生命理工学系 News
凍結・融解が、さまざまな脂質組成の膜区画のふるまいに与える影響を探索
東京科学大学(Science Tokyo) 生命理工学院 生命理工学系の篠田達也大学院生(博士後期課程2年)、同未来社会創成研究院
地球生命研究所(ELSI)の野田夏実研究員、松浦友亮教授(地球生命コース 主担当)らの研究チームは、同研究所の関根康人教授らとの共同研究で、凍結・融解を繰り返す環境条件が原始細胞[用語1]の「成長・選択・遺伝」を駆動する可能性を実験で示しました。
細胞の内部と外部を膜で隔てる区画構造は、生命の重要な特徴の1つです。そのため、生命誕生の初期段階には、既に膜区画構造を持つ原始細胞が存在したと考えられています[参考文献1]。しかし、現存の細胞の成長・分裂や遺伝情報の複製・継承といった、進化を担う機構は複雑なため、原始細胞がどのような機構で進化し、生命に至りえたのかは、極めて難しい問題です。
原始細胞は、現代の細胞に比べて外部環境の影響をより強く受けたと考えられます。そこで本研究では、凍結・融解という環境条件が原始細胞の挙動に与えうる影響を、リン脂質[用語2]で作製した区画で調べました。凍結・融解後、複数の区画が膜分子や内部成分を融合させながら大きくなる現象が観察されました【成長】。また、この区画の成長のしやすさはリン脂質の僅かな分子構造の違いで大きく異なることが分かりました。さらに、異なる膜分子からなる区画の集団を凍結・融解させると、成長した区画は、特定の膜分子に富むだけでなく【選択】、内包成分は、特定の区画由来のDNA分子に偏っていました【遺伝】(図1)。本成果は、膜区画の組成と外部環境との相互作用が原始的な進化を駆動した可能性を示すものです。
本成果は、10月31日付(英国時間)で「Chemical Science」誌に公開されました。
図1. 本研究で実施した研究結果の模式図。
二種類のリン脂質で作製した区画に、それぞれ異なるDNA分子を内包成分として封入し、凍結・融解の操作を行った。その結果、膜区画のサイズの成長に伴って、成長に有利な性質を持つPLPCと、PLPCに封入していたDNA分子に組成が偏ることを検出した。すなわち、凍結・融解を繰り返す環境条件が原始細胞の「成長・選択・遺伝」を駆動しうることを示した。
生命を構成する基本単位である細胞は、遺伝情報を継承しながら成長・分裂を繰り返す、高度な機能を持ちます。遺伝情報の多様性は、適応度[用語3]の多様性を産み、適応度の高い個体が、子孫を多く作り、その形質が受け継がれます。こうした遺伝型の偏りが、自然選択による進化を生み出します。これに対して、生命の初期段階に存在した原始細胞は、より単純な構造を持っていたと考えられます。原始細胞は、現代の生命のような複雑な仕組みに頼ることなく、どのように成長し、進化できたのでしょうか?これは、生命の起源を明らかにするうえでの重要な問いの1つです。
この問いに答える手がかりとして、原始細胞の挙動は構成分子それ自体の物理化学的性質に左右されていたという考え方があります。中でも、膜内に包まれた分子よりもむしろ膜自体の脂質組成が原始細胞の「進化」に大きく寄与した可能性は、リピッドワールド仮説として概念的に提案されていました[参考文献2]。このような構成分子の組成に依る多様性の概念は、現代の生命の遺伝情報や機能が、DNAの塩基配列やタンパク質のアミノ酸配列のような、単位分子の並び順で定まるのとは全く異なります(図2)。
図2. 生命を構成する細胞の進化様式と、原始細胞がとりえた進化様式の比較。
(A)
現存生命の細胞の性質や機能は、DNAの塩基配列で記述された遺伝情報に左右される。これは地球生命の共通祖先にまで遡る共通の仕組みとされている。塩基配列に変異が入ることで各個体の遺伝的性質に多様性が生じる。この多様性が適応度の差を生む場合、選択を受けた次世代は適応度がより高い性質に偏る。
(B)地球生命の共通祖先が出現する前の原始細胞の「進化」は、現存生命の進化の仕組みよりずっと簡素だったと考えられる。例えば、構成分子の組成に多様性がある場合、その構成分子自体の物理化学的性質が直接的に原始細胞の挙動を左右し、ある性質を持つ構成分子がそのまま次世代に継承されうる。このような組成に対する選択や偏りが原始的な「進化」に繋がったかもしれない。
原始細胞が単純な仕組みで成長・分裂することについては、さまざまなアイデアが提案されてきました。その一方で、原始細胞がその構成分子の組成に依存して成長や分裂の効率に違いが生じるかは十分に検討されてきませんでした。さらには、その構成分子依存的な挙動の違いが膜分子の選択や内包成分の偏りにまでつながるかについては、これまで実証されていませんでした。
