生命理工学系 News
時差ぼけや概日リズム障害の治療に新たな光
「朝起きるのがつらい」「海外旅行の時差ぼけを早く治したい」——そんな願いを叶える鍵は、私たちの細胞にある『時計遺伝子[用語1]』が握っています。東京科学大学(Science
Tokyo)生命理工学院生命理工学系の瓜生耕一郎准教授(生命理工学コース 主担当)、金沢大学の程
肇名誉教授(元・旧三菱化学生命科学研究所主任研究員)、大阪大学大学院歯学研究科・ゲノム編集技術開発ユニットの高畑佳史准教授、豊橋技術科学大学次世代半導体・センサ科学研究所の沼野利佳教授、らを含む共同研究グループは、哺乳類の概日時計遺伝子
Period1(Per1)を特異的に誘導する化合物 Mic-628 を新たに発見しました。
Mic-628はマウスへの経口投与のタイミングによらず、概日時計中枢である脳の視交叉上核と、肺などの全身の末梢組織の時計を同時に前進させ、行動リズムも常に前進させることができます。分子レベルでは、Mic-628が転写抑制因子CRY1タンパク質と直接結合し、転写因子CLOCK-BMAL1タンパク質を含むCLOCK-BMAL1-
CRY1-Mic-628複合体の形成を促進します。この複合体が、Per1 遺伝子転写のスイッチである「二重E-box[用語2]配列」に作用して、Per1の転写を特異的に活性化することが分かりました。さらに数理解析により、Mic-628による安定した時計の前進作用の本質が、誘導されたPER1タンパク質自身による転写の「自己抑制機構」にあることを明らかにしました。
本知見は、時差ぼけやシフトワークなどに伴う概日リズム[用語3]障害に対し、より効果的な治療法の開発に、大きく寄与することが期待されます。
本研究成果は、2026年1月23日(米国東部時間)に米国科学アカデミー紀要 『Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of
America(PNAS )』 のオンライン版に掲載されました。
海外渡航や交代制勤務では、周囲の環境と体内時計[用語4]の時刻のズレによって、強い時差ぼけや睡眠障害が生じることがあります。特に、日本からアメリカへ向かうような「東向き」の移動では、体内時計を前に進める(前進させる)必要があり、後退させる場合に比べて生理的に難しいことが知られています(図1)。そのため、新しい環境に同調するまでに多くの時間を要します。しかし、光照射など体内時計を調整する既存の手法は、効果の発揮に適した作用時刻(タイミング)に制約が大きく、安定かつ簡便に時計を前進させる方法は確立されていませんでした。
図1. 東向きと西向きフライトに伴う体内時計の位相前進と位相後退作用
本研究グループは、哺乳類の時計遺伝子Per1のスイッチ(プロモーター上流にある転写因子結合配列「二重E-box」)に選択的に作用し、Per1を特異的に誘導する化合物Mic-628を同定しました。Mic-628をマウスに経口投与すると、投与するタイミングにかかわらず、概日時計中枢である脳の視交叉上核と肺などの末梢組織の時計が同時に前進し(図2)、マウスの行動リズムも常に約2時間早まることが確認されました(図3)。
図2. Mic-628による中枢時計(SCN)と末梢時計(肺)の位相前進作用
図3. Mic-628経口投与による行動リズムの位相前進
そして、光周期を6時間前進させた時差ぼけモデルマウスに、Mic-628を一回投与しただけで、通常約7日間かかる再同調期間が4日へと大幅に短縮されました。
次に、Mic-628が示す極めて高い遺伝子誘導特異性(図4)は、Mic-628が転写抑制因子CRY1と結合することで、転写因子CLOCK-BMAL1複合体との相互作用を促し、この複合体がPer1
遺伝子転写のスイッチである二重E-box配列に特異的に作用する、という独自の分子機構に起因することを明らかにしました。
図4. Mic-628が示す極めて特異性の高い遺伝子誘導作用
一方、光照射による前進または後退の両方向性同調とは異なり、Mic-628が示す安定かつ恒常的な位相前進[用語5]作用は、誘導されたPER1タンパク質自身による自己抑制フィードバック機構に基づくことを、数理モデル解析により理論的に明らかにしました(図5)。
図5. Mic-628によるPer1 遺伝子誘導とPER1タンパク質による自己抑制機構
CLOCK-BMAL1-CRY1-Mic-628複合体によるPer1
