トランジスタ)を相補的に用いた集積回路であり、バイポーラプロセスと比較し消費電力の削減と高い集積率を実現したプロセスである。近年の集積回路はほぼ全てがCMOSプロセスとなっている。
[用語4] 円偏波 : 電磁波の進行方向に垂直な面内で、その励振周波数と等しい周期で電界の向きが回転している偏波。水平偏波または垂直偏波を用いた直線偏波による無線通信により衛星通信を行うと、衛星の姿勢によって偏波方向が変わり、偏波面が定まらずに信号の受信が困難になる場合がある。これに対して円偏波を用いた無線通信により衛星通信を行うと、偏波面を定めなくても信号の受信が可能となるという特性がある。
[用語5] 6G : 移動通信システムは第1世代のアナログ携帯電話から始まり、性能が向上するごとに世代、つまりジェネレーションが変わる。「G」はジェネレーション(Generation)の頭文字。現在の携帯電話等は4Gから5Gに変わろうとしているフェイズである。6Gは5Gの次の世代の移動体通信システムとして、さらなる高速・大容量、多数接続、低遅延性能の向上に加え、非地上ネットワークも利用することで、これまで通信エリア化が難しかった地域や場所(海、空、宇宙等)へのエリア拡大が検討されている。
[用語6] 衛星コンステレーション : 複数の衛星の一群・システム。SpaceX社のStarlinkでは数千機以上の衛星群がインターネット網を構成する。
[用語7] OTA測定(Over The Air) : ケーブルを利用した接続に対して、アンテナを用いて電波伝搬を介した接続での測定。
[用語8] 256APSK(256 Amplitude Phase Shift Keying) : 256 Amplitude Phase Shift Keying(256値振幅位相)変調。振幅と位相双方に情報を乗せて伝送する変調方式。1シンボルあたり8 bit 256値の情報を乗せることができる。
この成果は、2月19日(現地時間)から開催される国際会議ISSCC 2023「International Solid-State Circuits Conference 2023」において、「A 2.95mW/element Ka-band CMOS Phased-Array Receiver Utilizing On-Chip Distributed Radiation Sensors in Low-Earth-Orbit Small Satellite Constellation(低軌道小型衛星コンステレーション向けオンチップ放射線センサ搭載2.95mW/素子CMOSフェーズドアレイ受信機)」の講演タイトルで、現地時間2月21日午後4時15分から発表される。
講演セッション : | Session19: 5G and Satcom: Receivers and Transmitters |
講演時間 : | 2月21日午後4時15分(現地時間) |
講演タイトル : | A 2.95mW/element Ka-band CMOS Phased-Array Receiver Utilizing On-Chip Distributed Radiation Sensors in Low-Earth-Orbit Small Satellite Constellation(低軌道小型衛星コンステレーション向けオンチップ放射線センサ搭載2.95mW/素子CMOSフェーズドアレイ受信機) |
会議Webサイト : |