生命理工学系 News
採血を必要としないがんの検知技術への応用に期待
東京科学大学(Science Tokyo)※生命理工学院 生命理工学系の安井隆雄教授(生命理工学コース 主担当)らの研究チームは、名古屋大学 未来社会創造機構の夏目敦至特任教授、東京大学 大学院工学系研究科の柳田剛教授、北海道大学 電子科学研究所の長島一樹教授、関西大学 商学部の鷲尾隆教授、Craif株式会社の市川裕樹CTO、東京医科大学 医学総合研究所の落谷孝広特任教授、大阪大学 産業科学研究所の川合知二招へい教授、量子科学技術研究開発機構(QST)量子生命科学研究所の馬場嘉信教授と共同で、尿中エクソソーム[用語1]マイクロRNA[用語2]を用いた早期がん検知を達成しました。
エクソソームは、全ての細胞が放出する微粒子(直径40-200 nm程度)であり、細胞と細胞がコミュニケーションする時の情報伝達物質として体内で機能しています。マイクロRNAはエクソソームによって運ばれる情報であり、がん細胞が放出するエクソソームに含まれるマイクロRNAは体内のがんに関連するサインであると考えられます。今回の研究では、“血液中のエクソソームは全てが細胞間のコミュニケーションに用いられずに一部が尿中へ排出される”という仮説を立て、尿中のエクソソームのマイクロRNA解析を実施しました。
尿中エクソソームのマイクロRNAを機械学習解析したところ、早期がん患者を識別できることが分かりました。尿中のエクソソームを網羅的に捕まえるため、今回は1次元ナノ構造体のナノワイヤ[用語3]を用いました。次に、捕まえた尿中エクソソームからマイクロRNAを取り出し、がんマーカーとなるようなマイクロRNAの組み合わせ(マイクロRNAアンサンブル[用語4])を機械学習解析にて構築したところ、がん患者と非がん患者ではマイクロRNAアンサンブルが異なることを発見しました(感度98.2 %、特異度96.5 %[用語5])。さらに、がん患者のマイクロRNAアンサンブルを用いると、AUROC[用語6]が0.987で早期がん患者を識別できました。
本成果は、10月18日付(現地時間)の「Analytical Chemistry」誌にオンライン掲載されました。
※2024年10月1日に東京医科歯科大学と東京工業大学が統合し、東京科学大学(Science Tokyo)となりました。
ある種のマイクロRNAの組み合わせは、健常人とがん患者で異なることが分かっているため、さまざまながんに関連するサインとなります。がん細胞は、血液中を循環するマイクロRNAを介して、がん細胞の休眠の促進、腫瘍形成の促進、血液脳関門の破壊といった他の細胞の生物学的プロセスを制御することが報告されています。がんに関連する生命現象には複雑な生物学的プロセスが含まれているため、各種のがん生命現象に関連するマイクロRNAは、1種だけではなく複数種のマイクロRNAが関与していると考えられます。この複数種のマイクロRNAの組み合わせである“マイクロRNAアンサンブル(図1中央下)”は、がん患者ごとに組み合わせが異なることが予見されてきました。昨今の研究成果においては、血液中のマイクロRNAアンサンブルが健常人とがん患者を識別できる、という有望な成果も報告されています。
今回の研究では、非侵襲の早期がん検知を目指し、尿中のマイクロRNA解析と機械学習解析による尿中マイクロRNAアンサンブルの構築を実施しました。研究グループは、血液の副産物である尿中マイクロRNAアンサンブルは、血液中マイクロRNAアンサンブルと同じように、がんに関連するサインとして機能すると予想しました。血液中を循環するマイクロRNAの多くは、体液中の情報伝達物質として知られるエクソソームに内包されています。エクソソームは、全ての細胞が放出する微粒子(直径40-200 nm程度)であり、細胞と細胞がコミュニケーションをとる時の情報伝達物質として体内で機能しています。エクソソームが血液中で移動する時間と、血液循環にかかる時間を考慮すると、1回の血液循環の間で、血液中の全てのエクソソームが細胞間のコミュニケーションに使われることはないと想像されます。その結果、このコミュニケーションに使われなかったエクソソームは腎臓で非選択的に濾過されることが示唆されています。研究グループはこの仮説に基づき、尿中にがん細胞に由来するエクソソームが含まれる可能性を考えました。
尿中マイクロRNAアンサンブルの構築には、尿中から検出されるマイクロRNA種類数を増やすことが重要です。これまでに論文で報告されている血液中のマイクロRNA種類数(2,000種類以上)に対し、尿中で報告されているマイクロRNA種類数は少なく、構築可能なマイクロRNAアンサンブルに限りがありました。そのため、採尿は採血よりも非侵襲性で優れていますが、尿中から検出されるマイクロRNA種類数が少ないことが尿中マイクロRNAアンサンブル構築の研究における大きな壁であり、尿中マイクロRNAアンサンブルによる早期がん検知が困難であると考えられてきた理由でもあります。
研究グループは、尿中から検出されるマイクロRNA種類数が少ない原因が、尿中のエクソソームを網羅的に捕まえることができないためであると考え、1次元ナノ材料である“ナノワイヤ”を駆使し、尿中のマイクロRNA種類数が血液中と同程度であることを発見しました。研究グループはこれまでの研究において、単結晶の酸化亜鉛ナノワイヤを作製し、そのナノワイヤのクーロン力と水素結合によるエクソソームの網羅的捕捉・解析を実施してきました。その成果として、尿中エクソソームのマイクロRNA解析により、尿1 mLから1,300種類以上のマイクロRNAを発見することに成功しています。2000種以上の存在が確認されているヒトマイクロRNAはその機能がヒト機能維持に大きく関与していることから、従来技術(超遠心法)で尿20 mLより発見された300種類程度という数字が尿中マイクロRNA種類数として妥当な数字であると長い間考えられており、研究グループの成果である1,300種類以上という数字は革新的な種類数でした。今回、研究グループは前回と同様の酸化亜鉛ナノワイヤを作製し、尿サンプル200検体(非がん100検体・がん100検体)を解析することで、ヒト種として尿中に含まれるマイクロRNA種類数の確認を行いました。その結果、尿中マイクロRNAには、そのヒトの生活習慣(喫煙・飲酒など)に関与するマイクロRNAが多く含まれ、ヒトによって1,300種類の内訳が異なることが明らかとなりました。この結果、ヒト種として尿中に含まれるマイクロRNA種類数が2,000種以上あることが分かりました。
