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電源線に制約されない中継器や基地局の設置を可能に
東京工業大学 科学技術創成研究院 未来産業技術研究所の白根篤史准教授(電気電子コース 主担当)と同 工学院 電気電子系の岡田健一教授(電気電子コース 主担当)は、無線電力伝送と無線通信双方に同時対応するミリ波帯[用語1]フェーズドアレイ[用語2]無線機を開発した。また、本無線機を用いて、電力および通信信号を同時にビームステアリング[用語3]によって受信することに世界で初めて成功した。これにより、ミリ波帯無線電力伝送および無線通信の長距離化・広角化が可能となる。
従来の無線電力伝送の受信機においては、ビームステアリング機能に必須の移相器[用語4]における損失が大きいためフェーズドアレイ構成は採用されてこなかった。本研究では、新たに点対称アンテナペアを利用したアンテナ・回路一体型移相器を提案することで、ビームステアリング時の電力効率を格段に向上させることに成功した。
試作したフェーズドアレイ無線機は、安価で量産が可能なシリコンCMOSプロセス[用語5]によるICをLCP(液晶ポリマー)フレキシブル基板上に実装することで実現し、24 GHz帯における無線電力伝送および28 GHz帯の無線通信によって提案技術を実証した。本研究によって、電源の有無に関わらず、あらゆる場所にミリ波帯無線機の設置が可能となり、5G[用語6]および6G時代の通信エリアの拡大に貢献する。
研究成果の詳細は、2022年6月13日(現地時間)から米国ハワイ州ホノルルおよびオンラインで開催される国際会議「2022 IEEE Symposium on VLSI Technology and Circuits <VLSIシンポジウム>」で発表された。
携帯電話をはじめとする移動体通信の高速化は、我々の日常生活に音声通話をはじめ、インターネット接続、動画視聴・配信といった様々なサービスの提供を可能にしてきた。5Gやその次の世代の移動体通信システムである6Gの時代には、XR技術[用語7]をベースとした現実世界と仮想世界をつなぐようなサービスが当たり前のものになる。新たな時代のより大規模なデータトラフィックを支えるために、5Gからは、これまでのサブ6 GHz帯[用語8]に加えて、ミリ波帯の利用が進められている。国内においては、28 GHz帯がミリ波帯5Gに割り当てられており、10 Gbpsを超える無線通信が実現可能である。
ミリ波帯利用は、周波数の逼迫を避け、高速通信の実現が可能な一方で、電波の直進性が強いため、建物などの遮蔽物を回り込むことが難しく、通信エリアが限られてしまうという問題がある。サブ6 GHz帯利用の際も、数十m間隔での基地局・中継機の設置がなされてきたが、さらに密度の高い細やかな設置が求められる。
基地局はすでに新たな設置場所を確保するのが困難な状況であり、比較的設置が容易な中継機においても、電源の敷設による設置場所の制約が課題となっている。一般的なミリ波帯中継機は、少なくとも数ワットから数十ワットの電力を消費するため、バッテリーで動作させるのは困難で、電源確保や設備の設置が必要となる。そのため、中継機の設置場所に制約が生じ、設置コストの増大等も懸念される。
このような背景のもと、本研究グループでは無線電力伝送技術を用いた「電源の要らないミリ波帯中継機」を開発してきた。原理としては、通信用の28 GHz帯の電波とは別途で電力供給用の周波数24 GHz帯の電波を受信し、それを直流電力に変換して用いることで外部電源を不要とする。これまで開発してきた無線電力伝送の受信機では、広範囲から届く電波に対してビームステアリングできない、かつ、電力効率が低いといった技術的課題を抱えており、本研究ではこれらの解決を試みた。
本研究で開発した「ミリ波帯フェーズドアレイ無線機」の最大の特徴は、無線電力伝送および無線通信信号を同時にビームステアリングによって受信できる点である。これまで報告されてきた無線電力伝送受信機は、ビームステアリング特性を持たないか、持っていても狭い範囲のビーム角でしか利用できなかった。この課題の解消によって、無線電力伝送および無線通信の長距離化・広角化が可能となる。
本無線機は、28 GHz帯の無線通信信号の送受信に対応し、同時にISM帯[用語9]の24 GHz帯において無線電力伝送を行う。一つのユースケースとして、電波の遮蔽物となり得る壁や窓の両側に本無線機をそれぞれ貼り付けることで、遮蔽物に対する中継機として利用可能である。
本無線機では、より効率的に広範囲の電波を送受信することを目的として、新たに点対称アンテナペアを利用したアンテナ一体型移相器を考案した(図1)。従来、移相器は回路のみで構成していたが、本研究では、給電位置の異なる点対称のアンテナをペアとして、2つのアンテナをスイッチで切り替えることで180°の移相器として動作させている。これにより、移相器の損失を低減することが可能となる。さらに点対称のアンテナペアとすることで、水平および垂直の両方向へのビームステアリングを可能とした。これらにより無線電力伝送の効率を落とさずに低損失かつ2次元の広範囲な電波の送受信を実現した。
送信時においては、新たに考案した再帰バックスキャッタリング技術[用語10]によって、受信信号の到来方向と同じ方向に無線通信信号を送信することが可能である。本技術を用いることで、電力消費なくパッシブ動作として所望の方向へとビームを形成し、通信を中継することができる。
プロトタイプとして試作した無線機は、1チップあたり16系統のトランシーバを集積した全4チップの無線ICを搭載し、64素子のフェーズドアレイ無線機として構成した(図2)。様々な場所に貼り付け可能とするために、無線機の基板は、高周波特性に優れるLCPフレキシブル基板とリジッド基板のハイブリッド構成としている。無線ICは、1.8 mm×1.0 mmと小さく、安価で量産が可能なシリコンCMOSプロセスを用いて製造した。
