生命理工学系 News
難治てんかんの診断治療に向けた医療機器開発を前進させる技術
東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系の藤枝俊宣准教授(生命理工学コース 主担当)、宮下英三准教授(ライフエンジニアリングコース 主担当)、今井綾乃大学院生(当時)らの研究チームは、横浜市立大学医学群 脳神経外科学教室の園田真樹助教、麻酔科学教室(兼 研究・産学連携推進センター)の宮崎智之教授らと共同で、脳表で生じる電位記録と電気刺激が可能な、厚さが約8 µm(1 µmは1,000分の1 mm)の硬膜下電極[用語1]を開発した。
硬膜下電極は、抗てんかん薬の有効性が認められない難治てんかん[用語2]の病巣特定に用いられる。しかし現在の硬膜下電極では、電極と脳組織の間に生じる力学的なミスマッチによって電極の位置ずれや脳圧亢進が起こるため、臨床現場では電極構造の薄膜化が求められている。
研究チームは、厚さ約4 µmのエラストマー[用語3]薄膜の表面に、金ナノインク[用語4]をインクジェット印刷[用語5]することで、多点状の微小電極を作製した。この時、レーザー加工を施した別のエラストマー薄膜を、絶縁層として多点電極の表面に重ね貼りすることで、電極の柔軟性を維持したまま電気的に絶縁させた。この薄膜電極は複雑な曲面を持つ生体組織にも食品用ラップのように密着できる。この薄膜電極を用いて、ラット特有のヒゲ-脳応答回路であるバレル皮質[用語6]の電位記録や、電気刺激によるヒゲの運動制御を実証した。さらに薬剤投与で誘発したてんかん様脳波を計測し、その空間的な伝搬の可視化に成功した。
本研究成果は、現在の硬膜下電極の課題を解決すると考えられ、今後は難治てんかん診断用の電極としてだけでなく、ニューロモデュレーション[用語7]やブレインマシンインターフェース[用語8]といった治療への実装も期待される。本研究は工学系研究者と脳神経外科医が連携した医工連携研究でもあり、研究室と臨床現場をつなぐ医療機器開発のさらなる加速も期待される。
本研究成果は、東京工業大学 生命理工学院 生命理工学系の今井綾乃大学院生(当時)、高橋俊太大学院生(当時)、古林捷大学院生、水野陽介研究員(当時)、宮下英三准教授、藤枝俊宣准教授、横浜市立大学医学群 脳神経外科学教室の園田真樹助教、麻酔科学教室(兼 研究・産学連携推進センター)の宮崎智之教授らによって行われ、9月15日付のWiley-VCH発行「Advanced Materials Technologies」誌に掲載される。
脳表脳波記録は、抗てんかん薬の有効性が認められない難治てんかん患者に対し、外科治療を行う際にてんかん発作の原因となる脳部位を明らかにするために、硬膜下電極を用いて脳表から直接電位を記録する方法である。しかしながら、現在用いられている硬膜下電極には、電極と脳組織の力学的なミスマッチより記録中に電極の位置がずれることや留置に伴う脳圧が亢進することなど、解決すべき課題がある。
一方で近年では、電気刺激により脳機能活動を調節するニューロモデュレーションが注目を集めている。特に、てんかん患者に対しては、てんかん発作を検知して、即座に異常神経活動を呈する脳部位を電気刺激し、発作を抑制する発作反応型脳刺激療法(Responsive NeuroStimulation:RNS)が開発され、米国ではNeuroPace社によって臨床応用されている。RNSは、脳組織を切除する外科手術と異なり、脳の機能を温存できる点で臨床上のメリットが大きいが、現在の電極の性能では電極留置範囲が限定されており、新しい電極開発により診断や治療の質の向上が見込まれる。
こうした課題に対して、近年、柔らかいハイドロゲルを基材とする電極や、ポリイミドフィルムを用いた電極が開発されているが、長期間安定して脳表脳波記録や電気刺激できる電極は依然として報告されていない。
そこで研究グループは、脳表に密着可能な硬膜下電極を開発することでこれらの課題を解決することを目指した。具体的には、柔らかいエラストマー薄膜上に導電性を有する金ナノインクをインクジェット印刷したうえで、電気・力学物性評価を通じて電極構造を最適化し、多点で脳表脳波記録と電気刺激が可能な薄膜電極を開発することを計画した。
本研究では、ゴムの一種であるエラストマー製の薄膜の薄膜(厚さ:約4 µm)を基材層と絶縁層に用いて薄膜電極を作製した。具体的には、まずスチレン-ブタジエン-スチレンブロック共重合体(SBS)からなるエラストマー製薄膜の表面に、金ナノインクをインクジェット印刷することによって、導電配線と多点状の電極パターンを形成した。次にこの多点電極の表面に、もう1枚のエラストマー薄膜を絶縁層として重ね貼りすることで、薄膜電極を作製した(図1)。得られた薄膜電極は、市販の硬膜下電極と比べて12分の1の薄さ(膜厚約8 µm)であり、ヒトの脳を模倣した脳組織モデルの表面の起伏を密に覆うことができた(図2)。
次に、ラットのバレル皮質表面に貼付した薄膜電極を用いて、ヒゲの機械的な刺激にともなう誘発電位の記録を試みたところ、全ての電極において誘発電位を記録することに成功した。この時、記録した電位をフーリエ変換にてスペクトル解析すると、特定の大脳皮質部位に電位が局在しており、本薄膜電極は十分な空間分解能を有することが示された(図3)。また、GABA抑制剤の一種であるビククリンを投与した薬剤誘発型てんかんモデルラットのバレル皮質に薄膜電極を貼付したところ、てんかん様の脳波を計測することにも成功した(図4)。さらに、薄膜電極に搭載した微小電極のうち1極から1.6 mAの刺激電流を印加したところ、電気刺激により誘発されたヒゲの動きを、1本のヒゲの根本の筋電位を記録することで確認できた(図5)。最後に、薄膜電極を6週間脳内に埋め込んだ後の病理組織(HE, Masson's Trichrome, GFAP)を観察したところ、電極の留置に伴う重篤な繊維組織の形成は認められなかった。