次に、尿中マイクロRNA種類数が血液中のマイクロRNA種類数と同程度であることが明らかとなったため、尿中のがん関連マイクロRNAアンサンブルを機械学習解析で構築しました。最初にがん患者(100人)と非がん患者(100人)から抽出・解析した尿中マイクロRNAデータを用い、200人の尿中マイクロRNAデータの機械学習解析を行うことで、がん患者と非がん患者を識別可能な尿中マイクロRNAアンサンブルを構築しました。この構築した尿中マイクロRNAアンサンブルを用い、構築時に用いなかったがん患者と非がん患者の尿中マイクロRNAが、がん患者・非がん患者のどちらの尿中マイクロRNAパターンと近しいかを識別できることが分かりました(感度98.2 %、特異度96.5 %)。さらに、がん患者の尿中マイクロRNAの機械学習解析を用いて構築した尿中マイクロRNAアンサンブルを用い、早期がん患者(ステージI)の識別を行なったところ、AUROCが0.987で早期がん患者(ステージI)を識別できました。
今回の研究では、がんの種類(肺がん・脳腫瘍)ごとにマイクロRNAアンサンブルが異なることが分かりました。これは、各種がんが活動する時の生物学的プロセスが異なっていることと関連しています。各種がんに関連するマイクロRNAアンサンブルを構築することで、尿のマイクロRNAアンサンブルを使ったがんの早期発見による安全・安心な社会の実現に貢献できると考えています。
今回の研究では、肺がん・脳腫瘍・非がんの3者の識別だけではなく、肺がん・大腸がん・子宮内膜がん・腎がん・白血病・リンパ腫・膵がん・前立腺がん・胃がん・尿路上皮がん・非がんの11者の識別の可能性も見えてきています。がん種の拡大のみならず、がんの発症前後のマイクロRNAアンサンブルの比較などを経て、がん早期発見を確かなものとする技術開発へと進展させていきたいと考えています。
本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)助成金番号JP21he2302007、AMEDムーンショット研究開発プログラム(助成金番号22zf0127004s0902、JP22zf0127009)、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)JPNP20004、科学技術振興機構(JST)AIP加速研究(JPMJCR23U1)、日本学術振興会 科学研究費助成事業 基盤研究(A)JP24H00792の助成を受けて実施されたものです。
[用語1] エクソソーム:全ての細胞が放出する微粒子(直径40-200 nm程度)であり、細胞と細胞がコミュニケーションする時の情報伝達物質として体内で機能する物質。
[用語2] マイクロRNA:2024年のノーベル生理学・医学賞の受賞につながった物質。マイクロRNAはたんぱく質を作らないRNAであるが、細胞や生体を制御していることが明らかとなっている。がん細胞が放出するエクソソームに含まれるマイクロRNAは体内のがんに関連するサインであると考えられている。
[用語3] ナノワイヤ:1次元のナノ構造体。直径が数10-100 nm、長さが1-10 µmのナノメートルスケールのハリやワイヤーのような構造体。
[用語4] マイクロRNAアンサンブル:がんに関連する生命現象には複雑な生物学的プロセスが含まれているため、各種のがん生命現象に関連するマイクロRNAは、1種ではなく複数種のマイクロRNAが組み合わされ、マイクロRNAの組み合わせ(マイクロRNAアンサンブル)となる。
[用語5] 感度と特異度:感度は疾患を持った人のうちその所見がある人の割合を示し、特異度は疾患を持たない人のうちその所見がない人の割合を示す。感度の計算式は、(真陽性)/(真陽性+偽陰性)となる。また、特異度の計算式は、(真陰性)/(偽陽性+真陰性)となる。
[用語6]
AUROC:Area Under the Receiver Operating Characteristics Curveの略称。
機械学習におけるAUROCとは、主に二値分類に対する評価指標の一つとなる。AUROCは邦訳すると、「ROC(受信者操作特性)曲線の下の面積」を意味する。この指標は、1.0に近いほどモデルの予測性能が高いことを示す。例えば機械学習モデルによる予測が全て正解であった場合、AUROC値は1.0となる。また、AUROC値が0.5の場合は、機械学習モデルによる予測がランダムな推測と同等であることを示す。
掲載誌: | Analytical Chemistry |
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論文タイトル: | Early Cancer Detection via Multi-microRNA Profiling of Urinary Exosomes Captured by Nanowires |
著者: | Yasui, Takao; Natsume, Atsushi; Yanagida, Takeshi; Nagashima, Kazuki; Washio, Takashi; Ichikawa, Yuki; Chattrairat, Kunanon; Naganawa, Tsuyoshi; Iida, Mikiko; Kitano, Yotaro; Aoki, Kosuke; Mizunuma, Mika; Shimada, Taisuke; Takayama, Kazuya; Ochiya, Takahiro; Kawai, Tomoji; Baba, Yoshinobu |
DOI: | 10.1021/acs.analchem.4c02488 |
安井隆雄 Takao YASUI
東京科学大学 生命理工学院 生命理工学系 教授
研究分野:生命分析化学