本研究に携わった両チームでは、これまでに環境の物理化学的非平衡、特に凍結融解サイクル[用語4]が生命システム出現過程の駆動力となった可能性を、合成生物学と環境化学的手法でそれぞれ明らかにしてきました[参考文献3-4]。複雑な制御機構を持たない原始細胞の挙動は、周辺環境条件の影響を強く受けたと考えられます。
そこで本研究では、疎水性尾部の構造が僅かに異なる3種類のリン脂質(POPC、PLPC、DOPC)を材料にして小さなベシクル[用語5]を作製し、凍結・融解が及ぼす影響を多角的・定量的に比較しました。その結果、凍結融解サイクルがリン脂質ベシクルのサイズの成長を引き起こすことに加え、成長効率がリン脂質の組成に大きく依存することを発見しました(図3A)。疎水性尾部に不飽和結合がより多い膜組成ほど、より高頻度でサイズが成長すると同時に、リン脂質や内包分子など構成成分の混合もより効率よく起きる傾向が示されました(図3B)。この相関関係は、凍結・融解で生じた成長ベシクルが、成長に有利な組成を引き継ぐ可能性を意味します。
この組成継承の可能性を確かめるため、2種類のリン脂質ベシクル(POPCとPLPC)が混在する条件で凍結融解実験を行い、成長ベシクルのリン脂質の組成を解析しました。すると、成長ベシクルは予想通り、より不飽和結合の数の多いPLPCに偏った組成を示しました(図3C
上)。さらに、内包分子の挙動を調べるために、同様の2種類のリン脂質ベシクルにそれぞれ異なるDNA
分子を封入した実験も行いました。すると、成長ベシクルの中から回収されたDNA分子の組成も、元々PLPCに封入されていたものに偏っていました(図3C
下)。DNA分子の配列に刻まれた情報は読み取られなかったにも関わらずDNA分子の組成に偏りが生じた本結果は、膜の性質に基づく選択の影響が、膜組成だけでなく内包分子の組成の継承にも波及しうる可能性を示すものです。
図3.凍結融解実験によるリン脂質ベシクルの挙動解明。
(A)透過型電子顕微鏡(TEM)で観察した実験前後のリン脂質ベシクル。直径100
nm程度に調整したベシクルが凍結融解サイクルを経て数µmサイズへと成長する様子が、POPCよりもPLPCを用いた場合に顕著に観察された。
(B)成長ベシクルの出現割合と、成長ベシクルにおける膜混合効率との相関関係。各点は異なる脂質組成に対応する。確認された正の相関は、サイズの成長しやすい脂質組成ほど、成長に伴う膜の混合も効率よく起きる傾向を意味する。
(C)二種類のベシクルを混合した実験の組成分析結果。縦軸の左の模式図は図1と対応する。成長ベシクルの数値が初期条件に対して増加したことは、PLPC、およびPLPCに内包されていたDNAに富む組成に偏ったことを表す。この結果は、成長に有利な膜組成が選択的に成長ベシクルを構成すると同時に、その膜組成に由来する内包成分も優先的に継承されたことを示す。
本研究では、凍結・融解により区画のサイズがより大きくなる性質を「適応度が高い」と見做して実験を進めました。体積の増加は、その後の分裂や内部の化学反応場の生成に不可欠だからです。しかし、区画の分裂や区画への反応系の取り込みが、凍結・融解により可能かは、今後確かめる必要があります。これにより、凍結・融解という環境条件を駆動力として、生命システムのどのような性質を創り出せるのか、その具体的な仕組みがどうだったかを解明できます。
凍結・融解は、初期の地球上でも温度の日変化や季節変化によって自然に繰り返されたと考えられます。また、木星や土星の周りには、氷地殻の下で海水が凍結・融解を繰り返している氷衛星が存在していることが分かっています。つまり凍結・融解は、様々な時代・天体・時空間スケールで起こりうるのです。その一方で、地球生命システムの出現に寄与した環境の有力候補としては、乾燥・湿潤の繰り返しや海底熱水などが挙がっています。本研究は、これに加えて、凍結・融解過程も重要であることを示唆するものです。本研究で初めて示された膜区画組成に依存した「選択」や「遺伝」の現象は、膜構成分子の物理化学特性に従って進行しています。従って膜区画の組成とその挙動の関係性をより網羅的に調べ、背後にある物理化学的メカニズムを解明できれば、他の天体や環境でのリン脂質のような両親媒性分子の振る舞いも予測可能となるでしょう。
本研究は ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム(HFSP)(RGP003/2023)、 JSPS科研費(22KJ1296、22K21344、21H05228)、JST次世代研究者挑戦的研究プログラム (JPMJSP2180)、大学共同利用機関法人自然科学研究機構アストロバイオロジーセンターのプロジェクト(JY230122nn)による助成を受けて行われました。
[参考文献1] J. W. Szostak, D. P. Bartel & P. L. Luisi, Nature 409, 387–390 (2001).
