生命理工学系 News
抗体を産生させないポリマーの設計指針を得ることに成功
ポリエチレングリコール(PEG)は、長年、抗体を産生しないポリマーと認識されてきた。血中のタンパク質と相互作用しにくい性質を利用して、医薬品の安定性を高める目的で使用され、ヒトに投与されてきた。しかし、近年、ヒトの体内でPEGに対する抗体が生成し、PEG化医薬品の活性が損なわれていることが分かってきた。真に抗体を産生させないポリマーの開発が求められているが、これを設計する指針がない状況である。
東京科学大学 生命理工学院 生命理工学系の北尾彰朗教授(生命理工学コース 主担当)、伊藤悠世大学院生(修士課程2年)は、九州大学 大学院工学研究院、同大学 大学院農学研究院、北海道大学 大学院薬学研究院の研究グループと共同で、抗体を産生させないポリマーの設計指針を得ることを目的として、免疫系が、いかにしてPEGに対する抗体を産生するのか、そのメカニズムを明らかにした。抗体の前駆体であるB細胞受容体とPEGの相互作用は、予想通り、非常に弱かった。しかし、PEGが単純な構造の繰り返し配列であることから、B細胞受容体はPEG鎖の滑りを許容することで、PEGを十分な時間捕捉することができ、その結果、B細胞が活性化して抗体産生に至ることが明らかとなった。また、一般にB細胞受容体は、変異を繰り返すことで標的に対する親和性を向上させるが、PEGは極端に細いポリマー鎖であるため、トンネル構造を作るという単純な変異戦略により、PEGを強く捕らえる抗体を作り出していることが分かった。
本研究により、PEGがB細胞受容体に認識されて抗体の産生に至るメカニズムが明らかになったことから、抗体を産生させないポリマーの開発の指針が得られた。今後、これらの指針を活用して、真に抗体を産生させないポリマーが開発されると期待される。
本研究成果は、Controlled Release Societyの公式雑誌「Journal of Controlled Release」に2025年2月10日に掲載された。
ポリエチレングリコール(PEG)は、長い間、抗体を産生させないポリマーと認知されてきた。PEGは、-CH2-CH2-O-という単純で特徴に乏しい構造を繰り返し単位とし、エーテル結合[用語2]に由来する高い屈曲性を持つ。この性質のため、血中のタンパク質との非特異的な相互作用が起こりにくい。そこで、医薬分子(タンパク質やナノ粒子)の血中での安定性を高めるために、PEGによる修飾が行われてきた。しかし、近年、PEGに対しても抗体が産生してしまうことが明らかとなり、PEG化医薬品が承認されない状況にあり、医薬品の分野で大きな問題となっている(図1)。真に抗体を産生させないポリマーの開発が求められているものの、現在、その設計指針がないことが問題である。
図1.
PEGに対して抗体が産生するまでの流れ
脾臓に存在する多様なB細胞の中には、PEGと強く結合できるB細胞受容体を持つクローンが存在する。これがPEG化医薬品と結合すると、B細胞受容体が抗体として分泌されるようになる。抗体はPEG化医薬品を無効化してしまう。
九州大学 大学院工学研究院の森健准教授、劉一イ博士(現 名古屋大学博士研究員)、同大学 大学院農学研究院の角田佳充教授、博士後期課程1年生 森尚寛、寺本岳大助教、北海道大学 大学院薬学研究院の前仲勝実教授、黒木喜美子教授、東京科学大学 生命理工学院の北尾彰朗教授、修士課程2年生 伊藤悠世のグループは、抗体を産生させないポリマーの設計指針を得ることを目的として、生体に備わる免疫系は、いかにしてPEGに対する抗体を産生するのか、そのメカニズムを明らかにした。
ヒトやマウスの脾臓には、それぞれが固有のB細胞受容体(抗体の前駆体)を持つB細胞が多数存在する(ヒトでは106~107種、マウスでは105~106種)。体に異物が侵入すると、いずれかのB細胞受容体がこれと十分な強さで結合してB細胞が活性化し、B細胞受容体を抗体として分泌するようになる。この抗体によって異物は除去される。また、異物を認識できるB細胞受容体を有するB細胞は、自身を変異させることで異物に対する結合力を向上し、これを抗体として産生するようになる。PEGはその性質により、いずれのB細胞受容体とも強く結合しないため、抗体産生に至らないと考えられてきた。
本研究では、PEGがB細胞受容体に認識されて、抗体産生に至る以下のプロセスを解き明かした。(1)B細胞受容体はPEGの10個程度の繰り返し配列を非常に弱い相互作用で認識していた(水を介した水素結合など)。(2)相互作用は非常に弱いものの、PEGは同一の単位の繰り返しであるため、B細胞受容体はPEGの滑りを許容し、これによりPEGと十分に長い時間結合することでB細胞を活性化していた(図2:認識例1)。(3)B細胞受容体は、トンネル構造を作るという単純な変異の仕方によって、PEGと強く結合する抗体を作り出していた(図2:認識例2)。これはPEGが側鎖のない細い高分子だからと考えられる。つまり、生体はPEGを強く捕らえる抗体を比較的簡単に作ることができると考えられた。
図2.
B細胞受容体のPEG認識のメカニズム
認識例1では、変異前のB細胞受容体が水を介して弱くPEGと結合している。B細胞受容体は10量体程度のPEGを認識しており、その滑りが許容されている。認識例2では、変異前には溝でPEGを認識していると予想され、変異後には溝の上に屋根ができてトンネル構造となり、より強くPEGを捕らえるようになった。このトンネル構造は単純な変異によって生み出さる。PEGは細いポリマーであるため、単純な変異で生み出された狭いトンネルで捕まえることができる。
PEGが抗体に認識されるメカニズムが理解できたことから、抗体を産生させないポリマーの開発の指針が得られた。今後、この指針を活用することで、真に抗体を産生させないポリマーが開発されると期待される。
本研究はJSPS科研費 (JP20H05876, JP23H03739, JP23H04058, JP21H05510, JP22H04745, JP19H03191)の助成およびSPRING(JPMJSP2136)の支援を受けた。
[用語1] 官能基:原子が相互に共有結合で連結された部分構造のこと(例:メチル基)。PEGは、エチレンオキシド基を繰り返し単位とする高分子である。
[用語2] エーテル結合:酸素によって2つの炭素が連結された結合。PEGでは、CH2-O-CH2の結合を指している。CH2-CH2-CH2に比べて、屈曲性が高い結合である。
掲載誌: | Journal of Controlled Release |
---|---|
タイトル: | The strategy used by naïve anti-PEG antibodies to capture flexible and featureless PEG chains |
著者: | Yiwei Liu, Takahiro Mori, Yusei Ito, Kimiko Kuroki, Seiichiro Hayashi, Daisuke Kohda, Taro Shimizu, Tatsuhiro Ishida, Steve R. Roffler, Mika K. Kaneko, Yukinari Kato, Takao Arimori, Takamasa Teramoto, Kazuhiro Takemura, Kenta Ishibashi, Yoshiki Katayama, Katsumi Maenaka,* Yoshimitsu Kakuta,* Akio Kitao,* Takeshi Mori* |
DOI: | 10.1016/j.jconrel.2025.02.001![]() |