遺伝子の新しい誘導機構や、誘導されたPER1が自ら転写を抑える自己抑制フィードバックが概日リズムの位相制御に果たす役割の解明は、体内時計がどのようにそして何のために作動しているのか ―その発振を支える転写・翻訳フィードバックループ(TTFL)[用語6]制御機構(図6)と生理学的意義をより包括的に理解を深める上で極めて重要な手がかりとなります。
Mic-628のような「時計前進型」化合物は、従来は体内時計の同調が困難であった東向きフライトや交代制勤務に伴う概日リズム睡眠障害に対し、革新的な治療戦略となる可能性があります。
図6. 時計遺伝子発現の転写・翻訳フィードバック制御機構
さらに、Mic-628は服用タイミングにかかわらず、体内時計を常に「進める」方向のみに働く、いわば“スマート薬”としての特性を持っています。
今後、安全性評価やヒトへの応用可能性の検証をすることで、実用的な時差ぼけ治療薬・体内時計調整薬としての開発が期待されます。
本研究は、文科省科学研究費補助金基盤(B)(23K27213)、澁谷学術文化スポーツ振興財団、及び三谷研究開発支援財団の支援を受けて実施されました。
[用語1] 時計遺伝子:体内時計を構成する主要な遺伝子群(例:Per1/2/3、Cry1/2、Clock、Bmal1、Rorα/β/γ、Rev-erbα/β)。これらの遺伝子により下流の時計制御遺伝子群の発現リズムが制御されている。
[用語2] E-box:時計遺伝子の転写制御に関与するDNA配列。CLOCK–BMAL1転写因子複合体が結合する。この中で、Mic-628の特異的誘導作用に必須で、Per1 及びRev-erbα 遺伝子プロモーター領域に存在する、9-10塩基対間隔で並んだ2つのE-box配列を二重E-boxと呼ぶ。
[用語3] 概日リズム(サーカディアンリズム):約24時間周期で繰り返される生体リズム。睡眠・覚醒やホルモン分泌などを制御する。
[用語4] 体内時計:概日リズムを生成・維持する分子機構。哺乳類ではその中枢は脳の視交叉上核であるが末梢組織など全身の細胞にも存在する。
[用語5] 位相前進:体内時計の位相(タイミング)を「早める」こと。東向きフライトの時差ぼけ解消に必要な作用。
[用語6] 転写・翻訳フィードバックループ(TTFL):時計遺伝子の転写産物(タンパク質)が自身の転写を抑制・促進する負/正のフィードバック機構。遅延を伴うTTFLが約24時間の遺伝子発現リズムを制御している。
| 掲載誌: |
Proceedings of the National Academy of Sciences of the United
States of America (PNAS ) |
|---|---|
| タイトル: |
A Period1 inducer specifically advances circadian clock in
mice (Period1 遺伝子の特異的誘導化合物はマウスの概日時計を前進させる) |
| 著者: |
Yoshifumi Takahata, Yuki Kasashima, Takuya Yoshioka, Shusei Yashiki,
Justina Kulikauskaite, Tomoaki Matsuura, Yuki Ohba, Hideaki Hasegawa, Naoki Yuri, Nagisa Iwai, Nanako Otsu,
Mikiya Kitakata, Yuta Kitaguchi, Haruki Furune, Chihiro Omori, Mutsumi Mukai, Yuki Komamura-Kohno, Yi-Ying
Huang, Matsumi Hirose, Nobuya Koike, Yoichi Yamada, Kazuo Nakazawa, Kumiko Ui-Tei, Yoshiyuki Sakaki, Rika
Numano*, Koichiro Uriu* & Hajime Tei* (高畑佳史、笠島悠暉、吉岡拓也、矢敷周聖、Justina Kulikauskaite、松浦知諒、大場祐希、長谷川英明、由利直樹、岩井渚紗、大津なな子、北方三輝也、北口裕太、古根陽輝、大森千尋、向井睦、駒村―河野有紀、黄怡瑩、廣瀬松美、小池宣也、山田洋一、中澤和雄、程久美子、榊佳之、沼野利佳*、瓜生耕一郎*、程肇*) |
| DOI: |
10.1073/pnas.2509943123 |