生命理工学系 News
ウェアラブル連携アプリSciBabyをリリース
東京科学大学 生命理工学院 生命理工学系の黒田公美教授(ライフエンジニアリングコース 主担当)、原地絢斗研究員、情報理工学院 情報理工学系の吉村奈津江教授らの共同研究グループは、乳児の睡眠と泣きの問題を科学的に支援する研究用スマートフォンアプリSciBabyを開発しました。
黒田研究室では、哺乳類の乳児が抱っこして運ばれるとリラックスする「輸送反応[用語1]」を2013年に発見しています。SciBabyは、保護者が5分間の抱き歩きとその後の抱き座りによって乳児の自然な眠りを誘導するのを助けます。これまでの実験では、泣いていた乳児の8割以上が、5~10分間の抱き歩きによって泣き止みました。またその後の8分間の座った状態での抱っこにより、半数以上が入眠しました。ただし寝た乳児を布団に寝かせると20%程度は起きてしまうため、最適な寝かしつけのタイミングを予測する今後の研究が必要です。SciBabyでは、乳児に装着した腕時計型脈拍センサからデータを取得し、乳児の睡眠を予測するAI開発に貢献します。
家庭と研究者のWin-Winな関係を作るSciBabyは2月27日からGoogle Playよりダウンロードできます。詳細はSciBabyのWebサイトをご覧ください。
乳児の泣き止み・寝かしつけを科学的根拠に基づき支援するアプリSciBaby
生後1歳までの乳児は通常よく泣きます。しかしあまりにも泣きやまないと、親にとってはストレスになり、まれに虐待につながることさえあります。寝かしつけには、おんぶや抱っこ、ベビーカーでの散歩など、文化によってさまざまな方法が用いられてきましたが、実際にどの程度泣き止みや寝かしつけに効果があるのかを科学的に検証した研究は意外なほど少ない状態でした。
黒田研究室(当時、理化学研究所)では2013年、親が乳児を抱っこして歩くと、おとなしくなる現象「輸送反応」をマウスと人間の乳児で発見しました(図1)[参考文献1]。野生動物の親は、外敵が迫っているなどの危険な状況で子供を運ぶことが多いため、子は運ばれている間はただちにおとなしくなる方が生存に有利であるためと考えられます。さらに2022年には、5分間連続して歩くことで、泣いていた乳児の半数近くが入眠することも示しました[参考文献2]。この時の研究から、乳児の心拍や脈拍などの状態を測定することで、よりよい寝かしつけのタイミングが分かる可能性も示唆されました。しかし当時の研究では、乳児の生理的状態(乳児状態)は医療用心電計で測定しており、家庭で手軽にこのような測定を行うことは困難でした。
図1. 哺乳類の子の「輸送反応」
そこで今回、黒田研究室では乳児状態の計測にウェアラブルセンサとスマートフォンを利用するシステムSciBabyを開発しました(1ページ目の図)(国際特許番号 PCT/JP2023 /008805)。使い方は簡単です。
この方法でこれまでに30人の乳児を対象に300回の実験を行ったところ、2022年の論文と同様、5分間の抱き歩きによりはじめ泣いていた乳児(図2、赤+黄)のうち84.4%が泣き止み(図2左)、また58.4%がその後の8分間抱き座り終了までに寝ることが分かりました(図2右)。また泣いていた乳児の方が、泣いていなかった乳児よりも抱っこ歩きによって早く寝つくという前回の論文での発見も確認されました。
図2. SciBabyを利用した泣き止み・寝かしつけの中間結果。(左)保護者による5段階の乳児状態評価が抱き歩き実験中にどのように変化したかを、乳児の初期状態(4赤:大泣き、3黄:泣きかけ、2緑:興奮、1青:静か、0灰:寝ている)ごとに集計した。平均±標準誤差。(右)抱き歩き実験中に寝ている乳児の割合(%)を、初期状態ごとに集計した。
