生命理工学系 News
簡便で携帯可能な、物質検出手法として期待
東京工業大学 科学技術創成研究院 化学生命科学研究所の上田宏教授(ライフエンジニアリングコース主担当)と同大学 生命理工学院 生命理工学系の髙橋里帆大学院生(研究当時)、安田貴信大学院生、大室有紀助教(研究当時)は、蛍光色素で化学修飾[用語1]した抗体断片と発光酵素を結合させることにより、青から赤への発光色の変化で抗原となる各種微量物質の存在を簡便に検出できるバイオセンサー[用語2]の構築に成功した。
これまで同グループでは、蛍光修飾した抗体断片に、反応を引き起こすための励起光を照射し、蛍光強度の変化を見ることによって、抗原としてのさまざまな物質の有無を測定するクエンチ抗体(Quench body/Q-body)[用語3]を構築してきた。ただし、この従来の測定方法では、安定した光源を備えた比較的高価な装置が必要だった。
今回は新たに生物発光共鳴エネルギー移動(Bioluminescence Resonance Energy Transfer/BRET)[用語4]の原理を利用し、蛍光修飾されたクエンチ抗体(Q-body)と発光酵素を結合させて、酵素と反応する基質を加えておくことで、外部光を当てることなく、自ら光るセンサータンパク質を構築した。これを「BRET Q-body」と命名した。
この「BRET Q-body」を用いたシステムでは、発光酵素に由来する青色から、蛍光色素に由来する赤色への発光スペクトルの変化により、簡便かつより高い応答と精度で、抗原となる物質を測定することに成功した。
発光色の変化は暗所で目視することも可能で、さまざまな物質を簡単に検出、診断できる携帯可能な装置の実現につながるものと期待される。
この成果は、米国時間5月20日に米国化学誌「Analytical Chemistry(アナリティカル・ケミストリー)」にオンライン掲載され、カバーイラストがSupplementary Journal Coverに採択された。
抗原抗体反応[用語5]を活用し、さまざまな物質の存在や濃度を診断する免疫測定法は、生物学的研究、臨床診断、食品安全管理、環境保全などの幅広い分野で不可欠なものとなっている。
この免疫測定法の手段として、上田研究室で研究を継続してきたクエンチ抗体は、抗原結合部位を持つ抗体断片の一部に、蛍光色素によって化学修飾を行ったセンサータンパク質である。
クエンチ抗体に付加した蛍光色素は、抗原となる物質が存在しない状態では、主に抗体内のアミノ酸の一種であるトリプトファン(Trp)残基からの光誘起電子移動[用語6]によって消光されているが、抗原を加えると、抗原との結合により蛍光色素が抗体分子から放出されてTrpと接触できなくなり、蛍光が回復する。そのため蛍光強度のみを測定することで、簡便かつ迅速に抗原となる物質を検出できる測定素子として、さまざまな分析への応用が期待されてきた。
ただし、これまでのクエンチ抗体を用いた検出系にはいくつかの制限があった。第一に、蛍光を測定するには、安定した比較的高価な外部光源が必要であるという点である。さらに蛍光スペクトルの変化がないため、細胞内などで抗原となる物質の成分量を測定するには、クエンチ抗体の絶対濃度を知る必要があった。特殊な方法を用いて二種類の蛍光色素で化学修飾を行い、レシオメトリック検出[用語7]を実施することも可能ではあったが、一般的ではなかった。
そこで本研究では、深海エビ由来の発光酵素の一種であるNanoLuc(Nluc)とクエンチ抗体を融合させ、発光色の変化を伴う生物発光共鳴エネルギー移動(BRET)の原理に基づき、外部光を当てることなく、青から赤への蛍光スペクトルの変化によって抗原となる物質を検出できる「BRET Q-body」と呼ばれる新しい高感度免疫センサーの構築を目指した。
本研究では、発光酵素として発光エビ由来のNanoLucを、蛍光色素としてはTAMRAなど3色の有機色素を、抗原として骨代謝マーカーに用いられるオステオカルシン(BGP)[用語8]ペプチドを用いた。
Nlucは、深海エビ(Oplophorus gracilirostris)由来の発光酵素で、触媒活性を持つ19kDaのサブユニットに16残基の変異を導入して作られた。発光基質である2-フラニルメチルデオキシ-セレンテラジン(フリマジン)は、Nlucとの反応で酸素を消費して発光し、460 nm付近に発光ピークを持つ強い青色の光を放つ。その発光強度は、ホタルの発光色素の約100倍で、55 ℃でも活性が維持され、サイズが小さいため、タンパク質の大きさに制約のある用途にも使用できる。このような多くの利点を持つNlucを測定に用いることで、例えば細胞内の一方のタンパク質をNlucと結合させ,もう一方をTAMRAなどの色素で標識しておきそれらの相互作用を発光スペクトル変化で検出するNanoBRETと呼ばれる新しいタンパク質間相互作用検出法が開発されている。