[参考文献2] D. Segré, D. Ben-Eli, D. W. Deamer & D. Lancet, Orig. Life Evol. Biosph. 31, 119 –145 (2001)
[参考文献3] N. Noda, K. Nomura, N. Takahashi, F. Hashiya, H. Abe & T. Matsuura, ChemSystemsChem 6, e202400025 (2024).
[参考文献4] M. L. Craddock, Y. Sekine, M. Napoleoni, N. Khawaja, S. Tan, Y. Li, Z. Yang, L. Hortal Sanchez, R. Yi & F. Postberg, Icarus 444, 1-19 (2026)..
[用語1] 原始細胞:約40億年前の生命誕生より前に存在したとされる、脂質膜で包まれた区画構造体。内部に情報分子や化学反応を保持できたと考えられるが、特定の進化段階を指すわけではなく、明確な定義はない。
[用語2] リン脂質:細胞膜の主成分。リン酸を含む親水性頭部と炭化水素鎖の疎水性尾部からなり、水溶液で自発的に膜構造を作る。本研究で用いた3種類のリン脂質のうち、POPC(1-パルミトイル-2-オレオイルグリセロ-3-ホスファチジルコリン)は真核細胞の生体膜組成で最多を占める代表的なリン脂質で、人工細胞研究などにも広く使われる。PLPC(1-パルミトイル-2-リノレオイルグリセロール-3-ホスファチジルコリン)とDOPC(1,2-ジオレオイルグリセロ-3-ホスファチジルコリン)はどちらも親水性頭部はPOPCと同じで、炭化水素鎖の不飽和度や炭素数のみが僅かに異なる。
[用語3] 適応度:与えられた環境条件において各個体が残せる子孫の数の期待値などを指す。すなわち、ある遺伝子型がある環境において、自然選択にどの程度有利かを示す指標。xy平面に遺伝子型、z軸に各遺伝子型の適応度をグラフにするとあらわれる平面を適応度地形と呼び、進化が辿る変遷を可視化して議論するために用いられる。
[用語4] 凍結融解サイクル:水の凍結と融解が繰り返される現象。温度変化が遅い場合、液相に溶存塩や分子が濃縮される。本研究では、遠心分離操作で濃縮したベシクルを液体窒素により凍結し室温で融解するという操作を1–3回繰り返し、天然に起こりうる凍結・融解過程を簡便に模倣した。
[用語5] ベシクル:(原始)細胞の機能や挙動を再現するために人工的に作られた、脂質膜で包まれた閉鎖袋状区画。本研究では、リン脂質の薄膜を水和させた後に、孔径が一様なフィルターに通してサイズを約100 nmに整えたものを出発材料に用いた。
| 掲載誌: | Chemical Science |
|---|---|
| タイトル: | Compositional selection of phospholipid compartments in icy environments drives the enrichment of encapsulated genetic information |
| 著者: | class="c-definitionList__description">Tatsuya Shinoda, Natsumi Noda, Takayoshi Watanabe, Kazumu Kaneko, Yasuhito Sekine and Tomoaki Matsuura |
| DOI: | 10.1039/D5SC04710B |
篠田 達也 Tatsuya Shinoda
東京科学大学 生命理工学院 生命理工学系 大学院生(博士後期課程2年)
研究分野:生物物理学、合成生物学
野田 夏実 Natsumi Noda
東京科学大学 未来社会創成研究院 地球生命研究所 研究員
研究分野:生物物理学、合成生物学、惑星科学、アストロバイオロジー
松浦 友亮 Tomoaki Matsuura
東京科学大学 未来社会創成研究院 地球生命研究所 教授
研究分野:生物工学、生体関連化学、合成生物学、生物物理学
関根 康人 Yasuhito Sekine
東京科学大学 未来社会創成研究院 地球生命研究所 教授
研究分野:惑星科学、アストロバイオロジー、地球惑星進化学
お問い合わせ
東京科学大学 未来社会創成研究院 地球生命研究所
研究員 野田 夏実
Email natsumi@elsi.jp
東京科学大学 未来社会創成研究院 地球生命研究所
教授 松浦 友亮
Email matsuura_tomoaki@elsi.jp