一方で、抱っこでの寝かしつけの難しいところは、布団に寝かせるところです。2022年の論文では抱っこから布団に寝かせると、寝ている乳児の1/3が起きてしまいました。今回の実験では寝かせる前に眠りを深める目的で、抱っこ歩き後に抱っこ座り8分を行うことに統一し少し改善しましたが、それでも約20%の乳児は起きてしまいました。そこで現在は機械学習などを使用し、最適な寝かしつけタイミングの推定を行うための新たな研究開発に取り組んでいます。
抱き歩きによる寝かしつけは、生活リズムや室内環境の調整など、乳児の自然な睡眠を促す毎日の育児を代替するものではありません。一方で家以外の場所や親の不在などのやむを得ない状況で、乳児が寝つけなくてぐずっている時、すぐに試せる方法もあるほうがよいと考えられます。本研究により、抱き歩きによる泣き止み・寝かしつけの最適な方法が乳児ごとに分かるようになれば、家庭だけでなく保育所や病院などでも役立つ可能性があります。また5分間の抱き歩きができない状況に対応するため、電動ベビーラックを使った泣き止み・寝かしつけ効果について、コンビ株式会社と共同で検証実験を行っています。
SciBabyシステムは入眠を補助するだけでなく、乳児の夜間睡眠を評価する目的にも拡張できます。現在、家庭での乳児の夜泣きや睡眠を生体情報などの客観的な指標に基づいて評価する方法はほとんどありません。そのためご自分のお子さんの泣きや睡眠が正常範囲なのか、心配になってしまう保護者もいらっしゃいます。SciBabyとウェアラブルセンサで手軽に乳児の生体情報を測定、解析できるようになれば、このような育児の悩みや、将来的には医学的に問題となる小児睡眠障害の診断にも役立つ可能性があります。
このような研究には実際の乳児とその保護者の協力が必要です。SciBabyは家庭と研究者のWin-Winな関係を通じ、科学的に根拠のある育児支援の実現を目指しています。
本研究は、以下の事業の支援を受けて行われています。
科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 CREST「データ駆動・AI駆動を中心としたデジタルトランスフォーメーションによる生命科学研究の革新」研究領域 (研究総括:岡田 康志(理化学研究所 生命機能科学研究センター チームリーダー/東京大学 大学院医学系研究科 教授))研究課題「育児DX:ウェアラブルシステム開発による乳児夜泣き制御と入眠予測(JPMJCR23N4)」(研究代表者:黒田公美 東京科学大学生命理工学院 教授)
寝かしつけ実験はベビー用品メーカーのコンビ株式会社(東京都台東区)と共同で実施しました。Scibabyアプリはmiracleave株式会社(東京都中央区)の協力を得て開発しました。
[用語1] 輸送反応:哺乳類の離乳前の子に生得的に備わっている、運ばれるときにおとなしくなる反応。運ばれるときに乳児は、泣きの量が減り、鎮静化し、副交感神経優位状態となる。霊長類では親にしがみつく、四足歩行動物ではコンパクトな姿勢になるなどの姿勢制御も行う。親が子を運ぶときに安全にスムーズに運べるよう、親に協力する反応と考えられる。
[用語2]
Polar Verity Sense:スポーツ科学で用いられる、Polar社製の腕時計型光学式心拍センサ。SciBabyはPolar Verity Sense以外のセンサには対応しておりません。機器の発熱量など乳児への安全性を考慮した対応ですのでご了承ください。
黒田 公美 Kumi KURODA
東京科学大学 生命理工学院 生命理工学系 教授
研究分野:親子関係の行動神経生物学
吉村 奈津江 Natsue YOSHIMURA
東京科学大学 情報理工学院 情報工学系 教授
研究分野:脳情報イメージング・デコーディング
原地 絢斗 Kento HARACHI
東京科学大学 生命理工学院 生命理工学系 研究員
研究分野:ニューラルネットワーク・生体信号解析