図.発光酵素Nlucと抗体の抗原結合部位(VH-VL)をつなぐリンカー部分に蛍光色素TAMRAを化学修飾した「BRET Q-body」の模式図(左)と、抗原であるオステオカルシンペプチド依存的な発光スペクトル変化(右)。暗所では肉眼でも発光色変化が確認出来た(右図上部)。
今回構築した「BRET Q-body」では、抗体が抗原であるオステオカルシンペプチドと結合すると、発光色が発光酵素のNlucに由来する青色から、蛍光色素TAMRAに由来する赤色に変わる。ここで用いた発光酵素と蛍光色素由来の光は波長が異なるため、それらの比から外部光源を使わずに高い精度で抗原が検出できた。さらに興味深いことに、「BRET Q-body」では、抗体が抗原と結合することで起こる色素の移動に伴うBRET効率の上昇により、オリジナルのクエンチ抗体(Q-body)の蛍光強度変化に比べて顕著に高い応答が得られた。
すなわち発光酵素と蛍光色素の二波長からなるレシオメトリック検出として、抗原依存性のBRETによって応答が従来のクエンチ抗体から強化されてより正確になり、抗体の量に左右されることもなくなった。また、強い励起光による光退色も考慮せずにすむようになった。
発光共鳴エネルギー移動(BRET)を用いたバイオセンサーは、携帯可能な機器を用い、試料や被験者のそばで迅速な検査を行うポイントオブケア検査(POCT)の中核として有用であると考えられており、最近他のグループでもNlucを用いて抗体や抗原を検出するものが報告されている。我々が作製した「BRET Q-body」を利用したシステムは、従来のシステムと比較して、消光されている蛍光色素が抗原との結合によって蛍光回復するという新しい検出原理に基づいており、すでに開発されているクエンチ抗体を、より高感度で応答性の高い生物発光センサーに変換できる可能性がある。また色変化を視覚的に観察することもでき、例えばスマートフォンベースのデバイスへの組み込みも容易である。このように、「BRET Q-body」は、診断、食の安全、環境保全、生物学的研究のために向けた有用なバイオセンサーとして期待される。
本研究は、科学研究費助成事業 基盤研究(A)、科学技術振興機構(JST)未来社会創造事業の補助を受けて行われた。
[用語1] 化学修飾 : 生体高分子に含まれる、化合物の特性を決める特定原子団の性質を科学的に変化させ、反応などの機能を変化させること。
[用語2] バイオセンサー : 生体分子が持っている機能を、化学物質の存在や濃度を測定するために活用する化学センサー。
[用語3] クエンチ抗体(Quench body/Q-body) : 抗体の断片を、部位特異的に蛍光色素で化学修飾した抗体。蛍光色素が抗体内のアミノ酸により消光(Quench)される現象を利用して、蛍光強度の変化によって抗原を検出できる。
[用語4] 発光共鳴エネルギー移動(Bioluminescence Resonance Energy Transfer /BRET) : 発光酵素内の発光物質と、これに近接した蛍光色素の間を、光の放出を伴わずにエネルギーが移動して、酵素由来の波長の発光が減衰し、蛍光色素由来の波長の発光が観察される現象。
[用語5] 抗原抗体反応 : 抗原と、その特定の抗原に対応する抗体が結合して起こるさまざまな現象。免疫反応やアレルギー反応、アナフィラキシー反応などがあたる。
[用語6] 光誘起電子移動 : 光吸収によって励起状態となった蛍光団とその近傍に存在する原子団(この場合Trp)との間に生じる電子移動。励起された電子は元の軌道に戻れず、蛍光団由来の蛍光がみられなくなる。
[用語7] レシオメトリック検出 : 二波長での発光あるいは蛍光の測定値の比を用いた測定法。一色での測定に比べて測定誤差が少ない。
[用語8] オステオカルシン(BGP) : 骨芽細胞により合成される骨基質タンパク質。臨床診断における骨代謝マーカーとして使われる。最近、糖代謝や脳神経の活性化など、多彩な機能を持つことが分かってきた。
掲載誌 : | Analytical Chemistry |
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論文タイトル : | BRET Q-body: A Ratiometric Quench-based Bioluminescent Immunosensor Made of Luciferase?Dye?Antibody Fusion with Enhanced Response |
著者 : | Riho Takahashi,$ Takanobu Yasuda,$ Yuki Ohmuro-Matsuyama, and Hiroshi Ueda* $ Equal contributions |
DOI : |