測定評価により、28 GHz帯の無線通信および24 GHz帯の無線電力伝送の受信時に水平、垂直方向において、±45°のビームステアリング特性を達成した。アンテナを用いたOTA(Over The Air)[用語11]の測定評価を行い、無線通信の送受ともに64QAM[用語12]の変調信号を用いた通信に成功した。
本研究成果は、無線電力伝送受信時に0°から45°までビームステアリングをした際に、従来は数%まで劣化した生成電力を、46%に保つことが可能である(図3)。同じ生成電力で比較した際も、2倍以上の距離を達成している。
本研究で開発した64素子のフェーズドアレイ無線機から、さらに大規模なフェーズドアレイへと展開することで、無線電力伝送によって生成される電力の増大、無線通信速度や距離の向上が可能となる。本無線機は、無線通信の送信・受信ともにパッシブ動作であるため、大規模化による消費電力の増大は無く、純粋に生成される電力を増やすことができる。中継機で必要となる機能に応じてスケーラブルにアレイサイズを決めることで、電源不要の柔軟な無線機開発が可能となる。
本研究成果は、ミリ波帯高速通信利用エリアを飛躍的に拡大させるだけでなく、ビームステアリング可能な無線電力伝送技術を展開することで、充電によって利用可能時間が制約されない無線端末の実現への貢献も期待される。
[用語1] ミリ波帯 : 波長が1〜10 mm、周波数が30〜300 GHzの電波。自動車レーダで使われる24 GHz帯や、5Gで使われる28 GHzのように近傍周波数である準ミリ波帯も、広義にミリ波と呼ばれることがある。
[用語2] フェーズドアレイ : 複数のアンテナへ位相差をつけた信号を給電する技術。放射方向を電気的に制御するビームフォーミングの実現に利用される。
[用語3] ビームステアリング : 電波を細く絞り、電波を集中的に任意の方向に発射、制御する技術。
[用語4] 移相器 : 入力信号に対して、位相が一定量増減した信号を出力する回路。位相の変化量はデジタル信号や電圧により制御可能なものもあり、ビームフォーミングの実現に利用される。
[用語5] シリコンCMOSプロセス : CMOSプロセスはN型とP型のMOSFET(金属酸化膜半導体電界効果トランジスタ)を相補的に用いた集積回路であり、バイポーラプロセスと比較し消費電力の削減と高い集積率を実現したプロセスである。近年の集積回路はほぼCMOSプロセスとなっている。
[用語6] 5G : 2019年に展開を開始した、国際的な移動通信ネットワークの第5世代技術標準。現在ほとんどの携帯電話に用いられている第4世代移動通信システム(4G)ネットワークの後継の規格である。5Gネットワークの主な利点の一つは、より大きな帯域幅を持つことであり、さらなる高速化によって、最終的には10ギガビット/秒(Gbit/s)以上の通信速度を目標としている。既にサービスを開始している5Gの移動通信のほとんどは従来技術の延長であり、4G携帯電話と同じかわずかに高い、6 GHz程度までの限られた帯域の周波数範囲を使用している。一方で、高度な技術が必要とされる、ミリ波を利用した5Gシステムも活発に研究されており、新たなテクノロジーの突破口となることが期待されている。
[用語7] XR技術 : VR(仮想現実)、MR(複合現実)、AR(拡張現実)といった現実と仮想世界をつなぐ技術の総称。
[用語8] サブ6 GHz帯 : 6 GHz以下の周波数帯。
[用語9] ISM帯 : 「産業科学医療用バンド」で、無線電力伝送など強力な電波の放射が行われる可能性がある周波数帯。
[用語10] バックスキャッタリング技術 : 電波の反射を用いることで、通信を行う技術で、発振器や増幅器無しで構成できるため、低消費電力化が可能である。
[用語11] OTA(Over The Air) : ケーブルを利用した接続に対して、アンテナを用いて電波伝搬を介した接続での測定。
[用語12] 64QAM : 64 Quadrature Amplitude Modulation(64値直交振幅変調)。振幅と位相双方に情報を乗せて伝送する変調方式。1シンボルあたり6 bit 64値の情報を乗せることができる。
この成果は2022年6月13日(現地時間)から米国ハワイ州ホノルルおよびオンラインで開催される国際会議2022 IEEE Symposium on VLSI Technology and Circuits <VLSIシンポジウム>において、「A 28-GHz Fully-Passive Retro-Reflective Phased-Array Backscattering Transceiver for 5G Network with 24-GHz Beam-Steered Wireless Power Transfer (24 GHz帯ビームステアリング無線電力伝送を用いた5G向け28 GHz帯パッシブ型再帰バックスキャッタリング無線機)」の講演タイトルで発表された。
講演セッション : | Session C11: Wireless, Phased Arrays |
講演時間 : | 6月15日午前10時05分(現地時間) |
講演タイトル : | A 28-GHz Fully-Passive Retro-Reflective Phased-Array Backscattering Transceiver for 5G Network with 24-GHz Beam-Steered Wireless Power Transfer (24 GHz帯ビームステアリング無線電力伝送を用いた5G向け28 GHz帯パッシブ型再帰バックスキャッタリング無線機) 2022 IEEE Symposium on VLSI Technology & Circuits Schedule at a Glance | 2022 IEEE Symposium on VLSI Technology & Circuits |
お問い合わせ先
東京工業大学
科学技術創成研究院 未来産業技術研究所
准教授 白根篤史
E-mail : shirane@ee.e.titech.ac.jp
Tel : 03-5734-3764 / Fax : 03-5734-3764