硬膜下電極は、抗てんかん薬の有効性が認められない難治てんかんの患者に対する、てんかん発作焦点脳部位の探索のための脳表脳波記録や、脳神経の働きを調節する電気刺激電気刺激(ニューロモデレーション)に用いられている。研究チームは、この硬膜下電極の性能を上げることで、脳表脳波記録やニューロモデュレーションをより有効で安全にすることはできないかと着想した。今回開発した薄膜電極は、エラストマーのような柔らかい素材から構成されており、脳表への追従性に優れるため、てんかん手術に向けて頭蓋内電極留置が必要な患者の負担や合併症を軽減できる電極素材として期待される。本研究成果は、現在の硬膜下電極の課題を解決するだけでなく、今後の難治てんかんの診断治療デバイスの概念を大きく変える可能性があり、特段の医療的進歩と周辺学問領域に対する社会的インパクトが期待される。
開発した薄膜電極は、脳表脳波記録と電気刺激を両立する電極として有用であり、難治てんかんの診断ならびに治療への応用が期待される。研究チームでは、日本医療研究開発機構(AMED)や科学技術振興機構(JST)の支援のもと、医療機器ベンチャーと連携して、今回開発したフレキシブル薄膜電極を接続可能な埋め込み型無線給電デバイスの開発にも着手しており、将来的な完全埋め込み型診断治療一体型デバイスの実現を目指している。本研究は医工連携研究によって得られた成果であり、本研究グループでは今後も医療ニーズと研究シーズをマッチングさせた医療機器の開発を目指す。
本研究は、日本医療研究開発機構(AMED) 令和4年度 「医療機器等における先進的研究開発・開発体制強靭化事業(基盤技術開発プロジェクト)」(課題番号:JP22he2202018h0001): 「フレキシブル薄膜電極およびワイヤレス給電を活用した難治てんかん診断治療一体型デバイスに関する研究開発」ならびに令和2年度 「官民による若手研究者発掘支援事業(社会実装目的型の医療機器創出支援プロジェクト)」(課題番号:JP20he0322003): 「てんかん診断治療用フレキシブル薄膜電極に関する研究開発」の支援を受けて行われた。また、科学技術振興機構(JST)創発的研究支援事業「バイオインテグレーション工学によるデジタル生体制御」(JPMJFR203Q)、および、文部科学省 科学研究費助成事業 基盤研究(B)(課題番号:21H03815): 「健康情報のデジタルトランスフォーメーション化に向けた生体貼付型デバイスの開発」などの支援を受けて行われた。
[用語1] 硬膜下電極 : 脳表(硬膜の下)に直接固定して、電位を記録したり、電気刺激を与えたりするための電極。
[用語2] 難治てんかん : てんかん性発作を引き起こす慢性の脳の病気であるてんかんに対して、適切とされる抗てんかん薬を複数処方しても発作を抑制できない場合を難治てんかんと呼ぶ。その患者数は、国内において約30万人と推定されている。
[用語3] エラストマー : ゴムのような弾性をもつ柔らかい高分子材料。シリコーンやスチレンブタジエン共重合体が知られる。
[用語4] ナノインク : ナノ粒子を溶媒に分散させたインク。導電性を示すナノインクとして金や銀があり、フォトリソグラフィのようなマスクを使わずに、印刷するだけで簡単に電子回路を形成することできる。
[用語5] インクジェット印刷 : ノズルから微量のインクを基材に直接印刷する手法。家庭用プリンターの多くに採用されている。導電性ナノインクをカートリッジに充填することで、マスクレスで電子回路を印刷できる。
[用語6] バレル皮質 : げっ歯類の大脳の一領域。ヒゲの一本一本とバレル皮質の各部位が対応する「ヒゲ-脳応答回路」としても知られ、ヒゲから入力された情報を処理する。
[用語7] ニューロモデュレーション : 電気や磁気、薬剤などを用いて神経を刺激することで、神経の機能を調節(モデュレート)する治療法。近年では、てんかん外科領域において、迷走神経刺激療法(VNS)、脳深部刺激療法(DBS)、発作反応型脳刺激療法(RNS)が国内外で承認されている。
[用語8] ブレインマシンインターフェース : 脳の活動を検出するか、脳を刺激することで、脳とコンピュータとを直接的に結合するインターフェースや制御する機器の総称である。
掲載誌 : | Advanced Materials Technologies |
---|---|
論文タイトル : | Flexible Thin-Film Neural Electrodes with Improved Conformability for ECoG Measurements and Electrical Stimulation |
著者 : | Ayano Imai, Shunta Takahashi, Sho Furubayashi, Yosuke Mizuno, Masaki Sonoda, Tomoyuki Miyazaki, Eizo Miyashita, Toshinori Fujie |
DOI : | 10.1002/admt.202300300 |